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JAP PINKS!!  作者: 葵尋人
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 大和撫子――という華を知っているだろうか?

 河原などに咲く、濃い桃色の華である。

 古くから、この華は日本の女の例えとしてあり続けた。

 見た目こそは細く、可憐に見えるが、芯は強い。

 そんな女性こそ素晴らしいと。



 私、神原香(かんばらかおる)は人生において、大和撫子を極めんとして、尋常ならざる努力をしてきたという自負がある。

 望む、望まざるはさて置いて、慎ましく、誠実でいて、可憐。

 そんな女性になるように私は邁進してきた。

 それというのも、私の髪は、まるで日輪のように金色で、肌の色はまるで蝋燭のように白く、瞳の色は翡翠(ひすい)に似ていた。

 ――要するに、私の外見は大和撫子とはほど遠い、ヨーロッパ人そのものの外見であった。

 両親共に日本人なのに、生まれつきそんな外見をしていたのである。

 理由は分からない。もしかしたら、私の両親の何代か前を遡れば、ヨーロッパ人の血があるのかもしれないし、生まれてくる時に何か手違いがあったのかもしれない。

 どんな理由があったにせよ、浦和に来航したペリー提督が化け物のように描かれていた時代である。

 多分に不気味な出生の仕方をしている所為か、多くの人にとって本物の西洋人以上に化け物のように感ぜられるようで、幼い時から人でないと、本当は鬼の子供だと、理不尽な言葉を浴び、その度に泣かされてきた。

 髪も黒く、肌も黄色い両親は、『心を美しく磨き、日ノ本の女たれ』と月並みなことを言うだけであった。

 だから、私はずっとそうあろうと生きてきた。

 それしか術がなかったから。

 どんなに酷い言葉で傷つけられようと、この身にどんな辛い痛みを受けようと、私は凛としているフリを続けてきた。

 そう、あの日までは――。

 或いは、西洋に興味を示している人間が多く通っているであろう場所ならば不当な仕打ちを受けないと考えて通ったキリスト教主義の英学校で。

 人目見ただけで、私に衝撃を与えた『先生』。

 その人と初めて話したあの日までは――。



 

 ――私は出会った中で一番印象的な人物はと問われれば、私は先生のことを挙げるだろう。

 そして、他の人間が挙げる印象的な人間よりも勝っていると、自信を持って答えることが出来る。

 鮮烈にして強烈、気狂い染みていて化け物染みているそんな人。

 けれど、私は人生において、先生よりも凄まじく、素晴らしく、美しい人を知らない。

 これから話すのはそんな先生に纏わる話。

 先生によって私が生まれ変われた話である……。





 時は明治十一年某日――

 廃刀令が施行されて、二年も経つというのに、人の根本にはまだ武士が刀をさして歩いていた頃の考え方が残っていた。

 そんな頃であった。




 その日、帰り道で突然雨が降ってきて、私は雨宿りの為に茶器を扱うお店の前で雨宿りをした。

 もっとも、雨の勢いはいきなり凄まじく、着物はすっかり重たく心地の悪い肌触りに支配されてしまっていたのだが。

「……寒い」

 じわりじわりと身が凍えていくのが感じた。

 特に学校で嫌なことがあったから、余計にその身の冷たさが辛く感ぜられる。

 どうしよう、何時雨は止むのだろうか?

 そう考えながら、ふと隣を見るといつの間にか、誰かが立っていた。

 誰だろうかと、顔を確認したら、首の筋を痛めそうになった。

 ――自分より、一尺と五寸は背丈のある人物だったのだ。

 先生――である。

 洋傘を畳んでいる最中だったから今しがたなのだろうが、先生がいた。

 先生は身の丈六尺五寸ばかりもあるハンサムな女性だった。

 黒い髪を頭の高い位置で結んだ姿はまるで洋馬の尻尾のよう。

 赤い地に、淡紅色の花――撫子が描かれた派手な柄の羽織を雑に着ていてる所為か、足が見えてしまっている。 

 その見えてしまっている足は黒いずぼんに覆われていて、履き物は黒いブーツ。

 口に紙巻の煙草を咥えていて、白い煙が体の周りに漂わせた洋と和とが同居した姿をした麗人。

 芳しい紫煙を漂わせた、その人は私が通う英学校で教鞭を振るう先生だった。

 彼女を指して同級生は妖怪の名前で呼んだりするが、それは愚か。

 その人はとてもかっこいい人だった。

 憧れてさえいた。

 だから、私は先生と話をしてみたかった。

 いざ話そうと思っても、話題が見つからない。

 先生の見ている世界は私の見ている世界とはかけ離れているだろうから。

 興味を惹ける話なんてあるわけがなかった。

 そうやって私がどぎまぎとしていると、先生は突然私を覆うようにして抱き寄せ、着物を脱がす。

「せ、先生」

 豪雨であるし、六尺五寸もある先生のおかげで、周囲の人から見えないとはいえ、家の外。

 そんなところで肌を晒すなど、恥ずかしくてたまらなく、素頓狂な声が出てしまった。

 私は慌てたが、

「……風邪を引いてしまう。体を拭かないと」

 先生は私をそう言って説き伏せた。

 否、説き伏せられた。

 言葉ではなく、私を見るその瞳に。

 弱った小鳥を見つめる少女のように見えたから、かっこいいと思っていたその人が、そんな表情をしたから。

 私は、先生の言う通りに従った。

 レースのハンカチで私の体を拭いている先生の手は、女性だとは思えないほどまるで岩のように硬く力強かった。

 けれど私の顔に当たる感触は、やはりというか、優しく柔らかく、やはり女性であった。

 ――このまま死んでしまうのではないか。

 そう疑いたくなるような、自分の鼓動に暫し耐えると、

「これでいい……」

 先生はそう言って、私に着物を着せなおし、再び隣で煙草を吹かし始めた。

「――すまなかったね。あまりに強引で」

 先生はそう言って誠心誠意謝りつつも、

「けれど、乙女の体というものは壊れやすいんだ。次代を担っていくその体の為には仕方なかった――と、君に恥をかかせてしまったこの私をどうか多めに見て欲しい」

 と言って自分のしたことはあくまで正当であると主張した。

「次代を担うって……。わ、私は女ですよ」

「女だから、時代を担えるんだろうが」

 反論に反論で返されてしまった。

 けれど、女というものはあくまで男を支えるべきであって、次代を担うなどといった大それたことは出来ないもの。

 それが世間の考えなのだと先生に言うと、

莫迦(ばか)か君は?」

 先生は煙たい嘆息交じりにそう言った。

「今は明治だ。新時代だ。そんな古めかしい考え方でどうする? そんなことだから君は同輩の、たかが芋野郎共のちんちくりん風情に虐げられるんだぞ」

「知っていたんですか?」

「あぁ、知っていたさ。情けねぇ。反吐が出る」

 先生の言葉は、私の心を深く抉った。

 ――私はいつも同輩の、薩摩出身の薬之助(やくのすけ)という少年を中心とした十数名の男たちに苛められていた。

 明治時代を切り開いた国の一つでかなり力を持っていた薩摩藩の士族の子で、顔も良く、同輩の中でも成績は優秀な方で、しかも剣の腕も立つ薬之助が傲慢になることは至極当たり前のこと。

 しかもそういうよく出来た人間というものは周りに人を集めやすく、そうして人が何人も集まれば誰かを集団でいびりにかかるものだ。

 そしてそのいびりの対象にされたのは私。

 理由は明快。

 同輩の中にいて私は数少ない女。

 しかも、私は――

「……毛唐って言われるんです」

「あ?」

「毛唐って言われて、馬鹿にされるんです!! 私は、確かに日本人の子なのに!!」

 やはり、海外に興味を持った人の中においても、差別を受け続けていた。

 毛唐と――。

 お前は日本人じゃなくて糞ヨーロッパ人だと。

 そんな呼ばれ方をしていた。

 ――日本人でありながら、日本人であることを否定される、血の一滴一滴が毒薬に摩り替わるような苦痛を、物心つく頃から齢十八になる現在まで味わい続けてきたのだ。

「どうしようも……どうしようもないじゃないですか!?」

 私はその時、涙を流しながら、先生に掴みかかったかもしれなかった。

 よく覚えてはいないけれど、確かにそうだった筈だ。

「本当か? 本当にそんなことを?」

「……本当に言われました」

 先生は絶句していた。

 口から咥えていた煙草が零れ落ちた。

 そして、まるで全身の力が抜けて、衰弱したかのように、よろめきながら、豪雨の道の真ん中へと歩く。

「くッ……」

 彼女はその強く大きな右手で顔を覆い隠し、天を仰ぎ、

「クハッ!! イッヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッヒヒャヒャァッ!!!!」

 笑った。

 それはもう盛大に。

 腹を抱えて道のど真ん中で、跪いてしまうくらいに。

 咥えていた煙管を落とし、泥水の中に浸かってしまうのも気にせず。

 道行く人達が足を止め、狂人を見るような目で先生を見つめてもなお。

 篠を突く雨にかき消されないほどの大声で。

 先生は愉快痛快と笑い続けていた。

 流石に、私は呆気に取られそうになりかけたが――先生が狂笑を禁じ得ない理由を知ってしまっているから、とてもそんなことは出来なかった。

 ――明治というこの時代は、江戸幕府の側と、尊王攘夷志士との間に起こった数々の戦の上に成り立っているというのは言うまでもない。

 そして、志士達が攘夷を諦め、新しい国造りを目指し始め、江戸城無血開城が起こった暫く後も戦が続くのだが、その中に『会津戦争』というものがある。

 旧幕府陣営は会津藩を筆頭にその他少数の諸藩。

 新政府側は薩摩・長州藩を中心にし、さらにその味方に多くの藩。

 旧幕府側は新政府側と比べて圧倒的小数。

 さらに新政府側には、西欧諸国から買った数多の近代兵器という名の後ろ立て。

 ――言うまでもなく、旧幕府側は蹂躙された。

 殊更に、会津藩への被害というものは酷く、戦場で多くの男が命を落としたのは言うまでもないが、女は犯され、城下町が戦場になった時は、子供までもが足手まといになることを怖れ自害した。

 また、白虎隊と呼ばれる、まだ未来のある少年達が、炎上する城下町を見て、落城――つまりは、自らが主君の死と勘違いし、自害したのはあまりに有名な話である。

「アヒャ……ッ!! 言うに事欠いて!? ウフッ……!! 奴等の威を借って!? イヒッ……!! 私の弟を!? グフッ……!! 私の故郷(くに)を!? ゲヘッ……!! 壊したヤ・ツ・ラの血筋がケ・ト・ウときたかよォ!?」

 ――先生は、会津の出身であった。

 話を交わしたことのある何人がただの肉片となったことか。

 見知った顔のどれほどがただの炭と化したことか。

 その細かな所は知らないが、この戦いで先生は刎頚(ふんけい)の交わりと言えるような、友を亡くしている。

 また、会津戦争以外の所でも、先生は鳥羽・伏見の役という戦の所為で、弟を失っている。

 だから、だろう。

 いくら会津戦争に参戦したことがある筈がない薬之助とはいえ、薩摩藩の者が、弱い立場の者に――つまりは私に暴力を振るっているという事実に、怒りすら飛び越えて、嘲笑が込み上げたのだ。

 まして、アメリカやヨーロッパの後ろ盾もあって、勝利をもぎ取ったというのに、それらに対して蔑称を使うのだから、先生にしてみれば、笑わずにはいられない。

 ――の、かもしれない。

 私は自分の大切な家族が、元々そんなものはいないけれど親しき友が、見知った顔の多くが、死んでいった悲しみなど知らないから想像にしか過ぎない。

 だが、もしも私がそういった人たちを、誰かに殺されたとして、その血筋にあたる人間がまた別の誰かを虐げるような場面を見せられたとして――。

 尋常でいられる自信は……無かった。

 兎に角、先生は恐らくそういったことで、笑っていた。

 苦しそうに腹を抱え、偶に咳き込んだりしながら。

 そして、なんとか立ち上がると、先生は、

「笑ォオォ止ィィィッ!! 笑止!! 笑止ィッ!! 笑止ィィィイイイイッ!!」

 叫んだ。

 土砂降りの空の、分厚い鉛色の雲の向こう側までをも貫くかのように、先生の声は響く。

 笑止――その言葉通り、大笑いはしていた先生であったが、それ以上に悲痛そうだった。

 そして、先生はまたよろめきながら、私の方に寄ってきて、

「……すまない。くだらない時代がくだらない理由で君を苦しめて」

 抱きしめた。

 私の体を。

 強く、強く、千切れるくらい強く。

「……たくさん血が流れてそれでも作った時代の癖に。考えが古いままなのがいけないんだ。君は何も悪くない。何も悪くないんだよ」

「――先生」

「でも、だからこそ香。君は強く物を言わなければ駄目だ。男に対しても。慎ましくある女が、大和撫子ではないのだから」

 先生は男に対しても、強い物言いをしていた。

 自分の旦那様を呼び捨て、立てることをせず、逆に尊重されていた。

 まだ女性が男性に低く扱われていた頃だったから、先生は周りの女性から『悪妻』と呼ばれ罵倒されていたけれども――。

 だからこそ、私は先生に憧れていた。

 男児に対して強くあれる先生に。

 男が尊重され女が卑下される中で、女こそが尊重されるべきだと声高に語る先生に。

「毛唐だと? 良いじゃないか。明治はヨーロッパ人に作られたようなものだ。君の髪は新しい時代の色だぞ。誇れよ」

 けして私の容貌を悪く言わない――いや、それ以上に肯定しさえしてくれる先生に。

「――先生」

 彼女は笑顔だった。

 まるで天女のような。

 いや、彼女は聖母と呼ばれた方が喜ぶか。

 キリスト教主義の学校の先生なのだから。

 けれど、同時に泣いてもいたように見えた。

 涙は、流れていなかったけれど、泣いているように見えた。

 まるで狂人かと疑いたくなるような物言いであったが、それでも力強く、私はその言葉に芯を射抜かれた。

「先生。どうして、貴女は、そんなに強いんですか?」

 私は気になった。

 どうして、こんな力強く、ハンサムでいて、こんなに心を暖かくしてくれる狂人がどうやって生まれたのか。

「戦争のおかげ……だろうか」

 例えば、土手に咲いた蒲公英(ほこうえ)の華が、踏まれる度に強くなるような。

 そんな月並みな話をするのかと思った。

「……あれは、とても良いものだよ」

 けれど、次に来た言葉は、私が想像もしていなかった言葉であった。

 耳を疑いたくなった。

 けれど目に入る先生の顔は、その言葉が現実だということを、しかと表していた。

 先生は、微笑んでいた。

「……弟が殺されたから。鬼畜なキチガイ共を皆殺しにしてやりたくて参戦したんだ。弟が戦陣で纏っていた羽織を着て。あの戦いに」

 先生が、会津戦争に、男装をして参加していたということは知っていた。

 何しろ先生は相当に目立つ人である。

 良くも悪くも、そういった人は家族のことだとか、過去のことだとか、そういったことを、嗅ぎ回られてしまうのである。

 ――当然、嗅ぎ回られた話は、噂といった形で英学校中に広まり、横の繋がりが皆無である私の耳にも届くのである。

「……確かに沢山、それも見知った人達が死んだ。多くの血が流れ、友人も、粗方亡くしてしまった。……泣きだってした。枯れ果てるほどに」

 それは、間違いなく真実であった。

 先生からは悲痛が見て取れた。

「けれどね、戦争はとても楽しかったんだよ」

 つい最近の最愛の人とのごくありふれた一時を思い出すかのように、それでいて幼い頃の初恋を追憶するかのように――。

 どちらにせよ、先生のどこまでも柔らかい表情は、女性が誰かを思うときの、微笑みに違いなかった。

 ……もっとも、自分は恋愛を経験したことはないし、そんな赤裸々な話題に踏み込めるような友人もいないから、憶測にしか過ぎないのだけれど。

「芋侍共の脳みそを私の凶弾が真っ赤な花火にしてくれた時はスカッとした。兵器の性能に任せて驕っていた長戸の国の馬鹿共を十数人砲弾でまとめてぶっ飛ばしてやった時はそれはもう濡れたね」

 先生の息遣いが――荒い。

 頬は、紅潮している。

 もしかしたら、先生は『楽しい思い出』によって彼女が言葉で表した状態に、今、あるのかもしれないと、私に卑猥な想像をさせるに難くなかった。

「それでいて、ミニエーの弾が私の耳の辺りを掠めた時は凄まじかったよ。あぁ、達しそうになってしまった。いや、達したのかな?」

 身を震わせながら、先生は甘い吐息を漏らした。

 それが、私の耳元にかかる。

 ――身体も、頭も、(とろ)けてしまいそうな程の熱が、私の血の中を駆け巡るのがよく分かる。

「それでいて、故郷(くに)が滅んでしまうなどと一瞬頭に過ぎった時は……最悪だった。興奮のあまり失禁してしまったんだ。いや、よくよく確認したら脱糞までしていたかもしれない。とにかく最悪だった。そっちが気になって銃撃戦をまともに楽しめやしないからね」

 はぁと、(わざ)とらしい嘆息の後、先生は首を横に振った。

 素振りこそ、それに対しては否定的だったけれども、表情はそれすらも楽しんでいたことをよく物語っていた。

「でも、戦争は本当に楽しかった。私はあの日戦争に恋をしたのかもしれなかった――。と、錯覚してしまうくらいにね」

 そんなことを恍惚とした表情で言ってしまった後、先生は急にはっとして、

「いや、今のは忘れてくれ。私が愛しているのは夫だけだ。本当だ。本当にそうなんだ。これでは私が浮気者みたいだ」

 と、そこを重点とばかりに、強く強く言った。

「けれど、もしたった一つだけ願いが叶うならば、もう一度戦争を……と、すまない。我を忘れてしまっていた」

 とにかく楽しそうに、且つ妖艶に、思い出話をする彼女は、ずっと私に言葉を投げっぱなしにしていたことにやっと気がついてそう謝った。

「いえ、構いません。先生の楽しそうな姿を見ていたら、とても元気になりました」

 嘘ではない。

 苛められて、鬱屈としていた私の心にそれはとても楽しげに聞こえ、本当に気分を明るくしてくれたのだ。

 けれど、自分がまるで子供のように見られたと思ったのか。

 先生は恥ずかしそうに頬を赤らめると、大きく咳払いをした。

「……けれど、ただ純粋に闘争を愉しんでいた訳ではないのだからな。しっかりと、得たものもあったさ」

「得たもの?」

 私がそう聞くと、

「大和の女の強さ。新たな在り方。可能性」

 そう淡々と言って先生はわざとらしく口角を吊り上げた。

「……戦場で、この身を以って知ることが出来たよ」

 まるで、『自分が体現してみせた』かのような言い方だった。

 それは本来、ナルシシズムといって、恥ずかしいことなのだけれど、先生が言って見せるとどうにもその通りに聞こえてしまう。

「あれ? ところで私は何をしにここにいたのだろうか?」

「……知りませんよ」

 私は、急におとぼけなことを言う先生に脱力してそう吐き捨てた。

「そうだ、茶器を買いに来たんだ。君のことが気になってしまってすっかり忘れていたよ」

「……そうですか」

 ――何故かこの時、先生に『茶器を買いに来た』という目的があったことに落胆した自分がいた。

「わざわざ、こんな所に来たんだ。何か買って返らねば」

 そう言って、先生はお店の中に入ろうとしたが、

「ああ、そうだ」

 と、言って再び私の方に戻って、

「この傘を貸してやろう」

 私に持っていた白い洋傘を渡してきた。

「君の家が何処にあるかは知らないが。帰り道濡れるといけない。大和撫子は労わってやらないとね」

「えっ!? でも……」

 手渡された傘に戸惑う私をよそに、先生は、

「ただし貸すだけだ」

 と言って、懐から時計を出して時間を確認し、

「明日のこの時間――。五時半だ。ここに来てくれ。それでは」

 一方的な約束をして、さっさと店内に入っていってしまった。

「あのっ! 先生!」

 私はいつもよりかは、声を張り上げてみたが、けれど先生は戻っては来なかった。



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