066「強襲」
翌日の深夜。
リオナンドは平野に陣を構え、野営している軍勢を近くにある丘の上から眺めていた。
「さて……もうそろそろかな」
『今回は開戦直後に突っ込むわけじゃないんだな』
「うん。三年前ぐらいかな……矢がたくさん刺さって死にそうになったから、やめた。それからは奇襲ばっかりだよ」
『そうか。キミも大人になったな』
「あはは……それどういう意味?」
『そのままの意味だ』
五年前までのリオナンドは雨あられのように降り注ぐ矢を杖で弾きながら、戦場を駆け抜けてソウルスティールしていたものだが……いくらなんでもあれは無理があったからな。
彼の存在がまだ広く知られていなかった当初はともかく、『死神』と呼ばれ様々な対策が練られるようになってからはいつ死んでもおかしくなかった。
『なんにせよ、奇襲のほうがまだ幾分現実的だ。本当なら人様の戦争になど関わらないのが一番なのだが』
「あれ? ライフワークだから好きにして良いんじゃなかったの?」
『好きにしたら良いとは言ったが、好ましいわけではないからな』
「……そっか。まあ、そうだよね」
リオナンドは力なく呟いて苦笑した。
なんとなくだが、どうも様子がおかしい。
『リオナンド、今夜はやめたほうが良いんじゃないか?』
「ヘマして死にそうな気がする?」
『その通りだ』
「ボクは死なないよ」
リオナンドは小さく笑って言った。
「誰もボクを殺せない。ボクが自分で『死んでもいい』と思わない限りね」
『凄い自信だな』
「自信っていうか……もう十年以上、『死神』をやってるから、わかるんだ。なんとなく」
リオナンドはそう言うと目を細め、ゆっくりと歩き出した。
普通に考えれば彼の言葉は根拠がなく、単なる過信のように思えるが……歴代宿主の中には特殊な環境下に置かれ予知能力を獲得した者もいた。
一概に否定することはできない。
むしろどこか元気がない彼のことを考えると、ここは肯定したい。
『それは頼もしいな。ぜひそのまま死なずに生き延び、俺を消す方法を探し出してほしい』
「うーん……フェイスさんを消す方法はともかく、呪いを消す方法は探してるんだけどね。なんの手がかりもないから、それはなんとも言えないなぁ……」
『千年以上かかってどうにもできていないからな。人生のついでとして気長に探してくれると助かる』
というより探してくれるだけありがたい。
まったく探してくれない宿主も決して少なくないからな。
「気長に、かぁ……」
『ああ。……しかし、妙だな。随分と松明が多い』
時刻は深夜だが、敵陣営は松明の火が多く明るい。
しかも松明が陣営を大きく取り囲むよう、等間隔に設置されている。
電気がないこの世界において松明は必需品であり、希少ではないが需要は高く、決して無駄遣いできるようなものではない……と、以前リオナンドに聞いたことがある。普通ならば陣営から離れた場所にも多数設置するなど、あまり考えられない使い方だ。
いくら視界を確保するためとはいえ、過剰すぎる。
これはおそらく……いや、間違いなく『死神』対策だろう。
『リオナンド、この明るさだともうそろそろ敵陣営に発見されるぞ。良いのか?』
「うん、もちろん」
『そうか』
すべて承知の上、ということなのだろう。
初めてのことではないのだ。当然といえば当然か。
そして案の定、まだまだソウルスティールの射程には届かない距離の時点で、すぐに見張りの兵士がこちらを二度見するような素振りを見せた。
リオナンドは慌てた様子もなく声を上げる。
「怪しいものではありません! 私は和平の――」
「――死神襲来! 死神襲来! 十時の方向より死神襲来ぃぃぃ!!」
兵士はリオナンドの話を聞くことなく、死神襲来と繰り返し叫びながらこちらに背を向け、陣営へと走っていった。それから数秒もしないうちにカンカンカンカンカン、と陣営から鐘の音が鳴り始める。
五年前と比べ反応が凄まじく早い。
数多くの軍隊を壊滅させた存在として、今や『死神』は相当な驚異として恐れられているようだ。
「あー、やっぱりダメか」
リオナンドは苦笑しながら走り始めた。
本当に和平の使者を装うつもりだったなら今の髭伸ばしっぱなし黒ずくめ姿は論外だと思うのだが、これだけ兵士の反応が早いといずれにせよ騙すことは不可能だっただろう。
この距離であの反応速度は、どう考えてもこちらの姿をよく見る前に『死神』と決めつけて叫んでいる。
おそらく単独で陣営の近くをうろつく人間がいたら『死神』と断定せよ、とでも言われているに違いない。
つまり相手の対策は万全、というわけだ。
これでは奇襲じゃなくて強襲だな。
この様子だと弓矢の準備も万端だろうが……しかし、リオナンドの疾走は五年前よりも更に速くなっていた。
陣営の奥から姿を現した弓兵たちは、すでに『死神』が目前に迫っているのを見て信じられない、というような表情で固まった。
「さよなら」
リオナンドが呟いた瞬間。
弓兵たちは次々とソウルスティールされ、その場に倒れ伏していった。
それを見て、違う方向から駆けつけた弓兵たちがすかさず矢を放つ。
だがリオナンドは少しだけ体を捻って難なく矢を避けた。
直後、矢を放った弓兵たちもリオナンドのソウルスティールで次々と倒れだした。ここはテントが無数に展開しており、障害物のない開けた空間が少ない。
それはつまり、リオナンドに矢を放つにはソウルスティールの射程内に入らなければならないことを意味する。
こうなるとリオナンドを矢で射殺すのは至難の業だ。
何しろリオナンドは目視するだけで瞬時にソウルスティールができる。
しかも一回のソウルスティール後、ほぼ間を空けずに次のソウルスティールが可能なため、一瞥するだけで十数人を無力化できるのだ。
ソウルスティール前後に必要なインターバルは宿主によって違うが、リオナンドはかなり恵まれている。
五十メートルほどもある射程距離も相まって、この状況下でリオナンドを射殺すのは不可能に近いだろう。
「今日は……千人ぐらいにしておこうかな」
リオナンドはテントが並ぶ敵陣営を駆け、兵士たちをソウルスティールしながら呟いた。
軍隊が撤退するまで、何日か掛けて強襲するつもりなのだろう。
相手からしてみればいつ来るのかもわからない死神に怯えるわけだから、凄まじい消耗になる。
『む……リオナンド! 地面に罠があるぞ!!』
「え!? ……っとと!?」
リオナンドが色の変色した地面の手前で急ブレーキをかけた。
すると布らしきものが捲れて、深い落とし穴があらわになる。
「う、わぁ……危なかった。ありがと、フェイスさん」
『礼はいい。周囲をよく見てくれ』
リオナンドなら落とし穴ぐらい自力でなんとかしたかもしれないが、念のためだ。
「うん、わかった。気をつけるよ」
『なんなら今日はもう帰っても良いんじゃないか?』
「うーん……さすがにまだ少なすぎるかな。最低限、指揮官っぽい人は減らしておかなきゃ」
リオナンドはそう言うと、多くのテントが密集する陣営の中心部へと疾走して行った。