101「最期」
オベライの残酷な宣告を受けるも、リオナンドは歯を食いしばりながら、クロードの連撃を必死に防ぎ続けていた。だが、武器となる杖は相手の膂力に悲鳴を上げ、それがなくとも時間が経てば人質の命はない。
『リオナンド。もうクロード、聖衛騎士の順番でソウルスティールをしていくしかないだろう』
「っ……でも……」
『エマニュエルに関しては仕方がない。どのみちこのままいけば彼女は死ぬし、キミが死んでも結果は同様。ならば、キミ自身が生き残ることを目指したほうが良い。……人質は助けられない可能性が高いというのは、キミもわかっていたはずだ』
クロードは強い。おそらくこの十年間、剣技を磨き続けてきたのだろう。
その点、この十年間で近接戦闘よりも、ソウルスティールを多用してきたであろうリオナンドがクロードと渡り合えるのは凄いことだ。
しかし、この状況下ではクロードを圧倒できなければ、彼の命を奪わず無力化することはできない。彼を無力化しなければ、たとえ一縷の望みを懸けてエマニュエルの元へ駆けても、後ろから斬られて終わる。エマニュエルまでの距離はそこまで離れていないが、かといってクロードを無視して一足飛びに辿り着けるほど近くもないのだ。
『決断するんだ、リオナンド』
「うっ……くっ……!」
クロードの剣撃を防ぎながら、リオナンドはボロボロと大粒の涙を流し始めた。クロードはそれを見て、戸惑ったように眉をひそめる。
「リオナンド、お前……」
「クロードさん、ごめん……ごめんなさい……ボクはあなたを、殺さなくちゃいけない……」
「……そうか。ならば!」
クロードの剣撃が更に加速し、今まで以上の猛攻がリオナンドを襲う。
「刺し違えてでも! オレはお前を殺して悪魔から解き放つ! 地獄で待っているぞリオナンド!」
「ボクは……ボクはまだ、地獄には行けない!!」
今まで防戦一方だったリオナンドが、前に足を踏み込みクロードの懐へ入ろうとする。ただこの場でソウルスティールしても活路は見出せないと悟ったのだろうか、何かを狙っているようだ。
急に前へと出てきたリオナンドに一瞬押されそうになったクロードだが、自分が後ろに下がれば人質との距離が縮まってしまうと理解しているらしい。すぐにリオナンドを押し返そうと剣撃の圧を更に高め出した。
風を裂く音が耳元を掠め、リオナンドの頬を切り、血が滲む。
それでもリオナンドは前に出ようとし、クロードがそれを押し返そうと対抗する、次の瞬間。
クロードの振り下ろしが空を切り、その背後にリオナンドが立っていた。
リオナンドを押し返そうと躍起になって、大振りになったクロードの隙を突いて背後に回ったのだ。
だがクロードはその動きを予見していたようで、振り下ろした剣の勢いを止めず、自分の背後に向けて振り上げた。
しかし、それすらもリオナンドは読んでいる。
人質に向かって駆けるわけでも、ソウルスティールをするわけでもなく、リオナンドは待ち構えるよう下に杖を構えていた。そしてその柄で長剣を受ける直前、小さく跳躍する。
刹那、空中で両足を杖に乗せると、そのまま振り上げられた長剣の力を杖越しにすべて足で受け止め、オベライとエマニュエルがいる自らの背後に向かって跳び上がった。
一瞬で限界を超えた力が加わったせいか、振り上げの一撃を受けた杖が中ほどから砕けるように折れて、リオナンドと共に宙を舞う。
クロードは人質に向かって宙を飛ぶリオナンドを即座に追いかける。
だが、空中にいるリオナンドを斬ることなどできるはずもなく。
「さようなら……クロードさん」
リオナンドの涙と共に放たれた、不可視の力によって魂を吸い取られ、その命を終えた。
「――オベライィィィィィィィィィィ!!」
リオナンドは空中で身を捩り、そのままオベライ目がけて急降下する。
続けて僅かな落下の間に、エマニュエルを担いでいた聖衛騎士や、オベライを守ろうと駆け寄ってくる聖衛騎士たちに向けて、ソウルスティールを発動。彼らを最速で排除していく。
オベライはあまりの展開に思考が停止したのか、驚愕に目を見開き呆然としていた。それでもリオナンドが間近に迫って、自分を取り戻したらしい。ふと思い出したかのように、地面に倒れていたエマニュエルの首筋を、手に持った剣で素早く切り裂いた。直後、その剣をリオナンドが落ちてくる軌道上に掲げる。
「ぐっ……!」
リオナンドの胸を、オベライの剣が深々と貫く。
やや右寄りで心臓を穿ってはいないものの、肺を貫かれたリオナンドが咳き込みながら吐血する。オベライはそれを見て、勝利を確信した顔で口角を上げた。――が、その歓喜は一瞬で凍りついた。
「お……あ……が、ふ……っ」
オベライの口から血が溢れ出す。そして奴は自らの胸にリオナンドの手刀が突き刺さっているのを見て、不敵に笑った。
「この、程度……我が神の愛を、知るがいい!」
仄かな光がオベライの胸で輝き始める。治癒聖術の光だ。
もちろん、それを死神が許すはずもなく。
「こ、これは……ッ、何……を……!?」
呻くように叫んだオベライの顔から、先程までの勝ち誇った表情が消え失せる。輝いていた癒しの光は、瞬く間に失われていた。いや、『吸い込まれた』という表現が正しいだろうか。
オベライの胸元から発せられていた治癒聖術の力が、逆流するようにリオナンドの腕へと流れ込んでいく。ソウルスティールとは異なる理で相手の精気を奪う、エナジードレインである。
リオナンドの呼吸が整っていく。
血を含んでいた咳が止まり、地に着きそうだった膝は力を取り戻し始める。
「き、貴様ァ……ッ……我が、神の愛を……!」
「神の愛、ね……もしこれが、神の愛だとしたら――」
顔を上げたリオナンドは、掲げた左手の先にいるエマニュエルを見ながら、自嘲気味に笑った。
「――あなたよりも、ボクと彼女のほうが愛されているみたいだね」
落下の直後、オベライに右手の手刀を突き刺したその瞬間には既に、リオナンドはエマニュエルに向けて治癒聖術を行使していた。
リオナンドは敵の排除と人質の治癒、その両方を同時にやってのけたのだ。
オベライの剣は、確かにエマニュエルの首筋を切り裂いた。
しかし、その僅か数瞬後に施されたリオナンドの治癒聖術は、今や彼女の傷口を完全に塞いでいる。
手刀は、なおもオベライの胸に突き立てられたまま。
オベライの中にある命が、残滓さえも吸い尽くされていく。
「ボクには、神の愛なんてものは、よくわからないけど」
リオナンドが左手で自分の胸に刺さった剣を抜いて、救済行動により渇望状態になった自らの魂を、こちらに向かってくる聖衛騎士たちへのソウルスティールで回復する。
「少なくとも人が大切に思う相手を人質に取って、躊躇なく殺すようなあなたが……愛という言葉を、口にするのは間違っていると思う」
残った命を余さず奪い取るように、リオナンドの腕が深く突き刺さる。
するとオベライの全身が小さく震え――やがてその目から、光が消えた。
オベライは音もなく、ずるりと地面に膝をつく。
それは十年越しにも及ぶ追走劇、そしてつい先ほどまでリオナンドを追い詰めていた男の、あまりにもあっけない最期だった。




