010「適性」
「時間だぜー、フェイス。起きてくれ」
俺が目を覚ますと、タイチは黒いクロスバイクに乗ってぺダルを漕ぎながら川沿いにあるサイクリングロードを進んでいた。
クロスバイクとは前にカゴが付いている一般的なシティサイクルではなく、やや本格的なサイクリングが可能な種類の自転車だ。
『……そうか、もう四週間経ったか』
「おー、今からソウルスティールしに行くとこ。……おっと、走行中に話すと危ないから目的地到着まで寝る、なんて言うなよ。時間を効率的に使うためにわざわざこのタイミングで起こしたんだからな。色々と報告もあるし」
『わかっている。それで、この四週間はどうだった?』
「万事オッケー、順調だよ。元カノとは話をつけたし、カモフラージュのサイクリングも週一で行ってる。勉強も超真面目にやってるし、周囲への満点宣言もバッチリだぜ。おかげで今のオレは完全にクラス中からバカにされてる」
『そうか』
「そうか……って、なんかもう一言ぐらいないのかよ」
『いや、展開のひとつとして予想はしていたからな。特に言うことはない。キミだって特に気にしてはいないだろ?』
「まーな。満点は取らないまでも、全科目でそれに近い点数を取ったらオレをバカにしてる連中もさすがに黙るだろうからな。『いやぁ、全科目満点取れなかったぜ、恥ずかしー』とか言いながら連中を煽るのが今から楽しみだぜ」
『そうか。それはよかった。……ところでタイチ』
「んー?」
『このクロスバイク、随分と高そうだが……』
「お、わかる? 母親に頼み込んでさ、オーダーメイドの特注品にしてもらったんだよ。なんとその額、三十万円!」
『………………マジで?』
「マジで」
『そうか、なるほど……キミはバカか?』
「まーまー、落ち着けって。お前の言いたいこともわかるよ? 特注品で、しかも三十万って、目立ち過ぎだって言いたいんだろ?」
『そうだ。わかってるじゃないか。なのにこれか。本物のバカなのかキミは』
「いやでもさ、長く使うものなんだから良いもん買いたいじゃん?」
『それにしたって限度があるだろうに……ハァ……』
「そう怒んなって。大丈夫だってこんぐらい。余裕余裕」
『いいか、タイチ……今のキミは、勇者がレベルを上げて魔王城に来るまで悠々自適に暮らす油断しまくりの魔王並にバカだ』
「そこまで言うほどのこと!?」
『当たり前だ。素人目で見ても間違いなく高いとわかるほどのクロスバイクだぞ。もし詳しい人間が見たらそれはそれは強く印象に残るだろう。俺はこういった小さな積み重ねから宿主が足をすくわれるのを今まで幾度となく見てきた。だからこそ普段からあれほど口を酸っぱくして慎重になれと……』
「わかったわかった! オレが悪かったって! もう勝手なことはしないから許してくれ!」
『……本当に頼むぞ。キミもくだらないことが原因で捕まりたくはないだろう?』
「もちろんだって。……おっと、そんなことより聞いてくれよフェイス。元カノと話をつける時にさ、オレ危うく肌に触れられそうになってさ。それでちょっと一悶着あったんだよ」
『なんだと? 大丈夫だったのか?』
「ああ、なんとかな。で、その時さー……」
そんなこんなで、俺は目的地に着くまでタイチから元カノと決着をつけた時の話を延々と聞くことになった。
だが内容は特に重要な情報ではなかった。
ただ単に話題を変えるための雑談だったようだ。
それに気がついた時は少し悔しかったので、目的地に着いてソウルスティールを終えたあとは即行で眠りについた。
◯
そして翌日からタイチが通う高校の期末テストが始まった。
基本的にはテストが始まる十分前から俺がその科目を得意とする人間の魂を自分の体内から呼び出し同化して、タイチに助言していった。
年代は多少ズレているが、この現代世界は俺が以前何度か転移した現代世界とほとんど変わらないため、知識関係で差異が出る心配はないということは確認済みだ。
ちなみに英語だけはタイチが「自信があるから自力でやらせてくれ」と言っていたので、助言はしなかった。
そんな期末テストが終わり、二週間後。
朝のホームルームが終わって、全科目の点数や平均点、総合点などが記載された紙を受け取ったタイチは宣言通り、自分をバカにしていたクラスメイトたちを煽りまくっていた。
「やっべぇ、満点取れたのは数学だけで、他はなんも満点取れなかったわぁ、これは恥ずかしいなぁー」
「くっ……!」
「学年で一位ぐらい余裕だと思ってたんだけどなぁ、四位かぁ……いやー、さすがうちの高校は県で一番の進学校だわぁ、テストの難易度がハンパじゃないわぁ。これ先生アレだよな、絶対満点取らす気ないよなー?」
『……おい、それ以上はやめておけタイチ。クラスメイトが怒って胸ぐらでも掴んできたらどうする』
「ははっ……コイツらにそんな度胸なんてねぇよ」
タイチは煽っていたクラスメイトに背を向けながら、小声で呟いた。
『そうかもしれないが、やめておけ。不安要素はなるべく増やしたくない』
「はいはい、わかったよ」
「タイチ、なにブツブツ言ってるんだ?」
自分の席に戻ったタイチに隣の席に座っている高橋が話し掛けてくる。
「んー、妖精さんと話してた」
「お、おう……そうか……」
「おい、なんだよその反応。冗談だっての」
「いや……勉強のしすぎでマジに妖精が見えちゃったのかな、と……」
「ははっ、そこまで根を詰めて勉強してねぇよ」
「嘘つけ。ついこの間まで担任に名指しで問題児扱いされてた人間が、根を詰めないで学年四位になれるかよ。っていうかそもそも一ヶ月程度じゃ根を詰めても普通は無理だよ」
「そこはほら……オレ、天才だから?」
「うわー、うぜー。タイチうぜー」
「事実だからしゃーないじゃん? ほれ、学年四位の点数表見る?」
「それさっきも見たっての。もっかい見るけどさ」
「ははっ、見るのかよ」
タイチはそう言って笑いながら高橋に点数表の紙を渡した。
「いや、しかしマジでスゴイよな、タイチ……これ、何度見ても信じらんねぇよ」
「だから全科目満点取るって言ったろ? 取れなかったけど」
「いや……まあ、全科目満点とかは最初から本気にしちゃいないけど、それでも本当に言うだけのことはあるよマジで。……カンニングとかじゃないよな?」
「まーそう思われても無理はないけどな。でも学年のほとんどがオレより点数低いのにカンニングって、逆に難しいだろ。普通に考えて」
「そうだよな……しかも全科目で、だもんな……すまん、変なこと言った」
「気にすんなって。オレが天才すぎるのが悪い」
『……タイチ、あまり調子に乗り過ぎると反感を買うぞ』
もうすでに遅いとは思うが。
しかし、自分本来の実力ではないという意味で今回のテストはカンニングをしたに等しいと思うのだが……タイチの神経は図太いな。
普通だったら不正行為をしたという負い目から、多少は自制が利いてもおかしくないと思うのだが、まったくそのような気配がない。
「ハハ、うぜーマジでタイチうぜー。でも否定できないわ。なぁなぁ天才タイチ殿、今度勉強教えてよ。特に数学とか」
「うむ、よかろう。だけど数学は飽きた。英語なら教えてやるぜ?」
「英語? あれ、タイチ全科目の中で英語が一番点数低いじゃん」
「だからこそ、だよ。ほら、他人に教えたことは自分にも身につくって言うじゃん?」
「そういうことか。やー、でも悪いな、おれ英語だけはタイチに勝ってるんだわ」
「……は?」
「おれ英語は95点で結構よかったからさ。タイチは92点だろ? やー、天才でも苦手科目ってあるんだな。今回の英語はかなり簡単だったのに……ん? どうしたタイチ?」
「死ね!」
「いてぇ!?」
タイチは急に高橋の尻を蹴りつけた。
「いってぇー……急になにすんだよ!?」
「カズヤ。オレ、お前のおかげで英語もっと頑張れるわ。ありがとな」
「行動と言動が一致してねぇよ!? 今さっきの蹴りなんだったの!?」
「感謝のケツ蹴りだ」
「おれ今さっき『死ね』って聞こえたんだけど!?」
「細かいことは気にするな。ハゲろ」
「そこは『ハゲるぞ』だろ!?」
「気のせい気のせい。フェアリーオブウッドだよ」
「え? フェアリーオブ……なんて?」
「フェアリーオブウッド」
「フェアリーオブウッド……?」
「いやだから、『気のせい』が『木の精』で、フェアリーオブウッド……って解説させんなよ! わかるだろ!」
「……ああ! そういうことか! いや、全然気がつかなかったわ! タイチ頭良いな! さすが学年四位!」
「頭良くねぇよ……今この会話だけ切り出したらオレとお前は単なるバカ二人組だよ……」
「おーい、みんな静まれー。席につけー。授業……じゃなかった、進路調査始めるぞー」
「あ、先生きたぞ。カズヤ、いつまで尻もちついてんだよ」
「いや、なんか力が入んなくて……よいしょっと」
「おいおい、貧血か? ちゃんとメシ食えよメシ。貧弱貧弱ぅー」
多少もたつきながら自分の席へと座った高橋を、からかいながら笑うタイチ。
高橋がしばらく立ち上がれなかったのは一瞬、そして服越しとはいえタイチが強く体に触れた影響だろう。
エナジードレインが発動したのだ。
しかし、自分が原因なのにこの態度……タイチは本当にいい性格をしている。
やや楽観的すぎる傾向はあるものの、宿主としては素晴らしい適性だと言えるだろう。
「今から進路調査の紙を配るから、第三希望まで書いてくれ。だがその前に……」
俺がそんなことを思案していると、教壇に上がった担任教師がタイチを見ながら話を始めた。