救出せよ ④
二年前、ファリスは剣の師であるジュピターに刀を向けていた。
これは決して師匠に対する反逆の意志ではない。
あの日交わした約束を果たして貰う為だった。
記憶の始まりから2週間たったあの日、師匠はファリスにこう言った。
『どうしても記憶を求めるというのなら、力を示せ。 お前の剣技で、このワシを打ち破ってみせろ』
ファリスは十分に修業を重ね、力を着実に付けて行った。
全ては師匠に実力を認めさせ、記憶を取り戻すために世界へ旅立つ為に。
失った記憶を取り戻したいという行為自体は、別に何もおかしい事ではない。
誰もが自分の過去がわからなければ、それを知りたいと思うのは当然だ。
だが、ファリスの場合は少し違う。
失ったから思い出したい、といった単純な理由ではなかった。
「今一度問おう。 何故、お前は失った記憶を求める?」
ジュピターの問いに、ファリスは答えずに目を閉じて首を横に振る。
ただ無言で黒き刀を握りしめ、戦う事の意志を示した。
「ほう、どうやら本気のようだな。 数年前とは違い、お前から何か強い意思を感じる。
いいだろう、貴様と語るにはもはや言葉は不要。 思う存分に力を示せ」
ジュピターが刀の柄を握りしめた瞬間を見計らい、ファリスは黒き刀を抜刀させた。
刀と刀が打ち合い、金属音が鳴り響く。
やはり防がれたかとファリスは身を退かせて納刀させようとすると
間髪入れずにジュピターの居合が襲い掛かった。
辛うじて反応できたファリスは黒き刀を逆さに持ち、重い一撃を必死で受け止めた。
ムラクモ流から放たれる重い一撃は、ファリスの想像を超えた重さだった。
たった一撃受け止めただけで両腕がしびれ、刀を握る力が弱まる。
本気の一撃だったのか、それとも更なる力を隠しているのかはわからない。
だが、一つだけわかった事は……この戦い、単なる修行ではなく、命を懸けた戦いであったという事だ。
闇雲に刀を振るうだけでは体力を無駄に消耗するだけだ。
ジュピターには隙と言える隙は一切存在しない。
例え身を隠し闇討ちを仕掛けようとも、悪阻r買う無駄に終わる。
そんな事は、ファリス自身もわかっていた。
自らの記憶を取り戻す為には、師匠に力を示すしかない。
勿論、ファリスが自分の意志で勝手に姿を消すという事も出来た。
しかし、ファリスはどんな経緯であれど育ての親となったジュピターを裏切る真似だけは出来ない。
だからこそ、こうしてジュピターに自分自身を認めさせた上でここから旅立つことを決意したのだから。
ファリスはひたすら刀を打ちあい続けた。
放たれる居合はどれも大型魔物を一撃で吹き飛ばす程の破壊力を誇り、一歩間違えればそれこそ命を落としかねない危険な戦いだ。
全力でやらなければ、このジュピターという男を超える事は不可能なのだ。
何度も居合を繰り返し、金属音が飛び交う中……僅かに、ファリスの集中力が乱れ始める。
僅かに弱まった居合の一撃をジュピターが弾くと、黒き刀は宙へと向かって飛ばされた。
僅かにだが、もしこの場で師匠の力を示せなかったら……という焦りが生まれてしまったのだろう。
刀を失ったファリスに、ジュピターは容赦なく追撃を仕掛けようと斬りかかった。
だが、ファリスは諦めていなかった。
「クッ!」
ファリスは咄嗟に腰に吊るしていたもう一本の刀を抜刀した。
師匠から所持を強制されていた『狩り用』の刀の事を思い出し、ファリスは迷わず居合を放って見せた。
バギィン、と金属音が砕け散る音と共にお互いの刀が砕け散る。
凄まじい衝撃に耐えきれず、ファリスは身体を吹き飛ばされると背中を大木に衝突させた。
呼吸器官を整え、フラフラになりながらも立ち上がろうとすると
ジュピターは僅かにしか動いておらず、ファリスを見下ろすようにその場に立ち尽くしていた。
「変わらず力に頼りすぎた一撃ではあるが、以前よりも格段にお前は強くなっているな。
だが、見事な判断力だ。 自身が危機に陥ろうともお前は冷静に状況を分析できるだけの力があるようだな。
もうこれ以上戦う必要もあるまい、お前の力を認めよう」
ファリスは無言で頭を下げると、地に突き刺さった黒き刀を抜き、鞘へと静かに戻した。
師匠に何も語らずに、このまま森を出て行こうと歩み進もうとすると
「待て」
ジュピターがファリスの右肩を掴み、低い声で引き留めた。
「三年前のあの時、そして今この瞬間お前と刀を打ちあってわかった事がある。
ファリス、お前は自身が持つ力を恐れているのか?」
ファリスは肩をビクッとさせると、鋭い赤い瞳でジュピターの事を睨んだ。
自身の力を恐れている、正にジュピターの言う通りだった。
自分の身体の事は、自分がよくわかっているはずだ。
だが、記憶を失ったファリスは……自分の中に秘められている何かの正体がわからずにいた。
日に日に拡大されていく『黒き力』、それは記憶の始まりから持っていた黒き刀が関係するのか。
或いは失った過去に大きく関係するのかはわからない。
「貴方は私にこう言ったな、過去は人を縛る鎖でしかないと。 私は、それでも構わないと思っている」
「ほう、何故だ?」
「自身の過去を知らなければ、自身を縛り付けている鎖にすら気づけない。
私はその鎖を、自らの力で斬り離したいと思っている。 だから、私は自身の全てを知らなければならない。
何も知らなければ、私は行動を起こす事すらできず、自身の未知なる力に怯え続けるだけだ」
「お前は、全てを受け入れる覚悟もあるのだな?」
「覚悟なら、とうの昔にできている。 だからこそ、私は貴方に力を示した」
「ならば、赤き獅子を追え。 奴らは黒き刀を持つお前の事を追い続けている組織だ。
彼らと接触すれば、お前の事が何かわかるかもしれん」
「……師匠、まさか貴方は――」
「ワシが知るのは、ここまでだ」
ジュピターのその言葉を聞いて、ファリスはこれ以上追及するのを辞めた。
ファリスはもう一度だけ、ジュピターに向かって頭を下げると、何も告げずに立ち去ろうとした。
「ファリス、例えお前が記憶を取り戻そうともここはお前の家だ。 ワシはお前の帰りを待つ、この命ある限りはな。
今となってはお前はワシの大切な教え子でもあり、愛娘のようなものだ。 あまり、ワシを心配させるなよ」
その言葉を聞いて、ファリスは足を止めた。
何処かジュピターの寂しさが伝ってくるような言葉を胸に留め、ファリスは静かに目を閉じた。
「その言葉、覚えておこう」
覚悟を決めたファリスは背中を見せたままジュピターにそう告げて、立ち去って行った。
黒装束の奇襲を受けてから1時間程経過しただろうか。
ファリスは延々と続く地下水路を歩き続けた。
一応は任務を優先して、政府に捕らわれている人物の救出を最優先とするつもりだが
事態はファリスの予想を遥かに超える程深刻化している。
自身だけの目的を考えれば、中央区を封鎖しているのが偽の騎士団である可能性が高い、という情報だけでも十分に達成していた。
このまま西区へ身を引いて出直す、という選択肢も十分にあるはずだ。
だが、交渉人のテルからは任務の放棄はワーカー自身の信用を失うだけではなく、ギルド自体の信用問題にも繋がると。
自身の評価が下げられようがギルドがどうなろうが、ファリスにとってはどうでもいい事ではある。
いずれにせよギルドの上層部はファリスを助けるつもりもないはずだ、いざとなれば簡単に切り捨てられる身でもあった。
しかし、テルには何かと世話になっている事が多く、恩を仇で返すのような真似はしたくない。
確かに今回の任務は胡散臭い事も多く、現にファリスは謎の襲撃者に命を狙われた。
だが、そうだとしてもファリスは依頼を引き受けた身、どんな理由であれど放棄をするつもりはない。
もし、依頼が『黒』であるのなら……『黒』である証拠を掴んで、ギルドに示す以外方法はなかった。
いずれにせよ、ファリス自身ももう少し『赤き獅子』について調べる必要があった。
危険だという事は承知の上で、中央区への潜入を試みているのだ。
このまま突き進む以外に、選択肢はないだろう。
ターゲットの情報や、中央区のどの施設に捕らわれているかは既にテルから渡された資料を目に通して頭に叩き込んでいる。
現状の位置さえわかれば地下から辿っていく事も可能ではあるが、表に出る必要はあるだろう。
例の施設にまで、先程の集団がいなければいいかと願うが……恐らく、そうはいかない。
ファリスは自身の命を狙われている、理由まではわからないがこれは事実であろう。
が、そうだとすると一つ矛盾が生じる。
中央区に捕らわれた人質の存在だ。
依頼人は何らかの事情でターゲットを救出してほしい、とギルドに依頼を出しているはず。
だが、実際はファリスが薄々と予想していた通りの結果になった。
何かが、おかしい。
何度も言うが、今回の件はよほど命知らずなワーカー、或いは何も考えていないバカのどちらかしか引き受ける事があり得ない内容である。
いるかどうかもわからない人質の救出、しかも場所が中央区、渡された謎の騎士勲章。
そこでファリスは、ようやく気が付いた。
この依頼、個人の思惑だけで動いているわけではない。
ギルド、依頼者、赤き獅子。 間違いなく、これら全てが関わっているはずだ。
テルは依頼を受ける前に言っていた。
『君はただ何も考えずに、ターゲットの救出をするだけでいいよ』
やはり、あの男の言葉は……何気ない一言でも、重要な意味を持っている。
この事実にいち早く気づいているのだろう。
気が付けば中央区の地上へと繋がる梯子へと辿り着いていた。
頭上を見上げると、階段の先には扉が硬く閉ざされていた。。
「今は、お前を信じるぞ」
誰に告げている訳でもなく、ファリスは梯子を上って地上へ向かって登っていく。
様子を見ながら重い扉を片手でずらしていくと、強い日差しが目に飛び込んだ。
しばらくの間日差しを浴びなかったせいか、驚くほど眩しく感じた。
人の気配はしない、恐らく誰もいないのだろうとファリスは地上へ登りきると、扉を静かに戻す。
そこには、整然とした街並みが広がっていた。
セティアシティに初めて訪れた時に、妙に高い建物をいくつかみかけた。
それらは中央区に聳え立つ巨大な建物の数々だったのだろう。
見渡す限り高い建物に囲まれた街は、まさに大都会と呼ばれるのに相応しい。
だが、妙な事に誰一人街中を出歩いていなかった。
きちんと整備されている地面を見ると、ここは人が賑わう大通りのはず。
店は全てシャッターで閉ざされているが、ところどころに人がいたような形跡は残されている。
街は不気味な静けさを保っていた。
ファリスは身を隠しながら建物の間を抜けていき、ターゲットが捕らわれている施設までのルートを確保する。
出来るだけ隠れるところが多く、戦いが起きても守りやすい場所を探す。
退路として使える場所をできる限り洗い出し続けていた。
通常なら複数のワーカーと交渉人が何時間もそれぞれが意見を出し合って時間をかけて作るモノではあるが
ファリスの場合はそれを一人で、それも的確に素早く行ってしまう。
それがわかっているからこそ、テルは余計な事を告げずにただ資料だけを手渡したのだろうが。
問題は施設内の構造ではあるが、流石にテルもここまでは把握していないようだ。
つまり、ほぼぶっつけ本番で中に入るしか方法はない。
頭の中で潜入プランを組み立てていると、あっという間にターゲットが捕らわれている施設に辿り着いた。
ここまで誰とも遭遇しなかったのは妙ではあった。
何か嫌な予感を感じながらも、ファリスは見張りがいないか確認したが、人の気配は感じない。
入り口は一つしかなく、周囲には鉄格子のかけられた小さな窓以外、外に繋がるモノはないようだ。
恐らく騎士団が使う収容施設なのだろう、そう簡単に侵入できる造りになっているとは思えない。
どうにかして施設に潜入できないかとファリスは周囲を注意深く見渡すと、ふと鉄格子から誰かの話声が聞こえてくる。
ファリスは息を潜めて、そっと話し声に耳を傾けた。
「なぁ、何で禁忌術者以外の奴がここに捕らわれてんだ?」
「さあなぁ。 噂によれば毒ガス事件の容疑者として捕えられたっつー話だけど。
しかし本当なのかねぇ、そもそも毒ガスなんてセティアシティに存在するのか?」
「中央区で管理されているらしいけどな、もしかしたら今の政府に不満抱いてるやつが協力したんじゃねぇか?」
「でも正気沙汰じゃねぇだろそんなの。 毒ガスで汚染された地域は十年以上人が住めなくなるんだろ?
下手したらセティアシティそのものが終わっちまうじゃねぇか」
どうやら見張りの雑談のようだ。
ほとんど知っている情報ばかりであり、特にめぼしい情報を得られそうにはない。
少なくとも中に人がいる事がわかっただけでも収穫ではあるかもしれないが。
「それが狙いだとかじゃね? あーあ、退屈だな。 」
「そう言うなよ、これも騎士団が中央区封鎖してくれてるおかげだろ?
今のうちに禁忌術者の奴らを全員処分しちまえばいい、可哀想かもしれねぇけど……それが世の為だろうしな」
一瞬怒りを覚えたファリスは今すぐにでも黒き刀を抜刀しようとするが、今は怒りを抑えてただ堪えた。
今の会話でわかった事は、ターゲットが間違いなくこの施設に捕らわれている事と
……恐らくターゲットが禁忌術者と一緒に処分されようとしている、二点だ。
ファリスは気づかれる前に立ち去ろうとすると、ふと芝生が不自然に生えている箇所が目に留まる。
その部分だけ明らかに整いすぎていた芝生を調べてみると、そこは隠し扉になっていた。
隠し扉を開いてみると、そこは地下通路に繋がっているようだ。
「罠の可能性も考えられるが」
正面突破するよりかはマシだろう、とファリスは地下通路へと向かって下りて行った。
先程通っていた地下通路とは少し形状が異なるようだ。 それに、人が通った形跡がある。
ファリスは少しだけ先に進んでいくと、梯子がいくつかかけられていた。
梯子の先は扉で硬く閉ざされており、どれも最近開かれた形跡がある。
妙に感じながらも、ファリスは一つの梯子を上っていき、そっと扉を開いた。
位置的には施設の中に繋がっているとは思われるが、ファリスは迷わず梯子を上りきった。
するとそこは物置だった。 ガラス瓶のようなものから木材や鉄パイプと資材が乱雑に置かれている。
丁度入り口はそれらで上手く隠されているようだ。
何者かが使っていたのかと思われるが、一体何のために使用していたのだろうか?
疑問を抱きながらもファリスは慎重に部屋の外を確認すると、そこは長い通路だ。
誰もいない事を確認すると、音を立てぬように静かに通路を進み続ける。
奥へ奥へ進むと、人の姿が見えてファリスは咄嗟に息を止める。
騎士団の制服を着ているようだが、どうも様子がおかしい。
椅子に座ってぐったりとしているようだが……眠っているだけなのだろうか。
よく見ると、口の端から血を流していた。
「死んでいる……?」
何故、政府の施設内で見張りの兵士が死んでいる?
自分以外にも侵入者がいるというのか。
よく見たら見張りの近くにある六つの扉の一つが開けられている。
ファリスは部屋の中を確認しようと駆け出した。
「ひいいいいいいいっ!? おたすけえええええっ!! おたぁぁぁすけぇぇぇぇえっ!!!」
その瞬間、囚人服を着た妙な小太りの男がいきなりファリスに抱きついて大泣きし始めていた。
これだけ大声を出されては他の者に気付かれてしまう、危険を察したファリスはとにかく黙らせようと男の口を塞いだ。
「静かにしろ、見張りが気づいたらどうするつもりだ?」
「ふごぉーもんごぉふぉごぉぉーっ!」
何か必死で訴えているが、この手を放したら大声で喚き散らかしかねない。
男の腕についた番号札を確認すると、「No.29」と記載されていた。
確かテルの資料によれば―――間違いない、この男が毒ガス容疑をかけられたクラウン・マーティングだ。
だったら話が早い、まずはこのクラウンという男を安心させるのが先決だろう。
「私はギルドの依頼でお前の事を救出しに来た。 決してお前の敵ではない」
「ほあ? ぼ、ぼぼぼボクチンを助けに来てくれたのか?」
「ああ。 話は後だ、今はここを抜け出すぞ」
「お、お前良い奴だな。 ボクチンの召使にしてやっても……そうだ、お前美人だから専属メイドなんてどうだ――」
「何を訳のわからない事を言っている。 早くしろ」
ファリスはクラウンの手を強引に引っ張って、牢屋から脱出を図った。
クラウンは一人でベラベラと何かを言っているが、聞いている暇はない。
そのまま二人は地下通路へと向かっていった。




