第2話 禁忌術者 ①
記憶の始まりから、5年の月日が流れていた。
ボロボロになった黄土色のコードを身に纏い、少女は高台から景色を眺める。
短い漆黒の髪を靡かせながら、目の前に広がる大都会を静かに見つめていた。
あの奇妙な老人こと、剣の師からは剣術とこの世界で生きていく為の知識を叩き込まれた。
少女は、世界中を旅した。
自分が何者であるのか、何故あの場にいたのかを知る為に。
記憶の始まりから所持していた『黒き刀』と少女の周りに倒れていた『黒装束の集団』。
そして男の肩に刻まれていた『翼の生えた赤き獅子』のタトゥーを頼りに、ひたすら旅を続ける。
たったそれだけの情報を元に辿り着いたのが、目の前に広がる大都会『セティアシティ』であった。
夕焼けに照らされた白き輝きが反射して、人の手で作られた都市でありながらも幻想的な光景が生み出されていた。
噂で聞いた通り、都市部には真っ白な建物が多く聳え立っている。
「不思議なものだな、単なる建物の集まりがこうも美しく見えるのか」
想像以上の美しさに圧倒され、少女は思わず呟いた。
この地が旅の終着点となるのか、或いは新たな旅の始まりとなるのかはわからない。
しかし、少女は生きてきた。
自分の記憶を知る為、何者であるかを知る為だけに……たった一人で。
彼女は自らの記憶を求め、『大都会:セティアシティ』へと足を踏み入れた。
セティアシティに訪れ、ギルドに所属してから約二か月近い月日が流れていた。
早朝でありながらも既に商人で賑わっている大通りを進みながら、少女はギルドの支部へと向かう。
「ファリス・レミニオン」、彼女は5年前からの記憶を失っている。
自らの名も思い出せなかったファリスは、剣の師からその名を貰った。
群青色のジャケットに黒いコットンパンツに腰に吊るした刀。
一見、男性と間違えられそうな姿ではあるが、美形と言える綺麗な顔立ちに華奢な体つき
短く整った綺麗な黒髪から結果的に綺麗な女性として見られる事が多い。
「おい、見ろよあれ」
「うわぁ、本当に赤い……」
「あれが噂の、赤眼の剣士?」
「本物なのか?」
大通りを歩いてくるとしきりに聞こえてくる人々の噂話。
ファリスが持つ『赤き瞳』が原因だ。
赤き瞳は魔物の特徴の一つに当てはまり、人間は決して瞳の色が赤色になる事はないという。
だが、ファリスは何故か生まれながら……であるかは定かではないが、人の身でありながら赤き瞳を持っていた。
今ではこの瞳の所為で、『赤眼の剣士』という妙な二つ名までつけられてしまっているが、ファリス自身はあまり気に留めていない。
支部に辿り着いたファリスは、まだ人だかりの少ない受付へと向かう。
「ワーカーの方ですか? 証明書をご提示ください」
「ああ」
ファリスは懐からワーカーである事を示す証明証を見せる。
ギルドに所属すると同時に発行される者であるが、ワーカーにとっては命綱であり、これがなければワーカーとして仕事をすることが出来ないのだ。
「ファリス・レミニオンさんですね、3号室で交渉人がお待ちですよ」
「そうか、すまない」
どうやら要件を告げる事無く、受付には既に話が通っているようだ。
ファリスは昨日、ギルドの交渉人から直に任務を受けていた。
内容は東区からの密輸商人を捉える事だ。
先日時点で東区から毒ガスが運ばれると言った情報が伝わってきたらしく、何故かファリスが急遽任務を受ける事になっていた。
通常なら昨日時点で任務は達成していたし、後は報酬金を貰うだけのはずだが……どうやらまだ終わりではないようだ。
ファリスは交渉室の三号室へ向かうと、そこにはスーツを身に纏った金髪メガネの交渉人が椅子に腰を掛けていた。
ギルドへの所属が決まった頃から、何かと顔を合わせる事が多い交渉人「テル・シェイター」だ。
「待っていたよ、ファリス君」
「こんなところに呼び出して何のつもりだ?」
「まぁまぁ、座りたまえよ」
不敵な笑みを浮かべるテルに言われるがまま、ファリスは用意されたへと腰を掛ける。
「ひとまずは、任務達成おめでとう……って言いたいところだけど、君また危ない事をしでかしてくれたね」
「何の事だ?」
「あのね、僕は何度も言ったはずだよ? 相手は毒ガスを運んでいる可能性がある、くれぐれも扱いは慎重にってね」
「手加減ならした、何も問題はあるまい」
「大ありさ、もし毒ガスが発生したりしたらどうする気だったんだい?」
「どうせ人通りも少ない洞窟内だ、誰も迷惑しないだろう」
「そういう問題じゃないんだけどなーはぁ」
テルは何処か呆れた課の表情を見せてため息をつく。
ファリスは何が問題なのかと首を傾げるだけだった。
「ま、その件はいいさ。 どうせ今日呼び出したのは別件だしね」
「また、新たな依頼か?」
「その通りだよ、いやぁ君は助かるねぇ。 ウチから異動が決定したってのは実に惜しい話だよ……君の腕があればあっという間にSランクになれただろうに」
「興味ない、私はそんな事の為にギルドに所属したわけではない」
「いやいや、ランクを上げるってのはワーカーとして動きやすくなるって事を意味するんだよ?
君が新人でありながらもこうして自由に動けるのは僕の力があってこそだよ、そこんとこわかってほしいんだなー」
テルは恩着せがましくメガネをクイッと上げながらファリスに告げるが、当のファリスはそんな事を微塵にも感じていないようだ。
ワーカーは所属開始からの査定時期までは、新米ワーカーとして働く事となる。
ワーカーとしてどれ程のランクに位置するのかは一日や二日での判断が難しい為である。
貰える仕事も報酬も通常のワーカーと比べ遥かに少ないが、ファリスは突出した実力をギルドから認められていた。
次の査定を終えたらファリスは正式にランク付けされ、更には支部の所属すら変わるという話を聞いている。
どうやら東区の交渉人の一人が是非、ファリスを欲しいと熱心な交渉を続けた結果らしい。
当然ナンバー4支部もファリス程のワーカーを手放したくはないと考えていたらしく、色々と手を打ったのだが最終的には相手が粘りがったのだという。
しかし、何処で働こうがワーカーのファリスにとってはどうでもいいことだ。
「お前には感謝している、お前がいなければ私は今頃無一文で途方に暮れていただろう」
「本当にそう思ってくれてるのかね、まぁいいさ。 それじゃ本題に映らせてもらうけど……
ここ最近騎士団の奴らが中央区を封鎖していることは君も知っているよね?」
「ああ、話は聞いている」
今から1か月ほど前から、騎士団は中央区の事件対応に追われているという話は聞いている。
その関係で中央区が封鎖されてしまったり、騎士団のほとんどが中央区に出向いている事から、人手不足になり魔物の討伐が追い付いていないといった状況が続いている。
ワーカーの仕事が増えると喜んでいる者もいるが、それにしても異常事態である事は確かだ。
「ギルドとしてはね、こんな事件長引いてくれれば長引くほど依頼が増えて収益が伸びるし構わないんだけどさ……流石に政府の奴らも困ってるみたいでね。
ギルドの力を借りようだのなんだのって話がついにあがってきちゃってるのさ。 こういう時だけ僕達を頼りたがるんだね―あいつらは」
「国からの、依頼?」
「そうそう、君にやってもらいたいのはまさにそれさ」
「……何故、私なんだ?」
「そりゃね、君の実力を評価しての事さ。 現に君、確かグレディスの子を一撃で仕留めたそうじゃないか」
「グレディスの子?」
「あちゃー……記憶にすら残ってないとは、あの子可哀想だね。
ランクは低いと言えど、剣の腕だけは確かだって聞いた事あったんだけどなぁ……ひょっとして勘違い?」
一体何の事かとファリスは頭を捻らせると、ふと昨日闘った茶髪の青年の事を思い出す。
グレディスと言えば、ギルドのSランクの一人であるはずだ。
その息子が、昨日のあの男だというのか?
とてもそうとは思えないが……思い返せば確か、あの男は全く同じ剣術を使っていた。
あの構えは間違いなく幻の剣技とされる『ムラクモ流』だ。
どういう経緯でムラクモ流を身に着けたのかは知らないが、並大抵の素人ではあの剣技を習得する事は出来ない。
あの男は一体何者なのかと考えるが、どうせ二度と逢う事はないだろうと忘れる事にした。
「あ、そうそう。 別に君一人に全てを任せるつもりはないよ、他のワーカーにも協力してもらうからさ。
あれだ、あの……そうそう、政府の手伝いをするって考えてくれればいいよ」
「報酬はどうなる?」
「君の働き次第、だね。 それにもしかすると、君の記憶の手がかりにもなるかもしれないよ?」
「昨日の依頼でも、同じセリフを聞いたと思うが……まぁ、いい」
どうせ断る理由もないだろうと、ファリスは話を聞いた。
「さてさて、実は昨日、中央区に雷が落ちたの知ってる?」
「雷? ……確かに、私も見たな」
昨日の深夜頃だっただろうか、毒ガスの処理関連で手間取っていたファリスが西区へ戻った頃はすっかり日が落ちていた。
どうせ宿も開いていないだろうと、何処か寝床を探していた時に……暗闇の空にカッと青白い光が走ったのを確かに見た。
数秒後、凄まじい轟音と共に何かが崩れ去る音が響き渡り、深夜だというのに人が宿から次々と飛び出してきたのを思い返す。
「お、そうなのか? なら君はもう現場にいたって事だね」
「いや、現場は見ていない。 そのまま寝てしまった」
「やれやれ、君ワーカーなんだから少しぐらいそういった事件に首突っ込んだら?
それに物凄い轟音だってって聞くよ、例えワーカーじゃなくても何が起きたのか確認したくならない?」
「興味ない、寝床を確保する方が大事だ」
「あちゃー、こりゃ相当だね」
こりゃ一本取られたかと、テルは額に手を乗せてため息をつく。
何故この男はため息をついているのか、ファリスは首を傾げた。
「でさ、君は奇妙に思わなかったわけ?」
「明らかに、自然発生したものではあるまい」
「流石鋭いね、ま、いくら何でも君にもわかるか。 夜空は星が見える程の快晴だったしね、天気が荒れているワケでもないのに、どうして雷落とされたと思う?」
「まさか、その事件の謎を解けというのか?」
「いやいや、もう犯人に見当はついてんだよ。 実はね、雷によって破壊された場所は中央区を取り囲む防壁の一部なんだよ」
「……何者かが、脱走?」
「お見事、大正解だよ」
テルはパチンと指を鳴らすもの、表情は険しい。
先程までのヘラヘラとした笑いは何処へ消えたのやら。
「さて、君への依頼は実にシンプルだよ。 中央区から脱走した『禁忌術者』を見つけ出してほしい。 なお、生死は問わないそうだ」
「禁忌術者だと?」
禁忌術者、過去に封じられたという『魔法』を扱える人物を指す。
世界は大昔に『魔法』という技術を封じ込め、禁忌術と認定した。
だが、その時に魔法の力を封じられなかった者が残っており、その生き残りが禁忌術者に値する。
政府を始めとした国家機関は、禁忌術者を危険な存在としており、見つけ次第処刑しているのが現状だ。
中央区が封鎖されていたのは禁忌術者が関係するのであれば、政府が必死になるのも納得がいく。
「ターゲットは『魔法』を使って、雷を起こしたのさ。 実は中央区が封鎖されていたのは、政府が厳重に管理していた禁忌術者が脱走した為。
ほら、政府って禁忌術者を次々と処刑していったからね。 遠い地からセティアシティへ運ばれてね、本当は今頃処刑されてるはずだったんだけどねぇ」
「禁忌術者の確保、それが私の新たな任務か」
「そう言う事。 ちなみに女の子らしいよ、綺麗な金髪だからすぐわかるって。 んじゃま、そう言う事だから今日からよろしく頼むよ」
「ああ」
ファリスはそれだけ確認すると、荷物をまとめてさっさと面談室を出ていく。
「あ、そうそうっ! 禁忌術者に関しては極秘事項だからね、くれぐれも一般人に情報を流さないようにっ!」
「わかった」
軽く聞き流すと、ファリスはバタンと扉を閉じていく。
どうもあの男は苦手で、話していると落ち着かない。
しかし、金髪の少女というヒントだけで禁忌術者を探し出せるのだろうか?
何か他に手掛かりがあればいいが、とファリスは支部の外へと出て行った。
「金髪の少女だぁ? んな奴らその辺にうじゃうじゃいるだろうがぁっ!」
ガラの悪そうな男に声をかけてみたが、やはり帰ってくる答えは想像通りだった。
もう何度目だろうか、同じような返事を返されたのは。
あんな情報だけではとてもじゃないが捜査にならない、せめてもっと聞きだしてからあの部屋を出るべきだったと今更後悔し始める。
かと言って今から戻ってあの男を捕まえるのも気が引けない。
「それよりも姉ちゃんよぉ、どうだい? よかったら俺と一緒に」
「すまない、協力に感謝する」
男の言葉を全力で無視して一礼すると、ファリスはとっととその場を立ち去る。
後ろから大男が何やら騒いでいるが、気に留める必要はない。
しかし、禁忌術者はどうやって脱走を?
これまで禁忌術者が脱走を図ったケースはあったが、どれも失敗に終わっている。
政府の厳重な守りは勿論の事、政府は何やら魔法を無力化する技術まで手にしているという。
それに処刑までは必ずSクラスのワーカーが見張りにつくはずだ。
万が一にでも禁忌術者が魔法を使った場合、唯一その力に対抗できるのが人を超えた存在である『Sランク』しかいないという判断なのだろう。
つまり、今回のケースはSランクにでも手を終えない程の相手なのだろうか?
それとも、何らかの理由で脱走に成功した?
もし前者であれば、とてもじゃないが低ランクのワーカーが手に終えるような相手ではないという事だ。
「……少し、休もう」
ファリスは一度街の大通りを抜けて行き、裏道を進んでいく。
薄暗い通路を通っていくと、ライトアップされているかのように日差しが差し込んでいる箇所があった。
そこには綺麗に整った花壇があり、鮮やかな花達が顔を出していた。
最近ファリスが見つけた隠れスポットだ。
誰がこの花を育てているのかは知らないが、人通りも少ないし日差しが暖かくて気持ちがよい。
少し眠ったら捜査を再開しよう。
ファリスは花壇の隣で横になって、目を閉じる。
暖かい日差しと芝生の香りを感じながら、ファリスはあっという間に眠りに落ちた。