044「笑顔」
「タイチ、まさか……マリア博士に電話をするのか」
「あたりまえだろ。別れの挨拶ぐらいさせろよ」
「それは……だが、しかし……」
「心配すんなよセオ。言っただろ? 随分と前から、こうなることは予想してたって。マリアとはきちんと、結婚式を挙げる前に何度も何度も話し合ってる」
タイチがスマホを耳に当てながらそう言うと、ちょうどマリアに掛けている電話が繋がった。
『もしもし、タイチ!? 無事ですか!?』
「おー、無事無事。ちょっと色々あったけど、フレディたちのおかげでオレはケガひとつなく生き残れたぜ」
『そうですか……私たちはいつ合流できるのですか? ノアがもう生まれたのは知ってますか? 今どこにいるんですか?』
「あー……それなんだけどな……ええと、心の準備はいいか?」
『無理です。できてません。早く帰ってきてください』
「ええ、ちょ、マリアさん? そんなこと言われても……前々からこーゆー時は笑顔でサッパリ送り出すって、打ち合わせしてたじゃんか」
『…………だって、まだノアにも会ってないのに』
「……そうだな。だから今、こうして最後の電話をしてる」
『……っ! ……ごめんなさい』
「だからそーゆーのはナシだってば。……なぁ、今そこにノアはいるか?」
『……います』
「そっか。んじゃ顔見させてくれよ。いいだろ?」
タイチはマリアの返事を待たずに、スマホでアプリを使いテレビ電話モードを起動した。
マリアもそれを承認したようで、すぐに向こう側の映像がスマホの画面に映し出される。
『タイチ……』
「あれ? そこ海? 今どこにいんの?」
『船の上ですよ。甲板にいます』
「そっか。って、ノアはどこだ? ノアが見えないんだけど。マリア、ノアを映してくれよ。ノアが見えない」
『…………』
「ああっ、ごめん! マリアちゃんごめん! 怒んないで! スマホ捨てないで!」
『怒ってないし、捨てませんよ……ちょっと角度調整をしようとしただけです』
その直後、カメラの角度が変わってマリアの腕に抱かれた小さな赤ちゃんが映し出された。
『ほら、ノア。パパですよ』
「おお……ノアは女の子か。可愛いなぁ……」
『わかるんですか?』
「そりゃわかるよ。可愛いもん。それに服が花柄だし。……ノアー、パパでしゅよー」
『あ、あの……タイチ?』
「んー?」
『実はこの映像、録画してます……』
「おー、そっか。じゃあノアがあとで見ても楽しめる動画にしないとな。あばばばばー!」
『プッ……あははっ、ちょっと、タイチ、笑わせないでください』
「だってノアが笑わないからさぁ」
『生まれてすぐの赤ちゃんは笑わないんですよ。ちゃんと笑い始めるのは生まれて二、三ヶ月経ってから……あ』
「お、笑ったじゃん。さすがノアだな。ここぞというところでしっかりキメてくれるぜ」
タイチがニカッと笑ってそう言うと、隣に立っているセオドリックが腕時計を見ながら首を横に振った。
「タイチ、申し訳ないが……もう時間だ」
「マジで!? 早すぎだろ!?」
『タイチ……』
「はは……ま、しょうがねぇな。ってなわけで、電話切るぜ」
『タイチ……!』
「おいおい、泣くなよ。笑いながら見送るって約束だろ」
『でも……!』
「……ノアを頼むぜ、マリア」
『…………っ』
「マリア」
『……わかり、ました。タイチ』
「うん?」
画面の向こう側でマリアは涙を拭い、満面の笑みで言った。
『愛しています』
「……俺もだ、マリア。愛してる」
『……っ、タイチ!』
「じゃあな」
マリアが何かを言いかけたところで、タイチは通話終了のボタンを押した。
「…………タイチ」
「何も言うなよ、セオ。前々からわかってたことだって、言ってるだろ」
「…………」
「さぁセオ、案内してくれよ。最後の任務、しっかりやり遂げて見せるからよ」
「……わかったよ、タイチ。じゃあ、この寝台車に」
「いや、自分の足で歩かせてくれ。オレを拘束してるって建前上、セオにとって都合が悪いのは百も承知なんだけどよ。それだけは譲れねぇ」
「タイチ……」
「頼む。最後なんだ。自分の足で歩かせてくれ」
「……ああ、わかった」
セオは神妙に頷くと、小部屋から出るドアを開けた。
◯
数十分後。
タイチはセオの案内で小型の宇宙船前に辿り着き、最後の任務説明を受けていた。
「……進路は太陽へ向けて一直線。高濃度栄養点滴があるため、食料は必要ない。宇宙船内での排泄も最低限で済むよう、キミが気を失っている間に腸内は空にさせてもらった」
「…………」
「理論上は一週間生命活動を維持できる設計だが……キミの渇望期間を考えると、飛び立ってから三日が限度となるだろう」
「…………」
「フェイスさんの話によれば渇望の限界を超えると宿主は正気を失い、無限の苦しみを味わいながら死に至るという。そうならないためにも、三日を過ぎたら宇宙船内にある赤いボタンを押してくれ。そのボタンを押せば今回キミを宇宙に打ち上げるための表向きの理由である太陽探査機が宇宙船から離脱して、三十秒後、キミを乗せた宇宙船は爆発する。長く苦しむことなく、一瞬で逝けるはずだ」
「…………」
「……タイチ?」
「……ああ、いや、うん。なんか、色々と実感が湧いてきたわ。話が生々しくて」
「タイチ……」
「おっと、怖気づいてるわけじゃねぇぜ。この足もな、『武者震い』ってヤツだ。……『武者震い』って言葉、セオ知ってる?」
「知らないが、なんとなく意味は伝わるよ」
「そっか」
「ああ。それと先ほどの話に関する補足だが、赤いボタンを押して太陽探査機が宇宙船から離脱する時はかなり船が揺れると思う」
「うん……それで?」
「いや、それだけだ。何も知らない状態でいきなり船が揺れたら驚くだろうから、心の準備をしておいてくれ」
「はは……これから死ぬってボタンを押したあとに、船が揺れる心配かよ」
「…………」
「……いや、確かに心の準備は重要だな。ありがとよ、セオ。知らなかったらビックリするところだったぜ」
「礼を言うのは私の方だ。……タイチ、本当にありがとう。そして……すまない。今はそれしか言えない」
「いーよいーよ、あの世でゆっくり聞くから。先に地獄で待ってるぜ、セオ」
「ああ。私もすぐそちらに向かう」
「はは、冗談だよ。マリアとノアを任せるって言っただろ。長生きしてくれ」
「…………すまない、タイチ。私はこのあとすぐに処分されることが決まっている。長生きはできない」
「あー……セオもそーゆー感じなのか。んじゃまあ、しょうがねぇな。レジーナが上手くやってくれることを祈るとするかね」
「ああ。彼女には改めて念を押しておくことにするよ」
タイチの言葉にセオドリックは微笑むと、宇宙船を見ながら言った。
「概要は以上だ。宇宙船に乗ってくれ。中に排泄関係を一週間はカバーできる専用の宇宙服があるから、それに着替えてほしい。宇宙服を着たら左腕の袖を捲ってスタッフを呼んでくれ。点滴の針を刺してもらう」
「おう。……なんだかホント、最後まで任務って感じだな」
「ああ。全人類を救う、崇高な任務だ」
「はは、やめろよ、背中が痒くなる」
タイチは力なく笑いながら、宇宙船に乗ってセオドリックの指示通りに事を進めていった。
そして宇宙服を着て、点滴の針を刺し、すべての準備が終わったあと。
「ではタイチ。またあの世で会おう」
「おう。じゃあな、セオ」
タイチはセオドリックに別れを告げた。