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邪神  作者: 霧島樹


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108/110

108「救済」

 しばらく、沈黙が続いた。

 他の賊たちは一瞬、何が起きたのかもわからず、剣を構えたまま固まっている。


「し、死神……」


 賊のひとりが、息を呑みながら言った。

 続けて野営をしていた一団の人々がざわつく。


「黒衣の……あのお姿……!」

「間違いない、死神さまだ! 私は昔グランタリオで見たことがある!」

「本物の……!?」

「我々を救いに来てくださった!」


 リオナンドが無言のまま、右手をゆっくりと掲げる。

 すると周囲の賊たちは一斉に後ずさり、血相を変えて逃げ出しはじめた。


「ひ、ひぃぃ!? ごめんなさい、ごめんなさい、殺さないでぇ!」

「だから俺は言ったじゃないかぁ! 殺しは不味いってぇ!」

「あぁああぁああぁ! 地獄に落ちたくねぇ! 嫌だぁあぁあぁあ!!」


 賊たちの喚き声が遠ざかり、やがてその場から完全に姿を消すと、荒野の野営地に静寂が戻った。

 すると野営をしていた一団の人間がリオナンドに向け、ひとり、またひとりと膝をつき、地に額をこすりつける。


 彼らは地面に這いつくばり、口々に感謝の言葉を述べた。

 その中から、先ほどの身なりが良い中年の男がよろよろと立ち上がり、ふらつきながらもリオナンドの前に歩み出る。


「ありがとうございます……死神さま、ありがとうございます……!」


 男は震える声で礼を述べた。

 言葉は震え、涙と泥に塗れた顔には、深い畏れの色が滲んでいた。

 リオナンドはその礼に無言で小さく頷くと、目を細めて野営地の様子を見渡す。


 倒れている者、うずくまって動けない者、顔を覆って泣き崩れている者。

 その中には、腕を斬られて血を流している青年や、変な方向に曲がった足を苦悶の表情で押さえている老女の姿もある。


『手当てが要る、か。しかし、賊はもういないからな』


 言外に、魂の渇望があるため救済行動はできないぞ、という意味を込める。

 リオナンドは今や、ひとりを助けたら、ひとりの魂を即座に吸わなければ渇望により暴走状態となってしまうからだ。


「わかってるよ。でも放っておけないからね。あの人たちに手伝ってもらう」


 リオナンドはそう呟くと、後方でこちらの様子を窺っていた死神教の信者たちに手を挙げた。すると信者たちの中からひとり、白髪の老人がこちらへと駆けつけてくる。

 そしてリオナンドの前に跪き、深く頭を垂れた。


「死神さま、いかがなさいましたか?」


「この人たちに、ケガの手当てをしてくれるかな」


「死神さまの御心のままに」


 老人は恭しく礼をすると、すぐに背後を振り返って手を振った。

 それを合図に、他の信者たちが野営地でケガをしている人々のそばに駆け寄り、手際よく応急処置の準備を始める。


『……なるほど。たまに手伝いをしてくれる、というのはこういうことか』


「うん。ボクが人に治癒聖術を使うと、どうしても犠牲者が出るからね」


 リオナンドはそう言って、寂しそうに目を伏せた。

 信者たちが手際よく応急処置を進める中、リオナンドはふと、周囲の人々を見て小さく息を吐いた。

 彼らは畏れと感謝の入り混じった目でこちらを見ていたが、リオナンドが視線を向けると、途端に深く頭を下げて、震え出す。


 自分がいるだけで、人々は委縮する。

 そう思ったのだろうか、リオナンドは無言のまま、その場からそっと離れようとした。

 乾いた土を踏みしめて、野営地の外へと足を向ける。


「お待ちください!」


 切羽詰まった声が背後から飛ぶ。

 振り返ると、先ほど助けた中年の男が駆け寄ってくるところだった。


「お願いです、死神さま……娘の命を……どうか、どうかお救いください……! 死神さまにしか……もう……!」


 その声は、神にすがる者の叫びだった。

 リオナンドは迷いながらも、ひとまず話を聞くことにしたようだ。

 男に案内され、野営地の隅に張られた粗末なテントに入る。


 中は薄暗く、微かに薬草の匂いがこもっていた。

 テントの端には、小さな木箱と布包みが重ねて置かれており、その上に短剣のような刃物が布越しに置かれていた。果物でも切ったのだろうか、刃先には赤黒い染みが残っている。


 敷き詰められた布の上には、ひとりの少女が横たわっていた。

 歳は十に届くか、届かないかぐらいだろう。

 長い茶髪は汗に濡れ、顔は赤く火照っている。

 口元からは弱々しい呼吸が漏れ、熱にうなされるように首を振っていた。


「……この子は?」


 リオナンドが小声で尋ねると、少女の父親である男が応じた。


「昨日、馬車から落ちて足をケガしたんです。血はあまり流れなかったのですが、今日になって高熱が出て……息も、苦しそうで……」


 男は、言葉を紡ぎながらも視線を彷徨わせ、娘の顔をまともに見ることができずにいた。荒れた手が僅かに震えている。

 何度も娘のそばに手を伸ばそうとしては、触れることもできず、また引っ込める。その指先には、土と血の混じった黒ずみが染みついていた。


『感染症かもしれないな』


「……感染症?」


『ああ。小さな傷から菌……病気の元が入り、体内で悪さを起こす。大人でもなってしまうと厄介だが、子供や体力のない者であれば尚更だな。このままだと、命を落とす可能性が非常に高い』


「…………」


 リオナンドは無言で少女のそばにしゃがみ込む。

 この世界の治癒聖術は、よほど進行していない限りは大抵の病気も治してしまう。そのため、リオナンドほど強力な治癒聖術の使い手であれば、少女を治すのに造作はない。


 しかし救済行動後に、魂の渇望を回復できる賊はもういない。

 先ほど見た死神教徒たちの中にも、治癒聖術の使い手はいなかった。

 つまり少女を救うには、誰か……この場合だと候補としては、父親である男が犠牲になるしかない。

 

「死神さま……私どもは死神さまのお慈悲で生かされ、これまで死神さまのお導きと共に歩んできました。そのお慈悲を、どうか再び……!」


 男の話によると、彼は自分の父が死神に見逃されたことによって生まれたらしい。そして死神の教えを守り、真っ当に働いて、稼いだお金で孤児を育てたり、迫害された人々を救う活動をしているという。


 この野営集団も王国で革命が起こった影響で、迫害対象となった貴族家に連なる人々の亡命を助けている最中とのこと。


 ここまで一通り話を聞けば、色々と忘れがちな俺でも思い出す。

 どうやら彼は昔リオナンドがサウドラキア地方の街で見逃した、辺境伯家の若き当主の息子だったようだ。


「そうか……キミは、ガルザーク辺境伯家の……」


 リオナンドは少し感慨深そうに目を細めると、小さくため息をついた。

 彼にとっては男の出自がどうであれ、これから話す内容は変わらない。


「……ボクが彼女を助けるには、代償が必要だよ」


 ここ何十年の活動で、このような出来事は慣れているのだろうか、リオナンドは淡々と男に言った。

 すると男はくしゃくしゃに歪めた顔を、穏やかな微笑みに変えて答える。

 

「存じております……死神さまが命を救われる時には、代償として別の命を必要とされること……」


 今まで幾度となく似たようなことがあったからだろうか、どうやらリオナンドが救済行動を取るのに代償が必要だということは、今や有名な話になっているようだ。


「私はもう、覚悟ができているのです。私にこの子を救うことが、できないなら……せめて、最後に父親として……この命を捧げたく思います」


 そう言って男は立ち上がり、テントの入り口に向かって声を掛けた。


「アデル、入ってくれ」


 布の帳が微かに揺れ、控えていた中年の女が中に入ってきた。

 女は少女の顔を見つめると、静かに布の端に膝をつき、少女の額にそっと手を当てた。その様子は自分の子供を寝かしつけるようだったが、どうやら彼女は少女の母親ではないらしい。


「この女性は、私が若い頃から仕えてくれている者で……私の妻が亡くなってからは、ずっと……この子の母親代わりをしてくれていました」


 震えはあったが、語る姿には落ち着きがあり、男は自らの結末を既に受け入れているようだった。

 男はただ静かに、自らの命を差し出す意思を伝える。


「私はもう、この命を使い切っても悔いはありません。けれど、この子は……この子はまだ、あまりにも幼すぎます。どうか……」


「……わかった」


 そう言って頷くと、男が改めて感謝しながら頭を下げる。

 それから両手を組み、膝立ちのまま目を閉じた。


 リオナンドは少女に近づき、そっと手をかざす。

 掌から、淡い光が少女に向かって放たれる。


 その光は静かに少女の身体を包み込む。

 熱にうなされ赤く火照っていた顔の赤みが、見る見るうちに引いていく。

 この分だと包帯で隠れた左足の傷も、既に塞がっているに違いない。


 やがて、少女の荒い呼吸が静かになり、整った頃。

 リオナンドの魂が絶叫するように軋みを上げた。

 救済行動による魂の渇望である。

 

 昔のリオナンドであれば、ここからが山場と言えただろう。

 しかし今の彼に迷いはなく、行動も迅速だった。

 男に向けて手をかざすこともせず、次の瞬間にはソウルスティールを終え、魂の渇望を解消していた。


 男の顔に苦痛はなかった。

 ただ少女の安らかな寝顔を見て、静かに目を閉じ、その場に崩れ落ちる。

 それを傍らにいた女が支え、ゆっくりと少女の隣に寝かせると、彼女はすぐにこちらへと向き直った。

 そして深く頭を垂れる。


「死神さま……ありがとうございます。この子の命を、救ってくださり……本当に……」


 言葉はそれきりだった。

 それ以上何かを言えば、感情が堰を切るのがわかっていたのだろう。

 女はただひたすらに深く、リオナンドに向け頭を下げ続けていた。


 その時。

 外から、ざわめく人の声が聞こえてきた。

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