059「残酷」
「ああぁああぁああ……嫌だよぉ……死にたくないぃ……じにだくないぃぃ……」
叫び疲れたのか、それとも出血による影響か。
片足を失った若い兵士の泣き叫ぶ声が徐々に小さくなり、弱まっていく。
「………………なんで」
リオナンドは拳を強く握り、震える声で呟いた。
「なんで……誰も、あの人を助けてくれないんですか……? あんなに、助けてって、言ってるのに……」
『…………』
その理由は周囲を見る限り明白で、単に治療者の人手が足りていないだけなのだが……リオナンドが言っているのはそういうことではないのだろう。
彼の言葉には、今まで無数の宿主を移り、幾度となく聞いてきたある種の共通した情念が込められていた。
――それはすなわち、理不尽な運命に対する怒り。
「あぁああぁ……さ、寒い……さむ、い……神、さま……助けて……」
「……っ」
リオナンドは強く歯を食いしばった。
そして杖に体重を預けながら踵を返すと、若い兵士の元へ歩き出した。
『リオナンド』
「……この場であの人を助けられるのは、ボクだけです。ボクだけが、助けられるんです」
リオナンドの言葉には怒りの感情が溢れていた。
それは自分自身に言い聞かせるように。
この世に神などいないと、断言するように。
『やめておいたほうが良い。ここには重傷者が溢れている。キリがないぞ』
「それでも……それでも、ボクは……!」
リオナンドが疲れ果てた体を引きずるようにして、若い兵士の元へたどり着いたその時。前線の方でおびただしい数の悲鳴と、鬨の声が聞こえてきた。
「あれは……?」
『どうやら前線が崩壊したようだ』
リオナンドが目を細めて戦場に視線を向けると、大勢の兵士がこちらに向かって退却してくる様子が見えた。
『……この戦争はどうやら特殊な背景があるようだな。敵がやけに執拗だ。あの勢いだと、この野戦病院にいる非戦闘員まで巻き込まれる可能性がある』
「そんな……」
『リオナンド、キミが取れる最善の選択肢はふたつある。ひとつはこの場からすぐ逃げること。もうひとつは……敵の兵士にソウルスティールを使うことだ』
「え……!?」
俺の言葉にリオナンドは驚愕した様子で目を見開いた。
この驚きようから察するに、どうやら今まで考えもしなかったのだろう。
『キミ自身がこの場にいる重傷者をどうしても助けたいと思うのならば、だが』
「で、でも……そうしたら……」
『無論、敵は死ぬ。だが、そうしなくてはキミが死ぬ。キミが死ねば全人類が死ぬ。となれば、取れる選択肢は限られてくるだろう』
「それは……」
それ以上、リオナンドから続く言葉はなかった。
彼も頭では理解しているのだろう。
しかし、ことソウルスティールに限っては理解できるからといって割り切り、行動に移せる人間ばかりではない。
実際、自分自身の死が間近に迫っても、ソウルスティールを最後まで使うことができなかった宿主は数多くいる。
リオナンドが狼型の魔物を顔色ひとつ変えずに屠った時は、生命を奪うことに対して意外と忌避感はないのだなと思ったものだが……動物と人間は違う。
『とはいえ、以前キミに言ったように実際どうするかはキミの自由だ。ただ俺は、俺の目的のためにもキミには死んでほしくない。だから危機が迫ったとしたら、積極的にソウルスティールで身を守ることを推奨する』
本来ならば極力人前でソウルスティールは使わないほうが良いが、危機的状況であれば話は別だ。
リオナンドが死ねばどちらにせよこの世界は終わる。
それを考えれば、大事の前の小事だろう。
リオナンドは考えるように黙り込んだあと、すっかり元気をなくして虚ろな目をしている若い兵士の足に治癒聖術を掛けながら言った。
「…………フェイスさん、ボクは未だに、司祭さまの言葉が耳に残っています。『自分の身を守り、人を助けたいならば人を殺せ』と囁くあなたは……本当に悪魔なんじゃないかって」
『そうか』
リオナンドからしてみれば、そう思うのは当然だろう。
何もおかしなことはない。
むしろ司祭に相談する前、無条件でこちらの言い分を信じていたことが異常だったのだ。
「……自分の言葉を信じてもらえなくて、傷つかないんですか?」
『今まで幾度となくあったことだ。疑われるのは慣れている』
人は自分が信じたいことを、自分が信じたいように信じる。
前の世界での記憶が継承されていない以上、リオナンドにはその傾向が顕著に現れるだろう。
『俺は基本的に言葉を尽くすことしかできない。余力があるときは例外もあるが……前の世界でかなり消耗しているから、この世界ではその例外もないだろう。すべてはキミ次第だ、リオナンド』
「ボク、次第……っ」
若い兵士の止血が終わり、『救済行動』が完了したからだろうか。
リオナンドの渇望状態がより一層ひどくなった。
先ほどまでは杖をついてなんとか歩けていたが、今のリオナンドはもはや立っているだけで精一杯という様子だった。
おそらく強靭な精神力で暴走状態になるのを抑えているのだろう。
もはや彼は限界に近いどころか、限界を超えている。
「くっ……うぅ……!」
『リオナンド。誰かひとりだけでも良い。ソウルスティールで魂を吸えば、その渇望は治まる』
大勢の兵士たちが逃げ惑い、テント内を駆けていく。
前線の味方がこちら側に逃げて来たということは、いよいよ次は敵が来る。
こんな後方まで追い打ちを駆けてくる敵だ。
非戦闘員には手を出さない……なんて楽観的なことは考えないほうがいいだろう。
「だれ、か……ひとり……」
『そうだ。普段の状態に戻ったキミなら、たとえ敵に囲まれても殺されることはないだろう』
「う……うぅ……」
渇望状態の苦しみがあまりにつらいのか、人の命を奪わなければならないことを悲観しているのか、リオナンドが涙を流しながら嗚咽を上げる。
そんなリオナンドに、虚ろな目でテントの屋根を見ていた若い兵士が声を掛けた。
「あれ……修道士、さん……? 戻ってきて、くれたのか……?」
若い兵士は意識が朦朧としているようで、初めは自分の足がすでに止血されたことすらわかっていない様子だった。
しかしモゾモゾと体を捩らせたことで、傷が治ったことに気がついたのか。
若い兵士は驚いた顔でリオナンドを見上げた。
「あ……足が、痛くない……? 修道士さん、おれの足……治してくれたのか……?」
「っ……は、い」
渇望状態に苦しみ、ひたいに玉のような汗を浮かべながらリオナンドが答える。
若い兵士はそれに気づかず、顔をくしゃくしゃにして、歓喜の涙を流しながらリオナンドに感謝を伝えた。
「ぁ……あり、がとう……ありがとう、修道士さん……! おれ……おれ……今まで、なんにも良いことなんて、ない人生だったけど……生まれて初めて、救われた……」
若い兵士は震える手でリオナンドの手を掴むと、弱々しく握りしめて言った。
「あぁ……心の底から祈って、良かった……やっぱり、神さまはいたんだ……!」
彼が泣きながら笑った、次の瞬間。
ヒュン、と風を切る音と共に――若い兵士の胸に一本の矢が突き刺さった。
こんな時、俺はいつも神の存在を信じそうになる。
見えない力で俺たちの運命を弄ぶ――残酷な神の存在を。




