056「絶叫」
「静粛に!」
オベライがそう声を上げながら鞭を処刑台に叩きつけると、司祭の手錠を外すよう唱和していた民衆は静まり返った。
それを見渡したオベライは満足気な表情で微笑むと、両手を大きく広げて言った。
「ケファによる福音書、第三十七章六節。汝、悪魔を恐れることなかれ。汝の信仰と行いが正しければ、神は必ずしや汝を悪より守り、救いたもう。……よろしい、良いでしょう。司祭の手錠を外そうではありませんか」
オベライの言葉に民衆が沸き立つ。
三角頭巾を被った処刑人たちは、本当に司祭の手錠を解いて良いのか戸惑っている様子だ。
「さぁ、アナタたち。司祭の手錠を外しなさい。司祭が何をどうしようと、リオナンド少年がプレマドラの人々を虐殺したことは間違いのない事実。判決は覆りません。神の代理人たる我々の言葉を信じない民衆は愚かですが……愚かなる民衆を導くのもまた、我々の役目です。さぁ」
オベライが笑顔で促すと、処刑人たちはお互い顔を見合わせたのち、司祭の手錠を外した。
「さて、司祭。アナタの要望通り手錠を外しましたが……ここからどうやってリオナンドが持つ悪魔の力を『手品』だと証明するつもりですか?」
「それはもちろん――」
司祭は民衆に背を向け、リオナンドに正面から抱きついた。
「――こうやってです!」
「っ!?」
民衆はどよめき、リオナンドは驚きのあまり声を失う。
そしてオベライは目を丸くしたあと、愉快そうに笑い出した。
「ほほほ! 何をするかと思えば……そういうことですか。しかし、考えが甘いですねぇ。……アナタたち!」
オベライは鞭を打って処刑人たちの視線を集めると、声を張り上げて命令した。
「司祭は体を張って悪魔の力を証明したいそうです! ならばその通り、しっかりと体を悪魔憑きに押し付けて差し上げなさい!」
オベライの命令を受け、ふたりの処刑人が司祭の背中を押してリオナンドに押し付ける。
「ぐっ、うぅ……!」
「ほほほ……どうせすぐ離れようとでも思っていたのでしょうが、そんな姑息な手段は取らせませんよ!」
背中を押されて密着度合いが高まった分、吸収される生命力も強くなった司祭が苦悶に顔を歪める。
「し、司祭さま、なんで……!」
「……リオナンド」
司祭が息も絶え絶えに言う。
「私は……キミに、生きて……ほしいんだ、リオナンド……生きて……」
「司祭、さま……」
司祭は最後の力を振り絞るよう大きく息を吸うと、叫ぶように声を上げた。
「――見ろ! 私は無事だ! 悪魔の力なぞ何もない! リオナンドは無実だ!!」
「ほほ……頑張りますねぇ。まあ、人が精気を失い切るには時間が掛かりますから。しかし、そう元気なのも今のうち……ん?」
オベライが訝しげな表情で目を細める。
「司祭……アナタ、何をゴソゴソと……っ、まさか!?」
「オベライさま、どうなされました?」
処刑人のひとりが聞くと、オベライはリオナンドの後ろ手に回された両手を指差して言った。
「司祭が少年の手錠を――」
「――みんな! このままじゃリオナンドは殺される! リオナンドを助けてくれぇ!!」
オベライの声に被せるよう司祭が叫ぶ。
ざわつく民衆の声が大きくなる中、オベライはさらなる大声で命令した。
「処刑人!! 司祭を取り押さ――」
「――おおぉおぉおぉおおぉおお!!」
直後、リオナンドの手錠が外れ。
司祭は雄叫びを上げながら処刑人のひとりに飛び掛かった。
「くっ……このジジイ、離しやがれ……っ!?」
そして司祭は処刑人と揉み合う中、斧の刃でわざと自分の首元を切り裂き、仰向けに倒れた。
「なっ……アナタ、何をやっているのですか!?」
「ち、違います! こ、このジジイ、自分から……!」
司祭が倒れたことをキッカケに民衆から怒号が上がり、処刑人たち目掛けて石が投げられ始める。
『ヤツら、司祭さまを斬りやがった!』
『悪魔の力なんてないって証明したのに、なんてヤツらだ!』
『リオナンドは無実だ! リオナンドを解放しろ!』
『この人でなしども! どっかいっちまえ!』
「ぐぁ……いでぇ!?」
「や、やめっ……!」
「ひぃ、ひぃぃ!?」
「あぐっ……愚民どもがぁ……!」
「――司祭さま!!」
処刑人たちが投石で怯む中、リオナンドは倒れた司祭に駆け寄って治癒聖術を掛け始めた。
それを見たオベライは自分に飛んでくる石を鞭ではたき落としながら、騎士団に向かって声を張り上げた。
「アナタたち! 何をしているのです! 暴徒を抑えなさい!」
事態を呆然と見ていた騎士団の面々が、慌てて民衆を抑え始める。
一方でリオナンドは司祭の斬り裂かれた首元の傷がなかなか塞がらないのを見て、声を震わせていた。
「な、なんで……どうして、傷が……!?」
『……司祭の生命力自体が、枯渇し始めているからだろう』
この現状から推測するに、おそらく治癒聖術というものはそれを掛けられる本人の生命力も必要なのだと思われる。
「そんな……司祭さま……司祭さま!」
「リオ、ナンド……」
必死になって治癒聖術を掛けるリオナンドの手を、司祭は震える手で握った。
「生き、るんだ……絶望、しても……正しく……そう、すれば……」
司祭の口元が動く。
しかし、もはや声は出ていなかった。
そして司祭の手からはゆっくりと力が抜け。
やがて、弱々しくなっていた命の鼓動は動きを止めた。
「司祭さま……司祭さま……」
傷口の治りが完全に停止したことから、司祭の命が終わったことには気がついているはずだ。
にも関わらずリオナンドは治癒聖術を掛け続けている。
『……リオナンド』
「司祭さま……待ってて……もう少しで……」
『リオナンド』
「ボクが……きっと……」
『もう、終わったんだ』
リオナンドの体がビクリ、と震える。
『もう……終わったんだ』
「ぁ……あぁ……ああ……ああぁ……」
リオナンドは全身を震わせ、叫んだ。
「――ああぁああぁあああぁああああぁあああああぁああああぁああ!!!」
身を引き裂くような絶叫に、喧騒で溢れていた広場は静まり返った。




