036「組織」
結婚式から三日後。
タイチとマリアは新婚旅行でタヒチ島へと来ていた。
そしてタヒチ島旅行、初日の夜。
ホテルの部屋にて。
『まったく……いくらめでたいとはいえ、ここ最近のキミは酒を飲んでばかりだな。少しは控えてほしいものだが』
「酔うまで飲んでないからいいじゃんか」
『キミの判断能力には普段から危なっかしいところがあるからな。少しのアルコールでも不安になるんだ』
「ははっ、相変わらず信用がないなぁ。でもさ、今までオレ『上手くやるさ』って言って結局は上手くやってきたじゃん? もうそろそろ信用してくれてもいいんじゃねぇの?」
『確かにキミの危険に対する『綱渡り』の上手さは神がかっているが、それとこれとは話が別だ。俺としてはキミ自身がもうそろそろ大きなヘマをやらかさないか、心配で仕方がない』
「ホント、フェイスは相変わらずだなぁ……」
そんな風にタイチと話している途中で、部屋のインターホンが鳴った。
タイチが部屋のドアを開けると、そこには白いシルクのパジャマを着たマリアが立っていた。
「どうしたマリア? 眠れないのか?」
「眠れないというか……話したいことがあって」
タイチは部屋に入れたマリアをベッドに座らせ、自分は近くにあるイスへと座った。
タイチいわく、『近くに座ると押し倒したくなる』とのことで、隣には決して座らないらしい。
「話したいこと?」
「はい。あの……その……」
「…………」
「お義母様が話していたことなのですが……」
「言いづらいことなら言わなくてもいいんだぜ? オレもあんまし聞きたくない……」
「子供のことです! 聞いてください!」
「お、おう……」
「……私、子供がほしいです」
「……そうか。じゃあ養子縁組しなきゃな」
「茶化さないでください! タイチとの子供がほしいんです!」
「いや、今のはマジで言ったんだけど……」
「……なんで、そんなこと言うんですか?」
「なんでって……そりゃオレこんな体質だし」
「普通の人と同じように夜の営みができないというだけで、それ以外は特に問題ないでしょう? それなら子供を作るのは可能なはずです」
「そりゃ可能か不可能かで言えばそうだろうけどさ……そういう問題じゃ……」
「オッケーですね。わかりました。方法はどうしましょうか。なるべく人工授精は最後の手段にしたいのですが」
「えっ、ちょ……マリアさん……?」
『……どうやらここから先は俺が聞いていい内容ではなさそうだ。おやすみ、タイチ』
「あ、おい、フェイス!?」
俺は逃げた。
◯
新婚旅行を終えてから一週間後。
絶え間ない説得に折れたタイチはとうとうマリアと子供を作ることに同意し、セオドリックの元へと報告に向かった。
「おめでとうタイチ。正直なところ、今キミに抜けられるのは厳しいものがあるんだけど……実はマリア博士とタイチが結婚すると決まった時から、キミの引退準備は進めてたんだ。だから後のことは気にしないでいいよ」
「本当に大丈夫なのかよ? 今年が一番大事な年だって、セオ言ってただろ?」
「大丈夫だよ。それとも、ダメだと言ったら暗殺者を続けてくれるのかい?」
「いや……」
「だろう?」
「……わりぃな、セオ。最後まで付き合うって言っといて、こんな中途半端なところで辞めちまって」
「守るべき家族ができたんだ。当然だよ」
「そういや、セオには……」
「家族かい? 今はいないよ。昔はいたんだけどね。妻も、子供も。……旅行中に、爆破テロで殺されたんだ」
「……わるい」
「いいよ。随分と昔の話だからさ。それにしても珍しいね。タイチが私にプライベートな話を聞くなんて」
「そうだな……これで最後だと思って、気が抜けてるのかもな。ぶっちゃけ今まではいつ後ろから刺されるかどうかって警戒してた」
「ハハハ、ひどいな。タイチは私をそんな風に見ていたのか」
「そりゃオレは後ろ暗い立場の人間だからな。いつ誰に殺されてもおかしくないとは思ってるぜ」
「タイチ」
セオドリックはタイチの目を真剣な顔つきで見つめながら、言った。
「何度も言うが、キミは英雄だ。決して後ろ暗い立場の人間なんかじゃない。いつ誰に殺されてもおかしくないなんて……そんなこと、冗談でも言わないでくれ」
「……ん、わかったよ、セオ」
「そうか。わかってくれたならいいんだ。さぁ、行こうか」
「は? 行こうかって……どこに?」
「決まっているじゃないか。キミの引退パーティーだよ。今日キミがここに来るって一昨日マリア博士から聞いて、急ピッチで準備したんだよ。私たち組織の人間が外で集まるのは危険だから、パーティー会場はこの地下施設内の一室ではあるが」
「は……はぁ!? 引退パーティ!? 大事な今の時期に、んなことやってる余裕あんのかよ!?」
「何を言ってるんだタイチ。キミの引退パーティだってとても大事なイベントだよ。それにキミの結婚式には組織の人間のほとんどが行けなかったんだ。だから今回のパーティーはキミとマリア博士の結婚祝いも兼ねている。やらないわけにはいかないだろう。やらなきゃ組織内で暴動が起こる」
「嘘だろ!?」
「本当だとも。……うん? 部下からの連絡だ。ちょっと待ってくれタイチ」
セオドリックはそう言って懐から携帯を取り出し、電話に出た。
「……なんだと!? バカな!? 確認はしたのか! タイチは……ああ、ここにいる!」
「お、おいセオ!?」
「一刻も早く手配しろ! 私も今すぐ現場に向かう!」
「おい! 説明しろよセオ! 緊急事態なのか!?」
険しい顔つきで通話を切ったセオドリックに対し、慌てて問い詰めるタイチ。
「ああ、大変なことになった。すまないが、タイチはここでしばらく待機していてくれないか。準備ができ次第、声を掛けさせてもらう」
「わかった。緊急事態なら仕方ねぇ。でもよ、何があったのかぐらいは教えてくれよ」
「……それが」
セオは歯を食いしばり、悔しげな表情でうつむいて、言った。
「肉が、足りないことが発覚したんだ」
「…………………………はい?」
「だから、パーティーでみんなが食べる肉だよ! 七面鳥の丸焼きだ! 骨付きモモ肉をひとり一本用意できるよう手配したはずなのに、食堂のおばちゃんたちの分がカウントされていなかったらしい……クソっ! なんて不手際だ!」
「………………………………」
「よりによって肉が足りないなんて……肉がなければ何も始まらないじゃないか!」
セオドリックは頭を抱えながら再度タイチにしばらく待機するよう言って、部屋から出て行った。
「……なんか、セオのクールで黒幕っぽいイメージが今ので、『肉に異常なこだわりを見せる変なオッサン』に更新されたんだけど……オレを油断させるための罠かな? だとしたらスゲェ効果的なんだけど」
『現実から目を背けるな。どう見ても今さっきの『肉がなければ何も始まらない』という言葉は、彼の魂の叫びだった。ということはセオドリックはキミが言う通り、肉に異常なこだわりがあるのだろう』
「そっか……まあ、うん……罠じゃなくて、よかったぜ」
『良いことばかりじゃないぞ。悪いニュースもある』
「悪いニュース?」
『……セオドリックは、ひとつ嘘をついた』
「嘘? どういうことだよ。今、罠じゃないって……」
『今さっき話した肉うんぬんの部分は本当だ。罠じゃない。そもそも、嘘と言っても悪意のある嘘じゃない』
「悪意のある嘘じゃない? ってことは、善意の嘘ってことかよ。じゃあなんで悪いニュースなんだ? 善意の嘘だったら別に悪くなくね?」
『今回の場合は善意の嘘だからこそ、悪いニュースなんだ』
「わっかんねぇな。どこがどう悪いのか、ハッキリ言ってくれよ」
『わかった。では先ほどの話だが……キミはセオドリックに、『今オレが暗殺者を辞めても大丈夫なのか?』というようなことを聞いただろう。それに対して、セオドリックは『大丈夫だよ』と答えた』
「……まさか、それが嘘なのか?」
『ああ。だが、その嘘には悪意は感じられなかった。感じられたのは純粋な善意だ。おそらくキミに心配を掛けまいと嘘をついたのだろう』
「そうか……じゃあ、マジでパーティーなんてやってる場合じゃねぇんだな、ホントは」
『そうだな。だが、タイチの引退パーティーをやらないと暴動が起きるというのは本当のようだから、やらざるを得ないのだろう』
「そこは嘘じゃねぇのかよ……」
『嘘じゃない。……ふむ、いざという時は海外逃亡できるよう、準備しておいた方が良いかもしれないな』
「海外逃亡?」
『そうだ。組織は今までキミを使い慎重に暗殺計画を進めてきたが、それでもこれまで世界に与えてきた影響は絶大だ。これだけ動けばいくらアメリカ政府の暗部とはいえ、もうそろそろ周囲を固められていてもおかしくはない。最悪の場合、アメリカ政府そのものがこの組織を『消す』だろう』
「そんな……」
『ともかく、準備はしておくことだ。セオドリックの様子を見る限りでは今すぐどうにかなってしまうほど切羽詰っているわけではないようだし、彼の言う通り本当に『大丈夫』になる可能性もある。ただ最悪の場合は想定しておいた方が良い』
「……組織を見捨てて逃げる準備をしろってのかよ」
『ああ。そうだ』
「はぁ……フェイス、つまんねぇこと言うんじゃねぇよ」
『タイチ……』
「いいか、フェイス。組織がアメリカ政府自体に『消される』なんてことは、絶対にありえねぇ」
『なぜそう言い切れる?』
「つまんねぇからだよ、そんな結末は」
『……世界は、キミが感じる『面白さ』を基準に動いてはくれない』
「いや、動くね。動かなかったらオレがこの手で動かす。だからどっちにしろ大丈夫だ」
『…………』
「おい、フェイス?」
『……眠くなってきた。俺は寝る』
「なんだよ、もうそんな時間か」
『ああ。……おやすみ、タイチ』
「おう、おやすみフェイス」
俺はタイチに寝る前の挨拶をしてから、意識を深い闇の中へと没入させていった。




