061「脅威」
神などいないと断言するリオナンドの声は震えていた。
拳は硬く握り締められ、ギリギリと歯を食いしばる音も聞こえてくる。
それは今にも爆発しそうな怒りを必死に抑えているかのようだった。
怒りに震えている間は自ら死を選ぶ可能性も低くなるが、それとは別に感情が高ぶり暴走してしまう危険性もある。
ここは慎重に言葉を選ぶべきだろう。
『なるほど……興味深い話だな。ところでリオナンド、キミは今ここで何をしているんだ?』
「…………」
リオナンドの纏う怒りがやや白ける気配がした。
露骨な話題そらしではあるが、どうやら上手くいったようだ。
普段から淡々と話す俺が、淡々と話題をそらす。
これには大抵の宿主が気を削がれる。
場合によっては逆に怒りを買いかねないので諸刃の剣ではあるのだが、根が優しいリオナンドであれば十中八九、大丈夫だろうとは思っていた。
『また自分の目的が何か忘れていたりはしないか?』
「…………忘れてません。ボクはこの町に服を買いに来たんです」
『服? なぜだ? キミの修道服は新しいものに見えるが』
「修道服だからですよ」
リオナンドが自嘲するように言う。
「神を信じないボクはもう、修道士でもなんでもありませんから」
『…………』
アポスオリ聖国にいるという聖女に会うには、修道士服のほうが接触しやすいのではないかと思うが……しかしリオナンドは異端審問官に追われている身だ。
服装を変えるのは悪くない判断だろう。
『……そうか』
「…………」
リオナンドは何か言いたげにしていたものの、結局押し黙った。
何やら気不味そうにしている気配を感じる。
こちらとしては先のことを考えていた結果、返答に間が空いただけなのだが。
『服装を変えるのは俺も賛成だが……リオナンド?』
話の途中でリオナンドが突然、あらぬ方向を見てピタリと止まった。
何事かとその方向へ意識を向けると……覚えのある魂の波動を感じた。
大抵の宿主は最初、魂を個体ごとに識別するのは難しいものだが……どうやらリオナンドには才能があるようだ。
なんの訓練もなしに俺より先んじて、覚えのある魂に気がつく宿主は珍しい。
「なんだろう……あっちの方、嫌な感じがする……」
『あれは異端審問官のオベライという人間だな』
「っ!?」
『最初に言った通り、キミはソウルスティールの射程距離と同じ範囲の魂を感知できるようになっている。慣れれば一度会った人間はすぐわかるようになるから、普段から意識してみるといい』
「異端審問官……オベライ……!」
リオナンドの魂が怒りの感情で燃えていく。
神への怒りと共に、オベライが司祭の仇であることを思い出したのだろう。
厳密に言えば司祭はリオナンドのために自ら命を捧げた形になるのだが、リオナンドにとってみればそんなことは関係ないだろう。
実際、司祭をあの状況に追い込んだのはオベライなのだから。
そう考えると、これは良い機会なのかもしれない。
『あのオベライという人間は今後、キミの脅威になるだろう。どうする? 司祭の仇を討っておくか?』
「えっ!?」
『キミは離れた場所からソウルスティールをできるタイプの宿主だ。身を隠して発動し、魂を奪った後すぐに立ち去れば危険も低い。やっておく価値は十分にある』
仇を討てば神に対する怒りの感情も少しは和らぐだろう。
今のリオナンドは絶望より、暴走する危険性のほうが高い。
そういった意味でも今、仇を討っておくのは悪い選択肢じゃない。
「司祭さまの、仇を……」
『無理強いはしない。嫌だったら止めれば良い。しかし、もうそろそろオベライが角を曲がって姿を現す。いずれにせよ隠れないとマズいぞ』
「っ!」
リオナンドは慌てて走り出し、今の場所から少し離れた裏路地に入った。
そこから顔だけを出して、オベライが姿を現すであろう町角をジッと見つめる。
射程距離のことを考えるとやや近いが、位置取り自体は良い。
ここならソウルスティール後、すぐ逃げられるだろう。
『やるか? リオナンド』
「司祭さまの、仇……司祭さまの……」
リオナンドは町角を見ながらブツブツと独り言を呟いていた。
よほど集中しているようで、俺の声も聞こえていないようだ。
そうしている間に建物の角をオベライが曲がる、次の瞬間。
角から出てきたオベライに小さな何かがぶつかった。
「おや……?」
オベライが下を向く。
そこではオベライの下半身に飲み物をぶちまけ、ポカンとしている幼女がいた。
飲み物はパイナップルのような果物をくり抜いた容器に入っていたジュースのようで、随分と糖度が高そうな代物だ。あれはシミになるだろう。
「おやおやおや……」
ジュースの大部分が失われたことを理解したのか。
幼女がみるみるうちに涙目になっていく。
そこですかさず、オベライの前で幼女の近くにいた男女が平伏しながら謝罪を始めた。幼女の両親なのだろう。
異端審問官の存在はこの町でも広く知られているのか、両親の肩は恐怖に震えているようだった。
「ほほほほほ……これはこれは……」
「も、申し訳ございません! どうか、どうかこの子の命だけは……!」
父親が必死に頭を下げる中、オベライは身をかがめ、幼女と目を合わせてニヤリと笑った。
「家族でお出かけですか。良いですねぇ……お父さんとお母さんは優しくしてくれますか?」
オベライの問いかけに、幼女は嗚咽を上げながらも小さく頷いた。
「それはそれは……素晴らしいことです」
オベライは満面の笑みを浮かべると、幼女の手に何かを握らせた。
「アナタのジュースは私の服が飲んでしまったようですから……これで新しいものを買ってください」
「お、オベライさま! 銀貨一枚は施しすぎじゃ……!?」
後ろにいた処刑人が焦ったように言う。
それに対し、オベライは幼女の頭を撫でながらニッコリと笑った。
「大丈夫ですよ。これは私的なお金です。旅の路銀はしっかり取ってあります」
「オベライさま……身を削るのも程々にしてくだせぇ。いつか倒れちまいますよ」
「ほほほ……私は見ての通り食が細いですから大丈夫ですよ。さぁ皆さん、行きましょう。悪魔を探すのです」
オベライは幼女の両親に謝罪は不要であること告げ、何事もなかったように先を進み始めた。ベタベタになった服などまるで気にしていないように見える。
幼女の両親はいつまでもオベライの背中に向かって頭を下げ、平伏していた。
○
オベライが去って、やがて幼女の家族もいなくなったあと。
リオナンドはオベライが見せた聖職者らしい態度がショックだったのか、未だ裏路地で立ち尽くしていた。
「…………あの人を殺しても、司祭さまは生き返りません」
リオナンドはおもむろに呟いた。
「それに、司祭さまはきっと……仇を取ることなんて、望まないと思います」
仮にオベライが幼女を蹴散らしでもすれば、リオナンドは激情に駆られヤツを殺したのかもしれない。
しかしオベライはそうしなかった。
結果、リオナンドはヤツを殺せなかった。
リオナンドは今までその事実と、自分の中にある怒りに折り合いをつけていたのだろう。
「フェイスさん……ボクは間違ってますか?」
『今キミが言ったことに関しては間違っていないと思う。しかしキミの選択が合っているかどうかはわからないな』
オベライを生かしたことにより今後、何が起きるか。
今はまだ何もわからない。
わかるのはオベライがこれからもリオナンドを追い続けるであろうことだけだ。
リオナンドは俺の言葉にしばらく考え込むように黙ったあと、言った。
「……服を買ったら、すぐ町を出ます」
『ああ、それが良い。あとオベライが現れる前に言いかけたことだが、新しい服を買っても修道服はとっておいたほうが無難だ。聖国で聖女に会うには修道服を着ていたほうが会える可能性が高いだろうからな』
「………………わかりました」
きっと修道服をとっておくのが嫌なのだろう。
返答に間があったが、結局リオナンドは頷いた。