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邪神  作者: 霧島樹


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110/110

110「落陽」

 EX『リオナンド・フォン・ディーツ・ヴァルトレイス』







 ふと気がつくと、ボクは廊下に立っていた。


「ここは……」


 見覚えのない廊下だった。木製の床に、枠がところどころ朽ちた窓。

 古い絵画に、質素だが品の良い壺飾り。


 一瞬、ナヴァル家の屋敷かと思ったけど、そうじゃない。

 だけど、自分の格好は見覚えのある使用人服だった。

 これを着ていたのは、ナヴァル家の屋敷で働いていた時だったはず。


 自分の手を見下ろす。皺がない。骨ばってもいない。

 まるで、十代の少年のような手だった。

 若返っている……ということは、普通に考えたら現実じゃない。

 ただ、五感の伝えてくる感覚全部が、『これ』を現実だと訴えている。


 意味がわからない。

 ボクはついさっき……死んだはずなのに。


 混乱の中、廊下の角から誰かの足音が響いてきた。

 軽やかな靴音が、床を打ってこちらへと近づいてくる。

 そして現れたのは――


「お嬢さま……?」


「あら、リオナンド。どこへ行くの? 執務室はあっちよ?」


 ――死ぬ直前までボクを抱えていた、エマニュエルお嬢さまだった。

 しかし、その姿は『お嬢さまはやめて』と言っていた老年の彼女ではない。

 それこそ、正しく『お嬢さま』という呼称が似合う、若い頃の彼女だ。


「おふたりとも、こんなところで何をなさっているのです?」


 若い頃のお嬢さまに目を奪われていると、突然、落ち着いた声が割り込んできた。振り向くと、品のある身なりの文官が近づいてくる。


「サージェスさん!?」


「おや、どうしたんですか? まるで幽霊でも見たような顔ですよ、リオナンド君」


 サージェスさんが怪訝な顔で、首を傾げる。

 ……おかしい。彼はボクの本名を知らないはず。


 いや、そもそも彼は死人で、生きているはずがないのだ。

 お嬢さまを救う代償として、他ならぬこのボク自身が……ソウルスティールで殺したのだから。


「それはそれとして、お嬢さま。そろそろお仕事の時間です。執務室に参りましょう」


「わかってるわよ……ほら、リオナンドも行くわよ」


「お嬢さま。彼は今日、お休みですよ」


 サージェスさんの言葉に、お嬢さまは目を丸くして立ち止まる。

 一拍の沈黙を置いて、スカートの裾を翻すように勢いよく振り返り、こちらへと詰め寄ってきた。


「え……えぇ!? なぜ!?」


「なぜって……お嬢さまがお休みにしたのではないですか。ここ最近、リオナンド君は働きすぎだからって」


 そう言って、サージェスさんは眼鏡の位置を中指で直しながら、呆れたように微笑んだ。懐かしい仕草、声、姿……そのすべてが偽物などではなく、サージェスさん本人だと示していた。


「あっ……そ、そうだった……そうだったわね。すっかり忘れていたわ」


「頼みますよ、本当に。私も夕方からはここを出なければなりませんから、それからはお嬢さまひとりです。明日までに処理が必要な書類も沢山ありますし、ボンヤリしている暇はありません」


「わ、わかってるわよ」


 お嬢さまは軽く唇を尖らせながらも、ひとつ咳払いをして背筋を伸ばした。

 そしてくるりと踵を返すと、サージェスさんに合わせて歩き出す。


「じゃあね、リオナンド。今日はちゃんと休むのよ」


「……はい」


 そう返すと、お嬢さまは小さく笑って、サージェスさんを追って歩き去っていく。

 ふたりの姿が廊下の向こうに消えていくまで、ボクはただ立ち尽くして見送るしかなかった。


 足音が遠ざかり、静寂が戻る。

 その時、ボクの胸の内に、鈍い違和感がじわりと広がり始めていた。


 何かが、足りない。

 何か大事なことを、忘れているような。


『これは、驚いたな……』


「フェイスさん……!?」


 直後、頭の中に響いた声を聞いて、思い出した。

 そうだ。十代の頃から、七十近くになるまで一緒にいた彼を、どうして忘れていたんだろう。

 ボクと彼は一心同体。

 邪神の呪いも相まって、忘れられるはずなどないのに。


「フェイスさん、ここはどこだろう? というより、ボクってさっき死んだよね? 覚えてる? 身体が若返ってるし、お嬢さまも若返ってるし、サージェスさんが生きてるしで、意味がわからないんだけど」


『気持ちはわかるが、落ち着け。キミは確かに死んでいるし、エマニュエルもサージェスも死んでいる。ここは俺の中だ』


 フェイスさんの言葉にひやり、と冷たいものが背筋を這った。

 途端に冷静さを取り戻す。けど、まだわからないことだらけだ。

 それを察したのか、フェイスさんはボクの言葉を待たずに語り始めた。


『以前、キミがソウルスティールした魂は、俺の中に取り込まれるという話をしただろう。それらの魂は俺の中にある広大な、別次元とも言える場所へと保管される。そして保管された魂は、同じ世界の魂同士で寄り添い、共同体を作るんだ』


 そこでフェイスさんは一息ついて、溜めを作ってから続きを話す。


『俺も共同体の中を見たのは今回が初めてだから、推測になるが……ここはそれぞれの魂が共同で保っている仮想世界……いや、共有された記憶の泡のようなものなんだと思う』


「記憶の泡?」


『ああ。魂に刻まれた強い記憶や感情が集まり、互いに重なり合って構成された世界。そこには生前の風景や誰かへの想いが色濃く反映されている。だから若かりし頃のエマニュエルや、生きていた頃のサージェスが自然にいるんだろう。彼らの魂に強く残った想いが、この世界の姿を形作っているように見える。キミの魂を中心にしてな』


「ボクの魂を中心にって、ボクはこんな場所、見たことないけど……あ、そっか、その場合はこの廊下も、屋敷の中も全部、彼らの記憶からできてるってこと?」


『おそらくな。それにしても、本当に驚いた。本来なら、俺はこの共同体に入ることはできないからな。やはりキミは今までの宿主とは何かが違うようだ。それとも俺に干渉できた聖女のせいか? このような前例は今まで……』


 ザザザ、と耳障りな雑音がフェイスさんの言葉を遮る。

 急に声が遠くなり始め、彼の気配も薄れ始めた。


「フェイスさん?」


『……どうやら、俺も本来の流れに戻されるようだ。この状況は一時的なものだったらしい』


「本来の流れ? どういうこと?」


『そろそろ俺は消える……ということだ』


 声が、どこか遠くへ吸い込まれるように消えていく。

 彼の存在が、少しずつ世界から薄れていくように感じられた。


「消えるって……ボクは、これからどうすれば……」


『好きなように生きればいい。俺が見る限り、ここはキミにとって悪い世界じゃないはずだ。元の世界で失ったものが、ここではまだ失われていない。取り戻したいと願った日々を、ここで……』


 そこで言葉は途切れた。次の瞬間、フェイスさんの気配が完全に消える。

 最初から何も存在していなかったかのように。

 廊下には、ただ静けさだけが取り残されていた。




 〇




 黄昏時。執務室には、西日が斜めに差し込み、重たげな帳簿の影を長く引き延ばしていた。

 窓際の壺に活けられた赤い花が、風にそよいでカーテンを揺らす。


 ボクはお嬢さまの向かいに腰かけ、ひたすら机に積まれた書類と格闘していた。

 領地内の耕作地の報告、商人との取引記録、訴訟沙汰の調停結果……どれも前の世界で見たような書式なのに、微妙に様式が古い。使われている印章も、前に使っていたものとは少し違う。


 ここはどうやら、ナヴァル家が男爵家だった頃の世界らしい。領主として爵位を引き継ぐ以前、家名がまだ小さな貴族の一つに過ぎなかった頃のようだ。


 この世界でのボクは、実家が没落して遠縁にあたるナヴァル家に引き取られたという。元の世界では、ボクの家とナヴァル家には何の繋がりもなかったはずなのに。


「リオナンド、これお願い……」


「はい」


 フェイスさんが消えた後、ボクは無意識に執務室へと向かい、使用人としての務めを果たし始めた。それはあまりにも自然な動きで、最初からそう決まっていたような感覚すらあった。


 サージェスさんは別の仕事で外出したので、ここにはボクとお嬢さましかいない。やることは山盛りで、書類仕事が苦手なお嬢さまは早々に疲れが見えている。

 けれど、お嬢さまはどこか楽しそうだった。

 彼女は若く、健康で、迷いも苦しみもなさそうに見える。


 聞けばこの世界は穏やかで、死神や、戦争の影もない。

 ボクは何の裏もなく、ナヴァル家で役目を果たし、誰からも信頼されている。


 この世界は、おかしい。あまりにも、ボクに都合が良すぎる。

 そしてフェイスさんの声や存在が、砂のように頭からこぼれ落ちていく。

 元の世界の記憶も、急速に遠のいていくのがわかる。


 ボクが七十年近くかけて生き抜いた人生。

 彼と共に歩んだ時間。

 それら全部が全部、頭の奥で霞んでいく。

 最初から存在しなかったかのように。


 その時、ボクは悟った。

 ここは……誰かに与えられた世界だ。


 それが神と呼ばれるものなのか、何か別の存在なのかはわからない。

 けれど明らかにこれは、意図がある。

 嘘みたいに平和な世界と、取り戻したかった日々や人々。

 あまりにも整いすぎていて、現実味がない。


 これが本当の幸せなんだろうか?

 確かに、このまま元の世界を忘れてしまえば、そう思えるのだろう。

 でもボクの頭に、元の世界であのまま死ぬのが正しかったんじゃないか、という考えがよぎる。


 つらかった。苦しかった。悔いだってあった。

 けれど、それでも自分の足で歩み、選び、生き抜いた。

 あの現実の痛みも苦しみも、すべてがボクの人生だった。


 それをなかったことにして、綺麗に整えられたこの世界で生きていくのは……本当に、幸せなんだろうか?


 太陽が沈む。

 胸の奥に残ったその疑問だけが、沈みゆく光の名残と重なり、薄明かりの部屋へと染み込んでいった。

 ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

 これにてリオナンド編は完結となります。

 お楽しみいただけましたらブックマーク登録や↓から評価していただけますと、執筆の励みになります。

 次の更新をお待ちいただいている間は、このページの目次下にあるリンクから他作品をお読みいただけると嬉しいです。

 何卒よろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
当然ながら久々の新規話だったけど読むごとに記憶がよみがえり夢中で読んでました。 更新ありがとうございます。とても良かったです
リオナンドお疲れ様。 タイチの世界もあるのかな…
*************************** つらかった。苦しかった。悔いだってあった。  けれど、それでも自分の足で歩み、選び、生き抜いた。  あの現実の痛みも苦しみも、すべてがボクの…
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