031「実家」
組織で健康診断を受けた次の日。
昼過ぎに日本へと着いたタイチは、さっそく実家へと顔を出していた。
「ただいま、母さん」
「お帰りなさい」
久しぶりに会ったタイチの母君は昔よりも大分シワが増えて、明らかに老け込んでいた。
「あれ……なんか……」
「どうしたの?」
「いや……家がぜんぜん昔と変わってないような気がするんだけど……」
タイチは家の中を見回しながら訝しげな顔をした。
「そう?」
「そうだよ。オレが送ったお金使ってないの?」
「使ってないわよ」
「え……なんで?」
「そんなに使うことないもの。もともとお金に困ってるわけでもないし、貯金してるわ」
「えぇー……使ってよ。使ってもらうために送ったんだけど……」
「でも……個人投資家っていうのは不安定な仕事なんでしょう? もしもあなたが一文無しになった時、再起するためのお金が必要だと思って」
「母さん……」
そのあとはしばらく押し問答が続いたが、母君は結局タイチが送ったお金を使うつもりはないようだった。
「そういや、父さんは? 相変わらず家にはほとんど帰らない感じ?」
「あの人とは、あなたが二十歳になった時に離婚してるわよ?」
「え……えぇ!? 聞いてないけど!?」
「私も色々と思うところがあってね。直接会ってから話そうと思ってたのよ。……まさか、家を出てから十二年間も帰って来ないとは思わなかったけど」
「はは……ごめん」
「そんなことより、最近どうなの?」
「どうって?」
「あなたもう三十路よ。今いる彼女との結婚とか、ちゃんと考えてるの?」
「いやいや、それよりまず先に今現在オレに彼女がいるかどうか聞こうよ。オレ彼女がいるなんて話したことないじゃん」
「いないの?」
「……いるけどさ」
「でしょう? あの人の子なんだから、そこは心配してないわ。高校生の時だって、あなたは隠してたけど知ってたわよ私。彼女がいたこと」
「え……なんで知ってんの?」
「母親の勘ね。それで、どうなの? 結婚とか、ちゃんと考えてるの?」
「いや……考えてないけど……」
「タイチ……今は晩婚化が進んでるって言うけど、それでもやっぱり適齢期に結婚するに越したことはないのよ? 男だからって気楽に考えてるのかもしれないけど、あなただってもういい年なんだから、真剣に将来のこと考えないと……」
「あー……まあ……うん……」
「相手の女の子はどんな子なの? 歳は? 今どれぐらいの期間付き合ってるの?」
「ちょ……勘弁してよ……」
「なに言ってるの。真剣な話をしているのよ私は」
「……歳は二十九。知り合ってからは十一年経ってるけど、ちゃんと付き合い始めたのは二年ぐらい前から。純粋で純朴ないい子だよ。もう『いい子』っていう年齢じゃないけど」
「あら、いいじゃない年も近くて。お国はどちら? 何かお仕事はしてるの?」
「国はアメリカだよ。ロシア系アメリカ人。仕事は……研究者だな」
「研究者! すごいじゃない。彼女、頭が良いのね」
「ああ、頭はすげぇ良いよ。学校を飛び級しまくってどこだかの大学を十六歳で卒業して、十七歳で国の研究機関にスカウトされたらしいから。天才だね。普段はメッチャ普通の人だけど」
「公務員なの? 安泰じゃない! 研究はどんな研究をしているの?」
「もともとは人体構造の研究専門で、今は……いや、今も人体構造専門か」
「へぇ、そうなの……ねぇ、彼女とはどこで出会ったの? 馴れ初めは?」
「いやそーゆーのはホントに勘弁して。プライバシーの侵害だよ」
「結婚したら馴れ初めのエピソードも流すでしょう? だったら今聞いてもいいじゃない」
「いや、だからまだそういうのは考えてないから」
「ダメよ考えないと! それとも何か彼女に不満でもあるの?」
「そういうわけじゃないけど……」
グイグイくる母君にタイチはシドロモドロ、といった感じだ。
……ふむ、タイチが母君に触れられそうな要素もないし、どうやら俺は寝てても大丈夫そうだな。
寝よう。
◯
次の日の朝。
俺はタイチに異変を感じて目を覚ました。
「ったく、しつこいなぁ……だから、ちゃんと考えるって言ってるじゃんか」
「嘘よ。全然そんなつもりないでしょ」
「嘘じゃないって。なんで決めつけんの?」
「言葉が軽いから。話を終わらせようとしてその場しのぎで答えてるのが丸わかり。……ねぇ、理由は? なんでそんなに結婚したくないの?」
「結婚したくないとかじゃねぇって」
「じゃあなんで?」
「うるせぇな! もうオレは『いい年』で、『いい大人』なんだろ!? ほっといてくれよ! もう大人なんだから自分の人生ぐらい自分で決めるっての!」
「タイチ、あなたそれじゃ……」
「――オレに触んな!」
踵を返そうとしたタイチに母君が手を伸ばすが、その瞬間タイチは大声を上げた。
ビクリ、と母君の手が止まる。
「……ごめん」
「タイチ……」
「母さん……オレさ、多分、当分は結婚できないよ」
「…………当分って、どれぐらい?」
「わかんねぇ……もしかしたら、一生結婚できないかも……」
「…………」
「……母さん?」
「…………どうして、そんなこと言うの?」
伏せていた視線を上げながらそう言ったタイチの母君は、その目に涙を浮かべていた。
「な……泣くなよ……泣くほどのことじゃないだろ……」
「だって……タイチが一生結婚できないなんて言うから……」
「別に今の時代は珍しくもないじゃんか……」
「でも……」
本格的に泣き始める母君。
これは……別に俺が起きてる必要はなさそうだな。
寝てても大丈夫そうだ。
となれば、ここで寝ない手はない。
よし、寝よう。
そして俺は寝た。