002「現代」
目を覚ますと、そこは学校の教室だった。
「うおぁ!?」
「お、どーしたよタイチ。夢ん中で崖から落ちでもしたか?」
隣の席に座っているスポーツ刈りの学生がこちらに小声で話しかけてくる。
どうやら今回の宿主は『タイチ』というらしい。
しかも言葉が日本語。これは久々の当たりだ。
「いや……なんつーか、今オレ、夢の中で邪神になってた」
「ジャシン?」
「邪悪な神の『邪神』。人の体に乗り移ってさ、その乗り移った人間が死んだら世界が滅亡すんの」
「……お前、疲れてるんじゃねぇ? 勉強しすぎ?」
「うっせぇ。嫌味かよそれ」
「はは、まあな」
「おーい、高橋、佐藤、私語はやめろ。聞こえてるぞ」
教壇に立つ角刈りの先生が注意してくる。
「特に佐藤。お前、寝てたり喋ったりしてる余裕あるのか? ん?」
「うっ……」
「ここはどういう学校だ、佐藤。言ってみろ」
「…………」
「言ってみろ、佐藤太一」
「……進学校です」
「だよなぁ。まあ、百歩譲って寝てるのはいいよ。自分が困るだけだからな。だがな、授業中に楽しくお喋りされると皆が迷惑するんだよ。わかるか?」
「……はい」
「ちょうどいいや。佐藤、お前放課後は職員室に来い」
「はぁ!?」
「担任として話すことがある。帰るなよ。帰ったら家に連絡するぞ」
「……クッソ」
「なんか言ったか?」
「……なんでもないっす」
「そうか」
先生はそう言うと中断していた授業に戻った。
「はぁ……」
俺の宿主が大きくため息をつく。
その隣では先ほど高橋と呼ばれていたスポーツ刈りの学生が、両手を合わせて小さく「すまん」と呟いていた。
宿主は放課後職員室に呼び出されている。
ということは、まだ俺が声を掛けるべきタイミングではない。
経験上、人がいる場所で俺の存在を知らせるのは悪手だ。
もう少し様子を見ることにしよう。
◯
放課後、職員室にて。
「なぁ佐藤。俺もな、お前が元から出来ないヤツだったらこんなこと言わないんだよ」
「…………」
「一年の頃は学年でも成績トップクラスだったのに、二年になってからはお前、明らかに勉強に身が入ってないだろ」
「…………」
「彼女と遊ぶなとは言わないが、いい加減もうそろそろ本腰入れて勉強しないとお前……」
「……なんで彼女のこと知ってんすか。プライバシーの侵害っすよ、先生」
「お前なぁ、あちこちで言い触らしててプライバシーの侵害もなにもあるか。若いから自慢したくなるってのもわかるが、あんまり言い触らすのはやめとけ。お前、最近バカにされてるぞ」
「……は?」
「女にうつつを抜かして早くも脱落した間抜け。推薦の枠がひとつ空いてよかった……ってな」
「……っ!」
「悔しかったら勉強しろ。いいか? 今お前が頑張るか頑張らないかでお前の人生の七割、ヘタすりゃ八割、九割を後悔しながら過ごすんだ。『ああ、あの時もっと頑張ってれば』ってな。それで良いのか?」
「…………」
「良いのかって聞いてんだ」
「……良くないです」
「じゃあ頑張れ。ベストを尽くせ。一生後悔したくなかったらな」
「…………」
「返事は?」
「……はい」
「よし。もう帰っていいぞ。期末テスト、期待してるからな」
「…………」
宿主は何も言わず、先生に背を向けて職員室から出て行った。
◯
「クッソ!」
宿主が下駄箱を蹴りつける。
「あの先公ウザすぎだろ! マジでぶっ殺してぇ……!」
「まあまあ、そう怒んなって」
高橋が宿主の背中をポンポンと叩く。
「はー、ダメだ、怒りが収まらねぇ。おいカズヤ。ゲーセン行くぞゲーセン」
「あー……すまん」
高橋は両手を合わせて片目をつぶった。
「おれ今日は塾があるんだわ」
「……木曜は塾ないんじゃねぇの?」
「今月から木曜も入れてるんだ。ほら、最近授業の進み早いじゃん? ついてけなくってさぁ」
「…………」
「期末も近いし……すまん! また今度な!」
「……ああ」
宿主が小さく手を振ると、高橋はそのまま逃げるように校舎から出て行った。
◯
「クッソ……どいつもこいつも……」
宿主が帰り道にある電柱を蹴りつけながら悪態をつく。
「はぁ……変な夢も見るし、ヤバいな、ストレスマッハだわオレ……」
『残念ながら夢ではない』
「っ!?」
『ストレスマッハなところ悪いが、キミが邪神になったのは本当だ。今の時点では邪神に取り憑かれた、というのが正確かもしれないが』
「な、なんだ!? 声が……ハッ!?」
宿主は近くの塀の上にいた黒猫を見ながら言った。
「お前……なのか?」
『違うぞ』
「こ、こいつ直接脳内に……!」
『いや、脳内は合ってるが俺は黒猫ではない』
「じゃ、じゃあどこだよ!?」
『さぁ……強いて言うならやはり、キミの脳内になるか。その辺りは俺にもよくわからんが、しかし俺の声がキミにしか聞こえないのは確かだ』
「脳内って……ヤバいな、本格的にストレスがマッハだわオレ。こんなハッキリ幻聴まで聞こえるなんて……」
『幻聴じゃないぞ』
「こりゃ今すぐ病院行かないとマズいな。脳に腫瘍とかできてるかも」
『脳外科で診てもらっても精神科に案内されるだけだぞ。そして精神科に行っても俺を消すことはできない。これは過去に事例がある。時間を無駄にするだけだから、やめておいた方がいい』
「ヤバい、超ヤバいよオレ……超ハッキリ聞こえる……マジでヤバいってこれ……」
『落ち着け。まずは深呼吸をしろ。そして冷静になれ』
「うるせぇよ! 冷静になれるかバカ! だいたい邪神ってなんだよ邪神って! オレはなぁ、そういうスピリチュアル的なものは信じてねぇんだよ!」
『奇遇だな。俺もだ。キミとは良い相棒になれそうな気がするぞ』
「テキトー言ってんじゃねぇ!!」
『適当じゃないんだが……とにかく、声のボリュームを少し落とせ。頭のおかしい人だと思われるぞ』
「てめぇ、どの口で……!」
宿主がギリギリと歯ぎしりをする。
『俺には口がない……なんて言うと更に怒りそうだから、やめとくか』
「おい聞こえてんぞ!?」
『ああ。実はキミをなごませる為にワザと言った。なごんだか?』
「なごむか! くっだらねぇ上につまんねぇんだよ!」
『心外だな。くだらなさは認めるが、面白いことを言おうと思って言ったわけじゃないぞ俺は』
「いやもうそれは心底どうでもいい!!」
『そうか』
「はぁ……はぁ……はぁ……」
『言いたいことはもうないか? ないなら本題に入ろう』
「ま、待て……」
『なんだ?』
「証拠を見せろ……証拠を」
『証拠とは?』
「決まってんだろ。お前が邪神だっていう証拠だよ」
『思考の切り替えが早いな。俺が言おうとしていた本題というのも、まさにその話だ。まずは俺という存在を信じてもらわねばどうしようもないからな。若くとも聡明な人間に出会えて本当に嬉しい限りだ』
「……バカにしてんのか?」
『そんなことはない。嘘偽りのない本心だ。キミのように思考の切り替えが早い人間は意外と少ない。普通の人間はもっと面倒で時間が掛かるからな。キミは優秀だ』
「嘘くせぇ……」
『それはともかくタイチ。キミには俺が邪神である証拠を見てもらう必要がある。だが俺は基本的にはキミの脳内で喋るだけで、自発的に動いたり、外界に働きかけることはできない』
「はぁ? じゃあどうやってお前が邪神だっていう証拠を見せんだよ?」
『俺が見せるんじゃない。キミが行動して、確認するんだ。キミという存在がこの世界の理から、どうしようもなく乖離してしまったという事実を』
「スカした言い方してんじゃねぇよ。中二病かてめぇは」
『ひどい言いがかりだな。普通に話しているだけなのだが』
「はいはい。で、オレが行動するって具体的にどうするんだよ」
『そうだな。その前に、キミは授業中『夢の中で邪神になってた』と言っていたな。それはどこまで見えた?』
「どこまでって……自分が死んで、世界が闇に覆われて滅亡するぐらいのことしか覚えてねぇけど」
『そうか。いや、それだけ覚えてれば十分だ。その部分が一番説明に困るところだからな』
「ちょっと待てよ。まさかあの夢と同じで、オレも死んだら世界が滅亡するとか、そう言うんじゃねぇだろうな?」
『まさにその通りだ。やはりキミは理解が早くて助かる』
「なんだよそれ、そんなのって……ん? いや、よくよく考えたら別に自分が死んだあとなんてどうだっていいな」
『そうか。中々にいい性格をしてるな。将来が有望だ』
「お前に言われるとなんかバカにされてる気がするんだよな……」
『気のせいだ。さて、話が逸れてすまなかったな。では本題に戻るとしよう』
俺は落ち着きを取り戻した宿主に対して、具体的な行動に移るよう指示を出した。