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「さて、未来が為の大事な逸材にした仕打ちに天誅を下したいところではあるが……。あの人を、罪人の夫にしたくない思いも強くある。そこでどうだろう? 『小便垂らしながら、半ベソかいて逃げ出して、家に帰って母ちゃんのおっぱい吸ったらば許してやる』と、いうのは?」
最終宣告であるかのように、先生は薬之助達に向かってそう提案した。
その言葉に、ワナワナと震える男共。
「女風情が……。舐め腐りやがって……」
ふと、一人が呟く。
「……よく、聞こえなかったが?」
きっと、先生は顔をしかめた。
顔の筋が軋む音が、私の耳に入るくらいには。
「女風情がと! 言ったんだッ!!」
けれど、その男は敢えて声を張り上げた。
「ふざけやがって! 年長者の言うことと、礼を以って聞いていれば! 俺達に対する無礼極まりない発言! おまけに厚かましくも、非を押し付けて! 恥を知れ!」
その言葉がそうだ、そうだと周りへと広がっていく。
「貴女は一体齢幾つになる? 父上に、母上に、一体何を習った? 何故弁えるということを知らないのですか?」
「しかも! しかも俺達の大事な友達を! 寅次郎に怪我までさせて! その上汚い言葉まで浴びせて! 酷いよ!」
「許してやる? 許して貰うのはそっちの方だろうが! 銃まで向けやがって!」
「――すべたが……」
「地獄へ落ちろ! 畜生!」
「死ねェ! 死ねェい! 死ね死ね死ねェいッ!!」
集団で女に私刑をかけるような輩に元々そんなものがあったかは別にして、甚く誇りというものを傷付けられたのか。
男達は口々に言い出した。
正直、誰が何を言っているのかの、区別はよく出来なかった。
――自分に暴力を振るう人間の顔と名前を覚える気などさらさら無かったから。
分かるのは、『すべた』などと先生を酷く罵倒した人間が白髪混じりの黒髪で長身痩躯の優男で、いじめの中心になっているのは薬之助ということくらいか。
……この二人はなまじ顔立ちが華やかな為に、敢えて覚えないでおこうと気を配っていても頭からは剥がれないのだ。
本当に嘆かわしいと、私が心の中で呟いた後、最後に薬之助がこう言う。
「――抜くぞ、手前ら」
と。
そうして、彼は杖に仕込んだ白刃を顕にさせる。
「許すな。肉の一欠けらも。骨の一片も。血の一滴すら許すな」
仲間達に目配せをする。
「殺るぞ」
その言葉が合図となった。
「応!」
「やりましょう」
「叩き斬る!」
「殺す!」
「――須く……」
「左様に」
「殺すゥ! 殺す殺すこォォォろォォォすゥウウ!!」
一人を除き、皆が皆、持っていた杖に仕込んだ刃を抜き、構えを取る。
――妙にくぐもった声をした、長身痩躯の白髪の男だけが刀を納めたまま何時でも刃を抜けるような体勢であった。
どうしてなのか。
先ほど先生の凄まじさを垣間見ていた筈の男達は誰しもが逃げようとはしなかった。
「そんな……。どうして?」
「貴様等の下らない誇りで、余程首を絞めたいのだろうな……」
これだから男は、と先生はなんだか物悲しそうな言葉をぼそりと呟いていた。
なるほど、誇り。
そういえば、彼等は皆、流派は違えど、剣術を学んでいて、それぞれが相当な腕前を持つとか。
武道の『ぶ』の字も知らない私には分からないが、そういう人間特有の誇り。
そして、私を苦しめた、男としての、日本男児としての誇り……。
「良いだろう! 血で血で洗う闘争を! 私の大好きな戦場を! 望むのならば、戦争をしよう!」
でも、先生は、大和撫子は、だからこそと言わんばかりに高らかに宣言した。
「先生……」
偉丈婦たる彼女の背中は、元の身の丈よりも相当に大きかった。
だのに、まるで夫を失った老婆のように、なんだか弱弱しくもあった。
「香、突然だが一つだけ構わないか?」
「何ですか?」
心残り――とでも言わんばかりに彼女は尋ねた。
「先ほど君は『先生私はやりました』と、言ったね?」
「はい、言いました」
「それは『大和撫子』たる振る舞いが出来たと捉えて良いのかな?」
彼女はその一点だけを訊ねてきた。
それ以外はいらぬかのように。
「はい! 私は、大和撫子たる言葉でもって彼等に一矢報いました!」
自信を持って、私は答えることが出来た。
それだけは偽る必要もないくらい強く。
「――ならば、私も見せないとね」
先生はそう言って、結局一度も振り返ることはなかった。
「その毛唐に無礼な言葉を教えたのはお前か? 鵺?」
「そうだ。物を教えるのが先生の仕事だからね」
薬之助の問いに、先生はそう言い切った。
「特に、大和撫子にはしっかりと物を教えてやらないといけない。時代は彼女達によって動かされることになるのだからね」
しかと、刻み込むかのように。
そう付け足して。
「フン……」
けれど、彼はそれに対し鼻を鳴らし、いやらしく口元を歪め、
「そろそろ御託も聞き飽きた。殺るぞ」
彼は今一度仲間達に告げた。
「おうよ!!」
そう威勢よく返事をすると、一番手前にいた仲間が刀を上段に構えて突進してきた。
「どりゃアアアア!!」
と、けたたましい雄たけびを上げながら突っ込んでくる男の、その影から、
「よし!」
「貰ったァッ!!」
と二人が左右に分かれるように飛び出した。
その左の男が先生の首を、右の男が足をそれぞれ同時に、しかも凄まじい速さで狙う。
二つの薙ぎと、一つの唐竹割りが同時に襲う。
それに対し、先生はまず、一番最初に攻撃を仕掛けてきた人間へと、発砲した。
――ライフル銃というものは、両手で構えて撃つものらしいが、先生は右手一本で、しかもかなり正確に男の右耳を撃ち抜きに行く。
それに対して男は息を呑みながらも、左に首を逸らし、弾を避けるが、この時、大きく体勢が崩れる。
これを好機とばかりに、であった。
先生は懐から、銃の先端に取り付けられたのと同じ短刀――銃剣を左手で四本同時に取り出し、一遍に四肢へと投げつける。
阿鼻叫喚となりながら、そのまま男の体は地べたへと落ちていく。
――しかし、同時に二つの薙ぎが容赦なく襲いかかった。
「えっ?」
「はっ?」
二人の男は瞬間、訳が分からないとでも言いたげな間抜けな声を上げた。
それもその筈だ。
先生は首に迫る刃を上体を逸らして避けつつ、足元に迫る刃を踏み砕いたのだから。
見ている此方も、驚愕せざるを得なかった。
あり得ない。
投擲によってその馬鹿力を見せつけられたとはいえ、あの凄まじい速さを見たとはいえ信じることなど到底できる筈もない。
人間が、丈夫な鉄で出来た刃をいとも簡単に砕いてみせることなど。
「……楽しい――」
そんな言葉が聞こえた、乾いた音と、何かが砕ける鈍い音、柔らかく気持ちの悪い音やらがして、二人は倒れていた。
何が起こったのか?
あまりに速すぎて見えなかったが、恐らく先生はあの体勢のまま、銃のレバーとハンマーを素早く引き、足を薙ぎに来た男に凶弾を一発――倒れた男の傷の箇所から見て、おそらく左の膝小僧へと発砲。
そして、首を薙ぎに来た男の左脇腹に肘鉄を一回。鼻頭に左の拳を二回。その痛みにたじろぎ、落とした剣を拾い、それを右の内太股へ。
また、銃弾によって倒れかけていた男のもう片方の膝小僧を銃に取り付けられた剣で刺突。引き抜きつつ、倒れてくる男の顎に銃床をカチ上げ、粉砕。
恐らくこんな所であった。
「……そうだ、戦場とはこうであった――」
天を仰ぎ、狂気の華は、沸々と湧き上がる快楽に身を震わせる。
「くそォォォオオオオ!!」
一斉に男達は先生に襲いかかる。
陣形も無く、策も無しに、ただ仲間を蹂躙された怒りに支配されて。
迫り来る、八人もの剣を携えた男達。
けれど、先生はきっと顔を綻ばせていたに違いない。
「……鼓動、熱い」
劣情に彩られたその声色は、私にそんな想像をさせるに難くはなかった。
「私は――生きているッ!!」
先生は軍勢の強襲に対し、スペンサーを両手で激しく振りかぶり、まるで大鉞のように斬撃を叩きつける。
――地面へと。
「もっと――感じさせろォオォォオ!!」
虞轟ッ!!
と、衝撃が礫や土を巻き上げ、敵へと襲いかかる。
小石の一つ一つが弾丸に、砂利の夥しきが弾幕に変わる。
男達はそれを一身に受け、短い呻き声を上げる。
弾丸が、弾幕が突き刺さり、斬撃が起こした衝撃波が武道によって鍛え上げられた肉体を吹き飛ばしていく。
「まずい……、視界が……」
しかも、土ぼこりが、分厚い膜となり次の攻撃の対応を難しくする。
先生はその機を――逃さない。
スペンサーのレバーを左手で、ハンマーを右手で引き、発射――。
同じ動作をさらに四回繰り返し、弾丸を再装填。
さらに全弾七発を全て撃つ。
計十二回。ばすっ、ばすっと乾いた音が鳴る度に、鮮血が霧吹きされ、青空を紅蓮に染める。
土埃で向こうに先生が見えないなら、先生にも敵の姿は見えない筈なのに。
まるで向こう側の人間が、いや、その人間の体のいたる所がしっかりと見えているかのように、彼女はよく狙って、銃弾を撃ち込んでいく。
会津の砲術指南役の娘であり、でんでん太鼓よりも単発式の拳銃を持つ方が早かったなどと生徒に噂されていた先生であったが、それを踏まえた上でも鮮やか過ぎる銃撃であった。
先生は、男達を吹き飛ばし、視界を塞がれるまでの僅かな合間の光景を記憶しておいたのだ。
そして、時間の経過によって、標的がどのように落ちてくるか、その経過を脳内にイメージした。
――と、先生がそのように射撃したと後に自分自身で語った。
「ウッヒッヒッヒッ! 楽しいィ! とてもとても! 最高だ!」
天を仰ぎ、降り注ぐ血雨を浴びて、歓喜の笑声を上げる先生。
辺り一面に、鉄錆に似た匂いが香る。
着物と同じ色に染まる先生の顔は、恍惚としていていた。
「……凄い」
豪快にして、刺激的。
怪物のようでいて美麗。
「これが……これが大和撫子……」
清く、正しく、凛としていて、慎ましく、可憐とは程遠い。
おどろおどろしく、気狂い染みていて、けれど力強い。
そうだ――これこそ私が求めていたもの。
憧れ、恋焦がれていた大和撫子。
「カッコイイ! 先生ッ! とってもカッコイイです!」
気がつけば私は先生に声援を送っていた。
心が躍っている気がした。
もっともっと、先生の大和撫子ぶりを見てみたいと切望しさえしている。
「フッ……」
先生は少しばかり此方に微笑みかけた。
そして、スペンサーに銃弾を装填しながら、残った二人――薬之助と白髪頭に向き直る。
「さて、戦争を続けよう。次はどちらが犠牲者か?」
その問いかけに対し、
「――私が……」
薬之助と先生との間に立ち、白髪頭は刃を鞘に納めたまま、いつでも抜ける体勢に構える。
まるで、薬之助を守るように。
「居合術か」
「――抜き……だ」
「同じことさ」
『居合術』に『抜き』――。
よく分からないが、抜刀術と同じようなものなのだろうか。
だとすれば、勝負は一瞬でつく筈である。
俄か知識に過ぎないが、剣術は戦闘術的であり、抜刀術とは護身術的なものなのだとか。
そして、抜刀術とは鞘から抜いた高速の初撃で仕留める、または初撃で怯ませ二撃目で仕留めるといったものらしい。
「――来い……」
篭り気味の声で彼は先生に命じた。
しかし、言葉通りにするわけはない。
自分から剣の間合いに入り込むということは、つまり一撃必殺を敢えて浴びに行くものなのだから。
当然先生は、間合いの外から、スペンサーの凶弾を一発、二発、三発と連射する。
「疾ッ……!」
その瞬間、白髪頭は抜刀して弾を切った。
切った……の、だろう。
金属と金属がぶつかりあう、硬い音が三回鳴ったのだから。
けれど、
「まったく……見えなかった……」
――弾丸が発射されたあとも白髪長身痩躯の男は、微動だにしていなかったように見えた。
それほどの速さということである。
先生も流石に驚いたのか、口笛を鳴らしていた。
「――聞いて……なかったか……?」
「あん?」
「――私の、間合いに、来い、と……言った……」
くぐもって聞こえていた声が少しだけ、曇りが取れ、強くなった気がした。
優男風な容姿ながら病人のように見えるこけた顔も、幾許か凄みを増したように思えた。
「……なるほど。そこに転がっている有象無象どもよりはマシなようだな」
先生は、自分が倒した男共を見て言うと、先生は前屈みな体勢をとる。
白髪男はそれを見て、より一層に集中力を高める。
猛禽のように、先生の筋一本一本の動きをも捉えんと、男は一層凝視する。
だが――次の瞬間にはその表情は苦悶に変わっていた。
「何故と、貴様は問いたい筈だ」
一瞬先生が消えたと思ったら、男と肉薄する位置にいた。
「簡単な話だ。高速を重きとする居合術に対しては、抜かれる前に仕留めれば良いというだけの話だ」
男に、スペンサーに取り付けられた、切っ先が突き刺さる。
「それ以上の動きを以って」
そう告げるなり、先生は男の首根っこを掴みを空いた左手で掴み、まるで鞠でも投げるかのように、軽々と左方へ放る。
そして、
「チェェェストォォォオオオオ!!」
と、けたたましく叫びながら襲い掛かる、薬之助の、空中からの袈裟斬りを、先生は銃剣で受け止める。
そのまま、先生は薬之助を突き飛ばす。
片膝をついたのは薬之助だった。
しかし――。
「砕けた……か」
大打撃を被ったのは先生だった。
銃剣が、粉微塵に砕け散ったのだ。
「玉鋼で出来た私の銃剣が……」
驚愕を隠せなかった先生。
と、その時、
「呑気に喋ってんじゃねぇ!」
喉笛へと薬之助が刺突を放った。
上体を大きく逸らしてそれをかわすが、
「ウルアァ!」
右肩からの袈裟切りが、
「どりゃア!」
左からの薙ぎが次々と襲いかかる。
先生は来る攻撃来る攻撃を、全て寸でのところでかわす。
「オラオラオラァ! 」
息も吐かせぬ、神速による連続攻撃。
最初こそ先生はその攻撃に戸惑っていたように見えた。
事実何度かその身が僅かに裂かれ、鮮血が飛ぶ。
――私の顔にもそれがかかった。
だが、しかし。
すぐに笑声が漏れ始めていた。
戦争を愉しむ、大和撫子が戻り始めた。
「このォ! 糞ォ!」
痺れを切らし、まるで子供のチャンバラのような力任せで、技も何もない大振りをしかけてしまう。
「なッ!?」
先生は、刀身を掴んでそれを受け止めた。
滴り落ちる、血液。
白刃がべっとりと染まる。
痛い、筈だろう。
先生は、これまでにないくらい、此方が変な気持ちになってしまうくらいに、艶かしい笑みを浮かべていたのだから。
「――これはさておいて……だが。良い技だ、芋侍」
先生は、そう讃辞を述べた後、がっ、がつっと音が鳴り、直後に銃声が鳴り響いた。
「いぎッイ!?」
スペンサーの弾が、彼の右の脛を打ち抜いたのだ。
激痛が走り、剣から手を離す薬之助の顔面へ、追い討ちとばかりに、先生は自らの頭蓋を叩き込んだ。
厳!
と、重い音が鳴って、彼の顔を真っ赤に染めながら、衝き倒されて、二転、三転と地面を転がり、薬之助は仰向けになる。
それを見届けると、
「最後が少し肩透かしだったが――。良い戦争だった」
そう、まるで独り言のように呟いた。
そして、羽織を、まるで西洋の紳士がマントを翻すような振る舞いで、此方を向くと、
「終わったぞ」
と、先生は微笑んでいた。
それはもう聖母のように。
「素晴らしかったです!」
今更何がと、言うのは無粋だ。
「……そうか」
先生はそれをかみ締めるかのように目をそっと閉じて、天を仰ぐ。
「え」
刹那、であった。
乾いた音が鳴り響き、先生の背後から硝煙が上がる。
「そん……な……」
偉丈婦はそのまま頭からうつ伏せに倒れていく。
まるで、石像が倒れたのかと聞き間違える大きな音が立つ。
あんなに軽そうだったスペンサーも、彼女の手を離れると、なんとも重たいものだった。