048「少年」
目を覚ますと、そこは古い教会の礼拝堂だった。
「我が神よ、今日も一日を無事に過ごすことができました。あなたの御加護に感謝します」
『…………』
礼拝堂は暗く、光源はいくつかのロウソクが灯っているだけだった。
宿主の言葉から推測すると今はどうやら太陽が沈んで夜になり、あとは寝るだけという時間帯のようだ。
周囲の状況を見る限りでは、今は声を掛けるのに適したタイミングだと言える。
「願わくば、この平穏が明日も続きますように」
『残念ながら、それは難しいな』
「え……だ、誰!? どこにいるのですか!?」
『俺の名はフェイス。邪神だ。ああ、俺を探しても見つからないぞ。実体はないからな』
「じゃ、邪神!?」
宿主は心底驚いたように声を上げた。
声質からしてまだ十代半ばの少年といったところだろうか。
「ま、まさか……邪神とは、太古の昔に神の国を滅ぼしたと伝えられる、あの邪神ですか!?」
『……詳しく聞いてみないことにはわからんが、可能性はあるな。ちなみにその邪神とはどういった存在だ?』
「時に羽虫、時に大蚯蚓の姿で神の国を喰らい尽くしたと言われるおぞましき異形の神です」
『俺とは全然違うじゃないか。邪神違いだ』
「じゃ、邪神違いですか……では、あなたはいったい……?」
『それはこれから説明するが、まずは一番最初にキミの名前を教えてくれないか?』
「あっ……すみません、そうですよね、名乗られたら名乗り返すのが礼儀ですよね」
少年はそう言ってペコリと頭を下げた。
視界の端に映った前髪を見たところ、どうやらこの宿主は金髪であるらしい。
「ボクの名はリオナンド。司祭様と一緒にこの教会で神に仕える修道士です」
『……随分と簡単に名乗るんだな』
「え……?」
『俺が言うのもなんだが、いきなり自分の頭に直接語りかけてくる自称『邪神』に対してキミは警戒心がなさすぎる』
「そ、そうですか……?」
『そうだ。もし俺がキミに悪意を持つような存在だったらどうする』
「え、えぇ!? あなたはボクに悪意を持ってるんですか!?」
『いや、持っていないが』
「ひえぇ……よかったぁ……初対面で悪意を持たれるなんて、ボクが何か失礼なことをしてしまったのかと、心配してしまいました……」
『……俺はなんだか早くもキミの将来が心配になってきた』
「ボクの将来ですか? ……あ、ありがとうございます」
『なぜ礼を言う?』
「だってそんな、まだ知り合って間もないのにボクの将来を心配してくれるだなんて……フェイスさんって、いい邪神さんなんですね」
『…………』
……なんだか頭が痛くなってきた。
もちろんこれは比喩表現であり、実体のない俺にはそもそも頭も痛みもないのだが。
「それで、フェイスさんはどちらの邪神さんなのですか?」
『それはこれから説明するが、その前にキミに伝えなくてはならないもっと重要な情報がある』
「重要な情報、ですか?」
『ああ』
俺は今回の宿主であるリオナンドに『邪神の呪い』について説明した。
邪神の呪いその一、俺の宿主は人に触れると精気を吸い取ってしまう。
その二、宿主は人の魂を一定期間吸わなければ、渇望の果てに死んでしまう。
その三、宿主が死んだ時、世界は闇に飲み込まれて滅亡する。
『以上が、俺の宿主であるキミが背負うことになる『邪神の呪い』だ』
「そ、そんな……」
リオナンドは声を震わせ、大きなショックを受けている様子だった。
『……キミは自分が邪神になった光景を夢で見たのか?』
「え……? いえ、見てませんが……」
『ではなぜそう簡単に信じるんだ。エナジードレインを実際にやった後ならともかく……俺の言葉が嘘だとは思わないのか?』
「え、嘘なんですか!?」
『いや、嘘ではないが』
「そんな……」
リオナンドは俺の言葉にガックリと肩を落とした。
「ではボクは……本当に呪われてしまったのですね……」
『…………』
「おお……神よ、これもあなたが与えたもうた試練なのでしょうか……」
『神に祈っている時間はないぞ。俺が起きていられる時間は短い。今からすぐ外に出てエナジードレインの体験だ。そのあとは俺が邪神になった経緯について話す』
「起きていられる時間が短い? なぜですか?」
『それもこれから話す。さぁ、まずは外に出てくれ』
「わ、わかりました」
こちらの言葉を何ひとつとして疑わず、簡単に言うことを聞いてしまう今回の宿主リオナンドに俺は大きな不安を感じながら、引き続き制約によって定められた内容を説明していった。
◯
外で手頃な草木にエナジードレインをさせて、次にソウルスティールの感知距離や射程距離、渇望期間などもろもろの説明を終えたあと。
俺は教会の礼拝堂に戻ったリオナンドに自分が邪神になった経緯を話した。
その結果。
「うぅ……ひどい……ひどすぎます……グスッ……」
『リオナンド。泣きすぎだ』
「だって……だって……今のボクとそう変わらない年から邪神になって、それからずっと……ずっと、苦しんできたんでしょう? 千年以上もの間、ずっと……」
『それはそうだが……』
「うぐっ……フェイスさん……『消えたい』だなんて言わないでください……幸せを……人としての幸せを……ちゃんと……」
『人としての幸せか。今となっては、とてもじゃないが考えられないな』
「なぜ……ですか……?」
『俺が人としての生きた時間は、邪神として存在している時間と比べたらほんの僅かな時でしかないからな。人であった時の記憶など、夢か幻のようなものだ』
「夢か幻……」
『そうだ。ともすれば、人であった時の記憶はもちろんのこと、今の自分自身でさえ実在しているかどうか怪しく思えてくる』
「――フェイスさんはいます!」
リオナンドは泣き叫ぶように言った。
「今までずっと苦しんで……この世界にきて……ボクとこうして話しています。ここに……フェイスさんはいます。だから……だからそんな、悲しいこと言わないでください……」
『…………』
リオナンドは祭壇の前でうずくまり、再び泣き始めた。
『……今これ以上話を続けるのはキミの状態からして効率が悪い。続きは明日話そう。俺は寝る』
「えっ……もう寝るんですか?」
『寝る。先ほども説明したからわかっているとは思うが、明日からは慎重に行動してくれ。おやすみ』
「あっ、あの……おやすみなさい」
最低限の説明を終えたと判断した俺は寝る前の挨拶もそこそこに、意識を深い闇の中へ没入させていった。




