038「黒幕」
「現在、組織は各国の敵勢力に追い詰められ、孤立しつつある。今はなんとか追及をしのいでいるが、このままではそれも時間の問題だ。早急に敵の頭を叩く必要がある」
「…………」
『タイチ。当然だがセオドリックの話を聞く必要はない。今すぐこの部屋から出るんだ』
「敵勢力を指揮して組織を消そうとしているのはハロルド・ウィンゲート、六十六歳男性。ヒスパニック系アメリカ人。詳しくは言えないが、アメリカ政府の中枢に関わることのできる立場の人間だ。今となっては闇社会最後の黒幕でもある」
床に正座をした状態で説明を続けるセオドリック。
「タイチ……お願いだ。私自身はどうなっても構わない。だが、このままでは組織に属する多くの仲間たちが殺されてしまう。彼らを救うためにも、あともう一度だけでいい。力を貸してくれないか。頼むタイチ。この通りだ」
セオドリックはそう言って両手を床につき、頭を下げた。
「……やめろよセオ。土下座なんて」
「これが日本人に対する最上級の誠意の見せ方だと聞いた。私はキミが良いと言ってくれるまで、土下座をやめるつもりはない」
「それは誠意じゃなくて脅迫って言うんだぜ」
「だとしても私は、みんなが助かる道を知っているにも関わらず、むざむざ見過ごしてしまうことはできない」
「…………」
『タイチ。キミの守るべきものを考えろ。天秤にかけるんだ。家族か、組織か。キミにとってもっとも大切なものを考えろ。そして非情になれ。守るべきもののために』
「……随分と饒舌だな、フェイス」
『タイチ』
「…………わかってる」
タイチは頭を下げたままのセオドリックに背を向けた。
「タイチ!」
「…………」
セオドリックの声を無視して、タイチは歩き出した。
「――組織だけじゃない!」
「…………」
「キミと、キミの家族にも! 危険が及ぶ可能性がある!」
「…………」
タイチの足が止まった。
「……今の話は本当か」
「本当だ。……すまない、タイチ。アメリカ政府の上層部でも、キミの存在を知っているのは本当にごく一部の人間しかいない。つまりアメリカ政府が表立ってキミを守ることはできないんだ。そして組織の後ろ盾を失えばキミは敵にとって、『不可解な方法で人を殺せる暗殺者』という存在でしかない」
「…………フェイス」
『タイチ。このままマリアを連れて逃げるリスクと、もうすでに組織自体が『詰み』に近い状態で敵の頭を暗殺しに行くリスクと、どちらが……』
「オレはそんなことを聞いてるんじゃない」
『…………』
「フェイス。セオの言ってることは、本当なのか」
『…………』
「フェイス!」
『…………本当だ。セオドリックの言葉に嘘はない』
「悪意は?」
『…………ない』
「……そうかよ。じゃあ、しょうがねぇな」
タイチは踵を返し、セオドリックの前へと戻った。
「ほら、顔を上げろよセオ。土下座は終わりだぜ」
「タイチ……!」
「マリアとノアに逃亡生活なんてさせられねぇからな。それに組織を見捨てるってのもつまんねぇ話だし。いっちょ全部まるっと解決したろーじゃんか。ははっ、考えてみりゃ欲張りなオレらしい選択肢じゃん?」
『……タイチ』
「ん?」
『…………そうとなれば早く作戦の詳細を聞こう。やるならやるで、少しでも生存率を上げたい』
「お、珍しいじゃん。今回は小言なし?」
『そんな時間はないからな。それにどうせ言ったところでキミは聞かないだろう?』
「聞かねぇけど、でもフェイスが苦言を呈してオレが無視するってのが、オレらの中での様式美じゃん? いつもと違うと逆に怖いって。なんか一言くれよ」
『そうか。ならば言わせてもらおう』
「おう」
『――死ぬなよ、タイチ』
「ははっ! これまた、へし折り甲斐のあるぶっといフラグ立ててくれたなぁ!」
『ちゃんとへし折ってくれるんだろう?』
「あたりまえだろ。任せとけって。フラグクラッシャーの名に懸けて、バッキバキにへし折ってやんよ!」
『その名は初めて聞いたな……』
「今初めて言ったからな! 大丈夫だって、安心しろフェイス。今までだってオレは上手くやってきた。今回だって上手くやる。オレは主人公だからな」
『…………』
「なぁフェイス、そうだろ?」
『……俺は、そう願っている』
「お、おお……気休めの言葉ですら嘘はつけないのかよ。融通利かないなぁ……今さらだけど」
『タイチ。そんなことより……』
「わかってるって。セオ! 作戦内容を聞かせてくれ!」
タイチがセオドリックを立たせる。
それから二人はテーブルに向かい合うよう座り、作戦の打ち合わせを始めた。
◯
そして三日後の深夜。ハロルド・ウィンゲート暗殺作戦決行日。
タイチは護衛部隊と共にハロルド・ウィンゲートの自宅、その敷地内である広大な庭に忍び込んでいた。
「……おかしいな。警備がほとんどいない。タイチ。ここから魂の感知はできるか?」
木々の影に隠れた護衛部隊の隊長であるフレデリックが、同じく背後に隠れているタイチに確認する。
「んー、少なくともここから五十メートル以内でオレら以外に隠れているような人間はいないけど……」
「いないけど、なんだ?」
「いや、ここから家までがどう見ても五十メートル以上離れてるからさ、なんとも言えねぇよ。もしいるとしたら家の中だろ。ここまで来ていないんだから。つーか庭広すぎ、家デカすぎ」
「まあ、敷地が七エーカー以上あるという話だからな」
「七エーカーって……確か一エーカーで約1200坪だっけ。そしたらえっと……うお、約8400坪以上かよ。尋常じゃねぇな。そりゃ広いわけだ」
「…………」
「んで? フレディ、これからどうするんだ?」
「……どうするとは言っても、他に障害物がない以上、ここを突っ切って行くしかないんだがな」
「まーそうだよな。でもさぁ、これ完全に罠っぽくね?」
「ターゲットが今日ここにいることは間違いないが、それはそれとして、まあ……罠だろうな」
「やっぱし? んじゃあの豪邸に侵入した途端に、わんさか敵が群がってくるとか?」
「かもしれない」
「マジかぁ……」
「北方面から侵入している俺たち実動部隊がタイチを除いて十名。そして西方面、南方面、東方面に陽動部隊がそれぞれ十名ずつで、合計四十名。これが俺たちの全戦力だからな。みな精鋭ではあるが、これらの数を大幅に上回る物量で押された場合は全滅もありえる」
「建物の中に入っちまえばオレは無敵に近いんだけど、そこまでがなぁ……」
「無敵って……オイオイ、いくらタイチでも建物ごと爆破されたら生き残れないだろ?」
「あぁ、そういや前にそーゆーのもあったなぁ任務で。ははっ、マジであん時は死ぬかと思ったぜ」
「そうだな。俺も死ぬかと思った」
「おう。でも生きてる。オレも、お前もな」
「……そうだな」
「ま、どっちにしろ行くしかないんだったら、慎重かつ大胆に、んでもって明るく行こうぜ、フレディ。心配すんな。大丈夫だって。今回だって上手くいくさ」
「ハハ……不思議だな。タイチがそう言うと、こんな状況でも本当に生き残れそうな気がしてくる」
「フレディ、『気がする』だけじゃダメだぜ。『生き残る』んだよ、オレたちは」
「……十年前まであんなにひ弱で頼りなかった男が、今じゃ一番頼りになるなんてな。昔は思いもしなかったぜ。俺たちはお前の護衛部隊なのに、これじゃどっちが守られてるんだか」
「フレディ」
「わかってる。……西、南、東方面からそれぞれB班、C班、D班を先行させる。俺たちA班はそのあと様子を見つつ、問題がなければタイチを護衛しつつ目標自宅に突入。良いか、タイチ」
「おう」
タイチが返事をすると、フレデリックは無線機を使い全部隊に向かって先程と同じ内容の指示を飛ばした。




