057「決意」
次の瞬間。
民衆の人垣から木の杖が飛んできて、リオナンドの頭部に勢いよくぶち当たった。
「うっ……!?」
「――しっかりおし!!」
騎士たちの間から身を乗り出し、老婆がリオナンドを叱責する。
「ジジイがなんのために死んだと思ってるんだい!? アンタが生き残らなきゃ、ジジイは無駄死にだよ!」
あの小さな体のどこからこんな大声が出るのか。
不思議に思うぐらいの声量で老婆が叫ぶ。
「逃げるんだよリオナンド! 逃げて、逃げて、生き延びるんだ!!」
リオナンドは老婆の言葉を聞いて、足元に転がった木の杖を手に取った。
それから事切れた司祭の体を肩に乗せ、呟く。
「司祭さまを……無駄死には、させない」
ゆっくりと、しかし力強く、リオナンドは司祭を担いで立ち上がった。
それを見てオベライが甲高い声で命令する。
「処刑人! 何をボサッと見ているのです!? 悪魔憑きの首を刎ねなさい!!」
処刑人のひとりがオベライの声を聞き、リオナンドの背後で斧を振りかぶった。
するとリオナンドは何ら焦った様子もなく自然体で後ろを振り向き、手に持った杖の先で処刑人のみぞおちを突いた。
「あぐっ!?」
たったそれだけの動作で、筋骨隆々とした処刑人はうめき声を上げながら斧を落とした。続けてその場にうずくまり、苦しそうに胸を押さえ身動きひとつ取れないでいる。
それを見ていた他の処刑人たちは顔を見合わせ、斧を構えながらリオナンドを取り囲んだ。直後、リオナンドの左右からふたりの処刑人がタイミングを合わせ、斧を振りかぶる。
それに対し、リオナンドは左側で斧を振りかぶっていた処刑人に素早く踏み込み、彼のみぞおちをさっきと同じように突いた。
「がぁっ!?」
更にリオナンドは踵を返し、右側で斧を空振りしていた処刑人のみぞおちも突いて悶絶させる。
「ぐぅっ……!?」
いとも簡単に、処刑人たちが無力化されていく。
しかも至極、単純な一突きで。
それはまるで、予定調和の下手な芝居を見ているようにさえ思えるほど、呆気ない戦いだった。いや、正確には『戦い』にすらなっていなかった。
「あ、あ……アナタたち!? 何を遊んで……!!」
まだ健在な処刑人たちの視線がオベライに向いたその、ほんの一瞬。
隙とさえ言えないほどの僅かな『間』を突いて。
リオナンドの杖が目にも留まらぬ速さで振るわれ、ふたりの処刑人が倒れた。
最後にひとり残った処刑人はそれを見てハッと後ろに下がり、みぞおちを左手で押さえながら右手の斧をリオナンドに向けた。
「や、やめろ……止まれ! と、ととと止まれってぇ!!」
リオナンドは歩みを止めず、ついに処刑人が斧を振り上げる。
それと同時にリオナンドの杖が振るわれ……処刑人はその場にガクリと膝をついて倒れた。
杖の残像を見る限り、どうやら先ほどのふたりと同様、顎先を打ち払われて気絶したようだ。
もっとも、気絶した本人は目に見えて印象的だった突きばかりを警戒して、さっきのも今のもまったく見えていなかっただろうが。
「なん……なのですか、これは……何なのですかぁ!?」
オベライが金切り声と共に鞭を振るう。
それをリオナンドは杖で受け止め、絡みついた鞭を引っ張った。
オベライは柄を強く握りしめ離さなかったのだろう、リオナンドの力によって鞭ごと、体が一瞬飛ぶほどの勢いで引きずり寄せられた。
「…………」
「ひっ……ひいぃ!?」
無言で見下ろすリオナンドと目を見て、オベライが鞭を離す。
それを見たリオナンドが再び歩き出そうとした、その時。
「――リオナンド!」
処刑台の上に騎士、クロードが上がって来た。
「クロードさん……」
「最後に、もう一度だけ聞かせてくれ」
クロードは鋭い目つきでリオナンドを見つめ、言った。
「プレマドラの人々と、団長を殺したのは……リオナンド、本当にお前で間違いないんだな?」
「……間違いありません」
「…………そうか」
クロードは沈痛な面持ちで目をつむった。
「できれば……何かの間違いであって、ほしかった」
「…………ごめんなさい」
「謝らなくていい」
クロードが鞘から剣を抜き、構える。
「団長はきっと、お前を恨んでないだろう。オレも、お前が悪いとは思っていない」
「クロードさん……」
「悪いのは……お前に取り憑いた悪魔だ」
クロードの魂が憎しみに染まっていく。
リオナンドではなく、『俺』に対しての憎悪と殺意の波動が押し寄せてくる。
「だから……大人しく捕まってくれ、リオナンド。悪魔の声に惑わされるな」
「…………クロードさん」
リオナンドの頬に涙が流れる。
「ボクは今までその、悪魔の声を無視し続けてきました。プレマドラの町では司祭さまの言葉を守り、神を信じ、傷ついた人たちを助けるために、自分の命を捧げるつもりで……一生懸命、がんばりました。それが……この結果です」
リオナンドは涙を流しながら、微かに微笑んだ。
「ボクは……もう、疲れました。本当に……」
「リオナンド……」
「……それでも、ここで死ぬわけにはいかないんです」
リオナンドはそう言って、流れるような歩みでクロードとの距離を詰めた。
そしてクロードの構える剣に杖を添えた直後。
リオナンドの杖が『ゆらり』と、楕円を描くように動いて――気がつけば、剣はクロードの手から離れ、その足元に転がっていた。
「――っ!」
クロードは驚愕に目を見開き、慌てて足元の剣を拾おうとした。
しかしその剣をリオナンドが蹴り、処刑台から落とす。
「ごめんなさい、クロードさん。以前、騎士団の皆さんに稽古をつけてもらっていた時は……手加減していたんです」
「……知ってたさ」
クロードはゆっくりと立ち上がり、ため息をついた。
「お前が『その気』になったら、団長とオレふたりとも、クタクタになるまで稽古に付き合わされてたんだ。他の連中はともかく、オレはお前の強さをよく知ってる。だが……これは稽古じゃない」
クロードが周囲に視線を向ける。
そこにはいつの間にか処刑台の周辺を全方位取り囲むように、大勢の騎士たちが整列していた。
リオナンドを助けろと声を上げていた民衆も、続々と集まってくる屈強な騎士たちを前にして、徐々に勢いが弱くなってきている。
「あらかじめ、町の人たちが暴徒と化した時のために隣町からも応援を頼んでおいた。司祭さまとお前に人望があることはわかっていたからな」
「そうですか」
リオナンドは驚きもせず、淡々と答えた。
それを見たクロードが目を細めて言う。
「リオナンド……諦めろ。もうここからは逃げられない」
「それは、やってみなければわかりません」
「……この人数を相手に戦うつもりなのか?」
「まさか」
そう言いながら、リオナンドは騎士たちに抑えられている民衆の人垣を見た。
「あっちは……遠い、かな」
「…………」
クロードが無言で処刑台の上を移動し、民衆に背を向けてリオナンドと向かい直る。おそらくリオナンドの視線と言葉から、民衆に紛れて脱出することを警戒したのだろう。
だが、どちらにせよ民衆は元々処刑台から離れた場所で見物させられており、ここからはやや遠い。
その上、処刑台は全方面が騎士たちに囲まれている。
民衆たちが騎士団を押し退けて処刑台のすぐ手前まで来れれば、逃げられる可能性はかなり高くなっただろうが……現状ではその気配もない。
これではクロードが警戒するまでもなく、逃げることはできないだろう。
司祭の亡骸を抱えたまま、複数の処刑人を子供扱いしたリオナンドの剣技や身体能力は確かに凄まじかった。
しかしそれでも、この状況で屈強な騎士の集団をかき分け、民衆まで辿り着くのは不可能に思える。
唯一、可能性がありそうなのはソウルスティールを騎士たちに使うことだが……リオナンドの性格的にその手段は取りそうもない。
となれば、ここがリオナンドの『終わり』だと考えるのが自然だ。
最後の時は近い。
そう考えた俺は迫りくる強烈な眠気に負けないよう、意識を引き締め直した。




