011「事情」
「この中から、今回のテストで特進クラスに移動することになった奴がいる。……佐藤太一!」
「へい!」
「へいってお前……調子乗ってんなぁ」
「ははっ、ダメっすか?」
「いや、ダメじゃない。ぜひ今後もそのまま調子に乗り続けてくれ。ただし、これで特進クラスから戻ってきたら笑い者だぞ?」
「戻りませんよ。先生の暑苦しい顔、もう見たくないんで」
「はっはっは! 言ってくれるなぁおい!」
大口を開けながら笑う担任教師。
「だが今回の進路調査までは俺の顔をじっくり見てもらうぞ! 特進クラスへの引き継ぎも兼ねてるからな! 本当は出席番号順だが、今日は特別だ。佐藤太一! 今すぐ進路調査の紙を持って進路相談室に来い!」
「え、オレまだこの紙なにも書いてないっすけど?」
「いいから来い! 書くのは話しながらでもできるだろ!」
「はぁ、りょーかいっす」
やれやれ、と呟きながら気怠げに席を立つタイチだが、その顔はニヤけており、ダルそうにしてるのは完全にポーズであるということがバレバレである。
俺は担任教師のあとを追って教室を出たタイチに再度忠告した。
『タイチ。さっきも言ったが、あんまり周囲の反感を買うような態度は……』
「わかってるって。ホント心配性だなぁフェイスは。大丈夫だっての。ちゃんと超えちゃいけないラインは把握している」
『そういう問題じゃない。俺は一時の優越なんてものと引き換えに、余計なリスクを背負うべきじゃないと言ってるんだ』
「あー、はいはい、わかったよ。……ったく、せっかく面白い人生になってきたのに、何もかもお前の言う通りにしたらその面白さが半減しそうだぜ」
『タイチ。以前の言葉を繰り返すようだが、その面白さは『生きてこそ』だ。刹那的な欲求に身を任せてその面白さを感じ取れない状況になってしまっては元も子もない』
「わかったって……説教は萎えるからやめてくれ。っていうかさ、フェイスはもう寝てていいんだぜ? 学校の中だし」
『いや、テスト前の四週間とテスト後の二週間である程度の睡眠不足は解消できたからな。今はまだ寝なくて大丈夫だ。それに今は調子に乗っているタイチをひとりにしたくない。俺が寝ている間に何か変なことをされたら困る』
「はいはい、わかりました。大人しくしてますよ」
『頼むぞ』
そんなやり取りをしている間に進路相談室へと着いた。
「失礼しまーす」
「おう、座れ座れ」
タイチがテーブルの席に座ると、対面の席に座っている担任教師がやたらとニコヤカな顔で話を始めた。
「いやぁー、佐藤。今回は本当によく頑張ったな。発破をかけた俺自身が言うのもなんだが、正直お前がこんなにできる奴だとはまったく思ってなかった」
「はは、ヒドイなー先生」
「はっはっは、すまん。でもな、いくら一年の頃は成績上位陣だったとはいえ、期末テストでいきなり順位一桁はさすがに予想できんぞ。あまりの急激な上がり幅に職員室じゃ『カンニングじゃないか?』って声も出たぐらいだ」
そう言いながらジッとタイチの目を見つめてくる担任教師。
それに対してタイチは大げさに嘆いてみせた。
「うわぁ、そりゃないよー先生。オレ超がんばったのに」
「……はっは、すまん。でも俺はお前のこと信じてたからな。ちゃんとお前が頑張ってたことは力説したぞ。それにどのテストもお前の周囲の席に、お前以上の点数を取ってる奴はいなかったしな。英語以外は。それぞれの教科の先生方も、タイチがカンニングペーパーを見てるような様子はなかったと言っている」
「オレそこまで疑われてたのかよ、マジでショックだわー」
「すまんすまん。でもテスト前からあれだけ周囲に『満点取る』なんて言ってたってことは、ある程度予想はしてたんだろ? 疑われることは」
「ははっ、まーね。予想はしてたよ。いやー、しかしそうなると全科目で満点取らなくてホントよかったなー。取ったらもっと疑われてただろうからなー」
「はっはっは、まったくこいつは。取れるもんなら取ってみろ。伝説に残るぞ。……っと、前置きはこのぐらいにしておいて、本題に入るぞ。進路調査だ。とは言っても、お前はこれから特進クラスに移動するぐらいだからな、聞くまでもないかもしれんが。どうせ東大だろ?」
「いやいや、決めつけないでくださいよ先生。オレ、日本の大学に入るつもりはないっすよ」
「日本の大学に入りつもりはない、ってことは……ハーバード大学か? 狙えなくはないと思うが……あそこはテストの点数が良ければいいってわけじゃないからな。英語のエッセイと面接が最重要だから、正直な話かなり厳しいと思うぞ。それに高校生活で取った資格や成績、活動内容なんかも関わってくる。この学校からもハーバード大学に行った奴はいないわけじゃないが……」
「いや、そんな世界トップの大学になんて行かないですよ。オレじゃ無理ですどう考えても」
「なんだ、そうなのか。いやな、進路相談で海外留学と言ったら大体がみんなハーバード大学を真っ先に挙げるもんだからな。はっはっは、よかったよかった。どう説得しようかこの一瞬で凄い悩んだからホッとしたぞ。ぶっちゃけ今の佐藤じゃどう考えても無理だからな。佐藤は英語がダメだし」
「うわー、先生ぶっちゃけすぎでしょ。無理とかダメとか。萎えるわー」
「すまんすまん。で、どこに行きたいんだ?」
「そこまで具体的には決まってないんですけど、場所はアメリカですね」
「アメリカか……ハーバード大学じゃなくても、アメリカのトップ校は英語のエッセイと面接を重要視しているところが多い。というかそれがほとんどだ。たった一ヶ月でここまで返り咲いた佐藤なら、頑張れば可能性はあるだろうが……」
「あー、それなら大丈夫です。そんなレベルの高い大学には全然行く気ないんで」
「…………なに?」
「中程度レベルの大学に特待生で入るつもりです。アレっすね、いわゆる『返さなくていい奨学金』狙いですね。できれば大学費用は全額免除を狙いたいっす」
「お前……」
「大学費用を全額免除とかって、アメリカにそんな大学あります?」
「……探せばあるだろうが、いいのか?」
「何がっすか?」
「いや…………」
担任教師は何かを言い淀み、少し沈黙したあと、ポツリと呟くように言った。
「……家庭の事情か?」
「そんなんじゃないっすよ。メッチャ個人的な理由です」
「個人的な理由? なんだそれは?」
「それは言いたくないっすね。察してください」
「言いたくないって……両親とは話したのか?」
「まだっす。さっきの奨学金目当ての話はしないで、別の理由をでっち上げようと思ってます」
「それはお前、普通に考えてダメだろう。なんで正直に話さないんだ?」
「絶対に反対されますもん。察してください」
「察してくださいって、お前……」
担任教師はため息をつきながら目頭を指で押さえた。
「いや……わかった。俺には家庭の事情にまで口出しする権利はないからな」
「個人的な理由ですって」
「どっちにしろ同じことだ。ただし、よーく考えろよ。どういう事情かは知らないが、親に本当の理由を話さないで受験して後悔しないかどうか。それと学歴ってのは一生ついて回るからな。その辺りもよく考えろよ」
「りょーかいっす」
「よし。じゃあ教室に戻っていいぞ。戻ったら次は相川をここに来るよう呼んでくれ」
「あれ、オレまだこの紙書いてないっすけど」
「そうだな、本当は記入してもらうんだが……お前はちょっと事情が特殊だからな。白紙のままでいい。特進クラスの先生にはオレが直接事情を説明する」
「おー、特別扱い、あざーす」
「おう。……ああ、そうだ。さっきの条件に合う大学選び、もちろん学校側でも協力するが基本的には自分で探しておけよ。自分が行く大学なんだからな。両親にも海外留学のことは早めに説明しておけ」
「もちろんっすよ。それじゃ失礼します」
「おう」
タイチの退室に担任教師は軽く右手を上げて答えた。
『……どうやら俺の心配は杞憂だったようだな、タイチ。見事な演技だったぞ」
「ははっ、だろー? 実はオレ、これでも中学時代は演劇部だったんだぜ?」
『なんと、そうだったのか?』
「おーよ。ま、もともとは同じ中学の演劇部だった元カノに無理やり入部させられたようなもんで、大して興味はなかったんだけどな。でもその時の経験が役に立って良かったぜ」
『うむ、さすがだ。これでほぼ打ち合わせ通りの流れになったな。これであとは学校側に協力してもらいながらも自分たちで条件に合致する大学を選び、ゆっくりと進路を決めればいい。本当だったらあらかじめこちらで大学を選んでおけば、両親と学校側にそれぞれ別々の動機を説明しなくてもよかったんだが……』
「お前が寝てばっかだったからなー。ま、別に大した手間じゃないしオレは構わないぜ」
『すまないな』
「いーよいーよ、気にすんなって。ただまぁ、ここまでお前の言うこと聞いてるんだから、例の『対価』ってヤツの詳細……もうそろそろ聞かせてくれてもいいんじゃね?」
『そうだな……全部はまだ話せる段階ではないが、どんな形での『対価』なのかは情報開示するとしようか。だが学校内であまりブツブツ喋ってるのもマズいからな。それは放課後の下校途中に話そう』
「んじゃそれまでまた寝てる感じ?」
『いや、今日のところはまだタイチが調子に乗って変なことをしないか気になるからな。うたた寝しながら起きていることにする』
「寝てるじゃん! 結局それ寝てるじゃん!」
『何かあればすぐ覚醒するし、睡眠効率が普通に寝るより大分悪いからな。俺としてはほぼ起きてるに近い』
「じゃあもう普通に起きてりゃいいじゃん! オレの動向が気になるんだろ!?」
『そうなんだがな。先ほどのキミと先生のやり取りを見て、俺としては『うたた寝ぐらいはしても問題ないか』というぐらいにキミへの信頼性が高まったんだ』
「あーそうですかー、そりゃ嬉しいなー」
『む、もうそろそろ教室だな。それじゃ俺は『うたた寝』するぞ』
「はは……好きにしろよ」
力なく言うタイチの声を聞きながら、俺は意識を半分だけ闇の中へと沈めるイメージで軽い睡眠状態へと移行していった。