046「理由」
EX『佐藤太一』
「うおぁ!?」
目が覚めた瞬間、オレはソファから落ちて床に激突していた。
「いてててて……」
「タイチ!?」
台所からハート柄のエプロンを身に付けたマリアが居間に出てくる。
「大丈夫ですか!? 今すごい音しましたけど……」
「いや……大丈夫。ちょっと寝ぼけてた」
「……寝ぼけてた?」
マリアがジト目でこっちを見てくる。
「タイチ……また寝てたんですか……」
「え……?」
「私がお昼ごはん作ってる間、ちゃんと見ててくれるって言ったのに……」
「見ててくれるって……?」
なんのことだ、とオレが言おうとしたその時。
居間のテーブル横にある揺籠の中から大きな泣き声が聞こえてきた。
「ああっ、 起きちゃった! タイチ! 抱っこしてあげてください! 私は今、火を使ってるので手が離せません!」
マリアはそう言いながら台所に引っ込んだ。
「え……えぇ!?」
いやいやいや、ダメだろ!
オレが抱っこはダメだろ!
エナジードレインしちゃうじゃん!
ああ、でもメッチャ泣いてるよノア!
「くっ、マリアは手が離せないし……な、なぁフェイス! オレはどうすりゃいいんだこれ!? フェイス!」
「ああもう、何やってるんですかタイチ!」
マリアはコンロの火を止めて台所から出てくると、泣いているノアを抱き上げた。
「もう、タイチ! なんで抱っこしてくれないんですか!」
「え……だ、だってエナジードレインが……」
「エナジードレインってなんですか!」
「なんですかって……」
……あれ?
エナジードレインってなんだ?
「変なこと言ってないで、ほら、泣き止んだから私の代わりに抱っこしてあげてください」
「えっ……ちょっ……」
マリアはノアをそっとオレに渡して抱っこさせると、そのまま台所へと戻っていった。
「あれ……抱っこしてもなんともない……」
そうしてノアを抱いていると、ふとさっきまでの自分に疑問が湧いてきた。
「なんでオレ、触っちゃいけないなんて思ってたんだろ……そもそもエナジードレインってのが謎だし。なぁ、フェイスはなんか知ってるか?」
当然のように問い掛けるが、
「……あれ? フェイスって、誰だっけ?」
答える者は誰もいなかった。
◯
マリアが作ったチャーハンとツナサラダ、卵スープを食べ終わったあと。
俺はソファに座りノアを抱っこしながら、居間でつけているテレビを見ていた。
「……日本語だ」
テレビを見ながらポツリと呟くと、洗い物を終えたらしいマリアがオレの左隣に座りながら言った。
「日本ですからね」
「……オレたち、いつ日本に来たんだっけ?」
「いつって……つい先月こっちに来たじゃないですか。さっきから変なことばかり言って、大丈夫ですかタイチ?」
「ん……ああ、そうだったっけ……」
そうだ。
ノアが男の子だったらアメリカ、女の子だったら日本で育てるっていう話をしてて、女の子だから日本に来たんだった。
「って、うおぉ!? マリアが隣に座ってる!?」
「……座っちゃダメなんですか?」
「いや、隣に座ったら押し倒したくなるから、座らないようにって……」
「真昼間から何を言ってるんですか!」
マリアが顔を真っ赤にして声を上げると、ノアが再び泣き始めた。
「ああもう! タイチのせいでまたノアが泣いたじゃないですか!」
「あれぇ!? 今のオレのせい!?」
「タイチが変なこと言うからです! ほら! 代わってください!」
マリアはオレからノアを取り上げ抱っこすると、ソファから立ち上がった。
「もう、変なことばっかり言うパパで困っちゃいますね、ノア」
「変なことばっかりって……」
……いや、でも確かに変だ。
さっきまで頭に靄が掛かっている気がしていたのに、今はもうスッキリしている。
だけどその靄と一緒に、何か大切なものを忘れてしまったような……。
「フェイス……」
「え? なんですか、タイチ?」
「……あれ? 今オレ、なんか言ってた?」
「いえ、ちょっと聞き取れなかったですけど……本当に大丈夫ですか? タイチ」
マリアはノアをあやしながら、そう言って首を傾げた。
……それを見ていると、なんだか胸に言いようのない感情が込み上げてきた。
「タイチ……泣いてるんですか?」
「……え?」
そう言われて目をこすると、確かにオレは涙を流していた。
「おかしいな、別に泣く理由なんてどこにもないんだけど……」
「タイチ……?」
「……って、なんだよ、マリアも泣いてるじゃんか」
「あ……ホントです。なんで、私……」
「……マリア」
「あ、ちょっと、ハグするのはいいんですけど、ノアが潰れるので優しくお願いします」
「…………」
オレは大事な我が子を潰さないよう、ノアとマリアを優しく抱きしめながら言った。
「愛してる」
「……私も、愛しています、タイチ」
その時、一陣の風が居間をすっと通り抜けた。
「あ……」
「ん? どうした?」
「洗濯物、取り込まないと。はい、タイチ」
マリアはオレにノアを渡すと、洗面所からカゴを持ってベランダへ出て行った。
「…………」
オレはベランダで洗濯物を取り込んでいるマリアの背中を見ながら、窓から空を見上げた。
空では分厚い雲を割って眩しい光を放つ太陽が、懐かしい街並みを照らし続けていた。