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邪神  作者: 霧島樹
55/85

055「親子」

 異端審問官オベライが司祭にも話を聞きに行ってから、数時間後。

 オベライは四人の処刑人と司祭を連れて、リオナンドが入っている牢屋の前に戻ってきた。


「司祭にもアナタの話を聞かせていただきました」


 オベライはなぜかハンカチで目元を押さえていた。


「残念ながら司祭はアナタを庇うような発言ばかりで、アナタに取り付いた悪魔のことは何も話してはくれませんでしたが……自分自身の罪と、アナタに寄せる想いに関しては話していただけました」


「異端審問官殿、それは……」


 司祭が何か言おうとするが、オベライはそれを片手で制した。


「いいではありませんか。アナタは自分自身の罪と向き合い、それを償ってきました。何も隠す必要はありません。……さて、リオナンド」


 オベライはリオナンドに向き直ると、優しげに微笑みながら語りだした。


「司祭はその昔、泥棒だったそうです。表の仕事もしていたようですが、悪魔の囁きによって泥棒に旨味を覚えてしまっていた。そんな中、交際していた女性と結婚し、子供ができて、一度は泥棒をやめようと思ったものの、彼はやめられなかったそうです。そうしたら……どうなったと思います?」


 優しげだったオベライの顔が、喜色満面の笑みに変わっていく。


「そう、天罰です! 天罰ですよ! なんと、妻と子供が馬車に轢かれて死んでしまったのです!」


 オベライは興奮したように牢屋の前を歩き、身振り手振りを加えて話を続けた。


「その日、妻は彼に言いました! 買い物に付き合ってほしいと! でも彼は前の夜に大きな家で泥棒をしていた! それで眠くて疲れていたから、妻の誘いを断ったのです! そうしたら妻と子供が事故で死んだ! これは偶然ですか? いいえ、神の意思です! 神の意思ですよ!」


 天井を見上げながら両手を広げ、舞台役者もかくやというほど大げさに振る舞うオベライ。


「そこで彼は悟りました。これは自分の罪に対する罰だと。そして、自分が背負った罪は一生を掛けて償うべきものだということを。それから彼は教会の門を叩き、僧侶となって旅に出ます。罪を償うために。貧困にあえぐ人々が自分と同じ罪を犯さないよう諭すために」


 オベライの表情が優しげなものに戻り始める。


「それから数十年後、その活動は認められ、彼は司祭となります。そしてアナタと出会う。両親を亡くしたアナタを彼は引き取り、保護します。知っていましたか? 彼の息子がもしまだ生きていれば、ちょうどアナタぐらいの年頃だったそうですよ」


 オベライは両手を組み合わせ、祈るように目を閉じた。


「ああ……これぞ神の意思。運命ですよ。彼が命を掛けてアナタを守ろうとするその理由は……愛。血の繋がりがなくとも、これは親子の愛情に他なりません。見返りを求めない無償の愛。なんと美しいのでしょう! そう! 血の繋がりなど関係ないのです! 血の繋がりなど……うっ、うぅ……!」


 目元をハンカチで押さえ、フラフラとよろけるオベライを処刑人のひとりが支える。


「すみません……少し、昔を思い出してしまいまして……」


 オベライは大きく深呼吸をすると、まるで独白するかのように語りだした。


「私は豪商の家に生まれまして……とはいっても、私が大人になる前に事業は失敗し、父と母は借金で狂って悪魔に憑かれたのですが……そうなるまでは、本当に優しい父と母だったんですよ……」


 ハンカチで目元を押さえ、鼻をすするオベライ。


「最後は……母は私を虐待の末、自殺して……父は私を『お前なんか、本当の子供じゃない』と……自分とはなんの血の繋がりもない、母を強姦した見も知らぬ犯罪者の子供だと言って、私を殺そうとしてきました……いよいよとなった瞬間、異端審問官が家に踏み込み、私は助けられたのですが……でも……でもその前に……」


 オベライは自分の目から流れ出る涙をもはや拭おうともせずに続けた。


「最後の最後……父は……父は私を殺さなかった! 殺せなかった! 自分に取り憑いた悪魔に打ち勝って、私を……助けてくれたのです! 父の中にあった私への愛情が! 悪魔に勝ったのです!」


 天井を見上げ、オベライはまるで慟哭するように声を上げた。


「悪魔に勝った! 最後の最後、パパは悪魔に勝った! 悪魔に勝った! 悪魔に勝った! 私を殺さなかった! 私を愛していた! 私は愛されていた!!」


 そして両膝をついて泣き叫ぶ。


「あうううううああああぁああぁああ! パパァ! パパァ! パパァアアァアアァァアァ!!」


「…………」


 無言で話を聞いていたリオナンドの瞳から、静かに涙が流れ始める。

 オベライはそれに気がつかぬまま立ち上がり、息を整えてから話を続けた。


「すみません……取り乱しました。血の繋がりがない親子の愛情、というところで父を思い出してしまいまして……私は当時、父が言った『血の繋がりなんてない』という言葉を信じられず、悪魔が言わせた嘘だと思っていました。確かにその可能性は十分にあります。悪魔はまるで真実に思える幻を見せますから。でも……もし父の言ったことが本当だったら? 私は長年悩んで……悩み続けてきました。しかし本質はそこにないと、しばらくして気がついたのです」


 オベライは両手を胸の前で合わせて組み、目をつぶった。


「大事なのは、私の父が最後の最後で、悪魔に打ち勝ったこと。私を愛していたことだと……気がついたのです。だからもし、血の繋がりがなかったとしても……いえ、血の繋がりがなかったからこそ……その愛は尊い」


 ゆっくりと目を開き、天井を見上げるオベライ。


「今思えば、母も悪魔から私を守ろうとして……自殺したのでしょう。ああ……親子の愛情は、かくも美しい……」


 そして陶酔から覚めたように冷たく言い放った。


「だから私は、悪魔を憎む」


 オベライは鉄格子越しにリオナンドを睨みつける。


「アナタに取り憑く悪魔を憎む。愛情を穢そうとする悪魔を憎む。無辜の民を傷つけ、命を奪う悪魔を憎む。抗いがたい誘惑で人間に罪を犯させる悪魔を憎む。悪魔はことごとく、私の手で神の裁きを受けさせる。……さて」


 鉄格子の前でしゃがみ込み、オベライはリオナンドと目線を合わせた。


「それはそれとしてアナタにもぜひ、悪魔に打ち勝ってほしいと私は思っています。確かに悪魔は真実に思えるような幻を見せます。人間には抗いがたい。でも心配はいりません。たとえアナタが悪魔に打ち勝てなくても、明日には私がアナタを神の元へ送って差し上げます。もちろん司祭も一緒なので、安心してください」


 オベライは処刑人に指示して司祭をリオナンドのひとつ隣にある牢屋に入れると、満面の笑みで言った。


「同じ牢屋内に入れるわけにはいきませんが……ひとつ隣であれば会話は十分できるでしょう。お二人とも現世にいる最後の夜です。それでは、親子水入らずということで」


 ――また明日会いましょう。

 そう言ってオベライは処刑人と共に牢屋の前から去っていった。


「リオナンド……聞こえるか?」


 隣の牢屋にいる司祭が、壁越しにリオナンドへと話し掛ける。

 リオナンドは無言のままだが、僅かに口が動こうとしているところから、会話をするかしないか逡巡しているのだろう。


『リオナンド』


「…………フェイス、さん?」


『彼はキミにとって義理の父のような存在なのだろう? 最後に話しておいた方がいい』


「…………」


『俺は今から寝る。だからここにはキミと司祭だけだ』


「フェイスさん……」


『おやすみ、リオナンド』


 オベライの言う通り、ここは親子水入らずだろう。

 俺は何か言いかけているリオナンドの言葉を無視しながら、意識を深い闇の中へと沈めていった。




 ◯




 翌日の昼過ぎ。町の大広間にて。

 処刑台の上ではリオナンドと司祭が両手を拘束された状態で膝をついていた。

 木で出来た処刑台の前には大勢の民衆が集まってざわめいている。


「さて……民衆の皆さん。私は騎士団から通報を受けて教会から来ました、異端審問官のオベライと申します。今日は二名の罪人を裁くために足を運ばせていただきました」


 オベライは丁寧な物言いで語り始めた。


「まずこちらの司祭は、リオナンドという悪魔憑きを逃がそうとした罪があります。そしてこのリオナンドという少年は、その身に宿す悪魔の力によってプレマドラの町に住む住人をなんと、百人以上も殺害しました」


 処刑台の前に集まった民衆がざわつく。

 その中からは『まさかリオナンドが』『何かの間違いでは』というように、オベライの言葉を疑う声がいくつも聞こえてきた。


「おや……どうやら、彼が悪魔の力を宿していると信じられない人がいるみたいですね。よろしい、それでは証拠を見せてあげましょう」


 オベライはそう言うと近くにいた処刑人から青々しい葉がいくつも付いた木の枝を受け取り、リオナンドの頬に押し当てた。


 すると青々しい葉がみるみるうちに茶色くなり、枝からパラパラと落ちていく。

 それを見た民衆たちがどよめき、驚愕の声を上げる。


「見なさい。これが悪魔の力です。この少年には命と魂を吸い取る悪魔が宿っています。彼はこのおそるべき力を使って、プレマドラの町の人々を殺害したのです!」


 オベライは満足そうに言い放つと、処刑人から白い水瓶を受け取った。

 そしてその水瓶の中身をリオナンドの頭から全身に掛けていく。


「これは教会で祈りを込められた聖水です。悪魔を宿し穢れた血はこの聖水の力で浄化され、清められます」


 オベライはその聖水を処刑人の斧にも掛けてから水瓶を下に置き、両手を広げた。


「おお、神よ! ご照覧あれ! 今アナタの子らを貶める悪魔を断罪し、失われし星の輝きをまたひとつ取り戻します! ……処刑人!」


 三角の黒い頭巾を被った処刑人が、オベライの呼び掛けに無言で顔を上げる。


「悪魔の首を刎ねなさい!」


「お待ちください!」


 オベライの言葉に被せるよう、司祭が横から叫んだ。


「これはリオナンドを犯人に仕立て上げ、大量虐殺を誤魔化そうとしているプレマドラ領主と教会の陰謀です!」


 衝撃的な内容の叫びに民衆がざわめき立つ。

 オベライはポカンとした顔で司祭を見つめたあと、愉快そうに笑って言った。


「ほ……ほほほ! これはこれは! 醜い! 実に醜いですね! そんな根も葉もない大嘘をついてまで、そこまでして助かりたいのですかアナタは!」


「私は助かりたいなどとは思っておりませぬ! ただリオナンドの無実を晴らしたく、事実を申したまでのこと!」


「無実? この少年は本物の悪魔憑きですよ? アナタもこの少年が持つ力は見たでしょう? おそるべき悪魔の力を!」


「それこそ事実無根の嘘っぱち! 悪魔の力など、そんなものありはしませぬ! 先ほどの光景は単なる手品! リオナンドは悪魔憑きでもなんでもない普通の少年です!」


「司祭殿! それは嘘だ!」


 司祭の叫びに対抗するよう、処刑台の脇から騎士クロードが大声を上げた。


「私はプレマドラの町でリオナンドの両肩に触れた! そしてその時、確かに精気を吸われる感覚があった! 僅かな間だったから良かったものの、もしあのまま触れ続けていれば私は精気を吸い取られ死んでいただろう! 彼は間違いなく悪魔の力を宿している!」


「……と、このように証人もいますが、何か申し開きはありますか?」


 オベライはニヤリと笑って司祭を見やった。


「騎士クロードは領主側の人間! 彼が嘘をついていることは自明の理!」


「まだそんなことを……」


「私が証明してみせましょう!」


「証明?」


「私の手錠を外してください」


「ほ……ほほほほほ! なるほど、なるほど! そう持っていきますか!」


 オベライは心底おかしそうに笑い声を上げたあと、司祭を見ながら目を細めた。


「ふぅ……最初は悪魔憑きから、と思いましたが……気が変わりました。いいですよ。手錠を外してあげます。その首を刎ねた後に、ですが」


「お待ちください! このままでは、町の人間は納得しませんぞ!」


 司祭が叫ぶと、処刑台の前に集まった民衆からポツポツと声が上がった。


『確かに』

『司祭さまが嘘をつくとは思えないからな』

『リオナンドが悪魔憑きってのも、随分と急な話だ』

『そういえばついこの間ウチの子と遊んでもらったけど、何ともなかったし』

『言われてみたら、おかしな話だよな』


 ひとつふたつ声が上がると、そこから水面が波打つように次々と疑惑の念が広がっていく。


「くたびれたジジイがそこまで言ってるんだ! 証明したいってんなら、させてやんなよ! 最後ぐらい!」


 集まった民衆の後方から老婆の大きな声が聞こえてきた。

 この声は聞き覚えがある。

 リオナンドが通っていたパン屋の老婆だ。


『そうだ。最後なんだから』

『このままじゃスッキリしないぜ』

『ああ、納得できない』

『証明させてやれよ』

『手錠を外せよ。どうせジジイじゃ逃げられないだろ』


 老婆の大声で民衆が勢いづく。

 そして気がつけば、集まった民衆の大部分が外せ、外せ、外せ、と声を合わせて唱和していた。


「…………」


 それを見たオベライは無言のまま、懐から黒い鞭を取り出した。










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