第6話 救出せよ ①
ナンバー4支部の面談室にて、交渉人のテルが退屈そうに大欠伸をしていた。
普段ここは依頼人やワーカーとの交渉の場として使われているが、テルは誰かを待っている様子もなく、暇そうに書類の束を目に通している。
綺麗に整った金髪を指でつまんで引っ張りながら眠そうにしていたが、ついに限界が来たのか資料を投げ出して大きく伸びをする。
「ふわぁぁ、中々捗らないねぇ。 全く、こんなつまらない仕事を僕に押し付けるなんてねぇ。 よほど僕はギルドから嫌われているようだなぁ」
テルは今日、ギルドの上層部から大量の書類が渡されていた。
内容は、今月に入ってギルド起因で発生した事件をまとめたものだが、これらは次回のランク査定に関わっており、これらを元に査定が行われる。
つまり、今テルが眠そうに目を通している資料は、外部には決して漏らしてはならない極秘資料なのであった。
ギルドの査定に関わるといった事もあり、内容の信憑性についてはギルドが神経質になって確認を行っている。
その為、最終的には内容の整合性を確認し、上層部により承認の印が押される流れであった。
通常、資料は交渉人達が作り上げている事もあり、間違っているケースというのがほぼ存在しない。
上層部と違い、交渉人は限りなく現場の人間に近い位置にいるので、ギルドが請け負った仕事の情報は全て入っているのだ。
しかもその後交渉人達の手によって、上層部に報告される場まで用意されている。
つまり、最終確認とは名ばかりで、資料を簡単に目を通して承認の印を押すだけの作業なのだ。
が、ナンバー4の上層部は偽騎士団事件の対応に追われており、資料を目に通す事すらできない状態にあった。
そこで上層部は交渉人であるテルに作業の代理をさせ、自分達は文字通り印を押せるだけの状態にしようと考えたようだ。
勿論、資料に不備があったら全ての責任がテルに押し付けるつもりなのだろう。
最もそんな心配はほぼ皆無なのだが、形式だけでも行ったという実績がほしいらしい。
ぶっちゃければ、テルはしなくてもいい仕事を押し付けられていたのだ。
退屈だったテルの脳を刺激するように、ノックの音が飛び込んだ。
しかし来客の話は聞いていないはずだが、と思いつつもテルは重い腰を上げる。
「はいはい、どちら様ですかね?」
気怠そうにテルが扉を開いた先に待ち受けていたのは、質素な格好をした中年の男だった。
手入れが全くされていないヒゲ、ボロボロの布切れのようなコートを身に纏っているが、不思議と顔つきは威厳があるように見える。ギロリと鋭い眼で睨まれたテルは、思わずたじたじとなって後ずさりしてしまう。
「や、やあやあこれはこれは。 ハハッ、まさか貴方が僕の元に来るとはね」
「久しいな、テル・シェイター」
「そうですねぇ、貴方と逢うのは半年ぶりでしょうか……ゲネティ・マーティング」
テルは不敵に笑い、その男の名を呟く。
中年の男は何処か不満そうに、舌打ちをした。
「その名を無暗に口にするな。 貴様、殺されたいか?」
「いやいやとんでもない、貴方様を敵に回すことを考えただけでゾッとしますよ。
きっと私であれば、三日もしないうちに消されてしまうでしょうねぇ……。
それで、わざわざ私のところまで何の用でしょう?」
「単刀直入に言う、ワシのバカ息子が政府に捕まった」
「ほう? なるほどなるほど、つまり息子さんを助けたいと? 意外ですねぇ、貴方がそこまで息子想いだったとは」
妙にニヤニヤしながらテルが尋ねると、ゲネティはコートから太い腕をさらけ出し、テルは胸倉をグイッと掴まれてしまう。
だが、テルは動揺する事もなくニヤニヤと笑い続けるだけだった。
「調べは当についている。 貴様が余計な事をしたせいで、ワシの息子がつまらぬ疑いを着せられたとな」
「はて、何の事でしょうかねぇ? 私記憶力には自信がある方なのですがーどうやらそうでもなかったようです、ハハハッ」
まるで相手を意図的に挑発するかのように、わざとらしく笑った瞬間――テルの視界がぐるりと反転し、気が付けば床へと叩きつけられていた。
受け身も取らずに背中からもろに受けたテルは、流石に笑いを保てず数秒程、呼吸困難に陥ってしまう。
「貴様らギルド同士のくだらぬ失態に、ワシの息子が巻き込まれたと言っている。 貴様にはその責任を取ってもらうぞ」
「フフッ、冗談の通じなさは相変わらずですねぇ。 少しは頭を柔らかくしてはどうですかねぇ?」
「貴様はいつまでもすっ呆けているからだ。 至急、政府から息子を救出してもらうぞ」
「簡単に言ってくれるますけど、無理だと思いますよ?
ギルドが政府に敵対する行為をするようなものなら、私のクビが飛ぶどころの話じゃありませんよ。
騎士団襲撃の騒ぎの件だって、既にご存じでしょう? それだけ私達はギリギリの関係を保っているわけでして」
「その事は承知している。 だが、今なら丁度いい人材がいるのではないか?」
「と、言うと?」
「赤眼の剣士を使えば、何も問題はなかろう」
赤眼の剣士、テルはその単語を耳にした途端、表情が引き締まった。
この男、何故赤眼の剣士とテルが繋がっている事を知っているのか。
テルが赤眼の剣士こと、ファリスをワーカーとして引き入れた事はギルド間でしか知られていないはずだが。
だが、裏世界を支配する男の事だ。 その手の情報を知らないはずもないだろう。
「はて、何故赤眼の剣士を使う必要が?」
「お前が言うように、赤眼の剣士が騎士団を襲撃した事件については既に耳にしている。
ギルドも赤眼の剣士の処分について検討中のようではないか。 ならば、奴を利用する事は容易いはずだ」
「なるほど、貴方はこう言いたいワケですねぇ。 赤眼の剣士を中央区へ向かわせて、息子を救出させる。
もし赤眼の剣士が失敗すれば、すぐに切り捨ててしまえ、と。 確かに今の彼女なら、単独で動いたって事にできるかもしれないけどねぇ。
だけど、穴はいっぱいあると思うけどね。 例えば息子が脱獄した、ともなれば政府の奴らが黙っちゃいないはずだ」
どうやら、ゲネティは騎士団が偽者であったという情報までは掴んでいないようだ。
そもそも騎士団襲撃事件については箝口令が敷かれていたはずだが、これもまた情報屋を伝って手にしたのだろうか。
しかし、政府の監視を掻い潜って情報を仕入れるのは今は相当難しいはずだというのに。
裏世界を支配するこの男は、やはり只者ではないのだろう。
「ならば、こういうのはどうかね? 赤眼の剣士が政府から息子の救助を行った。
しかし、赤眼の剣士は任務の途中に騎士団の息子を殺されてしまい、赤眼の剣士はギルドから追放され、姿を消すと
「……なるほどなるほど、つまりこういう事ですかね?
息子の救出は赤眼の剣士にやらせて、私達に息子さんの死体をでっち上げろと?」
「フン、貴様らなら造作のない事だろう。 死体役ならば赤眼の剣士を使えばいい、焼死体にでもすれば問題なかろう。
そうすれば貴様らも奴の事で頭を悩ます必要がなくなるだろう。 どうだ、貴様にも損はない話だと思うが?」
「ンー、確かにギルド的には悪くない話ですねぇ。 しかし―――いや、いいでしょう。
どうせ、力尽くにでも引き受けさせる気でしょうからね、貴方は。
でも、私には中央区へ潜入する手立てがないんですけどねぇ、もしかして派手に暴れろと?」
「これを使え、特注品だ」
ゲネティがコートから取り出したのは、騎士勲章だった。
これは政府によって騎士団に採用された者だけに配られる勲章だ。
つまり、これを提示すれば世間からは騎士団の一員として認められることになる。
「騎士団になりすませと? 流石闇の世界に生きる男は違いますねぇ、こんなもの何処で用意したんでしょう?」
「話はここまでだ。 すぐにでも奴を動かせ」
ゲネティは用件だけ速やかに告げると、バタンと扉を閉めて部屋から出て行ってしまう。
すると、テルは大きくため息をついた。
「仕方ないですねぇ、あんまりファリスちゃんを危険な目に逢わせたくないんだけど……ま、彼女なら大丈夫でしょう。
しかし、焼死体のでっち上げは難題だねぇ、ギルドで検死とかできればいくらでも誤魔化せるけど、絶対に政府が絡んでくるからねぇ。
何よりもこっちはファリスちゃんを手放す気はないんですよねぇ……。
―――まぁ、いいでしょう、ここはあの人のシナリオ通りに進めてあげましょうかねぇ」
テルは口の端を釣り上げ、いつになく不気味に笑いながら呟いた。
ファリスが偽騎士団の件を任され、既に三日経過していた。
禁忌術者を狙い、処刑をし続ける政府。
しかし、政府とは無関係の偽の騎士団が禁忌術者を狙った。
偽の騎士団は、肩に翼を持った赤き獅子のタトゥーが刻まれていたという。
ファリスが持つ、自身の記憶を取り戻すための唯一の手がかりが、ここでようやく掴めた。
だが、それ以上にファリスは今、厄介な事件に巻き込まれているのも事実だ。
禁忌術者の少女テミリアを助ける為に、政府を敵に回す覚悟で騎士団を斬った。
その結果、騎士団が偽者だったことが判明し、ギルドは今大きな混乱に陥っている。
何か大きな事件が起きる前触れでなければいいのだが、とファリスは不安を過ぎらせた。
テミリアはテルが手配した宿に置いてきた。
ファリス自身は事件の影響で結局はまだギルドに在籍しているし、誰かから追われている状況でもない。
当分の間は自由に動けると思っていいが、それも時間の問題だろう。
騎士団を斬ったという行為は事実であり、ファリスは今後も騎士団に敵意を見せる事がないとは言い切れない。
最悪、このままギルドから追放される事も十分にあり得るのだ。
テルの要求は、偽騎士団に関する情報を集める事だ。
しかし、そう簡単に集まるはずがない。
何故ならファリス自身が、赤き獅子について長年調べ続けてきたが……ほとんど情報を手にすることが出来なかったからだ。
偽の騎士団を調べるのなら、手っ取り早い方法と言えば騎士団について調べるのが近道だろう。
その為には―――
「やあやあ、ファリスちゃん」
「――っ!?」
ファリスは反射的に抜刀しようと構えたが、振り返った先にあるテルの姿を確認すると、その手を止めた。
この男、相も変わらず気配を完全に消して背後に立つ。
交渉人と言えど、昔は手練れのワーカーだったのではないかと疑いたくなる程だ。
「ちょ、ちょっと? ぼ、僕だってっ! そ、そんな目で睨まないでくれよ」
「何の用だ? 例の件については全く進捗がないが」
「いやいや、それがねぇ。 ちょっと緊急の任務が君に入ったんだよ。 どうだい、彼女と一緒にお茶でも」
「彼女と、一緒?」
「いや、ほら。 あそこ」
テルが指さした先を確認すると、何者かがサッと物陰へと隠れる。
今日はやけに視線を感じると思っていたが、その疑問がようやく解消された。
「なるほど、視線の正体はお前ではなく奴か」
「彼女の面倒は保護者である君がちゃんと見るべきだと思うけどねぇ、いいのかい?」
「よくはない、後で私からきつく言っておこう」
ファリスは何処か呆れて、物陰に隠れて行ったテミリアを追いかけた。
彼女が捕まるのに時間がかからなかったのは、言うまでもない。
前回、テルに紹介された店にファリス達は訪れていた。
支部へ戻るのが面倒だったのか、それとも何か特別な理由があってこの場所へ呼び出されたのかはわからない。
彼は常に笑顔を絶やさないが、逆に何を考えているのか読み取れず、そういった意味でも敵に回したくない人物ではある。
今回の緊急依頼、というのもファリスは何かと嫌な予感を感じて仕方がなかった。
テミリアは口を尖らせながら、不満そうに頬杖をついているようだが。
「それで、何だ? お前が急を要するという事は、よほど急ぎなのだろう」
「あれ、もう少しゆっくりしていかない? 実はここのデザートは格別でね、是非君にも――」
「え、ホントっ!?」
「い、いや……君じゃないんだけどなぁ」
甘い物に目がなかったのかテミリアはデザートという単語を一つ聞いただけで、子供の用に目をキラキラとさせる。
対してファリスはそんな事に気も留めず、赤い瞳をギラつかせていた。
「おっと、ファリスちゃんが怖い顔をしているからサクッと用件だけ伝えようか。
ずばり、君には中央区へと向かって貰いたいんだけど……」
「中央区に?」
何故、このタイミングで中央区へ出向く必要性があるのか?
しかし、政府が封鎖している以上、中央区へ出入りする事は容易ではない。
だが、これは願ってもいないチャンスだ。
捜査に行き詰ったファリスは、中央区へどうにかして潜入できないかをテルに相談を持ちかけようとしていた。
つまり、お互いの利害が一致した今、協力して中央区へ潜入することが出来る事となる。
「いやぁ、ごめんごめん、いきなりすぎちゃったねぇ。 以前に君が引き受けた毒ガス事件の事、覚えているかい?」
「ああ、東区のワーカーが護衛を務めていた件の話が。 その事なら既に上層部に任せていると聞いているが」
「それがねぇ、その依頼者がとばっちりを受けちゃったわけよ」
「どういう事だ?」
「要はね、依頼者は毒ガスを運んでた意識がなかったワケ。 でも政府から見れば、毒ガスを運ぼうとした張本人は依頼者なんだよねぇ。
だからさ、政府はそいつを処刑して全てを片づけよう、だとか思っているんだよね。 ほら、これは一大事だろ?」
「ふん、何よ。 そんなのそいつがやってないって証拠はないでしょ? 大体ギルドにも落ち度があるんじゃないの?」
ファリスより先に口にしたのはテミリアだった。
大方ファリスと同意見のようだが、相変わらずテミリアは一言余計だ。
よくこんだけ危なっかしい事を口にして生きてこられたものだな、と逆に感心してしまう。
「うん、まぁ言っちゃえば……毒ガスを運んだとしても不可解な点が多い事件なんだけどね。
逆に彼が運ばせたってのは、あくまでも状況証拠にしか過ぎないからさ。 きっと考えるのがめんどくさいんだよ、皆」
「ふっざけてるわね、真面目に調査しなさいよっ!」
「ぼ、僕に言われてもなぁ。 だってその事件についてはナンバー3が率先して調査しているみたいだしねぇ。
彼らがちゃんと事件解決してくれればいいんだけど、どーーーーーーしても僕に何とかしてほしいって熱い要望を受けちゃってね。
そこで、ファリスちゃんの出番って訳なんだけど、どう? 乗り気ある?」
「条件次第だな」
「え? 嘘、こんな胡散臭い依頼を受ける気なのアンタ?」
テミリアは素っ頓狂な声を上げて驚くと、ファリスはキッとテルの事を睨みつける。
ここで重要なのは依頼の内容ではない、中央区へ潜入できる可能性があるという事だ。
交渉人であるテルの事だ、自身が不利になような依頼をわざわざファリスに持ってくることはないと思っていい。
だが、何処か危険な予感がする依頼である事は事実ではあった。
「勿論、報酬は弾むよ。 ターゲットが捕らわれている場所も既にこっちでは把握済みさ。
君はただ何も考えずに、ターゲットの救出をするだけでいいよ。 どうだい、簡単な仕事だと思うけど?」
「いいだろう、引き受ける」
「ちょ、待ちなさいよっ! 中央区が閉鎖されている事は、一般人にも知れ渡っているはずよ。
それをわかった上で、しかも政府にケンカ売るような依頼を平然と持ちかけてくる時点で、その依頼人とやらは凄く怪しいじゃない。
冗談じゃないわ、こんな依頼……受けるべきではないわっ!」
「確かに、お前の言う通りではある。 だが、わざわざこの話を私に持ちかけた時点で意図だけは読めている。
大方、上の連中が私を煙たがっているのだろう。 何か問題が起きれば私自身を切り捨てて、ギルドは一切関与していない事を主張する。
私は騎士団を襲撃したという前科を持っているからな、世間の目から見ても……ギルドの方が信憑性は高い」
「あちゃー……ファリスちゃんはそこまでお見通しだったのかぁ。
いやぁ、出来るワーカーは違うねぇ、皆が君みたいなタイプだったらこれ以上に厄介な事はないよ。
確かに、君の言う通りだよ。 君がしくじれば、ギルドは完全に君を切り捨てる気でいるよ。
それでも、この依頼を受ける気はある……という事なんだね?」
「だ、ダメに決まってるでしょ? ア、アンタ死ぬ気なのっ!?」
ガタン、とテミリアは椅子から立ち上がり声を荒げた。 しかし、危険は承知の上ではある。
せっかく目の前に記憶を取り戻すチャンスがある以上、それを見過ごすわけには行かなかった。
ここでリスクを回避し続けていれば、いつまで経っても記憶という名のゴールにたどり着くことは敵わないだろう。
ファリスにとって、記憶を取り戻すというのはそれだけ大きな価値があり、意味がある行為なのだ。
「お前が何を考えてこの依頼を引き受けたのかは知らないが、大事なのは私自身も中央区へ向かいたいと思っていたところだ。
偽騎士団の件についても、何か情報がつかめる可能性も高いはずだ。 だからこそ、あえて引き受けてやると言っている」
「おお、怖い怖い。 君に睨まれると背筋がぞくぞくしちゃうよ。 ま、君ならきっと引き受けてくれるだろうと信じてたよ。
それに一応、君には貸しを作っているつもりだしねぇ、恩を仇で返す真似だけはしないと思っていたよ」
「よくないわよっ! な、何なのアンタって? 本当、バカじゃないの……?」
テミリアは必死になってファリスを止めようとしているが、ファリスは彼女の言葉に一切耳を貸さない。
それよりも、問題は中央区へどうやって潜入するかといった事だけで頭がいっぱいだった。
「それで、中央区に潜入する手立てはあるのか?」
「手段は色々あるんだけどねぇ。 一つ目は、君達も記憶に新しい……破壊された防壁を利用する手さ。
ま、だけどそこは今、騎士団の監視が逆に厳しくなっているから、難しい」
「なら、防壁を抜ける手段は他にないのか?」
「残念ながら。 ま、彼女がいれば壊せるかもしれないけど、協力してくれそうもないし……何よりこれ以上騒ぎを起こしたくないしね」
「政府の許可を得ることは?」
「残念、論外だよ」
やはり、手段はないのかとファリスは額に手を置いて思考をフル回転させた。
中央区の監視を掻い潜る手段はギルドの力を得ても難しい。
荷物に紛れて潜入する手段もあるが、毒ガス事件が勃発した今、監視はいつも以上に厳しいはずだ。
「まぁまぁ、そんな顔しないでくれたまえよ。 こういう時こそ、これが役立つってワケ」
テルはニヤリと笑みを浮かべて、上着の内ポケットから金色に輝く勲章を手にした。
槍と盾のマークが掘られたデザイン、間違いなくこれは……騎士勲章だ。
しかし、何故テルがこんなものを持っているのか?
「どういうことだ、何故騎士勲章がこんなところに?」
「君には騎士団になりきってもらうのさ。 どうだい、これがあれば君は今日から騎士団の一員として動けるのさ」
「しかし、騎士団は騎士勲章の管理を行っているはずだ。 これだけで奴らの目をごまかせるとは思えないが」
「君は騎士団の新人兵って設定なのさ。 まだ研究期間の君は、騎士団に正式な採用はされていない。
ほら、よく見てくれよ。 この勲章のデザイン、盾のマークが少し違うだろう? これは、新人って事を指すらしいんだよねぇ。
とはいっても、場所によっては本当に新人兵かどうか確認するところもあるらしいけど……もしもの時は、君自身が上手く誤魔化してくれよ。
でもまぁ、騎士団は人手不足らしいから新人兵が中央区へ呼びつけられることは多いみたいだし、全然行けると思うよ?」
テルの言葉には何処か不安が過ぎるが、今頼れる手段はこれだけしかないのも事実だろう。
だが、この程度の抜け穴、騎士団の連中ならとっくに気づいていてもおかしくはない。
恐らく、テルはそれをわかった上でファリスに託したに違いない。
最悪の場合は―――斬るしかあるまい、とファリスは刀を強く握りしめた。
「わかった、後は私の方で何とかしよう」
「いいねぇ、君は本当に素直で嬉しいよ。 思わずチューをしてあげたくなるぐらいさ」
「チューとはなんだ?」
「ああ、そうだった。 君にはあんまりこの手の冗談が通じないんだったね」
テルが深くため息をつくと、ファリスは動揺一つせずにスッと席を立ちあがる。
テミリアは何故か顔を真っ赤にさせて、テルに文句を言い続けているようだが。
「今すぐにでも発つ。 すまないが、テミリアを宿に連れ戻してくれないか?」
「OKOK、ファリスちゃんの頼みごとなら喜んで引き受けるさ」
「な、何よ? 一人で帰れるわよ、バカっ!」
テミリアがテルに向かって文句を垂れている隙に、ファリスは店の外へと出ていく。
流石にテミリアが中央区へついていくと騒ぐことはないと思うが、いずれにせよ彼女をしばらく自分から遠ざけた方がいい。
これから先、ファリスは危険な領域へと次々と足を踏み入れることになるだろう。
いずれはギルド自身も敵に回すことになるかもしれない。
だが、それで記憶が取り戻せるのであれば―――
「――私は、たかが記憶一つを取り戻すために自身の命を差し出さなければ動けないのか。
師匠、貴方の言う通りだ。 私はまだまだ、未熟なのかもしれないな」
ファリスは雲一つない晴天の空を見上げながら、そう呟いた。