042「最善」
三時間後。
俺が目を覚ますと、ちょうどタイチがスマホの通話ボタンをタップして、セオドリックからの電話に出るところだった。
『お待たせタイチ。これから健康診断をやるから、第一実験室まで来てくれないか』
「第一実験室? いつもの診断室でやるんじゃないのかよ?」
『ああ、それが色々と事情があってね。今、診断室にはミイラ化したフレデリックたちの遺体が安置されているんだ。だからそっちはちょっと使えない。もうしばらくしたらヤーコフ博士が診断器具を用意して第一実験室に行くから、先にそこで待っていてくれないか』
「……まあ、いいけど」
『うん。それじゃあまた』
セオドリックはそう言って通話を切った。
「……フェイス」
『なんだ?』
「今のセオ、メチャクチャ怪しくねぇか?」
『ふむ……確かに色々と怪しいが、声色からしてセオドリックが嘘をついているようには思えなかったぞ』
「マジか。んじゃ俺の考えすぎか」
『…………』
「まあいいや。ここにいてもしゃあないし、それじゃ移動するわ」
タイチはそう言って部屋から出て、第一実験室へと向かって地下施設内の廊下を歩き始めた。
「いやぁ、にしてもノアが男か女か、どっちなのか楽しみだなぁー」
『なに? まだ性別が判明していなかったのか?』
「判明してないっていうか、もうどっちにしろノアって名前に決定したんだから、いっそのことこのまま生まれるまで性別調べないようにしようって話になったんじゃん……って、あれ、フェイスには話してなかったっけ?」
『それは聞いてなかったな』
「そっか。まあフェイスは寝てばっかだからなー」
『そうだな。それも多分にあるだろうが、キミの俺に対する依存度が今までよりも低くなったということも関係しているだろう。妻と子供ができたことによってな』
「依存度って……オレ今までそんなに依存してた? フェイスに」
『自覚がないのか。相当に依存していたぞ。ことあるごとにフェイス、フェイス、フェイスとな』
「ははっ、まあ、それだけ頼りにしてるってことだって」
そんなことを話しながら廊下を進み、数分後。
タイチは第一実験室の前に辿り着いた。
「…………」
『どうしたタイチ? 入らないのか?』
「……なんか、引っかかるんだよ」
『引っかかる?』
「ああ。何か、大事なことを見落としてるような……」
タイチはそう言って第一実験室のドアの前でうつむくと、途中でハッと何かに気がついたように顔を上げた。
「はは……ははははっ! そうか、そうだったのか!」
『タイチ?』
「そうだよ。なんでこんな簡単なことに気がつかなかったんだ、オレは」
タイチは自分のスマホを操作してセオドリックに電話を掛けた。
『どうしたんだい? タイチ』
「なぁセオ。オレは大事なことを聞き忘れちまったぜ」
『大事なこと?』
「ああ。確かに今、診断室にはフレディたちの遺体が安置されているのかもしれねぇ。もうしばらくしたらオッチャンが診療器具を持ってここに来るのも本当だろ。だけどさ……」
『なんだい?』
「オレはこの実験室に入って、無事に出られるのか? 自分の意識を失うことなく、自由を失うことなく、健康診断が終わったあとは無事にマリアとノアに会いに行くことができるのか?」
『なにを……』
「答えてくれ、セオ」
『……もちろんだよ。キミは無事にそこを出て、妻子に会える。意識も自由も失うことはない』
「神に誓えるか?」
『誓うよ』
「……そうか。疑って悪かったな」
『今の状況じゃ仕方がないさ。それじゃまたあとで』
「ああ、またな」
タイチは通話を切ると目をつぶり、大きくため息をついて言った。
「……フェイス」
『なんだ?』
「今のセオの言葉は、嘘だな?」
『…………』
「答えてくれ、フェイス」
『……タイチ、キミに対してこんなことを言うのは非常に心苦しく、できれば言いたくないのだが』
「わかってる。言ってくれ」
『セオドリックは嘘をついてないぞ』
「………………………………」
『………………………………』
「………………………………」
『………………………………』
「……え? 今なんて言った?」
『とぼけるな。聞こえていただろう?』
「え、え、マジかよ……なに、これじゃオレまるで、すげぇイタイ奴みたいじゃん」
『それは今さらだな』
「ひでぇ!?」
『ああ、そういった傾向にあるというだけで、何もキミが常にイタイ奴だと言ってるわけじゃないぞ』
「フォローになってねぇ!?」
『そうか』
「な、なぁ、嘘だって言ってくれよ。どう考えてもさっきのはセオが嘘ついてるだろ? だって怪しすぎるじゃん?」
『しつこいぞタイチ』
「冷てぇ!?」
『……すまない、タイチ』
「深刻そうに謝んなよ! 逆に傷つくわ!」
タイチはそう言いながら第一実験室に入り、ふてくされたように部屋の片隅にある長椅子に座った。
「はぁー……なんだよ、ドヤ顔でキメたつもりが、ただの道化じゃねぇかよ……なんだかなぁー……」
『…………』
「ふぁ……気が抜けたらなんだか眠くなってきちまったぜ……」
『……タイチ。ここで俺が以前話した、まだキミに伝えていない例の制約の話をしよう』
「んん? どうしたんだよ急に?」
『今、この時に話すのが最善だと思ったんだ。聞いてくれ』
「いいけど……じゃあさらに追加のヒントくれよ、ヒント。確か例の制約は『今までの会話』にヒントがあって、『フェイス自身』に関する、『単純』な、『あることが一回しかできない』制約なんだろ? これだけ情報が揃ってきてるんだから、直接フェイスが言わなくても追加のヒントをくれたらオレが当ててやるぜ」
『わかった。では追加のヒントだ。この制約は俺に対して、『常時発動』している』
「常時発動している? ………………あれ、サッパリわかんねぇんだけど。難易度高くねぇ?』
『大して考えてないからだろう。普段のキミならちゃんと、しっかり考えればわかるはずだ』
「しっかりねぇ……」
タイチはそう言いながら大きくアクビした。
『そうだ。タイチ。なぜなら俺を縛る『制約』という概念自体、キミ自身が推理し、指摘したものだからな』
「あれ……そうだったっけ? ……あぁ、そういや、エナジードレインとかソウルスティール関連はフェイス、『邪神の呪い』って言ってたな」
『ああ。そしてタイチ。キミは俺を縛る『制約』をいくつ知っている?』
「いくつって……確か四つだったかな。邪神と名乗らなければならない制約、邪神の呪いに関する説明義務の制約、宿主に嘘をつけない制約、そして今フェイスが話してる最後の、オレが知らない制約……」
『その中にひとつだけ、間違いがある』
「間違い?」
『そうだ。間違いというより、勘違い、と言うべきか』
「勘違い? いや、おかしいだろ。邪神と名乗らなきゃならないのも、説明義務も、嘘をつけないのも、全部確認……」
タイチはそこでハッと何かに気づいたように目を見開いた。
「まさか……」
『そうだ。タイチ。俺は出会った当初、キミが『制約』に関して推理を始めた時、キミに対して『なぜ制約だと思った?』とは言った。だが……』
息を呑むタイチに、俺は死刑を宣告するよう言い放った。
『……俺は今まで一度たりとも、宿主に嘘がつけないとは言っていない』
「くっ!!」
タイチは長椅子から立ち上がり、ドアに向かって駆け出そうとする。
だがしかしその足はもつれて、タイチは床に倒れ込んでしまった。
「体が……!?」
『筋弛緩ガスだ。体の自由を奪い、しばらく意識を失う効果がある。どちらにせよドアに自動でカギは掛かっているが、念のために制約の話で気を逸らさせてもらった』
「フェイス、お前……!」
『一人の宿主に対して、嘘が言えるのは一回だけ。……それが俺の、キミが知らなかった制約だ』
「フェイス……なん……で……」
『……すまない、タイチ。これが『最善』なんだ』
「フェイ……ス……」
そして、タイチは意識を失った。