033「本心」
タイチが高橋と居酒屋で飲んでいた、次の日。
午後十八時頃、タイチは黒塗りの高級車に乗って国道一号線を移動していた。
タイチは昨日あのあと元カノである藤村沙希に電話した結果、なんと『直接会って話がしたい』と言われたらしい。
俺としてはリスクが高すぎるからやめた方が良いと忠告したのだが、タイチがそれを聞くはずもなく、今こうして藤村沙希との待ち合わせ場所へと向かっているというわけだ。
『タイチ。くれぐれも気をつけるんだぞ』
「大丈夫だって。ただ話すだけだし」
そんな会話をしながら、タイチはウッドデッキのテラスがある喫茶店へと到着した。
藤村沙希との待ち合わせ場所である。
「随分とシャレた店だなぁ……その割には客がひとりもいないけど……なにこれ、貸切にでもしてんの?」
「久しぶりの再会で、第一声がそれ?」
テラスの中心にあるテーブルで本を読みながら待っていた女性が顔を上げる。
今年でタイチと同じく三十歳になったという藤村沙希は、肩まで伸びた艶やかな黒髪と、涼しげな目元が印象的な美女だった。
「まあ、なんか気になってさ。っつーか緊張してんだよ、久しぶりで」
「全然そんな風に見えないけど……それより、タイチ?」
「ん?」
「その、後ろに立っている方々は?」
「うちの会社の秘書と、社員たち」
「へぇ、会社経営してるの?」
「まあ、一応な。カモフラージュみたいなもんだけど」
「そうなんだ」
「ああ」
「…………」
「…………」
「……レジーナ、これ、預かってくれ」
「はい?」
「んでもってちょっと離れててくれ。そうだな……テラスの端っこぐらいまで。そこらへんのイスに座ってていいから」
「社長、それは……」
「レジーナ。……頼むよ」
「…………かしこまりました」
レジーナはタイチから携帯を受け取ると、黒服たちを連れてテラスの端まで移動した。
「なんで秘書さんに携帯を預けたの?」
「ん……あれには盗聴器が仕掛けられてるからな」
「……それを知ってて持ってたの?」
「まあな。色々と事情があってさ」
「そうなんだ」
「ああ」
「…………」
「…………」
「……ここのお店ね、今日は定休日なの。マスターが知り合いだから特別にテラスを使わせてもらってるけど、休みだからお茶とかは頼めないわ」
「そっか」
「普通にやってる喫茶店とかにした方がよかった?」
「いや、別にお茶とかいらないし、オレとしては人がいない方が都合いいからな」
「そう。だと思った」
「……サキ、昔と変わったな」
「そう?」
「ああ。なんつーか、昔はちょっと小動物っぽい感じだったのが、今はこう……なんつーの? オーラがあるっていうか、迫力があるっていうか」
「そうね。あれから色々とあったっていうのもあるけど……なによりあなたの前では昔から猫かぶってたから、余計変わったように見えるのかもね」
「え? アレで猫かぶってたの?」
「……それ、どういう意味?」
「い、いや……なんでもねぇ……」
「…………」
「…………」
「……あなたも変わったわね、タイチ」
「そうか?」
「うん。昔よりも落ち着いてるし……大人に見える」
「ははっ、そりゃ大人だからな、一応。世間一般的には」
「そうね。スーツも似合ってるわよ。腕時計もかっこいいし。それ、すごく高いでしょ?」
「ああ……まあ、そこそこな」
タイチは小さく笑いながらそう言った。
そこそこ、か。
確かタイチが今している時計は、それだけで三千万ドル以上の値段だったと思うが……いやはや、タイチもすっかり富裕者になったものだ。
「タイチは今、彼女とかいるの?」
「ん……いるよ」
「ふぅん……」
「サキは? 彼氏いんの?」
「いるわよ。外科医の彼氏。この間プロポーズもされたわ」
「おぉ……おめでとう。さすがサキだな。やるじゃん」
「でしょう? しかも病院をいくつも経営してる院長の息子だから、将来も安泰よ」
「スゲェな……」
「タイチは? 今の彼女と結婚とか、考えてないの?」
「はは……考えてるわけないじゃん。オレの体質のこと知ってるだろ?」
「別に触ったら即死亡とか、そんな物騒な体質じゃないんだから結婚ぐらいしようと思えばできるでしょう?」
「そりゃ、やろうと思えば結婚自体はできるかもだけどさ……相手が嫌だろ。近くにいるだけで危ねぇし、オレは大量殺人犯だし」
「私は気にしないわよ?」
「……は?」
「私、今でもまだあなたのこと好きだから。タイチ、私と結婚しない?」
「いやいやいや……なに言ってんだよ。サキ、彼氏いるんだろ?」
「別れるわ。だからタイチも今の彼女と別れて」
「……冗談だろ?」
「冗談じゃないわ。ダメなの?」
「いや、普通にダメだろ」
「じゃあ結婚しなくてもいいから私と付き合って。今の彼女と別れなくてもいいから」
「ダメだ」
「なんで?」
「……今の彼女は、裏切れない」
「私の時は裏切ったのに?」
「裏切ってなんか……」
「あんな一方的な別れ方、裏切ったも同然でしょ」
「…………ごめん」
「いいわよ、別に。謝ったから許してあげる。……あーあ、今タイチすっごくお金持ちになってるみたいだから、結婚したら楽な生活できると思ったのになー」
「はは……悪いな、楽させてやれなくて。ああいや、別に金ぐらいだったらいくらでもやれるんだけどな」
「へぇ、言ったわね? じゃあ三億円ぐらい貰っておこうかしら」
「いいぜ」
タイチがそう言って指を鳴らすと、離れていたレジーナが近寄ってきた。
「お呼びでしょうか」
「レジーナ。車から三億取ってきて」
「……かしこまりました」
うやうやしく頭を下げたレジーナは後ろに下がると、数分後、黒服たちと一緒に三つのジュラルミンケースを持ってきた。
レジーナと黒服たちはそれら銀色のケースをそれぞれ両手で持ちながら開き、中身をこちらに見せる。
ケースの中では札束が綺麗に整列して並んでいた。
「ひとつのケースにつき一億円入っています」
「ありがと。んじゃそれ隣のテーブル置いといて」
「はい」
そんなやりとりを唖然とした顔で見ていた藤村沙希は、隣のテーブルに目を釘付けにされながら口を開いた。
「……すごいわね。あなた、いつもこんな大金を持ち歩いてるの?」
「いや、今日は特別だな。こんなこともあろうかと準備しておいた」
「最初からくれるつもりだったんだ?」
「まあ……今のオレにできることなんて、これぐらいだからな」
「ふぅん……相変わらず、優しいのね」
「……そうか?」
「優しいわよ。でも……これじゃ足りないわね」
藤村沙希は不敵に笑って、足を組み直した。
「そうね……あなたには随分と泣かされたから、あと三十億ぐらいは貰えるかしら?」
「三十億?」
「ダメ?」
「いや、いいぜ。レジーナ、小切手を」
レジーナから小切手を受け取ったタイチは、それにペンを走らせて藤村沙希に渡した。
「……桁がひとつ多いけど」
「それ以上にまだまだ金はあるし、どうせ使い切らないからな」
「三百億渡してもまだまだあるって……とんでもないわね」
「相棒が優秀だからな」
「そう。……ねぇ、タイチ」
「ん?」
「今の彼女とは、結婚したくないの?」
「いや……だから、したいとか、したくないとかの問題じゃ……」
「どっちかで答えて」
「……この体質がどうにかできたら、結婚したいと思ってる」
「別に、今すぐすれば良いじゃない」
「簡単に言ってくれるよな……」
「簡単なことだもの」
「…………」
「…………」
「……オレには、簡単なことじゃないんだよ」
タイチはそう言って席を立つと、藤村沙希に背を向けた。
「また逃げるの?」
「……なに?」
「また逃げるのかって、言ってるの」
「オレが、いつ逃げたんだよ」
「逃げたじゃない。十二年前も」
「……人の気も知らないで、言ってくれるよな」
「知らないわよ。あなたは本心を隠すのが上手いから、言われないとわからないわ」
「…………」
「ねぇ、タイチ。今の彼女のこと……本気で好きなんでしょ?」
「……ああ」
「だったら逃げないで、向き合ってあげて」
藤村沙希はそう言いながら席を立ち、タイチのネクタイを掴み上げた。
「なにを……」
「黙って」
そして藤村沙希はネクタイを引っ張りながら、タイチに一瞬だけ、ついばむようなキスをした。
「な……」
「なんだ、別に一瞬だけなら何ともないじゃない」
藤村沙希は楽しげにそう言って、タイチの横を通り過ぎて行った。
「お、おい!?」
「……ああ、そうそう、さっき話した外科医の彼氏、アレ嘘だから」
「は……?」
「ホントは誰とも付き合わないでタイチのこと待ってたのに、タイチはもう彼女がいるって言うから、対抗して嘘ついちゃった」
「なんだよ……それ」
「……なんてね。この私が、今まで誰とも付き合わなかったわけないじゃない。冗談よ」
「いや、どっちだよ……」
「フフ、どっちでしょう?」
「あっ……おい、待てよ。これ、持ってけよ」
タイチはテーブルの上に置かれた小切手を手に取り、声を上げた。
「いらないわ。私、お金には困ってないの」
「困ってないって……そういや、サキって今なにやってんの? カズヤが同窓会で『驚いた』って言ってたけど」
「ああ、ずっとアメリカにいたんじゃ知らないわよね」
藤村沙希はカバンから黒いハット帽とサングラスを取り出し、それらを身に付けながら言った。
「私ね、今は女優やってるの。……これでも、『そこそこ』有名なのよ?」
「……マジで?」
「ええ」
藤村沙希は短く答えると、「じゃあね、タイチ。バイバイ」と手を振りながらその場を去っていった。




