救出せよ ⑤
カリスという男に中央区へ案内されてから、どれ程時間が経ったのだろうか。
延々と続く地下道を歩き続けていると、随分と長い間歩かされている錯覚に陥る。
不安になって何度尋ねても返ってくる答えは「大丈夫」だの「すぐつく」だの、彼の呑気な一言だけだ。
そもそもカリスは一体何のために中央区へ向かっているのかも疑問だ。
ギルドの依頼と言えど、政府によって閉鎖されている中央区へ侵入する事は相当リスクがあるはず。
情報屋の彼は常に危険と隣り合わせ、と言えば理由にはなるだろうが……当然ながら、納得はできない。
それにテミリアが禁忌術者である事はギルド側ではほぼ知られていない。
強いて言えば、交渉人のテルだけがその事実を握っている。
なら、カリスはテルと繋がりがある可能性が非常に高いと言えた。
「嬢ちゃん、随分機嫌悪そうだな。 そんなに地下道歩く事が苦痛か?」
「別に、ちょっとアンタの事疑ってるだけ」
「おいおい、しれっと酷い事言うんじゃねぇよ。 ま、自慢じゃねぇが俺と初対面の奴はみんな揃ってそう言うぜ。
俺があまりにも胡散臭すぎるからだろうけどよー。 今の俺の相方だって、最初は俺の事を信用してくれなかったからな」
「きっとその人も、アンタの事なんて信用してないわよ。 確かにアンタ、私に嘘は何も言ってないかもしれないけれど……何か隠しているよね?」
「そりゃそうさ。 俺もアンタと同じで他人をそこまで信用してねぇ。 俺は必要な情報しか開示してねぇだけさ」
カリスは呆れ顔でそう告げると、テミリアは頬を膨らませて黙り込んだ。
いちいち言動に腹は立つし、どう見ても胡散臭い男ではあるが……一応は、テミリアに有益な情報を提供してくれた尾も事実ではある。
今はとにかく、この男を上手く利用してファリスと接触を果たすしかないだろう、とテミリアは深呼吸をして怒りを抑えた。
「おい、待て」
すると、急にカリスが足を止めて腕をバッとテミリアの前に伸ばした。
テミリアは肩をビクッとさせて、ピタリと足を止めた。
「な、何よ?」
「シッ、耳を澄ませてみろよ」
口を閉じて耳を澄ましてみると、僅かではあるが何やらジャラジャラと金属音が聞こえてきた。
あまりはっきりと聞こえず、これが何の音を指すのかがさっぱりとわからない。
だが、カリスにはその正体がわかったのか顔を青冷めさせていた。
「嬢ちゃん、前言撤回だ。 中央区は今、相当ヤベェかもしれねぇ」
「中央区が……ヤバイって?」
「悪い、ちぃとばかし様子見てくるわ。 嬢ちゃんは大人しくここで待っててくれ」
「はぁ? ちょ、ちょっと待ちなさいよっ!」
カリスが思いつめたような表情を見せ、駆け足で地下道を先行していくとあっという間に姿が見えなくなった。
一人残されたテミリアはただ素っ頓狂な声を上げて呆然とするだけだった。
今回の依頼目的であるクラウンと合流したファリスは、ひとまず施設の空き室へと移動した。
そこはファリスが地下道から侵入してきた部屋だ、一応誰もいない事を確認済みではある。
このまま地下を辿れば外に出る事は容易いだろうが、どうも何かが引っかかる。
妙に静かな施設、不自然に開けられていた扉、死んでいた見張り。
にも関わらず、やけにスムーズに事が進んでいる事に違和感を抱いた。
「一応、確認しよう。 お前の名は?」
「ボ、ボクチンの名前を知らないだとぉっ!?」
ファリスは本人かどうか確認する為に名を訪ねようとすると、彼は急に顔を真っ赤にして怒り出した。
確か情報によれば独特な言動で騒がしいと言った事が記録されていたはずだ、その特徴に間違いはなさそうだが。
「静かにしてくれないか、騎士団に気付かれるかもしれない」
「ム、ムムッ……ボ、ボクチンはクラウン・マーティングだ」
「お前がクラウン・マーティングである事を証明できないか?」
「し、失礼なっ! ボクチンみたいなイケメンが他にいるわけないだろうっ!」
確かに特徴的なその顔は滅多にいないだろうと、ファリスは納得する。
しかし、クラウン本人の顔を知らないファリスにとってはそれは確かな証拠とはならない。
今は本人の言葉を信じて連れて行くしかないだろうが……確認したい事は、それだけではなかった。
「牢の鍵が開いていたが、お前と一緒に誰か入っていなかったのか?」
「ヒ、ヒィィッ!! そ、そそそそそうだっ! ボ、ボボボボボクチン怖い奴をみたんだなっ!!」
「怖い、奴? 詳しく聞かせろ」
ファリスはキッと赤い瞳でクラウンを睨みつけながら、ガシッと両肩を掴むと
クラウンは歯をガチガチと鳴らして涙と鼻水をダラダラと流しながら叫んだ。
「ヒイイイッ! お、お前もとんでもなく怖いぞぉぉっ!?」
「そいつはずっと一緒にいたのか?」
「ち、違うぞ。 ボクチンは一人だったんだ、だけど急にドアが開いて、ジャラジャラとっ!」
「ジャラジャラ?」
思わずファリスは首を傾げた。
クラウンの発言は具体性がなく、断片的な情報しか伝わってこない。
彼が動揺しているからなのか、それとも元々彼がそういう性格なのかはわからないが
いずれにせよ、何者かがクラウンがいる牢の鍵を破ったというのは事実のようだ。
周りの状況を見る限り、鍵が開いていた牢はクラウンの居た一室のみ。
別のワーカーの仕業だろうか、だがギルドが今政府を敵に回すような真似に手を出すとは思えない。
「あのジャラジャラした奴、めっちゃくちゃ怖かったんだぞっ! お前もきっとびびって腰を抜かすぐらいだっ!
ま、ぼ、ボクチンならびびらずに堂々とに、仁王立ちぐらいしてやるんだがなーっ!」
「そうか、少なくともそいつは私達の害にならないようだな。 なら、さっさとお前を中央区の外へ送り出してやろう」
「お、おおそうかっ! お前、美人なだけじゃなくて頼もしそうだしなっ!」
「黙って私についてこい」
ファリスはある程度クラウンから情報を仕入れると、先程通ってきた地下通路へ繋がる隠し階段を使って先に降りて行った。
先程と特に変わった様子はない、念入りに安全を確認すると上に戻りクラウンの事を呼び地下通路へと降ろした。
しかし、中央区から脱出するにはどうすればよいのだろうか。
ゲートは当然ながら偽の騎士団によって厳重に監視されている、恐らくあの騎士勲章も使い物にはならないだろう。
地下通路を伝えば、他の区まで繋がっている可能性もゼロではないが。
ふと、何かの気配を感じたファリスは足を止めた。
後ろをぴったりと歩いていたクラウンは背中に顔をボフッとぶつけて、例の如く騒ぎ始める。
クラウンの事を気にも留めずに慎重に周囲の様子を探るが……気のせいだったのだろうか。
僅かに感じた気配はなくなっていた。
「おい、聞いているのか召使いっ!」
「私はお前の召使いではない――」
あまりにしつこいクラウンを黙らせようと振り向いた瞬間、ファリスは咄嗟にクラウンを突き飛ばして抜刀した。
金属音が鳴り響くと、チェーンで繋がれた鎖が勢いよく弾き飛ばされていった。
カランッと乾いた音を立てて落ちた鎖鎌は、ジャラジャラと音を立ててある男の手の元に戻っていく。
その先には全身に鎖を巻きつけ、妙な白い仮面をつけた白髪の男が立っていた。
上半身は裸体で古傷が目立ち、ボロボロの黒いズボンに傷だらけの素足。
「おいおい、どういうこった? まさかテメェ、俺の気配に気づいたって言うのかぁ?」
「何者だ、答えろ」
ファリスは赤き瞳をぎらつかせ、男の事を睨んだ。
だが、男は仮面越しで不気味な笑いを上げるだけだった。
「俺の正体なんざどうでもいいだろ? それよりも悪い事は言わねぇ、俺は出来る限り女を傷つけたくはねぇんだよなぁ。
出来ればそのまま、大人しくしてほしいんだけどなぁ?」
「こ、ここここいつだっ! こいつがカギを開けたんだっ!」
「何?」
クラウンは腰を抜かしながらも、男の事を指さして叫んだ。
そうとなれば、ファリスの協力者なのだろうか?
しかし、とてもじゃないが仲間のようには見えない。
むしろ殺意をむき出しにしているのがひしひしと伝ってくるぐらいだ。
「おう、そうそう。 俺はいい奴だ、お前達の味方だぜぇ? だからよぉ、お前はちーっとだけ大人しくしてくれりゃ見逃してやるって」
「もう一度問う、お前は何者だ? 何が目的で私に手を貸す?」
「あーだからさ、やめようぜそういうの……ホント、めんどくせぇからよ」
仮面越しから、ギロリと男の鋭い眼光がぎらつくと、ファリスの背筋に寒気が走る。
これまで感じた事がない程の殺気を、彼から感じ取った。
その瞬間、ファリスに分銅が投げつけられた。
咄嗟に刀で弾いたが、分銅はグルグルとファリスの右腕に鎖を巻きつけ、完全に拘束してしまった。
「おっと、下手に動くんじゃねぇぞ。 俺がその気になれば、テメェの右腕なんざすぐに使い物にならなくなるぜ?」
「……私をどうするつもりだ?」
「どうもしねぇさ。 そのまま大人しくしてりゃ、な」
「まさか―――」
ようやく男の目的を察したファリスは、腰を抜かしたクラウンの元へ駈け込んだ。
すると、絡みついた鎖がギュッ右腕をきつく縛り上げ、ファリスは声にもならない激痛に襲われる。
「逃げろ、クラウン・マーティングっ! 奴の目的はお前だっ!」
「今頃気づいても遅ぇよ、赤眼の剣士さんよぉっ!」
「ぶ、ぶぶぶぶえええっ!? ぼ、ボクチン怖くて動けないぞおおおおっ!?」
無抵抗のクラウンに向かって鎖鎌が真っ直ぐ飛ばされていった。
ファリスは必死で鎖鎌を止めようと、左手で黒き刀を抜こうと柄を握りしめると――バチィンッ! と、突如火花が散る。
何かに撃ち落されたかのように、鎖鎌はカランッと地面へと落下していった。
「なんだ、テメェは?」
「お前は――」
謎の男とファリスが同時に声をあげると、その視線の先には黒いローブを身に纏った金髪少女の姿があった。
指先からバチバチンッと火花を散らして、やたら周囲をキョロキョロと見渡しているその姿は……間違いなく、禁忌術者であるテミリアだった。
「何故お前が中央区にっ!?」
「え、えーっと……どうなってるのよ、これ?」
「話は後だ、それよりもその男を連れて逃げろっ!」
「は、はぁ? い、いきなり何よ? ど、どうして私が?」
「お前にしか頼めないんだ、早く逃げろっ!」
「わ、わかったわよ……何よ、人が心配してきたと思ったらいきなり――」
テミリアがぶつぶつと呟いていると、謎の男は高く飛び上がり天井へと張り付き始める。
そして天井からナイフを数本取出し、テミリアに向かって投げつけた。
バチィンッ! 咄嗟にテミリアは指先から魔法でナイフを弾き飛ばした。
ようやく事態を察したのか、緊迫した様子でファリスと目を合わせて強く頷いた。
「わ、わかったわ。 と、とにかくこいつ連れて逃げればいいのね?」
「ああ、頼む」
テミリアはだらしなく倒れているクラウンの腕を引っ張ると、無理やり立ち上がらせて一緒に走らせた。
謎の男は蜘蛛のような奇妙な動きで天井を伝ってテミリア達を追いかけようとするが、
ファリスは拘束されていた右腕の鎖を強引に引っ張ると、それにつられて男を天井から地上へと引きずりおろした。
「おいおい、こっちの仕事の邪魔すんじゃねぇよ」
「私にこれを巻いた事が、貴様の失敗だったな」
「勘弁してくれよ……俺ぁそんなつもりで巻いたつもりじゃなかったんだがなぁ」
「いい加減名乗ったらどうだ? それとも仮面で素顔を隠すように、あくまでも正体を隠し続ける気か?」
「隠すだぁ? 冗談じゃねぇよ、俺はめんどくせぇ事が嫌いなだけさ。
しかし、ムカつく女だなテメェはよ。 ……殺すなとは言われてるが、まぁ腕一本ぐらい消し屑にしても文句はねぇよなぁ?」
「何?」
殺すなと言われている、今確かにその男はそう言った。
誰かの命令で動いているのは確実ではあるが、どうもその言葉が引っかかるが……
ふと、焦げ臭い臭いが漂い始めた。
何処かで火災? いや、違う。 これは―――
「そんなに知りてぇなら教えてやるよ。 かつて世界を恐怖のどん底に陥れた、『レッド・プリズナー』の名をよぉっ!?」
男の身体に集っていく赤き光、ファリスはここに来るまでに同じ光を見た。
間違いない、あの男の正体は―――
ファリスは一か八かで、左手で黒き刀を抜刀した。
同時に、男の身体がカッと強い光を放つと――鎖が導火線のように炎に纏われていった。
「クッ――っ!」
鎖の炎が腕にまで伝った瞬間、ファリスは黒き刀で思いっきり鎖を断った。
だが、タイミングが少し遅かったのか右腕に火が移ってしまい、ファリスはひとまず下水で右腕の炎を消した。
ようやく腕が自由にはなったが、今度は目の前には全身を炎で包んだ謎の男が鎖を高速回転させながら、甲高く笑った。
「ヒハハハッ! やるじゃねぇか、赤眼の剣士よぉ。 お得意のムラクモ流で鎖を断ち切ったってかぁ?
だけど、無駄無駄。 俺にはそんなチャチな剣術は通用しねぇ。 俺の炎でテメェを消し屑にしてやるよ」
「禁忌術者か、貴様っ!」
「流石に気付いちまったかぁ? ま、気づいたところでどうしようもねぇだろうけどよぉっ!」
レッド・プリズナーが鎖を薙ぎ払うと、ファリスに向かって燃え盛る炎が襲い掛かる。
刀で弾こうとするが、万が一最初の時のように腕に巻きつかれてしまっては絶体絶命だ。
出来る限り鎖の軌道を読んで掻い潜っていくしかない、とファリスは上手く鎖を避け続ける。
距離を詰めたファリスは目にも留まらぬ速度で抜刀するが……手ごたえがない。
周囲が炎で囲まれると、ファリスは退路を確保しようと黒き刀を振るうと、まるで炎を吸い取るように黒き刀は炎を掻き消した。
その瞬間、天井から危険を察したファリスは刀を構えて、上を向いた。
だが、またしても何もいない。
確かに気配は感じるはずなのだが……相手がそれ以上に素早く動いているのか。
それとも周囲の炎に気を取られて、上手くレッド・プリズナーの位置を把握できていないのか?
すると――ファリスの首に、灼熱を纏った鎖が上空から放り投げられた。
しまった――と気づいた時は、既に遅かった。
灼熱の鎖は尋常ではない力でファリスの首を強く締め上げた。
ファリスは声にもならない激痛に襲われ、ガクッと意識を失いかけた。
強く締め上げられて呼吸が出来ないだけではない、灼熱に纏われた鎖の想像を絶する熱に魔法の力で燃え続ける炎。
首は一瞬で変色し、首の火傷がじわじわと広がっていくと中、ファリスは鎖を解こうと素手で掴み取るが、鎖はビクつかなかった。
「いい顔するじゃねぇか、赤眼の剣士よぉ? ま、このまま勢い余って殺しちまっても恨むんじゃねぇぞ。
何せテメェは伝説の殺し屋の秘密を知っちまったんだからなぁ。 生かしておけるわきゃ、ねぇだろ?」
秘密とは、禁忌術者である事実の事を指しているのだろう。
あの炎の力は間違いなく、禁忌術者の魔法の力に寄るものだ、
恐らくレッド・プリズナーも政府から身を隠し続けた人間の一人なのだろう。
段々と意識が遠のいていくファリスは、何か手はないかと思考をフル回転させ続けた。
しかし、激しい痛みと苦しみが思考の邪魔をし、無意識のうちに黒き刀の柄を握りしめるだけだった。
ズドンーーその時、ふと何か鈍い音が響き渡った。
その瞬間、首の鎖が緩みファリスは力を振り絞って鎖を振りほどいた。
両手と首は見るにも耐えない火傷を負っていたが、今は命あるだけマシだとファリスは刀の柄を握りしめて周囲を警戒する。
だが、何故かレッド・プリズナーの姿がなかった。
何処かに隠れているのか、それともファリスの事を放置してクラウンの事を追いかけたのか?
念の為、必要以上に周囲を警戒し、安全を確認するとファリスは壁に背を預けて座り込んだ。
呼吸を荒くし、首と両手の火傷を目の当たりにし、あの恐ろしい炎の鎖を思い返すとゾッとした。
「……この程度の傷で、私は足を止めるわけには行かない」
ファリスは立ち上がると、クラウンを連れたテミリアを合流する為に後を追っていった。




