065「死神」
次に俺が目を覚ました時。
リオナンドは聖都にあともう少しで到着するところまで進んでいた。
カティは紆余曲折あり同行が長引いたものの、聖都のひとつ手前の街にある孤児院へと無事、預けることができたらしい。
リオナンドは聖都に辿り着くと、この時のために取っておいた修道士服に着替えた。それからは俺の助言を聞きつつ、慎重に聖女の情報収集を進めていった。
聖女はもともとアポスオリ聖国に住んでいた孤児だったが、修道女としての地道な活動やその絶大な治癒聖術の力を見出され、今やベネボラ教の象徴……というのは少し違うが、広告塔のような立場になっているという。
聖女は幼い頃に病気で失明した過去があり盲目で、なおかつ誰もが目を奪われる美しい容姿だという点も、彼女が『聖女』と呼ばれるようになった理由としては大きいのではないかと思われる。
そして残念ながら……どうもリオナンドを通して人々の話を聞く限り、彼女は教会の『人気取り用マスコットキャラクター』のような立ち位置である可能性が高くなってきた。
聖女らしい逸話や美談は山ほどあるものの、あまり『奇跡らしい奇跡』のようなエピソードはなく。
絶大と言われる治癒聖術の力も、あくまで『治癒聖術』の範疇。
今まで無数の魔術師や魔法使い、人外の怪物、科学者、果ては宇宙空間での大爆発ですら消せなかった、殺し切れなかった俺をどうにかできるとは思えなかった。
○
数日後。リオナンドは聖女と会った。
そしてしばらく聖女の元へ通い、会い続けることになった。
予想していたよりも聖女の能力は遥かに優れていたのだ。
邪神の呪いを知覚し、僅かだが俺にも影響を及ぼした。
しかし……結果として、俺は消えなかった。
すべてを語るには、あまりにも残酷すぎる。
ただ、ひとつだけ言えることがあるとすれば。
リオナンドは生き残った。
そして今も――生き続けている。
○
リオナンドが生き残った『あの日』から十年後。
俺は五年ぶりに長い眠りから目を覚ました。
早朝、鳥の鳴き声が聞こえる厳かな森の中でリオナンドに声をかける。
『リオナンド』
「……ん?」
黒いフードを頭に被ったリオナンドが、豊かな髭を揺らしながら顔を上げた。
服は相変わらず黒一色のようだ。
『リオナンド、俺だ。起きたぞ』
「ん……あぁ、フェイスさんか。そっか……もうあれから、五年も経ったのか……」
『一度も俺を起こさなかったということは、この五年間……俺を消す手がかりは何も見つからなかった、という認識で合ってるか?』
十年前の『あの日』から。
リオナンドとの話し合いの結果、俺は普段長い睡眠を取り続け、一年ごとに目を覚まして状況確認をする、という方針を取ることになった。
だが当時あまりにも俺を消せそうな見込みのある情報がなかったため、五年間経った頃に思い切って『何も進捗がなければ今後は五年間、眠り続ける』ことにしたのだ。
「うん……何もないよ。ごめんね、役に立たなくて」
『いや、そんなことはない。おかげでここしばらく常に枯渇寸前だった活動力をかなり回復できた。これでいざとなれば俺も多少は役に立てるだろう』
「役に立つ? ……どうやって?」
『……助言とか、まあ色々だ』
リオナンドには前回のタイチと違い、俺が活動力を消費して行える能力、『宿主同化』と『偉人同化』について説明していない。
どう足掻いても『詰んだ』状況や、宿主が死を望むが死ねない時、極稀に使用する宿主との同化。
過去に取り込んだ魂を表層に浮かび上がらせ、その魂から知識や経験を俺が一時的に引き出して使える偉人との同化。
これらはエナジードレインやソウルスティール関連の情報と違い、説明義務の制約がない。
前回はタイチが『宿主同化』を夢で目撃していたし、確実な大学受験の突破に『偉人同化』が必須だったため、説明したが……そういった状況でなければ、これらは奥の手として極力説明しないのが基本だ。
「思わせぶりだな。教えてよ」
『気にするな。どちらにせよ大したことはできない』
もっとも、リオナンドの場合はこれらの能力を使うことなどまずないだろう。
一見素直そうに見えてその実、強固な自分の意志があり、俺の助言を事あるごとに無視し。
人の命を奪うことに強い忌避感があり、やむを得ず奪えば打ちひしがれ、体調を崩し。
そんな歴代宿主の中でもトップクラスで『邪神の宿主に向いていなかった』彼が、多くの絶望を乗り越えてここまで生き残ってきたのだ。
以前から持っていた身体能力と戦いの技量に合わせ、精神的な強さまでも兼ね備えたリオナンドは今や、心技体すべてが揃っている。
昔はともかく、今の彼はむしろ死ぬ場面を思い浮かべるほうが難しい領域に達しているのだ。
俺の手助けなど無用どころか、下手したら邪魔になる。
そんな有能な宿主に取り憑いているこの現状に限って、俺を消す手がかりがまったくないというのは皮肉だが……それはリオナンドのせいじゃない。
『キミは有能だからな。俺の手助けなど必要ないだろう』
「…………ボクは有能なんかじゃないよ」
リオナンドは深くため息をつき、うつむいた。
豊かに伸びた長い髭も相まって、まるで人生に疲れた老人のようだ。
今年で二十五歳になる青年とは到底思えない。
『どうしたんだ? 随分と疲れているようだが』
「まあ、ね……呪いを消す手かがりもないし、また……近くで戦争が起きるみたいだから」
『…………』
十年前の『あの日』以降、リオナンドはソウルスティールを完全に躊躇しなくなった。
そしてたびたび人間同士の戦争に赴いては、指揮官や兵士を相手にソウルステイールを繰り返すようになった。
黒装束を身にまとい、戦争のたびに姿を現して敵味方の区別なく人の魂を吸うリオナンドは今や『死神』と呼ばれ、大陸中の国々を恐怖に震え上がらせている。
リオナンド自身に直接聞いたわけではないが、きっと彼は昔体験した戦争がもたらす悲惨な不幸を少しでも減らす目的で『死神』をやっているのだろう。
実際、彼の存在を恐れ安易に戦争を仕掛ける国は昔と比べ随分減ったようだ。
もちろんそれでも人間の業は深く、戦争は未だなくならないようだが。
「あれ? 今日は『戦争を潰しに行くなんて命がいくつあっても足りない』ってお説教しないの?」
『ああ。どうせキミはやめないだろうし、死なないだろうからな』
基本、リオナンドの行動には口出ししないようにしていた俺でも、さすがに彼の『死神』活動はやめたほうが良いと当時から忠告していた。
だが、彼がここまで生き残り続けているなら話は別だ。
『この五年間も続けていたんだろう? そうなると、キミがその活動を始めてから約十年だ。それだけ続いたならもう血の迷いではなく、ライフワークと言っても過言ではないだろう。好きにしたら良い』
「はは……どうせ、呪いを解く手がかりも何もないし、って?」
リオナンドは自嘲気味に笑って言った。
「そうだよね。フェイスさんにとってみれば、ボクは役に立たない宿主だから……さっさと死んでもらって次に行きたいよね?」
『そんなことはないが……リオナンド、やはりキミは疲れているようだ。文明が未熟な人間社会にとって、戦争とは自然の営みに等しい。いちいち止めていたらキリがない。今回は休んだらどうだ?』
「自然の営み……か」
リオナンドが呟いた瞬間、俺はしまった、と思った。
戦争を、人の争いを憎んでいるリオナンドにとって、この言い方は地雷だ。
五年前だったら瞬間的に激昂していただろう。
昔『感情を殺す』と宣言したこともあるリオナンドだが、感情は宣言したからと言って殺し切れるものではないし、実際に今まで殺し切れてなかった。
しかし今のリオナンドはどうやら感情うんぬんを抜きにして、五年前の彼とは異なっているようだった。
「…………そうかも、しれないね。動物も同族で殺し合いとかよくするし……自然な……ことなのかも」
『……リオナンド?』
「まあ、休みはしないけどね」
『…………そうか』
数多くの戦争を潰し、リオナンドも価値観が変わってきているのかもしれない。
俺はリオナンドの変化をただ、そんな風に考えていた。




