018「論文」
「金稼ぎって……いや、オレから言い出しておいてなんだけど、いいのか?」
『いいのか、とは?』
「ほら、オレの英語力とか」
『それはもちろん、欲を言えばもっとタイチには勉強してほしいところではあるが……もう嫌なんだろう?』
「そりゃ嫌だよ」
『ならしょうがない。なに、先ほどキミが言っていた通り、キミは英語力が弱くともディベートで現地人相手に一歩も引かないぐらいのコミュニケーション能力がある。計画を前倒しにしてもまあなんとかなるだろう。誤差の範囲内だ』
「そうかよ。でもさぁ、こーゆーのはどうすんだよ」
タイチは机の上にある資料と教科書の山を見ながら言った。
「うちの大学、宿題がアホみたいにあるから金稼ぎの副業なんてやってる時間ねぇじゃん。これフェイスが手伝ってくれんの? テストとか大学受験の時みたく『偉人同化』を使ってさ」
『偉人同化は使うが、いちいちその都度宿題を片付けなくても大丈夫だ。こちら側の大学には飛び級制度というものがあるからな。学長へ直接交渉してさっさと大学を卒業させてもらえばいい』
「卒業って……んなのどうやって交渉すんだよ?』
『簡単だ。学長が専門とする、もしくは専門としていた分野の論文をノーベル賞が取れるレベルで書いて持っていき、『飛び級で大学を卒業させてくれたらこれを提出します。学会への発表は学長との共著としてもらって構いません』と言えば大丈夫だ。今キミが通っている大学の学長は幸い『お堅い』人間じゃなさそうだからな』
「共著って……もうほとんど賄賂みたいなもんだなそれ」
『そうだな。本当は正式に各科目で試験を受ければ、ひとつ上の学年に飛び級するぐらいは普通にできるんだが……面倒だし、疲れるからな』
「その試験の度に偉人同化するのが?」
『そうだ』
「フェイスって本当に偉人同化を出し惜しみするよなー。もうちょっと気軽に使ってくれるとオレの人生もっと楽しくなると思うんだけど」
『無茶を言うな。あれは本当に苦しくて疲れるんだ』
それでも肉体のある宿主との同化に比べたら天と地の差で楽なのだが、それは秘密である。
偉人同化が苦しくて疲れること自体は紛れもない事実だからな。
嘘は言っていない。
「はいはい、わかったよ。んで、肝心の金稼ぎに関してはどうすんの? オレは何をやりゃいいんだ? 言っとくけど、難しいことはできねぇぞオレ」
『それに関しては週に二、三回、俺の指示通りパソコンを操作してくれれば大丈夫だ。操作自体はまったく難しくないから安心してくれ。大学の実習でキミもやっていることだ』
「……それって、まさか」
『そうだ。株取引だ』
「うわぁ……マジかぁ……」
『予想はしていただろう? 金融工学が強い大学に入ったのも、特待生で奨学金入学した代わりに母君から生活資金を多めにもらっておいたのも、すべては株取引のためだ』
「うすうす予想はしてたけどさぁ……なんつーか……地味だなぁ、株取引で金稼ぐって」
『そんなことはないぞ。上手くいけば一代で天文学的な金が稼げる。どんどん桁が増えていく口座の金額を見れば、キミ自身も『面白い』と思うはずだ』
「へぇ、なるほどね。んじゃ楽しみにしてるわ。でもさ、そこまで稼ぐのには偉人同化を相当な回数使わないとダメなんじゃねぇの? 大丈夫なのか?」
『その点に関しては心配しなくていい。株取引では偉人同化は使わないからな』
「……へ?」
『株取引は俺自身がキミに対して指示を出す』
「…………え、マジで?」
『マジだ。前回、そして前々回の現代世界転移で『投資の神様』と呼ばれる人物の魂と幾度となく同化した結果、俺自身がその人物と同程度のスキルを身につけることに成功したからな。株取引に限って言えば、もう偉人同化をする必要はない』
「なんだそれ。スキルを身につけることに成功って……すげぇな」
『まあスキルを身につけたというより、その人物の思考、判断をかなりの精度で模倣できるようになったというだけだが』
「それでもすげぇよ。え、じゃあなに、フェイスって他にも偉人のスキルを何か身につけてたりすんの?」
『いや、他にはないな。思考や判断を模倣できるほどに同化した魂は今さっき言った人物だけだ。……話がそれているな。先ほどの話に戻すぞ』
「おう」
『タイチにはこれから偉人同化を使用した俺の助言により論文を書いてもらうわけだが、その前に学長の専門分野を調べるか聞き出すかしてくれ』
「書く前から『ノーベル賞取れる論文書いたら卒業させてくれ』って交渉してもいいか?」
『いいんじゃないか? そこは任せる』
「りょーかい。んでもって、無事に卒業したら株取引で金稼ぎって感じか?」
『そういうことだ』
「オッケー、やる気出てきたぜ」
『それはよかった。では、論文を書く準備ができたら呼んでくれ。それまで俺は寝る』
「相変わらず活動限界が早いなぁフェイスは……」
『まあな。おやすみタイチ』
「まあなって……返答もテキトーかよ」
俺はあきれたように言うタイチの声を聞きながら、意識を闇の中へと沈ませていった。
◯
金稼ぎをする、と宣言したその日から更に半年が経った。
「なぁフェイス、オレにも株取引やらせてくれよ。一万ドルぐらいで」
『ダメだ』
「いいじゃんか。もしオレがミスってもまだまだ金はあるんだし」
『絶対にダメだ。今は大事な時期だからな。千ドルほどなら良いが』
「それじゃ子供の小遣いじゃん。もっとくれよ」
『今の千ドルは日本円で十万弱だぞ? お金持ちじゃあるまいし、タイチ……キミ、感覚が麻痺してるんじゃないか?』
「そうか?」
『そうだ。あとな、タイチ』
「ん?」
『講義中なのだから、会話は控えた方がいいんじゃないか?』
そうなのだ。実は今、タイチは大学で講義を受けている最中なのである。
半年前に例の論文を提出して学長と交渉したのだが、どうしても最低二年は在学しないと卒業は認められないとのことで、宿題を全面的に免除、講義も出席は一部のみ、という条件でしぶしぶ大学に残っているのだ。
学長はこちら側の要求を最大限聞く姿勢だったが、どうやら理事長が『即卒業』には待ったをかけたらしい。
ただこれも想定の範囲内なので特に問題はない。
宿題を全面的に免除してもらっているだけでも十分、株取引に使う時間ができたからな。
「一番後ろの席だし、大丈夫だって。それにもうそろそろ……ほら、終わった」
タイチがそう言うと、タイミングよく講義が終わった。
教授は例のごとく山のような宿題を生徒たちに申し付けてから、講義室を出て行った。
「な? ……でさぁ、さっきの話だけど」
『何度言ってもダメだ』
「なんだよ、ケチだなぁ……ん?」
タイチが自分のすぐ側に立つ人物に気づいて右隣を向いた。
すると、
「ハァイ、タイチ。こんにちは」
金髪碧眼の美女が、日本語で話し掛けてきた。