赤眼の剣士 ③
宿屋の前には既に馬車が停められていた。
依頼人は既に馬の手綱を握りしめ、口を尖らせながら待っている。
相手に不快感しか与えないその表情を、ディアはとてもじゃないが直視できなかった。
しかし先程はこのような馬車は宿の前には停められていなかったはず。
一体馬車は何処に置いていたのだろうか?
「……確か、さっきは宿の前に場所はなかったよね?」
「フンッ、ギルドの連中が荷物をチェックすると言って言う事を聞かなかったんだ。
本当はボクチンだけの秘密だったんだが、東区を出る為には必須だとしつこく言われたんだーい」
依頼人は裏声でまるで子供のような口調でディアに返す。
無駄に裏返ったかのような声がディアの神経を余計に刺激するが、まともに口を聞いただけマシだろうと我慢した。
どうやらギルドの荷物検査によって一時的に離れていたという事だろう。
当然ながら依頼人はディアを馬車に乗せる気はないようだ。
「僕も同乗して、いいかな?」
「貴様のような平民は地べたを素足で歩いているのがお似合いだ。 あっかんべーっ!」
ダメもとで聞いてみたが、返ってきた答えは予想通り。
仕方なく馬を引っ張っていこうとした。
すると、馬は突然ヒヒーンッと暴れ始めてしまう。
ディアは慌てて手綱を手放した。
「うわぁっ!? な、何だっ?」
「ボクチンのアレックスは平民の貴様なんぞに触られたくないんだぞ」
「そ、それじゃ僕はどうすればいいんだい?」
「アレックスはボクチンの言う事なら絶対に聞くんだ、お前は黙って横を歩いていればいい、ほれ行くぞ」
依頼人が手綱を引くと、馬はブルルと鼻を震わせてノシノシと歩み始める。
恐らくアレックスとはその馬の名だろう。
こんな調子で無事護衛が務まるのか、逆に自身で依頼人に手を出す事にならなければいいがと、思わずため息をついた。
ポツポツと人が増え始め、賑わってきた大通りの真ん中を馬車は堂々と突き進む。
依頼人は偉そうに通せ通せと大笑いしながら進んでいる、随分と機嫌が良さそうだ。
付近では既に飲食店やら何やらが開かれ始め、商人達の声で街は更に賑わってくる。
そう言えば朝から何も口にしていない、ここで少し食事でも摂りたいところだがあの依頼人が許してくれるはずもない。
仕方ないとディアは袋に詰めていた非常用のナッツを口の中に放り込んだ噛みしめた。
「おい、平民」
「……なんだい」
少しだけ塩味のするナッツをひたすらボリボリかじっていると、依頼人からギロリと何故か睨まれる。
食事にまでケチをつける気かと、思わずディアは肩をすくめてナッツを鞄にしまった。
「やれやれ、止めればいいんだろう?」
「歩き食いとは行儀の悪い奴だな、平民というのはまるで作法がなっていないぞ。 ボクチンならもっとお行儀よく食べるんだなっ!」
もっともらしい事を言っているかもしれないが、この男に言われると非常に腹立たしい。
適当に聞き流しながらディアは単純に頷くと、何処か依頼人は機嫌が良さそうな顔を見せていた。
どうやら話を聞いてくれることは嬉しいらしい、だからと言ってこの男に気に入られても得る物はないのだが。
そんなやり取りをしていると、東区のゲートにまで辿り着いた。
真っ白な鎧を纏った騎士団の兵士に止められ、一人の兵士が馬車の荷台へ向かうと依頼人は慌しく兵士の事を止めに入った。
「ま、ままま待つんだぞっ! ボクチンの荷物はちゃんとギルドの審査を通ってるんだっ! か、勝手にボクチンの荷物に触れるなぁぁっ!!」
「な、何を言う? ギルドの連中を信用できるはずないだろうがっ! 貴様、怪しいな……おい、至急荷台を調べるぞ」
あの言い方では変に疑われるだけだと、ディアは思わずガクッと頭を下げる。
しかし、ディア自身もあの荷台の中身については聞かされていない。
何せ依頼人は麻薬の流通に大きく関わっている商人の息子だ。
「やめろーボクチンの大事な商品なんだーっ!! お、お前ら噛むぞっ! お、おならしちゃうぞボクチンっ!!」
「おい、お前―――やめろ、噛むな―――」
「おい平民、お前も何とか言ってやれ」
「そんな事、言われてもなぁ」
ギルドの仕組みを考えれば、騎士団の連中が荷台を怪しむのは無理がない。
騎士団は別に間違った事をしているわけではないのだ。
実際麻薬を始めとした密輸品を流通させる事に手を貸しているケースもあるのだから。
だが、下手にここで大事にでもなってしまえば依頼人は勿論の事、ギルドの立場だって危うい。
特にナンバー3支部はゲネティ・マーティングには頭が上がらず、多少言いなりになってしまっている部分もある。
こんなところで依頼を失敗してしまえば、ディア自身の査定にも影響が出てしまう。
仕方ないと、ディアはため息をついて騎士団を止めに入った。
「悪いね、ちょっとだけ待ってもらえないかい?」
「クッ、貴様ら。 こんなことしてタダで済むとは思うなよ?」
「いやぁ申し訳ない、彼はきっと大事な荷物を汚されるんじゃないかと動揺してたんだよ。 ちょっと彼を説得するさ、待っててくれないかな?」
「……好きにしろ。 とにかく、荷台をチェックするまでは通すつもりはないからな」
何とか聞いてもらえたかとディアはホッ胸を撫で下ろすと、頭を掻きながら依頼人の元へと向かう。
「ちょっと、さっきの証明書見せてくれないか?」
「な、なんだ? 平民の貴様までボクチンを疑うのかっ! ボクチンは決して疑わしい物を持ちだそうとしてないんだぞっ!」
「ああ、わかってるさ。 依頼人である君の事は信じるさ、だけど彼らは疑う事が仕事だからね。 それにどうしても調べさせたくないなら、手はなくはないさ」
「ほ、本当だな? 本当にどうにかできるんだな、平民っ!?」
依頼人は無駄に顔を近づけさせて唾を飛ばしながら叫んだ。
少し嫌な顔を見せながらも、ディアは勿論だと返事をする。
するとしわくちゃになった証明書を依頼人から受け取って目を通す。
「ああ、やっぱりそうだったか。 これなら何とかなりそうだよ」
「ほ、本当か? へ、平民の癖に何とかできるのか?」
「僕は腐ってもワーカーさ、こう言う事は君よりも慣れているはずだけど?」
「そ、そうかっ! なら任せるぞ、平民っ!」
依頼人は何故か目をキラキラと輝かせている。
小さい子供がそのまんま大人になるとこうなるんだろうなと、ディアはげんなりとした。
証明書を片手に、ディアは騎士団の男のところまで向かった。
「悪いけど、通してもらうよ」
「何? どういう事だ」
「このサインを見てみなよ」
「む……これは?」
「そう、この審査は政府の指導を元に行われた正式な審査だよ、ちゃんとここに政府公認のサインがあるだろ? 何なら虫眼鏡でも使って調べてみるかい?」
「チッ……少し待て」
騎士団の男が舌打ちをして証明書を持っていくと、道を塞いでいたもう一人の男にそれを手渡した。
男はゲート付近にある建物の中に入っていくと、一人が腕組みをしながらしばらく待っている。
数分後、先程建物に入っていった男が証明書を持って出てくると、待っていた男が強く頷いて書類を丁寧に受け取った。
何処か納得いかない表情を見せながらも、ディアの元へと戻ってきた。
「確かに、本物のサインのようだな。 仕方ない、貴様らをここから通してやる」
「ありがとうございます。 それじゃ、行こうか」
「お、おお? ほ、本当に通れるの? ボクチン通っちゃっていいの?」
「勿論さ、彼らも認めてるしね」
「う、うっはぁぁぁっ!! 平民、凄いじゃないかっ! 見直したぞ、これからはボクチンの召使いにしてやってもいいっ!」」
死んでもお断りだ、とつい口にしそうになりながらもディアは笑ってごまかした。
依頼人はとても嬉しそうに喜んでいる。
本当の子供であればいいのだが、あの外見からすると30超えていてもおかしくない。
良い年した大人がこれだけはしゃいでいるのを見ると、思わず気色が悪いと感じてしまった。
「いやぁ、助かったよ平民。 ボクチンちょっぴりお前の事が気に入ったぞ」
「……そりゃ、どうも。 ところで中身は僕にも教えてくれないのかい?」
「ダメダメっ! ボクチンのとっておきの作品が入っているんだいっ!
む、だが平民にならちょっとぐらい見せてやってもいいかもしれないな……どーしよーかなー?」
平民呼ばわりが相変わらずであるが、どうやら依頼人との距離が少しだけ縮まってしまったようだ。
東区を出たディア達は、平原を北上し続けている。
幸い今日は天気にも恵まれているし、これだけ視界が良ければ魔物の動きを察知しやすいだろう。
ディアが注意深く見守っていれば、何事もなく平原を超える事が出来そうだと安心していた。
「そうだ平民、ボクチンに名前を教えるんだ。 ボクチンは「クラウン・マーティング」、いつかビッグな商人になる予定なんだぞー」
「さっきも名乗ったはずなんだけどね、僕の名はディアさ」
「む、そうか。 ディアかっ! 今日からディアはボクチンの召使いだ、よろしく頼むぞディアっ!」
勝手に決めるなと口走りそうになったが、ディアはただ笑うだけだった。
厄介なのに気に入られてしまったなと、思わずため息をついてしまう。
「あ、言っておくがほんっとうに荷物は無害な安全なものなんだぞっ! ボクチンはお父様と違うんだな、だなっ!?」
「わかってるさ、もし中身が麻薬なりに関わってるんだとしたらギルドから事前にその旨を伝えられるはずだしね。
それにさっき、政府からのサインがあった事が何よりも証拠さ」
「な、なんだ? ディアはボクチンの言葉を信じたんじゃなかったのか?」
「いやいや、僕は基本的に依頼人の言葉を信じるさ。 君が嘘をついていたとは、からっきしも思っていないよ。 だからこそ、その裏付けを取ったまでさ」
「そ、そうか。 なら安心したぞ、ディアはボクチンを信用してくれた唯一の人だ、ならボクチンもディアを信じるんだぞっ!」
確かにディアはゲネティ・マーティングの息子、という時点で多少疑ったりはしたが、その言葉に嘘はない。
彼は性格が悪いが、自分に正直すぎるが故に本音をついつい口に出してしまう傾向が強かったというのもある。
恐らく嘘をつけないタイプなんだろう、というのは何となくだが感じてはいた。
「ディアはどうなんだ、この仕事は長いのか? のか?」
「ワーカーになってからは2年ぐらい経つさ、本来なら僕の腕があればもっと上は行けるらしいんだけどね」
「そうなのか、ディアはそんなに強いのかっ!?」
「少なくとも、剣術には自信はあるよ。 だから、護衛は任せてくれ」
「ほほー、ディアは平民の癖にかっこいいんだなっ!」
初対面の時とは打って変わって、依頼人……もとい、クラウンはとても興味津々にディアの事を訪ねてくる。
だが、平民呼ばわりだという点は未だに変わらないようだ。
下手に機嫌を悪くされても困るので、あえてその部分に突っ込み入れていないが。
「でもね、正直意外だったよ。 ゲネティ・マーティングの名を出された時は、今回の依頼は麻薬の流通が関わっているのかと思ってたんだよ。
ところが君は全くそれに関与していなかった、なんてね」
「皆ボクチンをお父様と比べるんだ、でも息子のボクチンはお父様と違って才能がないだのなんだの言われ続けてきたんだ。
だからボクチン、頭にきて西区で一儲けしてお父様を見返してやろうと思ったのさ、だからこの秘密の詰まった商品は誰にも見られたくなかったんでい」
「……なるほど、ね」
何となくディアはクラウンの気持ちがわかる気がした。
有能な父を持ってしまうと、息子は必ずその比較対象となってしまう。
ディアはそれが嫌でたまらなかった、だから父親とは違う剣術を磨きつづけたり、父親とは違う方法で剣士としての高みを目指していた。
最初は嫌な奴だと思っていたけど、案外クラウンとディアは似た者同士なのかもしれないと思ってしまう。
「あ、ちなみにディアは何歳なんだ?」
「僕は24さ、君は?」
「おお、ディアは年上だったかっ! 平民にしては妙に大人びていたと思ったら、そう言う事だったかっ!」
「……えっと、君いくつ?」
「ボクチンは18歳だ、えっへんっ!」
いかにも中年っぽいボテ腹にその老けた顔で、18歳?
ディアは思わず口をポカーンと口を開けたまま動かなかった。
「あれれ? どうしたんだ、ディア?」
「いや、なんでもないよ。 おっと……」
ディアはふと足を止めると、馬の手綱を引き強引に馬車を止めた。
当然ながら馬は前足を上げながらヒヒーンと高く鳴き、暴れまわる。
「な、何をするんだっ!? ぼ、ボクチンもアレックスもとってもビックリだぞっ!?」
「一応確認しておこうと思ってね。 ここから最短で西区に辿り着く為にはあの洞窟を抜ける必要があるんだ」
ディアがクラウンに地図を見せると、その目線の先には確かに壮大に聳え立つ崖に空洞があった。
「足場は多少悪く魔物もちょっと多いんだけど、順調に通り抜けられれば夜までには西区にはたどり着ける。
ただ、ちょっとだけ危険があるかもしれないからね……僕としてはもう少し北上し続けて平原を通り抜けたいと思うんだけど」
「ボクチンは急いでいるんだぞ、すぐに行ける方がいいに決まっているっ! それにディアは強いんだろう、ならボクチンをその強さで守ればいいっ!」
クラウンは頬を膨らませながらそう告げると、ディアはやっぱりかと思わずため息をつく。
しかし、依頼人の意見は絶対だとディアは仕方なく洞窟へと向けて歩き出す。
「くれぐれも慎重にね、僕から絶対に離れないでくれよ」
「おう、わかったぞう。 ボクチンとアレックスはお利口さんだから、大丈夫だっ!」
逆にそのセリフが不安だな、と思いながらディアは仕方なく洞窟の中へと足を運んだ。
薄暗い空洞を松明という僅かな明かりを頼りに進んでいき、時々魔物に遭遇しながらも二人は順調に洞窟を進んでいく。
途中、魔物に驚いた馬が暴れ始めて見当違いの方向に逃げてしまうというトラブルがあったものの、ようやく二人は出口付近にまで辿り着こうとしていた。
「さ、寒いし暗くておっかないぞここはぁっ! は、早くボクチンをここから出してくれぇぇっ!!」
「騒がないでくれよ、出口はすぐそこさ。 ほら、光が見えるだろ?」
「ほ、本当かっ!? ようやく出口なのかっ!?」
鼻水をダラダラと垂らしながら、クラウンは嬉しそうに叫んだ。
しかし、洞窟は少し肌寒いだけでむしろディアにとっては涼しいぐらいだというのに。
何故この男は鼻水をダラダラと流しガタガタと体を震わせているんだろうと、思わず首を傾げた。
「は、早く出るぞっ! ボ、ボボボボクチンは寒いのがとっても苦手なんだっ! もうこんな洞窟、二度と来るもんかかかっ!!」
耳元で叫ばれると声が反響するせいで尚更うるさい。
思わず耳を塞いでしまうが、ディアは突如足を止めた。
するとギュッと手綱を引っ張り、馬車の足も強引に止める。
だが、今度は馬も何かに怯えているようで暴れたりはしなかった。
何故かクラウンは馬車から振り落とされてしまい、丸い身体をころんと一回転させてビターンと激しく地面に顔面をぶつけた。
「な、ななななにするだーっ! ボクチン痛いぞ、とっても泣いちゃうぞっ!?」
「……静かにっ!」
ディアは何時になく真剣な瞳で、洞窟の入り口付近に潜む影を睨み付けた。
岩陰からスッと、人影が姿を現す。
カツン、カツンと足音を反響させながら一人の女性が歩み寄ってきた。
漆黒の短い髪を靡かせながら、鋭く魔物のように瞳が怪しい赤色を放つ。
群青色のジャケットに赤いシャツ、黒いコットンパンツと男性のような恰好をしていた。
そして何よりも目に付くのが、腰に吊るされた『刀』……騎士団の制服を着ていない以上、恐らく『ワーカー』なのだろうと察した。
「動くな、止まれ」
思っていたよりも澄んだ声で、女剣士は二人に向かって告げた。
「僕達に何の用だい?」
「答える義務はない、それよりも荷台の中身を確認させてもらおうか」
女剣士は冷たく言い放つと、カツカツと足音を立てながら馬車へ近づこうとする。
するとクラウンは女剣士の前で仁王立ちをした。
「ちょ、ちょっと待つんだっ! ボ、ボボボボクチンは決して怪しい物を運んでいないっ!! ディ、ディアっ! は、ははは早く例の物をっ!!」
クラウンは震えた声で叫ぶと、恐らく証明書を出してほしいんだろうなと思い鞄から預かっていた証明書を取り出す。
だが、女剣士はギロリと鋭い目付きでディアを睨んだ。
「ほら、ギルドの証明書だってあるんだ。 政府だってしっかり―――」
「その必要はない、邪魔だ」
女剣士は短く言い放つと、刀を鞘に収めたまま横一線を描く。
するとブォンッと凄まじい程の風圧が発生し、ガシャァァンと激しく音をたて、馬車とクラウンは派手にひっくり返されてしまった。
馬車は滅茶苦茶に壊されてしまい、馬も驚きのあまりに一人で勝手に逃げ出してしまう。
「なっ―――」
目の前に繰り広げられた光景を信じられずに思わず言葉を失うが、それよりも今の構えは―――とディアは顔を青ざめさせた。
いや、そんなはずはないと自分に言い聞かせる。
それよりもクラウンの身が危ないと、ディアは急いで駆け付けた。
「大丈夫か、怪我はっ!?」
「ボ、ボクチンびっくりーっ!? ちょ、ちょっとだけお漏らししちゃった……」
どうやら怪我がない事を確認すると、キッと女剣士を睨み付ける。
女剣士はそんな二人に見向きもせずに、ひっくり返って半壊した馬車の元へと向かっていた。
馬車の中には頑丈に作られた鉄製の容器が隠されていたようだ。
「どうやら、当たりだったようだな」
「当たりだって? 一体何の話だい?」
「わからないのか? これは、毒ガスだ」
「なっ――」
まさか、そんな馬鹿なとディアは思わず言葉を失った。
この男、まさか毒ガスを西区まで持ち出そうとしていたというのか?
しかし、何の為――いや、それにしてもおかしい。
確かに検査時には政府側の人間も関わっているはず、その段階で毒ガスに気づかないはずがないのだ。
「し、知らないぞ……それはボクチンの荷物じゃないっ!! ボ、ボクチンのドールたちを何処にやったっ!?」
「ド、ドール?」
「ボクチンが徹夜して作り上げた可愛いドール達は、何処へ消えたんだぁぁぁぁぁっ!! うわぁぁぁぁぁぁんっ!!」
突然クラウンは大声で号泣し始めると、ディアは思わず両耳を塞いでしまう。
何もこんな場所を突然泣き出さなくても、とため息をつくが……それよりも、あの鉄製の容器は何だというのか?
「やはり、貴様らはテロリストの一味だったのか」
女剣士に鋭い目付きで睨めつけられるが、ディアはキッと睨み返した。
「ちょっと待ってくれ、僕はギルドからの依頼でこの人の護衛をしていただけだ。 それにその荷物が毒ガスである証拠は何処にもないっ!」
「ギルド? お前の支部は?」
「ナンバー3だ、ギルドに確認を取ればすぐにわかるはずだ」
「……いずれにせよ、この場から貴様達を逃がすつもりはない」
女剣士は片手で刀を握りしめ、ディアの事を睨み付ける。
こうなった以上、戦うしかあるまいかと腹を括った。
「君は出来る限り遠くへ逃げてくれ、あの剣士は僕が抑えるっ!」
「ま、守るのか? ボクチンを守ってくれるのかっ!?」
「いいから行くんだっ!」
ヒッとクラウンは怯えると、馬を連れて一目散にその場を退散していく。
女剣士はどうやらクラウンを追うつもりはないようだ。
恐らく例の荷物だけが目当てだったのだろう。
しかし、この女剣士……凄まじいまでのプレッシャーを感じる。
それにあの『赤い瞳』、もしや彼女が噂に聞く『赤眼の剣士』だというのか……?
「今すぐこの場から立ち去れば、命だけは助けてやる」
「冗談じゃないね、誤解を抱かれたまま殺されてたまるか」
「そうか、ならば仕方ない」
「やるしかない、ね」
ひしひしと感じる女剣士のプレッシャーに押されながらも、ディアはコートを脱ぎ捨て剣を構えた。
鋭い目付きの女剣士……いや、赤眼の剣士に睨まれているだけで、ゾクッと背筋に寒気が走る。
あの瞳はいくつもの修羅場を乗り越えてきた者の眼だ。
今回のようにワーカー同士の依頼が重なってしまい、戦うはめになったケースは決して少なくはない。
ある時は同じ依頼を持ちながらも情報の食い違いにより戦闘になったり、一番酷いケースは複数人のワーカーにつけ狙われてしまった事もある。
たまたま依頼で幻の珍味であるキノコを取ろうとしていたのを、麻薬密輸の関係者と勘違いされた事が原因であったが。
そんな状況でも、ディアは何とか無事ワーカー間との戦闘を切り抜けた事さえもあった。
だが、正直今まで相手してきたワーカーで、ここまで強いプレッシャーを感じた事はなかった。
ここでムラクモ流が敗れるはずがないとディアは自分に言い聞かせる。
赤眼の剣士は鋭い眼光を光らせるだけで、仕掛けてこようとはしない。
先に仕掛ける、ディアは片手で剣を握りしめる。
間髪入れずに、一歩強く踏み出し剣を抜刀させた。
すると、キィンッと耳をつんざくかのような激しい金属音が洞窟内を反響する。
「―――!?」
ディアは思わず言葉を失った。
巨体な魔物をいとも簡単に吹き飛ばすほどの一撃が、鞘に収められたままの刀によって受け止められていたのだ。
それだけではない、ディアの目にはあの剣士の動きが見えなかった。
出だしは明らかにディアの方が速かったはずだ、今の一撃が……見えるはずがない。
一瞬だけ生じた隙を突かれ、赤眼の剣士にいとも簡単に剣を弾かれてしまう。
鈍い音共に、腹部に蹴りを入れられるとディアは後ずさりをして膝をつく。
多少襲い掛かってきた嘔吐感に堪えながらも、一度身を退いて剣を鞘へと戻した。
しかし――僅かに目を離した隙に、赤眼の剣士は視界から姿を消していた。
背後に回られたか? いや、違う。
一瞬にして静まり返った洞窟の中、ただひたすらディアの荒い呼吸音だけが響き渡る。
僅かに気配を感じ取ったディアは、咄嗟に剣を抜刀し、横一線を描いた。
再び激しい金属音が洞窟内を反響すると、ディアの渾身の一撃はいとも簡単に受け流されてしまう。
「どういう、事なんだ……?」
ディアはこれまでどんな相手も、ムラクモ流の居合による一撃でほとんどの勝負を決していた。
ムラクモ流というものは、それ程までに圧倒的な剣術であり、一撃の重さこそが強みであったはずだ。
何故、通じない? 一体何が起きているのだと、段々とディアの頭の中は混乱に陥っていた。
「……剣を収めろ、貴様では私の相手は務まらない」
「何?」
赤眼の剣士は、冷たくディアに言い放つ。
相手にならない、見下されている?
たかが最近名を上げてきたばかりの剣士にムラクモ流が、敗れる?
そんなはずは、ない―――
「やれやれ、もう勝った気でいるとはね……その油断が、命取りになるよ」
「警告は、したぞ」
単調な居合だけでは赤眼の剣士には通用しない、ならばとディアは呼吸を整えて剣を握りしめた。
ムラクモ流『十の太刀』の一つを使うしかない。
赤眼の剣士も、同じような構えをとっていた。
あの構えは偶然の一致なのか、それとも―――
いや、今は深く考えるなと精神を集中させ……今だっ! と、心の中で叫びディアは剣を抜刀する。
と、同時に赤眼の剣士が全く同じ動作で『黒き刀』を抜刀させていた。
相手の一つ一つの動作が、まるで時間の流れが遅くなったかのようにはっきりと見える。
そこでようやく、ディアは確信した。
赤眼の剣士は―――
バギィィィンッ、剣が砕け散り……刃物が高速で回転しながら宙へと舞う。
それに混じれて、鮮血が散った。
身体がふわりと浮かされ、焼け付くかのような痛みが全身に襲い掛かる。
ディアは激しく身体を叩き付けられ、思わず気絶しかける程の痛みが走った。
滞空時間はそれ程多くはない、だが地面へと叩き付けられるまでの時間は……とても長く感じた。
呼吸困難に陥りながらも立ち上がろうとするが、身体に上手く力が入らない。
何とか顔だけ見上げると、既に赤眼の剣士は刀を収めていた。
間違いなかった。
赤眼の剣士は、ディアと同じ『ムラクモ流』の使い手であった。
彼女が放った一撃は、『ムラクモ流十の太刀』の一つ、『三日月』だったのだ。
剣で弧を描くかのような一撃から名付けられた『三日月』は、独特な軌道に一撃の重さを維持させた秘技の一つ。
並みの剣士ではその軌道を見切れない上に、繰り出される斬撃は一瞬であり相手は斬られた事にさえ気づかない程だ。
赤眼の剣士は、ディアを遥かに上回る速度で『三日月』を繰り出して見せた。
「悪く思うな、これも私の仕事だ」
冷たく言い放ち、立ち去ろうとする赤眼の剣士を引き留めようとディアは身体を起こそうとする。
だが、身体が言う事を聞かずに今のディアでは立ち上がる事すら困難だった。
激痛が治まらずに、ディアは呼吸を乱しながら段々と意識を失っていく。
負けた、圧倒的な敗北だった。
ムラクモ流が全く通用しない、それはディアにとって初めての経験であり――最大の『屈辱』であった。
ディアはギロリと赤眼の剣士の背中を睨みながらも、手を伸ばす。
背中は徐々に遠くなっていき、視界はぼやけて歪み始めていく。
まだ、終わりじゃない―――まだ、やれる―――
自分に言い聞かせるのも虚しく、ディアの意識はそのまま闇へと途絶えた。




