063「絶望」
リオナンドが拾った少女の名は、カティ・ロサラといった。
厳密に言えば拾ったのではなく、隣町の教会に送るだけなのだが……どうも、ただ送るだけでは済まないような気がするのだ。
しかし俺の勘や予想は当たらないことも多々ある。
というより、ここ最近はむしろ当たらないことのほうが多い。
だとするならば、もはや黙っていたほうが良いのでは……とも思うのだが。
どうも先ほどからリオナンドの様子がおかしい。
「生きるんだ……絶望しても、正しく……そうすれば……」
森に囲まれた街道の中。
リオナンドはカティを後ろに連れ、ブツブツと独り言を呟きながら歩き続けていた。
「そうすれば……そうすれば……?」
『リオナンド、どうしたんだ?』
「え……あぁ……司祭さまの、最後の、言葉です」
リオナンドはやや息を荒げながら答えた。
まだ日は暮れておらず、歩き始めてそこまで経っていないはずだが、すでにリオナンドはかなり疲れているようだ。
「正しく……そうすれば……の続き、司祭さまは……なんて言うつもり、だったんでしょうか……?」
『それはわからないが、リオナンド……少し、休んだほうが良いんじゃないか?』
「……? なぜ、ですか……?」
『さっきから真っ直ぐ歩けていないぞ』
リオナンドはふらつき、街道から足を踏み外していた。
それ自体も問題だが、何より自分でそれに気がついていないところが危うい。
「あ……あれ……?」
『キミは旅に慣れていないだろう? 疲れが溜まってるんじゃないか?』
俺は限界まで意識を保っても眠くなるだけだが、リオナンドはそうじゃない。
人間の精神は肉体に依存している。
肉体が不調になれば精神にも影響が出るのは道理だ。
そこまで考えとふと、あることに思い当たった。
『リオナンド、そういえば俺はしばらくキミが寝たり食べたりしているところを見ていないが……その辺りは大丈夫なのか?』
俺自身は活動限界が来たら睡眠で回復する以外、特に必要とするものはない。
宿主にはよく勘違いされるのだが、俺自身は魂を吸収しなくても活動限界に何の影響もないのだ。
魂は宿主ではなく俺の邪神部分に吸収されるのに、俺自身には影響がなく。
宿主は魂を邪神に吸収させなければ、渇望により暴走する。
……つくづく思うが、悪趣味にもほどがある。
「……さっきの町に行く前に寄った教会で、ちゃんと寝て、食べました」
『どれぐらいだ?』
「どれぐらい、って……」
戸惑った様子で言いよどむリオナンドを問い詰めていく。
するとひとつ、ハッキリとしたことがわかった。
『リオナンド、キミは栄養失調だ』
「栄養、失調……? ちゃんと、食べて……」
『あまりにも少なすぎる。もしかしたら元の町にいた時だったらギリギリなんとかなっていたのかもしれないが、ここ最近は激しい運動も多い上に歩き通しだろう。明らかに栄養が足りていない。その証拠に、まだ町からさほど離れていないのにキミはもう息が荒くなっている』
そこでふと、元の町にいたパン屋のお婆さんの言葉を思い出した。
――ジジイが言ってたよ。『リオナンドは隙あらば自分のパンを子供にこっそり与えてる』ってね。
『おそらく元々キミは体内にエネルギーの貯蓄が少なかったか、ほとんど無かったのだろう。いくらキミの身体能力が優れていようと、人間には限界がある。当たり前の話だが、今までより運動量が増えたのに今までより食べなかったら、倒れてしまうぞ』
「…………でも、食べ物なんて、ないですから」
リオナンドはそう言いながら手で腹を押さえた。
町に戻るのは危険だし、そもそも旅の路銀自体、服を買った時に尽きている。
戻ったところで何も買えないだろう。
「ぁ……あのっ!」
背後からカティが声を上げた。
茶髪のショートボブと同色の瞳がリオナンドを見上げている。
「お腹……空いてるんですよね? それじゃ、これを……」
カティは腰に下げたポーチから布に包まれた黒パンを取り出すと、リオナンドに差し出した。
俺の声は聞こえずとも、リオナンドの言葉と仕草だけで空腹を察したのだろう。
「…………ボクは、いらないから」
「あ、でも、わたしお腹空いてなくて……」
「――いらないって言ってるだろ!?」
断っても黒パンを差し出してきたカティの手を、リオナンドが振り払う。
その結果まともに力を受けてバランスを崩したのか、カティは地面に転んでしまった。
「キャ!?」
「あっ……!」
『リオナンド!』
手を貸すつもりなのか、慌ててカティに近寄るリオナンドを制止する。
『相手は子供だ。たとえ短時間でも触れないほうが良い』
「う……」
リオナンドはカティに向かって伸ばそうとした手を下げ、悔しそうに拳を握った。一方カティはそれを目にすることもなく、うつむいたまま地面に落ちた黒パンを拾って立ち上がった。
「ご……ごめ」
「どうして……こんなこと、するんですか……?」
リオナンドが謝罪の言葉を口に出そうとした瞬間、カティは震える声で言った。
その目元からは涙が流れ落ち、彼女が手に持った黒パンを濡らしていく。
「修道士さま、なのに……」
「っ……ボクは、修道士じゃない」
リオナンドは反論するように言った。
「神なんていない。だから、ボクは修道士を辞めたんだ」
「そん、な……」
カティはショックを受けたように後ずさりした。
そして喉を鳴らし、リオナンドを見上げて言う。
「なんで……そんなこと、言うんですか……?」
「……いくら神に祈っても救われないから。だから、もし神がいるんなら……ボクは、神を恨む」
「それは……でも、そんなこと言ったら……天国に、行けないんですよ……?」
「――天国なんてない!」
リオナンドは声を荒げて否定した。
突然の大声にカティがビクリと体を震わせる。
「神も天国も、そんなものどこにも存在しないんだ! 神がいったいボクに何をしてくれたんだ!? 何もしてくれない! 助けてくれない! いつもいつもいつもいつも!! どんなにがんばってもどんなに祈っても! 苦しみは消えないし人は死ぬ! もしいるなら悪魔か邪神だ! だってそうだろう!? 悪いことばっかり起きる! もう嫌だ! 嫌なんだぁ!!」
リオナンドはその場で膝を折り、両手を地面について頭を垂れた。
地面にポタポタと涙が落ちる。
「もう嫌だ……嫌なんだ……こんなの……なんでボクが……ボクばっかり……」
『……リオナンド』
「ぁ……あぁ……」
リオナンドはゆっくり顔を上げて呟いた。
「そっか……そういえば、フェイスさんは千年以上ずっと……はは……ボクなんて、まだまだか……」
『…………』
「それに、キミも……」
リオナンドがカティに視線を向ける。
カティは突然人が変わったように叫びだしたリオナンドを怯えた目で見ていた。
「ぁ……あ、あの、わ、わたし……」
「ごめん」
「え……?」
リオナンドは立ち上がり、戸惑うカティに向かって頭を下げた。
「ごめんなさい。キミは何も悪くないのに、手を払ったり、怒鳴ったりして……すごくお腹が空いてるから、そのパン、半分貰っても良いかな……?」
「あ……えっと……全部、あげます……」
「ありがとう。でも、本当に半分で大丈夫だから」
憤怒で魂を染め上げ、生きる気力を奮い立たせながら。
リオナンドはカティから黒パンを半分受け取り……ゆっくりと、神への怒りを噛みしめるようにして食べ始めた。




