救出せよ ②
西区のゲート付近は、騎士団による厳重な警備が敷かれていた。
中央区が封鎖されている現状、少しでもゲートに近づこう者なら騎士団に武器を向けられる。
騎士団ですらも騎士勲章の提示は勿論の事、身分証から何まで隅々に確認が行われているようだ。
正直、渡された騎士勲章だけですんなりと通れるような状況には見えない。
だが、ファリスには確信があった。 この騎士勲章があれば、間違いなくあの場を通り抜けられるはずだと。
ファリスは迷わず、ゲートへと向かって歩み始めた。
が……
「ちょ、ちょっと待ちなさいよアンタッ!」
耳にキンと来るような怒声を上げてやってきたのは、テミリアだった。
テルに宿まで送るように依頼したはずだが、どうやら逃げられてしまったのだろう。
あの男の事だ、テミリアが騒いだ挙句、魔法で脅されて怖気づいたに違いない。
ファリスは鋭い眼でテミリアを睨みつけた。
「何をしている、お前は大人しく宿に戻れ」
「アンタがあまりにもアホな事しようとしてるから、わざわざ止めに来たんでしょ?」
「危険は承知の上だ、いざとなれば――」
「だーかーら、そういう後先考えない行動が一番ダメだっつってるのよっ!」
テミリアが大声で騒いだせいで、周囲の騎士団は一斉にテミリアへと視線を向ける。
まずい、ここでテミリアが尋問を受ければ禁忌術者である事がバレてしまう危険性が高い。
ここはひとまず彼女を連れて退くべきだろうと、ファリスはテミリアの腕を引っ張った。
「ちょ、な、何すんのよっ!?」
「お前も少しは、周囲を気にしろ。 それと、政府から追われている事も忘れるな」
「だ、だったアンタが――」
「話なら後で聞いてやる、だから私についてこい」
ファリスは上手く人混みに紛れ込んで、誰にもつけられないように注意を払いながら裏路地へと逃げ込んだ。
ここまでくれば大丈夫だろうとテミリアの手を離すと、彼女は何処か不服そうに頬をぷくーっと膨らませた。
薄暗い路地に入ったファリスの赤い瞳は、まるで魔物のように鋭く不気味に光る。
「これ以上、私の邪魔をするのであれば―――お前と言えど、斬る」
淡々とした口調で、ファリスはテミリアを睨みながら柄を握りしめた。
勿論、本気で抜刀する気はないが……これ以上、邪魔をされて任務に支障が出るのも死活問題ではある。
この脅しでどうにか、身を引いてくれればいいと願うが……。
「私だって、本当はアンタがどうなろうと知ったこっちゃないわよ。
でもね、アンタは私の事を守ろうとしてくれた。 例え自分の身が危険に晒される事になろうと、私の命を優先してくれた。
アンタが私の事を斬りたいのなら、好きにしてくれて構わない。 それでも、私はアンタをこれ以上……危険な目に逢わせたくはない」
テミリアも負けじに、ファリスの事を睨み返していた。
わからない、初対面ではあれ程ファリスの事を信用していなかった彼女が、どうしてここまでファリスの身を案じるのかが。
もし本当に感謝していると思っているのであれば、この場で宿に戻ってほしいというのが本音ではある。
だけど、何故か彼女の泣きそうな表情を見ると、言葉が出なかった。
「まずは、依頼者を調べ上げるべきよ。 その騎士勲章、絶対に怪しいわ。 本当に騎士勲章だけで中央区が通れるのならば、誰も苦労しないわ。
極端な話、騎士団員から騎士勲章を奪えば誰でもゲートを通れることになるって事なのよ、それは。
でも、今の政府があれだけ神経質になっているのは……中央区に私達を捕えているからなのよ?
彼らがそう簡単に私達を中央区から逃がす術を残してくれるはずがない」
「……何が言いたい?」
「その騎士勲章は、何者かの罠だと言っているのよ」
「何度も言う。 罠である事は、承知の上だ」
「だったら、どうしてっ!?」
「テル・シェイターも、こいつが罠である事はわかっているはずだ。 これは、何者かが私を『中央区』へと誘っているにすぎないと」
ファリスは騎士勲章を握りしめながら、はっきりとそう告げた。
テル・シェイターという男は、何を考えているか確かに分からない男だ。
だが、それでも何も考えもなしにファリスを危険な場に送り付けるような男ではない。
あの男というのは、必要以上にファリスに拘っている以上、何らかの根拠を持った上でこの勲章を渡しているはずなのだ。
だからこそ、ファリスはあの男が信用できると判断している。
少なくとも、ファリスの命を優先する事だけは第一に考えているのだというのが、わかっているからだ。
「アンタ頭おかしいんじゃないの? 誰かの罠だと気づいているのに、ひょっとしたら命を狙われているかもしれないのに―――」
「私は、どうしても中央区へ向かわなければならない。 そこに、私の記憶の手がかりが眠っているのかもしれないからだ」
「記憶の手がかり? まさか……記憶が、ないの?」
ファリスは、それ以上は語らずに目を閉じて、膝をついた。
「ちょ、ちょっと何してるのよっ!?」
テミリアが素っ頓狂な声をあげるが、構わずにファリスは続けた。
昔、剣の師から教わった事を思い返す。 人に物を頼む時は頭を下げろと。
膝と手を地につけ、ファリスは頭を地に付く程に下げていた。
「――宿に、戻ってくれないか。 その代わり、約束しよう。 私は必ず生きて、お前の元へ戻ってやる。 だから、大人しく待っていてくれ」
彼女ならば、きっと記憶を取り戻すために命を懸けるのはバカバカしい。 と、言い出すのかもしれない。
きっと納得はしてくれないだろう。 だが、ファリスはやっと手がかりを見つけたのだ。
師匠の元から離れ、厳しい訓練を積み重ね、長い旅路の果てに辿り着いたこの街で。
ようやく、手にした。 長年求めていた、記憶の手がかりを。
「や、やめなさいよ。 アンタ、とことん変な奴よね。 私の事助けたかと思えば、斬るだの言いだしたり……いきなり土下座したりさ。
それに、アンタが生きて戻るなんて当たり前の事でしょ? アンタ私に約束したんだからね? 『守ってみせる』って。 死んだら、承知しないんだから」
「……すまない」
ファリスはゆっくりと立ち上がり、服に付いた砂を払った。
どうやら、納得してくれたようだ。
テミリアは何故か、寂しげな表情を浮かべていた。
ファリスが記憶を失っている事に関する同情なのか、
それとも、単純に心配しての事だったのかはわからない。
それ以上は何も語らずに、ファリスは無言で立ち去っていく。
何処か哀愁が漂うファリスの背中を、テミリアは静かに見守っていると……拳をギュッと握りしめ、唇をかんだ。
「よう、お嬢ちゃん」
「んなっ!?」
不意に声をかけられ、テミリアは背後を振り返る。
そこにはテミリアはそれ程背が変わらない、銀髪の少年が真っ白な歯を見せながらニヤニヤと笑っていた。
一歩間違えれば美少女でも通じそうではあるが、半袖短パンの少年的な姿を見れば辛うじてその人物が男であると認識は出来た。
「ヘヘッ、中々面白い現場を見せてもらったぜ?」
「み、見世物じゃないわよっ!」
「そりゃわかってるぜ。 でもよぉ、お嬢ちゃん達あまりにも不用心すぎじゃねぇかぁ?
こんなところで中央区がどうこうとか話してたら、騎士団に真っ先に捕まっちまうぜ?」
「う、うるさいわねっ! わかってるわよ、そんな事っ!」
美少年は顔に似合わず汚らしい口調だった。
外見と中身のギャップに驚きながらも、テミリアはむかっ腹の立つ口調にイライラしていた。
「あの綺麗な姉ちゃん、一人で中央区へ向かうんだって? 随分と肝が据わったいい女じゃねぇかよ。
ヘヘッ、そういう女は嫌いじゃないぜ俺はよぉ」
「何よ、そんなに気になるならナンパでも何でもすれば? どーせアンタなら、一瞬にして刀の錆にされるわよ」
「とんでもねぇ、俺にはもったいねぇ女さ。 ま、前置きはここまでにしてよぉ。 なぁ、嬢ちゃん……お前さ、行きたくないか?」
「行きたいって、何処によ」
「決まってんだろ?」
男は必要以上にテミリアに顔を近づけて、ニヤリと笑みを浮かべた。
思わずぶん殴りたくなる衝動にかられ、テミリアは拳を振り上げようとしていると。
「中央区に、よ」
次のその言葉で、ピタリとその拳を止めた。
「俺はな、ナンバー3に所属しているワーカーなんだけどよ。 実は副業で情報屋もやってんだよ。
っつっても、実際こっちが本業みてぇなもんだけどな。本来なら滅茶苦茶高く売れる情報なんだけどよ。
どうだ、嬢ちゃんは可愛いから特別価格で提供してやってもいいぜ?」
「……アンタ、何者よ?」
「だーかーらー、ただの情報屋だっつってんだろ? ほら、あの姉ちゃんの事が心配なんだろ?」
「それは、そうだけど―――」
男は更に顔をニヤつかせると、馴れ馴れしく肩を組みだす。
思わず気持ち悪さでゾクゾクッと背筋に寒気が走るが、何とかテミリアは耐えていた。
すると、男は耳元でぼそぼそと囁き始めていた。
「――あんまり、でかい声で言えねぇけどな。 アンタ、西区から今すぐ逃げた方がいいぜ」
「……逃げ、る?」
「アンタの情報、大分出回っている。 だから俺も、アンタの正体には気づいているワケ」
「――っ!?」
テミリアは身の危険を感じ、すぐにでもその男から離れようとするが、男は引き留めて更に耳打ちを続ける。
「おいおい、勘違いするな。 俺は別にアンタを売ろうって訳じゃねぇのさ。
ちょいと、別件の依頼を受けたついでにアンタも任されてんだよ。
はっきり言えば、今は騎士団よりもワーカーに注意すべきだ。 騎士団の奴らはお前達に構ってる余裕はないだろうからな。
つまり、今は中央区の方が逆に安全って訳よ。 アンタは早いうちにそっちに逃げちまった方がいいのさ」
「それ、本当なの……?」
胡散臭い男ではあるが、不思議と嘘を言っているようには見えない。
だが、テミリアは直感的にこの男を信用すべきではないと感じていた。
この何を考えているかわからない不気味さは、まるであのテルという名の交渉人のようだった。
「ま、悪い話じゃねぇと思うぜ。 何なら代金は後払いでもかわまねぇぜ。 こっから先は、嬢ちゃんの判断に任せるがよ」
テミリアの心は揺らいだ、本音を言えばファリスの事は心配だし一緒についていきたいという気持ちがあったのは事実だ。
しかし、ファリスの性格からして絶対に連れて行ってくれるはずもないし、何よりも自分自身が一番危険だという事もわかっている。
ファリスは宿で大人しく待っていてほしいと、頭を下げてまで言ってくれたはずだ。
だけど、テミリアには……命を懸けて自分の事を守ってくれた恩人の事を、放っておくだなんて出来なかった。
「わかった、アンタの情報……買ってあげる」
「ニヒヒ、毎度毎度。 今後とも、情報屋『カリス・ベイナード』をよろしくっ!」
情報屋カリスは、ニカッと万年の笑みを浮かべて、親指をグッと突き立てた。
再び、ファリスは中央区へ繋がるゲートへと訪れた。
先程の騒ぎもあり、場所を変えるべきかと考えたが……わざわざ遠回りする理由もないだろう。
念の為、テミリアがついてきていないか厳重に背後を確認すると、ファリスはゲートへと向かっていく。
すると早速、二人の騎士団がファリスに槍を向けた。
「待て、何者だ?」
「本日付けで騎士団に配属にとなった。 中央区への通行を許可してもらいたい」
「所属と番号を名乗れ」
「第六部隊『ガーディアン』、No.369」
ファリスは騎士勲章を見せながら、偽の所属を名乗った。
勲章が示す『盾』のマークと裏に記載されたナンバーから推測している、全くのでまかせではない。
騎士団の二人は何かを確認するように話し込んでいる。
もし、これが何者かがファリスを中央区へおびき出す為の罠だとすれば……ここを通れるのは間違いない。
だが、逆にファリスの勘が当たってしまうと、別の問題が起きる。
少なくとも、何者かがファリスを意図的に狙っている、という事になるのだ。
首謀者を詮索するのは後回しでいい。
いずれにせよ、ファリスはその者と対峙する事になるはずだ。
テミリアの言う通り、今回の胡散臭い依頼は何者かの意思が働いているのはわかっている。
だが、ファリスは首謀者の思惑通りに動くつもりはない。
あくまでも、逆にこのチャンスを利用しているにしか過ぎなかった。
「よし、通れ」
騎士団の一人から通れと一言、指示があった。
ファリスは一礼すると、ゲートを通り抜けようと突き進む。
念入りに周囲を警戒し、いつ襲撃されても対応できるように右手を刀の柄に添える。
薄暗いゲートをカツン、カツンと足音を反響させながらゆっくりと進んでいく。
すると、ファリスはピタリと足を止めた。
ギギギギギという金属が削れる音が響くと、ゲートが完全に閉ざされてしまったのだ。
中央区が閉鎖状態にある中でも、ゲートが閉ざされるタイミングというのは夜間だけだったはず。
昼間は騎士団の出入りが多く、常に解放する代わりに多くの監視をつけているからだ。
だから、中央区が閉鎖状態にあってもゲートが解放されたままである事に疑問を抱いたことはない。
しかし、今このタイミングでゲートが閉ざされるのは明らかにおかしい。
まるで謀ったかのように、ファリスがゲートを通ったタイミングで閉ざされたとしか考えられなかった。
ゲートが完全に閉ざされ、辺りは一瞬のうちに闇に支配される。
「罠とはわかっていたが……まさか、このような手を使うとはな」
ファリスが呟くと同時に、ゲートに明かりが灯った。
気が付くと、ファリスは黒装束を身に纏った謎の集団に囲まれていた。
ドクンッ、ファリスの鼓動が高まる。 知っている、この物達を。
ファリスの記憶の始まりにあった、『翼の生えた赤き獅子のタトゥー』が刻まれた謎の黒装束達。
自身の記憶を刺激するように、ズキズキと頭が痛み始めていた。
「お前達は何者だ?」
ファリスは尋ねるが、彼らは何も答えなかった。
黒装束達は、それぞれが刃物を手にしてファリスに向けている。
恐らく外の騎士団は、偽者なのだろう。
中央区を閉鎖しているのは、騎士団ではない。
何か、別の組織の手が入っている事を確信した。
「話が通じる相手ではない、か」
ファリスは右手で刀の柄を握りしめ、呟く。
相手を威嚇する獣のように、赤き瞳をギラリと光らせた。
「―――斬る」
黒装束達の死を宣告するかのように、ファリスが低い声で告げた。