012「想像」
うたた寝をしていた俺は、環境の変化を感じて覚醒した。
視界に映る光景から状況を確認する。
タイチは下駄箱で上履きから靴に履き替えていた。
状況と体内時計から察するに、どうやら今しがた学校が終わったところのようだ。
『お疲れ、タイチ』
「ん? おー、起きてたのか、フェイス」
『ああ。ちゃんと覚醒したのは今さっきだがな』
「へぇ、うたた寝だとフェイスって自分で起きれるんだ?」
『そうだな。ただ、別に普通の睡眠でも自分で起きられないわけじゃないぞ。強い意志の力が必要なだけだ』
「その言い方だと普段は意志が弱いみたいに聞こえるけど?」
『その通りだな』
「否定しないのかよ……」
そんなやり取りをしながらもタイチは歩き続け、学校の敷地内から出ていつもの帰り道を進んでいく。
『それではタイチ。朝に言っていた対価の件に関して簡単に話すぞ』
「別に詳しく話してくれてもいいんだぜ?」
『時が来たらそうするさ』
「時ってなんだよ……まあいいや、続けてくれ」
『俺がキミに与えられる対価は、主に富だな。経済的な裕福さ、と言ってもいい』
「へぇ……それってどれぐらいの富なんだ?」
『そうだな……一般的な常識の範囲内だったら、使っても使っても使い切れない程度の富だ』
「またフワッとした回答だなぁ……まあいいや。んで、基本喋ることしかできないお前がどうやってオレにその富をくれるわけ?」
『俺の助言によりキミがあることをして金を稼ぐ、という形でだな』
「だと思ったよ! 結局行動すんのはオレじゃん!」
『なに、キミがやるのは非常に簡単なことだ。今回のテスト勉強などに比べたら雲泥の差で楽だから安心してくれ』
「そうかよ……だったらその『あること』を今すぐ教えてもらった方が安心できるんだけど」
『それはまた今度だな。さて、話は変わるがタイチ。海外留学を両親に告げるタイミングについてだが……』
俺は下校中の時間を使ってタイチにこれからの計画を大まかに話していった。
◯
「ほーほー、なるほどねー、まー、細かいところはともかくとして、基本的には今までとあんま変わんない感じだな?」
『そうだな。大学選びなどは早急にする必要があるとはいえ、逆に言えばそれ以外は大して急を要することはない。海外留学を念頭に置きつつ、キミは勉強とサイクリングに力を入れてくれればいい』
「りょーかい。お、もうすぐ家に着くな。おやすみーフェイス」
『いや、今日はまだ寝ないぞタイチ』
「え? マジで? 超珍しい……っていうか初めてじゃん。家に着く前に寝ないなんて。どうしたよ急に?」
『なに、キミがさっきの打ち合わせ通りにできるかどうか見守るだけだ』
「打ち合わせ通りにって……ただ母親にテスト結果見せて海外留学のことをチョロっと話すだけじゃん」
『それはそうなんだが、俺は一度もキミの母君を見たことがないからな。ここは見守るべきだと判断した。たとえば、もし喜びのあまりキミの母君が抱きついてきそうな挙動があったら、俺は即座に『タイチ!』と名前を呼ぶから、その時は即行で床にしゃがみ込んで避けてくれ』
「ははっ、ないない、それはないって。うちの母親そんなキャラじゃないもん。完全にスパルタな女教師、って感じだから。メガネの端っこをさ、こう、指でクイッと上げながらさー、『タイチ。自転車代は出すけど、これで成績が上がらなかったら三十ヶ月お小遣い無しよ』とか言うんだぜ?」
『……タイチ、そんな条件で自転車代を出してもらってたのかキミは』
「まーね。うちの家トータルで見たらそこそこ稼いでる方なのに、ケチくせーっつーか、キビシーよなーまったく」
『いや、至極真っ当、というよりむしろ気前が良い方だと思うが。普通の家庭だったらたとえ前借りだとしても三十万の自転車なんて買ってもらえないと思うぞ』
「そんなもんかねー」
『そうだとも。……おっと、家に着いたか。会話はここまでだな。いいかタイチ。母君に喜びのあまり抱きつかれないよう気をつけろよ』
「ははっ、大丈夫だって」
『どうだかな……』
タイチの母君は高校教師だが、今日は平日にもかかわらず朝から家にいるという。
タイチいわく、母君は今日『風邪』で仕事を休んだというのだが、俺はその理由を怪しいと思っているのだ。
タイチの点数表が出るというこの日、このタイミングで仕事を休むというのは、どうも関連性があるように思えてならない。
心配しすぎて体調を崩したとかならまだしも、今回の場合はタイチの点数表を『早く見る』というただそのためだけに母君が仮病を使った可能性すらある。
もし本当にそうだとしたら、それだけ過保護な母君がこの点数表を見て、タイチが期末テストで学年四位になったと知ったら……抱きついて喜ばれてもおかしくはないだろう。
もちろん、これは俺の勝手な想像にすぎないのでタイチにはあえて言わないが……抱きつかれるという可能性、そして忠告自体はしておくに越したことはないからな。
ただの杞憂で終わればいいのだが。
「ただいまー」
俺が思案している間にタイチは家の玄関を抜けて、大きいソファとテレビのある居間へと移動した。