035「結婚」
タイチがアメリカに戻ってから一週間後の夜。
飲酒の気配を感じて目を覚ますと、タイチはマリアと高級ホテルのレストランで食事をしているところだった。
テーブルは窓際で、視界の端にはマンハッタンの美しい夜景が見える。
「綺麗ですね……」
「そうだな」
「それに懐かしいです。ここ、私とタイチが初めてデートしたところですよね?」
「あ、覚えてた?」
「覚えてますよ。タイチが『美味しいところ見つけたんだ』って言うから、どんなところかと思ったらこんな高級ホテルのレストランで……すっごく緊張したんですから」
「ははっ、でも今じゃぜんぜん緊張してないよな」
「タイチに連れ回されて慣れました」
「まあ、慣れるよな。色んなとこ行ったもんな二人で」
「そうですね。……もう、初めて会ってから十一年も経つんですね」
「当時は十八歳と十九歳か。若かったなぁ、あの頃は」
「フフ、今だって若いですよ」
「そりゃそうだけどさ。……って、オッチャンにも同じこと言われたな」
タイチとマリアは他愛のない話をしながら食事を終え、食後にも各種カクテルを楽しみながら会話を続けた。
「……それでさ、『オレは一生結婚できないかも』って言ったら、母親が泣いちゃってさ」
「…………」
「そん時は完全に『言うんじゃなかった』って思ったけど、でもしょうがないよな、半端に望みを持たせるよりは……」
「……タイチ」
「ん?」
「私じゃ……ダメですか?」
「……え?」
「た、タイチが結婚自体に乗り気じゃないというのは重々承知の上なのですが……」
白のドレスを着たマリアが、顔を赤くしながら言葉を続ける。
「日本では結婚をしていないと一人前に見られないと聞きますし、お母様を安心させるという意味でも……」
「……ごめん」
「ぁ……そ、そうですよね、わ、私なんかじゃ、タイチとは釣り合わないですよね……」
「いや……」
「ご、ごめんなさい、忘れてください……あ……私、ちょっとお化粧直しを……」
「待ってくれ!」
涙目になって席を立ったマリアを、同じく席を立ったタイチが呼び止める。
「そうじゃない。そうじゃないんだ」
「え……」
「……ごめん、頭の中が真っ白で……この期に及んでまだオレ、逃げようとしてた」
「ど、どういうことですか……?」
「マリア。さっきまでのやりとりは無しだ。やり直させてくれ」
タイチはその場に膝をつくと、懐から小さな箱を取り出してその蓋を開けた。
中には大粒のダイヤがついた指輪が収められている。
「マリア。キミが好きだ。たとえオレの呪いが一生解けなくても、オレは、キミを他の誰にも渡したくない。ずっと側にいて欲しい」
「…………っ」
「結婚してください」
「…………はいっ!」
マリアが涙を流しながら返事をすると、周りのテーブルで様子を伺っていた人々から拍手が巻き起こった。
レストランの従業員や客、その場にいる全員がタイチとマリアを祝福していた。
『おめでとう、タイチ』
「フェイス、起きてたのか」
嬉し涙でグチャグチャになった化粧をマリアが直しに行ったと同時に、俺はタイチに話しかけた。
『結婚か。これから忙しくなるな』
「ああ。……フェイス」
『なんだ?』
「ありがとう」
『俺は何もしていないぞ?』
「ははっ、そういうことじゃないって」
『そうか。ふむ……それにしても、ここではタイチのひとりごとが目立つな。俺はしばらく黙るぞ』
「あれ? 寝るんじゃないのか?」
『さすがの俺もこの状況下でさっさと寝てしまうほど無粋ではない。もちろん、キミが俺に寝てて欲しいと言うのであれば別だが』
「起きててくれよフェイス。お前はオレの半身みたいなもんなんだ。お前が起きてないとなんだか物足りないぜ」
『……キミならそう言うと思ったよ』
「あたりまえだろ。じゃ、またあとでな」
『ああ』
それから俺はタイチとマリアがホテルの部屋に入るまで黙り、多少の雑談をしたあと、二人が良い雰囲気になったところですみやかに意識をフェードアウトさせた。
◯
タイチがマリアにプロポーズをしてから、三ヶ月後。
タイチとマリアは日本のとある神社にて結婚式を挙げていた。
新郎新婦それぞれが和装をする、神前式という日本ならではの挙式だ。
式を挙げ終わったあとは近くのホテルへと移動し、タイチはタキシード、マリアはウェディングドレスに着替えて盛大な披露宴をおこなった。
そして披露宴が進行し、自由に席を立っても良い時間になってから数十分後。
「おー、タイチ。飲んでるか?」
「……父さん」
黒のモーニングコートを着たタイチの父君がやってきた。
俺は今回初めて見たのだが、タイチの父君は白髪まじりの短髪をオールバックにした渋い伊達男だった。
若い頃はさぞ美男子であっただろうことが窺える容貌だ。
「おいおい、どうした我が息子よ。しみったれた顔して」
「……酒くさいんだよ。飲みすぎだろ父さん」
「バッカ、お前が飲まなさすぎなんだよ。なんだぁ? もうさっそく尻に敷かれてるのか?」
「そんなんじゃないっての」
「だったら飲めよ。おら」
「ちょ……こぼれるこぼれる!」
「こぼれた先から飲むんだよ」
「ムチャ言うなよ!」
「あ、タイチ、これ仙台のお土産な。忘れそうだから今渡しておくわ」
「このタイミングで!?」
「おう。ちなみにそん中には現金も入ってるから、忘れず持って帰れよ」
「え……」
タイチは父君から渡された白い袋の中に手を伸ばし、固まった。
「……うわ、ホントだ。一千万はあるじゃん。祝儀はもう貰ってるのに……なんで?」
「おお、よくそんなすぐ一千万ってわかったな」
「そりゃ札束は見慣れてるから」
「はははっ、言うねぇ、じゃあその金もいらないか?」
「ああ、うん」
「おいおい、冗談だって。やるよ。いくら銀行マンだって、こんな豪勢な披露宴やったら懐も寂しいだろ?」
「いやオレ銀行マンじゃねぇし! 息子の職業もまともに覚えてねぇのかよ!」
「んんー? 違ったか? まあいいや。そんなに興味もねぇから」
「うわぁ……酔っ払ってるとはいえマジで最低だな……父親のセリフとは思えねぇよ」
「おう。俺は最低だ。今まで父親らしいこともしてこなかったしな。でもなぁ、これでもお前のことは大事に思ってるつもりなんだぜ。俺なりにな。だからまぁ、その金はせめてもの気持ちってやつだ」
「いや……気持ちはありがたいんだけど、オレ、金には正直ぜんぜん困ってないんだけど」
「またまたー、強がるなって。素直に受け取っておけ」
そう言いながら父君はタイチの肩に手を乗せた。
「ちょ、触んなって!」
「ああ? なんでだよ?」
「いいから! 触んなってば!」
「ほほう……嫌と言われるとやりたくなるんだなぁー俺ってば昔っから……ハイ、タッチぃ! タイチにタッチぃ! あそれタッチぃ……おぉ……?」
連続でタイチに触れた父君はグラリと体勢を崩し、その場に倒れ込んだ。
「父さん!?」
『酒が入ってる時は多少精気を吸い取っただけでも意識を失いやすいからな。心配するな。俺の経験上、今程度のエナジードレインだったら命に別状はない』
「そうか……じゃあほっとくか。ちょうどテーブルのクロスで隠れてるし」
『いいのか?』
「いーよ別に」
ため息をつきながらシャンパンを飲むタイチの元に母君がやってきた。
「あら……この人なんでこんなところで寝てるの?」
「ああ、なんか……飲み過ぎたみたい」
「……ハァ、なにをやってるのかしらこの人は」
タイチの母君は足元に寝転がっている父君を足でテーブルの下に押し込んだ。
テーブルは長方形で地面すれすれまでテーブルクロスで覆われているため、おそらくこれで父君が他の人間に見つかることはないだろう。
「まあしょうがないよ。父さんだから」
「そうね……それにしても……」
「ん?」
「タイチ……こんなに立派になって……」
「またその話かよ……」
「だって、あなたが結婚できるとは思ってなかったから……」
「泣かないでくれよ……これで何回目だよ、母さん泣きすぎ」
「でも私……嬉しくって……」
「ああ……うん……心配させて悪かったよ」
「良いのよ、ちゃんと結婚してくれたから。……マリアさんは、今どこにいるの?」
「今はちょっと会場出て、友達たちと写真撮ってるっぽい」
「そう……ねぇタイチ、あなたって潔癖症なの?」
「えぇ? なんだよいきなり?」
「だって高校生ぐらいの時からずっと、体に触れられるの嫌がってるじゃない」
「あー……気づいてた?」
「あたりまえでしょ。母親だもの。気づくわよ」
「そっか。……まあそれにはちょっとした事情があってさ。でも別に潔癖症ってわけじゃないよ」
「そうなの。じゃあ安心したわ」
「へ? 何が?」
「子供よ、子供」
「…………はい?」
「何とぼけてるの。結婚したら、次は子供でしょ? 早く孫の顔を見せてちょうだいね?」
「いや、それは……」
「タイチー!」
マリアがタイチの元へと、ドレスの裾を持ち上げながら小走りで寄ってくる。
「あ、お義母様!」
「あら、ちょうど良かったわマリアさん。今ね、タイチに『早く孫の顔を見せて』って催促していたところなの」
「ちょ、母さん!?」
「なに?」
「なに、って……直球過ぎるだろ」
「いいじゃないの。マリアさんも別に、子供が嫌いってわけじゃないわよね?」
「あ、はい、もちろんです! 子供は大好きです!」
「だそうよ、タイチ?」
「プレッシャーがすげぇ……」
「……私は、旦那様に従います」
マリアが頬を赤く染めながら、上目遣いでタイチを見る。
「あら……旦那様だなんて、マリアさんは本当に日本語が上手ね。子供が生まれたら日本に住んだらどうかしら?」
「ありがとうございます、お義母様」
「おいおいおい……勝手に話を進めるなよ……」
情けない声を出すタイチを見ながら、母君とマリアが笑い合う。
そして自由時間が終わったあとも、タイチとマリアの披露宴は滞りなく進行していった。