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夢と少女と旅日記  作者: タチバナ
第3話
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4.答えは闇の中

 約束通り30分後、私は少し予定が変わったと言ってパトちゃんを厩舎から引き取って、再びロレッタさんの家へと舞い戻りました。

「あの、ネルさん……? ひょっとして、このユニコーンを夢の世界へ連れて行くつもりですか……?」

「ユニコーンじゃなくて、パトリシアって呼んであげてください。パトちゃんでもいいですよ」

「じゃあ、パトリシアと呼ばせてもらいます。それよりネルさん分かってますか? 確かに私とあなた以外の誰かを連れてでも夢の世界へ行くことは可能ですが、その分エターナルドリーマーへの身体の負担は大きくなるんです。重い病気の彼女では、尚更耐え切れるかどうか――」

「言葉で説得しても駄目だったんだから、それ以外の方法で納得させるしかありません。私だって彼女に無理はさせたくありませんが、ほんのわずかな時間でも現実に引き戻すにはこれしかないと思います」

 エメラルドさんは、むぅという表情で納得しきってはいないようでしたが、それ以上は何も言いませんでした。ロレッタさんを救いたい気持ちは同じだと分かってくれたんでしょう。そして、家にパトちゃんを入れるためにロレッタさんの母親を説得した私たちは再び夢の中へとダイブしました。

 ロレッタさんは休憩所ではなく馬上にいました。どうやら私たちが夢の世界から離れていた間も馬に乗っていたようです。

「おお、戻ってきたか。……その馬は?」

「彼はユニコーンで、名前はパトリシアと言います。ロレッタさん、あなたと勝負するために連れてきました。やっぱり競う相手がいてこそ、競馬じゃないですか。僭越ながら私たちがお相手しますよ」

「なるほど。素人相手に負ける気はしない、――と言いたいところだが、ユニコーンならば普通の馬よりも速く走れるだろう。相手にとって不足なしといったところか」

「そういうことです。話が早くて助かります」

「1周勝負でいいか?」

「あなたがそれでいいなら」

「耐久ルールというのも考えたがな。私の競馬人生の締め括りとしては、やはり1周勝負がいいだろう」

 そうして、私たちはスタート位置へ。

「エメラルドさんはここで審判お願いします。あんまり当てにはしてませんけど」

「そっか。僅差で決着するかもしれませんもんね」

「では、準備はいいか? スタートするぞ」

「あ、じゃあ、スタートの合図も私がしますね。いきますよ? よーい、ドン!」

 緊張感のない合図でレースはスタートしましたが、私は緊張していました。手を抜くわけにはいきません。勝敗なんてどちらでもよかったのですが、本気で勝負しなければロレッタさんは納得しないだろうと思ったからです。

 スタート直後は私たちの方がリードしていましたが、別に先行逃げ切りなんて考えていたわけではないです。私は素人だから、最初から全力で走ることしか考えていなかっただけです。

 冷静になって考えてみれば、ロレッタさんが得意とする戦法は後方追い込み型。この時点で私たちがリードしていても不思議はなかったのですが、意外な展開に私は少し動揺し、ロレッタさんの調子が悪くなったのかとうしろを振り返ってしまいました。

 しかし、そこにあったのは鬼気迫る表情。本気のロレッタさんがそこにはいました。そして、私は振り返ってしまったことを恥じ、手綱を強く握り締めました。ロレッタさんの本気に私も本気で応えなきゃならないと思ったんです。

 第1コーナー、第2コーナーを抜け、第3コーナーに差し掛かってもまだ、私たちの方がリードしていました。しかし、第4コーナーからロレッタさんはスピードを上げてきて、最後の直線で追い抜こうとしてきました。

 私たちも負けるわけにはいきませんでした。パトちゃんには最後の一踏ん張りで頑張ってもらいました。しかし、それでも徐々にその差は詰まり、私たちのリードはわずか半馬身にまで迫りました。だから、横目で見えたんです。決着の直前、彼女はにぃっと笑っていたのです。

 そして、レースは終わりました。結果的には1馬身以上の差で私たちが負けました。だけど、私はとても充実した気分でした。ほんの少しだけ、ロレッタさんが目指したものにも近づけたような気がしました。

 私は互いの健闘を称えるため、馬に跨ったままのロレッタさんの背中に近づきました。異変が起きたのは、そのときでした。ロレッタさんの身体がふらりと揺れて、そのまま落馬してしまったのです。幸い怪我にはならなかったようですが……。

「ロレッタさん!? 大丈夫ですか!?」

 私は慌てて下馬して、ロレッタさんの元へ駆け寄りました。エメラルドさんも飛んできて、様子を窺いました。見れば彼女は身体中に滝のような汗をかいていました。

「少し……、無茶をし過ぎたようだな……。だが、私はもう満足した。最期の最期で全力を尽くすことができたのだから」

「何言ってるんですか!? まだ終わる時間じゃないですよ! こんな夢の世界に閉じこもったまま、終わってしまっていいんですか!?」

「たとえ夢であっても、この充足感は本物だろう……。ならば、それでいい……。今が、私の人生の中で、最も、幸せな……」

 そこで息絶えました。私の目の前で、あまりにもあっさりと人が死んだ。それは確かに紛れもない事実でした。でも……。

「ほ、本当に、死んじゃったんですか……? ここは夢の世界なんですから、ひょっとしたら死んでないっていう可能性も……」

「エメラルドさん、多分それはないです。彼女の想いは紛れもなく本物でしょうから……。

 でも、こんなのあんまりだと思います。ねえ、この世界の夢魔はあなたですよね? 答えてください。どうして彼女をこんな夢の世界に引き摺り込んだんですか?」

 私は、ロレッタさんがさっきまで乗っていた馬を指差しました。すると、馬は長髪で銀髪の男性へと姿を変えました。男の癖にポニーテールで、しかも普通に美形なのが余計に腹が立ちました。

「いかにも、マドモアゼル。わたくしこそがこの世界の夢魔、アルフォートと申す者でございます」

 瞬間、周りの景色が白く染まりました。そこにはロレッタさんの遺体も、競馬場もなく、ただただ白いだけの空間がありました。

「おっと、驚かせてしまったでしょうか? ミス・ロレッタの夢の世界はすぐに崩壊してしまいますから、代わりの空間を用意させていただいたのですが」

「『夢幻創造』」

 私は生み出した金の延べ棒で夢魔に殴りかかりました。しかし、あっさりとかわされてしまいました。

「おやおや、手が早いお嬢さんだ。わたくしはただ、貴女とお話をしたいだけだというのに」

「こっちは話なんかないです。とっとと死んでください」

「貴女は何かとんでもない誤解をされている。わたくしはその誤解を解きたい一心なのですよ。どうかおとなしく話を聞いてはいただけないでしょうか?」

「ネルさん……、この夢魔、少なくとも私たちに対して敵意はないみたいですよ。話くらいしてもいいんじゃないでしょうか」

「…………分かりましたよ。ただし、代わりにこちらの言い分も聞いてもらいますよ」

「ええ、もちろんです。互いに納得できるまで話し合いましょう」

 タキシード姿のそいつは、紳士ぶった態度でお辞儀をしてきました。

「まずひとつ。これだけは絶対に分かって欲しいということがあります。我々夢魔は人間を苦しめようだとか自分たちの欲望を満たすためだとか、そういった行動原理で動いてはいないということです」

「……そうなんでしょうね。なんとなく察しはついてましたよ」

「我々は人間を幸せにするために産まれてきました。つらい現実を忘れ、楽しい夢が見られるように、そのためにわたくしたちは死力を尽くしているんです」

 私はひとまず黙って話を聞くことにしました。

「ミス・ロレッタも重い病気によって競馬ができなくなるというつらい現実に襲われました。しかし、夢の世界ならば、そんな病気など気にする必要はないのです。

 彼女の場合は少し特殊なケースで、現実世界での病気の影響が夢の世界でも出ていたようですが……、それはともかくわたくしは彼女に幸せな最期を与えられたと自負しております。貴女も見たでしょう? 彼女の満足そうな笑顔を……」

「確かに彼女はきっと幸せだった。そのことについては否定しません。だけど、それでもやっぱりあなたたちは間違っています。人間が生きるべき世界は現実世界だけです。

 もしもロレッタさんが夢の世界に囚われず、現実世界で生きていれば、懸命な治療によって生き永らえたかもしれない。ちゃんと病気を治して、競馬に復帰することができたかもしれない。

 あなたはその可能性を潰したんです。現実世界で幸せになれる可能性を、未来を、希望を、勝手に潰したあなたを私は絶対に許さない」

「そうは言いますが、彼女の病気が治ることなど、まずあり得ない――」

「人間の限界を勝手に決め付けるんじゃない!!」

 思いの限りを籠めて、私は咆哮しました。被害妄想かもしれませんが、それをあいつは鼻で笑ったように見えました。

「では、貴女の“人間は現実世界で生きるべきだ”という考えは決め付けではないと?」

「……ええ、少なくとも夢の世界で掴んだ幸せなんて、所詮はまやかしでしかないです。そんなものが本当の幸せであるはずがない」

「ふむ。貴女の言うこともひょっとしたら一理あるのかもしれませんね。ですが、考えてみてください。我々は貴女にも幸せな夢を見せてあげることができるのですよ。

 そう、貴女の亡くなられたご両親を今すぐ目の前で蘇らせることだって――」

「――ッ! 勝手に人の心の中を覗かないでッ!!」

 話にならない。いや、最初からこちらの話を聞く気などないのでしょう。まあ、それはお互い様かもしれませんが、やはりどうしてもやり合う他ないようでした。

「おっと、これはこれは。わたくしとしたことが失礼を致しました。ですが、すぐに分かりますよ。つらい現実など忘れて夢の世界で生きることこそが人間の幸せであると」

「それは、あんたらの大将ナイトメアの考えでもあると理解していいんですね?」

「もちろんです。そして、我々はこの素晴らしき考えを実現させるために存在しています。全ては人間のためなのですよ」

「じゃあ、美少女旅商人のネル・パースが言っていたと伝えておいてください。ナイトメア、あんたは私がぶっ倒す、――ってね」

「はっはっは、了解致しました。それでは、また次の機会にお会い致しましょう――」

 そうして、奴は消えた。白い空間もいつの間にか消え、私たちは現実世界へと戻されました。そこにあったのは、ロレッタさんの死。

 その顔は確かに幸せそうだったけど、本当ならもっと別の可能性もあったかもしれません。少なくとも家族と一緒に最後の瞬間を過ごすことはできたはずです。

 なのに、何故私はロレッタさんの死を母親に伝えなければならないのか。私はただ悔しさを噛みしめる他なかったのでした。




 ……眠れない。人の死を目の当たりにしたせいで、夢魔に妙なことを言われたせいで、あの日のことを久しぶりに思い出してしまいました。日記でも、何度も何度も書いたことですけど、気持ちを整理するためにまた書いてみようと思います。

 当時、私は家にいるのが嫌でした。家ではいつも、お母さんとお父さんが喧嘩ばかりしていましたから。……いえ、喧嘩というのは正しくないかもしれません。お父さんはお母さんが何か言うたびに、暴力を振るっていました。

 私も最初は必死に止めようと、お父さんの足にしがみついたりしていました。それで暴力をやめてくれることもありましたが、段々とその効果もなくなっていきました。

 ついには、言葉も想いも届かなくなってしまって、私も諦めてしまいました。だから、学校から帰るとき、わざと寄り道をして少しでも家にいる時間を減らそうとしていました。いつかは時間が解決してくれるはずだからと自分に言い訳して、お父さんから逃げ回っていたんです。

 でも、あの日は違いました。虫の知らせというやつでしょう。なんだかとても嫌な予感がして、学校が終わると直行で家に帰りました。――だから、見てしまったんです。お父さんの血がついた包丁を持ったお母さんの姿を――。

 事件現場は、お父さんの書斎でした。小さな声で「ただいま」と言いながら玄関を開けた私は、いつも居間にいるはずのお母さんがいないことにすぐに気付きました。

 だけど、玄関にはちゃんとお母さんの靴もお父さんの靴もあったから、家のどこかにはいるはずだと思って探してみたんです。たとえ喧嘩中だったとしても、ふたりが無事なら、私の嫌な予感は杞憂だったと胸を撫で下ろすことができたでしょう。

 しかし、そうはならなかったのです。お父さんの書斎に近づいたとき、中から物音が聞こえてきて、扉を開けて見てみたら、そこには血の海ができていました……。

 中にいたお母さんは、すぐに私に気付き包丁を持って立ったまま、こちらに驚きの表情を向けました。おそらくお母さんは、私がこんなに早く帰宅するなんて思ってなかったんでしょう。具体的にどうするつもりだったのかは分かりませんが、お母さんは私が帰ってくるまでに全てを終わらせておくつもりだったに違いありません。

 そして、驚いたのは、もちろん私も同じでした。お母さんの足元には、血の海に沈むお父さんの姿がありました。血濡れの包丁をお母さんが持っていることを考えれば、誰が犯人なのかは一目瞭然でした。

 お母さんはすぐに包丁を床に置いて、思わず悲鳴をあげそうになった私に近づいてきて、私の両肩をそっと抱きました。驚きの表情は既になく、代わりに涙を浮かべた目がそこにはありました。

「ごめんね、ネル……。どうしても、こうするしかなかったの……」

「お母さん……、どうして……? どうして、こんなことになっちゃったの……?」

「本当に、ごめんなさい……。ネル、あなたは――」

 言葉はそこで途切れました。何故なら、お母さんの心臓が包丁によって貫かれたから。刺したのはお父さん、……一見死んだかのように見えてましたが、即死ではなかったようです。私はお母さんの言葉に耳を傾けるのに必死で、お父さんが包丁を持って立ち上がり、お母さんの背中に立つのに気付かなかったんです。

 そして、そのお父さんもすぐに倒れました。本当に、最期の力を振り絞ったという感じでした。お母さんの方は、その後の調べによると即死でした。

 私は、お母さんとお父さんを同時に失ったという事実を受け入れた瞬間、気を失ってしまったようで、物音に気付いた隣人の方が心配して来てくれたとき、一瞬私も死体となって倒れているかのように思われたようです。ひょっとしたら、本当に私もあの時死んでいればよかったのかもしれないと思うこともありました。

 その後の経緯はよく覚えていませんが、話を聞きつけた孤児院の先生が私を引き取ると言ってくれて、(――拾ってくれたことには感謝していますが、)数年間つまらない生活を強いられることになりました。

 それにしても、お母さんは一体最期に何を言いたかったんでしょうか。それが気になって、今でもあの光景が忘れられません。いつか答えを見つけられる日は来るんでしょうか……。

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