六話目
久しぶりんごすたー
「ただいま。」
僕は家につくと、この言葉を欠かさずに言うようにしている。何事もメリハリが大事なのだ。条件付けのようなものである。
嘘だ。特に意味はない。
「お帰り。楽しかったかい?」
などといった言葉は返って来ない。別に家庭環境に問題があるわけではない。母は食材の買い出しに行っている時間で(うちのお母様はその日の食材はその日のうちに型なのだ。)父は単身赴任だ。母がいたら、父がいたら、普通に言葉は返ってくるだろう。むしろ、挨拶がない家庭が増えてきているなか、我が家は素晴らしく良好な家庭環境だといえる。ただ僕が馴染めてないだけだ。
部屋に戻り、僕は今日の出来事を振り返る。佐伯さんの歓迎会をして、諸先輩方のはかりごとで(実際にはただの成り行きだが)二人きりにされて、電車内ではマナーを守った。歓迎会ではどんな話をしたんだっけ。あんまり覚えてないな。たいした意はなかったんだろう。取り敢えず僕の財布は守られた。ミッションコンプリートである。電車内では、文集の話か…。
どうやら彼女は詩を書くことが趣味で、文集にも出すつもりらしい。僕も小説を準備していると伝えたがそんなのは嘘だ。どうしようか、出さなくても良いか、ダメか。
僕は学習机の引き出しをあける、そこには思い出したくもないものがたくさん詰まっている。ため息が出る。これは厳重に閉まっておこう。
駄目だ。こういう日は何もする気がしないし、何かしたって何もできない日だ。僕が悶悶としていると。玄関でとの開く音が聞こえてくる。どうやら母のご帰還のようだ。
『ただいまー。今夕ご飯作るからねー。』
玄関から僕の部屋まで聞こえるように大きな声で母さんは言う。僕もそれに、玄関にまで聞こえるよう応える。
『おかえりー。そんな急がなくていいよ。結構食べてきたから!』
はーい。と母が了解の意を込めて言う。程なくして食器の音が聞こえてくる。
僕は何か時間を潰せるものはないかと部屋を見渡す。ただ一点を除いて万遍なく。本棚に目をやり、漫画に手を伸ばす。『ファンタジーギャング』。馬鹿みたいなタイトルだがこれが意外と面白い。暫く何も考えず読みふけっていると。母さんが夕ご飯の支度が出来たことを僕に伝える。
『祐希―。ご飯出来たからいらっしゃい。』
冷める前にいただいてしまおうと、僕はダイニングへと向かう。其処に行く過程で、我が家の代々の仏壇が目に入る。僕はそこで、まだ色あせていない、屈託のない笑顔の少年、というには少しまだ幼い姿につい目をやってしまう。僕はこの写真を見るとなんともやるせない気持ちになる。彼の名前は佐藤祐樹。僕の兄になる予定だった他人だ。
僕が生まれる前に死んだこの人のことを僕は良く知らない。ただ彼が死んだとき母はえらく悲しんだらしい。それはもう僕の出生が危ぶまれるくらいに。
何とかかんとか生まれてきた僕に、父さんが死人と同じ名前を付けることで母さんは少しずつ正気を取り戻していったらしい。
それは、まるで、僕が贋作であるみたいじゃないか。なんてことを思いつつ、僕はロックンロールに傾倒していったのだけれど。中学を卒業するころには、自分の気持ちともケリはつけたつもりだ。少し過保護すぎるきらいも昔はあったけど、今ではそんなこともないし、きっと僕は僕で愛されていたのだろう。
でも、何というか、しかしまぁ、言いたくはないが僕は、
この名前が嫌いだ。
ダイニングに着く。そこで僕を待ち受けていたのは、暖かそうな湯気が、何ともまぁ美味しそうな、ニヒルな雰囲気をまとわせたオムライスだった。
『いただきます。』
僕と母さんは目の前のオムライスに向けて手を合わせる。もしかしたら昼食べたものとは違い、一工夫、そう例えば中のライスがイカスミだとか、そんな期待をしながらスプーンを差し込む。なんてことのない普通のケチャップライスだ。僕が本日二度目となるそれを神妙にじっくりと味わって食べていると、母さんが僕に話しかけてくる。
『今日は楽しかった?新しい子の歓迎会だったんでしょう』
『楽しかったよ。ほとんど先輩の話ばっかで歓迎会って感じはあまりしなかったけど。』
まぁ佐伯さんも楽しいって言ってくれたし良しとする。
『まぁ。それは駄目よ。ちゃんと気を使わないと。女子に嫌われちゃうわよ。』
余計なお世話だ。
『おとなしい子なんだよ』
多分。
『楽しかったってさ。僕もモテモテだって。』
きっとそうだ。後半は嘘だ。
『そう言えばあそこのファミレスはオムライスが人気だったわね。』
『イカスミパスタを食べたよ。イカスミがイカスミで最高だった。』
ほらこうしてとっさに気も使えるナイスガイだ。
ご飯を食べ終え、ついでの風呂もすませ、部屋に戻る。
ふと時計を見るとすでに午後21時を回っている。何かをするには少し遅く、かといって眠るには少し早い、一日のモラトリアムな時間である。
ただ無駄に時間を過ごしていると、振動音が部屋になり響いた。この音には心当たりがある。携帯電話を手に取ると、やはり新着メールが1件届いていた。
『なんだ、林道か。』
一瞬無視することも考えたが、一応用件を見てみる。
――明日カラオケ行かねぇ?――
とてもどうでも良い1文だけのメールだった。だが確かに日曜日を持て余しそうになっていたのも事実である。
――良いよ――
とだけ返しておく。
――新しく入った子も呼んでよ――
――無理――
くだらないことを要求してきたので我が人生最短のメールを返す。あとは勝手に時間と場所の連絡をくれるだろう。僕は夕食前の読んでいた漫画の続きを読み始める。
というよりも、そもそも佐伯さんは軽音部だったんだ。お前の方が良く知っているはずだろう!
それなのにわざわざ僕に頼むとは、あいつまさか。
――明日10時に駅の改札前な――
午前中からか。だとしたら少し早いがもう寝てしまおう。
そう思いベットに潜り込むと、思いのほかあっさりと僕は眠りに落ちた。