062「逡巡」
リオナンドはオベライたちが進んでいった道から離れ、服屋を探した。
そして町の中央から遠ざかり、周囲に見える建物が侘びしくなってきたところで一軒の服屋を見つけた。
その服屋は商品の質が危ぶまれるぐらい貧相な建物だったが、ここから先は服屋などなさそうだ。
リオナンドも逃亡用の服にそこまでのこだわりはないのだろう。
特に迷う様子もなくその服屋に向かっていく。
しかしある程度近づいた段階で、服屋から幼女の泣き声が聞こえてきた。
何の因果か、聞き覚えのある幼女の声だ。
いくら神への怒りで心が荒んでいるリオナンドでも幼女の泣き声には敵わないのだろうか、足を止めてどうしようかと逡巡している様子だった。
他の服屋を探そうにも、オベライという追手がいる町の中央に戻るのはリスクが高いとリオナンドもわかっていると思うが……ここは念を押しておいたほうが良いか。
『リオナンド、もう他に服屋はなさそうだ。今から中央に戻るのも危ない。服を買うならここがしかないと思うぞ』
「……わかってます」
そう話している間に幼女の泣き声が止まったことも、リオナンドの背中を後押ししたのだろう。リオナンドは再び歩を進め、店内に入っていった。
「いらっしゃいませ」
出迎えた店主はオベライとぶつかった幼女の父親だった。
幼女の声には聞き覚えがあったので予想通りではある。
母親と幼女は店内に見当たらなかった。
おそらく商売の邪魔にならないようい住スペースに下がっているのだろう。
「あっ……修道士さま、申し訳ございません……当店には修道服の在庫がなく……」
「修道服を買いに来たのではないので大丈夫です」
「左様ですか、それでしたら」
リオナンドは店主に案内されながら、店内を物色した。
結果、リオナンドが選んだものは軽装の冒険者服一式だった。
しかも全身真っ黒のマント付き。
白を基調とした修道服とはある意味正反対と言えるだろう。
店主も冒険者服一式を買う時、怪訝な顔をしていた。
「お買い上げありがとうございます。……あ、あの、修道士さま」
「なんですか?」
「………………い、いえ……またのご利用を、お待ちしております」
○
買った服に着替え、服屋を出て少し歩いたところでリオナンドがポツリと口にした。
「……さっきの服屋の人、最後……何を言おうとしていたんでしょうか」
『なんだろうな』
確かにさっき服屋の店主は最後に何かを言おうとして、止めた気配があった。
だがリオナンドがわからないように、俺もあの店主が言おうとしていたことはまったくわからない。
……が、しかし、それとは別にわかることもある。
『あの店主が言おうとしていたことはわからないが……きっと関係があるんだろうな』
「関係? ……何がですか?」
『気がつかないか?』
あえて主語を抜いて話すと、リオナンドはハッと何かに気がついた様子で後ろを振り向いた。
すると同時に、後方の少し離れた場所で見覚えのある幼女が建物の影に隠れた。
『オベライとぶつかった子供がキミの後をつけている。なぜかは不明だが、尾行は撒いたほうが良いだろう』
「……そうですね」
リオナンドは近くの路地に入り、複数の曲がり角を全力で走り抜けた。
なんの変哲もない幼女だからだろう、それで尾行は呆気なく撒けたようだった。
少なくともこれで半径、五十メートル以内に不審な動きをする人物はいない。
俺がそれをリオナンドに告げると、彼は慎重に周囲を警戒しながら歩を進めて無事、町を出ることに成功した。
○
町を出てしばらく経った頃。
森に囲まれた一本道の街道を歩いていたリオナンドがふと背後を振り向くと、遠くて魂の感知も及ばない後方に大小ふたりの人影が見えた。
気のせいじゃなければ、こちらに向かって走っているようだ。
「あれは……」
リオナンドが目を細めて人影を見る。
遠目ながらにリオナンドがこちらを見ていることに気がついたのか、大小ふたりの人影が止まった。
遠いのでハッキリとはわからないが、何やらふたりで向かい合い話しているように見える。
『あれは……服屋の店主とその子供じゃないか?』
「はい……あっ!?」
店主が幼女の顔を叩いたのを見て、リオナンドが驚きの声を上げた。
距離は遠いが、叩く動作はわかりやすかったのでハッキリと見えた。
『意味がわからないな。リオナンドを追ってきているのは間違いないのだろうが、なぜあそこで子供を叩く必要が……ん? 子供だけがこっちに向かって来るぞ……?』
幼女は背後の父親を未練がましく何度も振り返りながら、こちらに向かって来る。逆に父親はよく見ると、後ろ向きに歩きながら少しずつ離れているようだった。
『子供がひとり……何かの罠……のようには見えないが、しかし厄介事であることは間違いないだろう。リオナンド、先を急いだほうが良いんじゃないか?』
「それは……でも、子供が……」
リオナンドの言葉でふと、そういえばこの世界の森には狼型の魔物が出ることを思い出した。そして今、幼女は父親から離れ、泣きながらリオナンドのほうに向かって来ている。
もしこの近くに魔物が潜んでいたら、あの幼女は格好の標的だろう。
いくら心が荒んでいてもリオナンドは元々、子供好きの心優しい少年だ。
放ってはおけない、ということか。
「あっ……あの、あのっ、修道士さま、あのっ……」
幼女はリオナンドの前まで辿り着くと、泣き腫らして真っ赤な目元を拭いながら言った。
「わ、わたしを……隣町の教会まで、送ってください……お願いします……」
幼女は時々、嗚咽を上げて泣きながら事情を説明していった。
自分の両親は借金が嵩み、苦しい状況にあること。
金貸しからは『生活が厳しいなら娘を引き取ってやる』と言われ、このままでは近々自分が借金奴隷のような形で引き渡されること。
教会に助けを求めようにも、自分がいる町の教会は近くで起きた戦争の影響で難民が大勢押し寄せており、両親が事情を話しても受け入れを断られてしまったこと。
「だ、だからお父さんとお母さんが、もう戻ってくるなって……修道士さまに、ついていけって……」
借金で貧乏なはずの両親が彼女にジュースを買っていたのは、近々別れねばならない彼女を想い、奮発してくれた最後の餞別だったらしい。
「だから……お願い、します……お願いします……!」
幼女は一生懸命、リオナンドに向かって頭を下げ頼み込んだ。
いや、背は小さいが思いの外しっかりしていることから、本来は少女と呼称するのが正しい年齢なのかもしれない。
リオナンドはしばらく悩んでいたが……最終的に幼女、もとい少女の願いを受け入れた。俺は何も口を出さなかったが、出したところで結果は変わらなかっただろう。
その頃にはすでに少女の父親は姿を消していた。
父親が頼み込むより、少女自身がひとりで頼んだほうが聞き入れてもらいやすいと考えたのだろうか。
少女の顔に残る殴打の痣が痛々しいが、もしかするとこれもリオナンドの同情を誘うためあえて殴ったのかもしれない。
少女は自分の願いが聞き入れられて安心したのか、泣きながらリオナンドに感謝した。リオナンドは少女に背中を向け、やり場のない怒りに拳を震わせていた。