レッド・プリズナー ⑥
表通りでは火事だの何だの大騒ぎをしている中、人通りの少ない裏路地は同じ場所とは思えない静けさを保っていた。
薄暗い路地に立つ一人の小さな影。
両手に持つ鋭い刃物が存在を主張するかのようにギラリと光る。
子供とは思えない冷たく鋭い少女の目付きは、思わず恐怖すら感じてしまう程だった。
最悪の場合を考慮して、ディアは退路を確認するが……恐らく、無駄だろう。
かつて殺し屋として名を上げたレッド・プリズナーを前に、無傷で生還する事は難しい。
だが、考え方によってはディアにチャンスが訪れたとも捕えることが出来る。
暗殺を得意とするはずのレッド・プリズナーが、こうして目の前に姿を現したのだから。
少女が僅かにナイフを握りしめる動作を見せると、ディアは警戒して剣を構えた。
ダンッと少女が地を強く踏みしめると、少女の懐から筒状の物が落とされ地面を転がり出した。
あれは―――と、ディアが気づいた頃にはカッと強い光が炸裂してしまっていた。
視界は一瞬にして眩み、耳鳴りで怯むと腹部に強い衝撃を受ける。
ディアの全身から強烈な激痛が走り、ディアは声にもならない悲鳴を上げた。
赤眼の剣士との戦いで受けた傷口を狙われ、気絶しかけたがディアは倒れまいと強く留まる。
本来なら大した一撃ではなかったのだが、今のディアにとっては十分過ぎる程だ。
視界が回復するまでは迂闊に身動きが取れない、一度剣を鞘へ戻してディアは精神を集中させた。
妙な静けさを保ったまま、ディアが段々と視界を取り戻すと少女とエリーの姿が消えてしまっていた。
逃げられてしまった?
いや、まだ何処かに潜んでいる可能性もあるとディアは注意深く周囲を警戒する。
すると、物陰から何かがディアへと向かって投げ飛ばされた。
咄嗟にディアは抜刀し、投げ飛ばされた刃物を弾き飛ばす。
キィンッと金属音が鳴り響くと、物陰から目にも留まらぬ速度でレッド・プリズナーに懐へと飛び込まれた。
やられる―――その一言を頭に過ぎらせ、自身で否定するかのようにディアは剣を力強く振るう。
ディアの腹部に鈍器で殴られたかのような衝撃が襲い掛かり、勢いよく吹き飛ばされてしまった。
ガンッと、壁に背を強くぶつけ、呼吸困難に陥ると同時に傷口から再び激痛が走る。
長剣を杖代わりにディアはやっと立ち上がると、レッド・プリズナーは自分よりも遥かに大きな人質を取ってディアを睨んでいた。
地面に押さえつけ、ナイフを首元へと突きつけ、両腕を拘束させている。
エリーは顔を真っ青にさせて、怯えていた。
人質を取られてしまった以上、余計な手出しをする事が出来ない。
だが、ディアは何か違和感を抱いた。
レッド・プリズナーの目的がもし、エリーの殺害であるとするならば……何故、すぐに殺さないのか。
そもそもレッド・プリズナーはいくらでもディアとエリーを殺すチャンスがあったはずだ。
意図的に、生かしているとしか思えなかった。
「何が目的なんだ、どうして殺さない?」
問いかけてみたが、予想通りレッド・プリズナーは口を開こうとせずに冷たい目で睨み返されるだけ。
すると、何故かレッド・プリズナーはエリーから離れて両手に持つ短剣を空高く高速回転させながら投げる。
何故こんな真似を、とディアは疑問を抱く前に目の前に転がり込んだチャンスを逃そうとしなかった。
力強く地を蹴り、ディアは剣を構えて懐へ飛び込んだ。
その瞬間、無表情を保っていたはずのレッド・プリズナーが、僅かにだがニヤリと笑った。
ナイフの後を追うように高く飛び上がった瞬間、ブォンッタと強烈な風圧がディアに襲い掛かる。
一瞬だけディアが怯むと、耳元に風が切る音が飛び込んだ。
音だけを頼りに、咄嗟の判断で長剣を振るうとガキィィンッ! と、激しい金属音が響き渡った。
レッド・プリズナーはいつの間にかディアの死角に潜り込んでいた。
辛うじて防ぐことが出来たが、一体何が起きたというのか?
ディアは長剣を再び鞘へと戻して構えを取る。
まるで突風が吹き出したかのような風圧に驚いたが、それ以上に衝撃的だったのはレッド・プリズナーの動きだ。
ディアとの距離はそう遠くはないと言えど、一瞬で懐に飛び込んでくるまでの距離ではなかったはず。
あの少女は瞬間移動したとしか思えない速度で、距離を詰めて来ていたのだ。
ゴォンッ! 不意にディアは腹部を強く蹴られた。
声にもならない悲鳴を上げるが、必死で痛みを堪えて動きを見切ろうとするが……
精神が集中できないのか、或いはディア自身の反応が追い付かないのか。
レッド・プリズナーの動きを一瞬たりとも捉える事が、出来なかった。
姿を現したかと思うと、目の前から姿を消し、死角へと飛び込む。
このままでは、一方的にやられ続けるだけ。
……この状況は、赤眼の剣士と対峙した時と同じだ。
成す術もなく、ただ一方的にやられ続け、力の差を見せつけられた。
レッド・プリズナーは、速い。
人間の限界を超えた、驚異の速度を保ちながらディアへ襲い掛かる。
これがランクAの壁を越えた『ランクS』の実力差……だというのか。
彼女は何故かナイフを極力使っている様子はない。
だが、小さな子供が繰り出しているとは思えない拳・蹴りの一撃は、あまりにも重く十分致命傷になり得た。
何か手はないのか、また後の時のように敗北するのか。
所詮、誰一人守る事が出来ない……『弱者』だというのか。
いや、違う―――
「剣は、強さを示す道具とは成り得ない。 剣は時として、予期せぬモノを生み出す事もある―――」
ディアは頭の中で再生される師匠の言葉を口にした。
約束した、エリーを守る為の剣となると。
誰かを守る為に、剣を振るうと誓った。
ディアは目を閉じて、極限まで精神を集中させる。
不思議と体の内から、力が湧き出る感覚を感じ取った。
ヒュッと風を切る音が飛び込む。
音を頼りに、ディアは剣を振るうかと思えば剣を再び鞘へと戻した。
レッド・プリズナーがディアに向かって飛び込んだ瞬間だった。
ガンッとナイフによる一撃を、ディアは鞘一つで受け止める
ナイフから生じた衝撃の方向に鞘を受け流すと、一瞬ではあるがレッド・プリズナーが無防備となった。
すかさず、ディアは鞘で横一線を描くが、レッド・プリズナーの反応速度が上回り一撃を上手く受け止められてしまう。
レッド・プリズナーは強い、ギルドの頂点に上り詰めた実力差はあまりにも圧倒的過ぎた。
だが、ディアが目指す先は正に目の前にいる『Sランク』。
父とは違う強さを手にする為に、ムラクモ流を我が物にすると誓った。
レッド・プリズナーが体勢を立て直し、再び踏み込んでくる。
動きを完全にとらえる事は出来ないが、僅かに聞こえる風の音を頼りにすれば―――チャンスはある。
相手の動きは確かに速い、あまりにも速すぎて眼で追い切る事は不可能だ。
だが、ナイフを振るう動作は赤眼の剣士が放った『居合』よりも、遅い―――
「自分自身を守れなくて、誰が守れるって言うんだっ!?」
死角から飛び込んできたレッド・プリズナーの一撃を受け止めて、叫んだ。
金属音が響くと同時に、同じようにまたディアはナイフの一撃を受け流す。
「僕は負けない、あの人に勝つまでは……例えSランクだろうとっ!!」
ディアは自身に言い聞かせるかのように叫び、剣を構えた。
あの時受けた一撃を、ディアは超えなければならない。
ディアを絶望に陥れた……ムラクモ流十の太刀の一つ、『三日月』の一撃を。
その瞬間、ディアは鞘から剣を解き放った。
凄まじい風圧を引き起こし、金属音が鳴り響く。
砕け散った金属の欠片に舞い上がる砂埃。
だが、手応えはなかった。
僅かにだが反応されてしまい、居合を防がれてしまったようだ。
それでも相手が無傷で済むはずがないと、ディアはもう一度剣を鞘へと戻して構える。
すると、すぐ目前にレッド・プリズナーが堂々と迫ってきた。
再び居合を放とうとした途端、急にレッド・プリズナーが背を向け始めて思わず手を止めてしまう。
砕け散って使い物にならないナイフを構えていると、ジャラリ……と金属の音が耳に飛び込んできた。
その刹那、突如目の前に鮮血が散った。
「なっ――」
一体何が起きた?
ディアの一撃は確かに防がれたはず、レッド・プリズナーな握りナイフを観れば一目瞭然だ。
ジャラリ、ジャラリと鎖の音が徐々に大きくなっていく。
不思議と殺意は何一つ感じない、だがこの気持ち悪い感覚は一体何なのか。
何か得体の知れない危険が近づいていると、ディアの直感が働いた。
砂埃が晴れて見えてきた姿を見て、ディアは思わず目を疑った。
黒尽くめのマントに白い仮面、先程割れた仮面と全く同じものだ。
……レッド・プリズナーと、全く同じ格好をしている。
いや、若干ではあるが細部が異なっていた。
ディアが知る限りのレッド・プリズナーは紫色の髪に、ナイフを携帯していたが、違う。
歩く度にジャラジャラと金属音が響いており、血に染まった鎖鎌を握りしめていたのだ。
少女はディアの目の前で、倒れた。
生々しく血がドクドクと流している。
エリーは無事か? と周りを伺うと、ただ恐怖ですくみ上って身動きを取れずにいた。
どうやら殺されてはいなかったようだが……それよりも、突然現れたもう一人のレッド・プリズナーは何なのか?
「キヒヒ、やっと見つけたゼェ……クソ偽者さんよぉ? 何のつもりだか知らねぇが、人の名を勝手に借りるとはいい度胸じゃねぇか、あぁん?」
「お前は、誰だ?」
「ハッ、察しの悪いクズワーカーがよ。 少しはテメェの足りないお頭で考えたらどうだ、ディーク・アルド・フォーレちゃんよぉ?」
「何故、僕の名を――」
ふと、何かが引っかかりディアは言葉を研ぎらせた。
レッド・プリズナー、かつて暗殺者として名を上げていたSランクが、何故その名で呼ばれていたのか。
勿論、本名だとは考えにくい。
通り名か何かの類と考えるのが自然だろう。
彼女と戦った時、何処にもそれらしき要素はなかった。
レッド・プリズナー、赤き囚人が意味する言葉の要素、彼女にはあっただろうか?
「さぁて、うざったらしい雑魚掃除は終わったし……俺様は退散させてもらうぜぇ。 おっと、テメェらを無事に返すつもりは、ねぇがな」
レッド・プリズナーは両手から鎖鎌を取り出すと、ジャラジャラと音を立てて高速に回転させ始める。
するとどういう訳か、鎖鎌が突如燃え盛る火炎に包まれだした。
信じ難い光景に目を疑っていると、レッド・プリズナーは空高く飛び上がって鎖鎌を無差別に振り回す。
すぐさまにディアはエリーの元へと駆けこんで、必死で庇った。
炎はあっという間に周囲へと広がっていき、ディア達は一瞬にして炎の海へと囲まれてしまう。
レッド・プリズナーは必ず現場を燃やし尽くすという。
そして彼が愛用していると思われる『鎖鎌』、全てが繋がった。
彼こそが正真正銘の、『レッド・プリズナー』だったのだ。
「どういう事だ、お前が本物のレッド・プリズナーなのかっ!?」
「ヒャーッハッハッハッハァッ! 今更気づいても遅ぇ遅ぇ、テメェはここで炎に呑まれて死んじまうんだからよぉ。 んじゃ、あばよっ!」
耳に響く甲高い笑い声をあげると、レッド・プリズナーはそのまま姿を消した。
既に周囲に火が回っており、灼熱がディアとエリーに容赦なく襲い掛かる。
そんな中、炎の中に『もう一人の』レッド・プリズナーが倒れているのを見て、ディアは放っておけずに駆け出した。
「大丈夫かい、君?」
少女は息を荒くしながら、うっすらと目を開いた。
「……ごめんなさい、貴方達だけでも助けます」
「助ける? そんな傷で何を言っているんだ?」
少女はふらつきながらも立ち上がり、ディアを両手で精一杯抱えると、ダンッと強く地を蹴ってエリーの元まで飛んでいく。
こんな小さな体で大人の身体を抱えるのを見ると、あれだけ重い一撃を継続的に与え続けたのも納得がいった。
「貴方が、抱えて」
「あ、ああ。 大丈夫かい、エリー」
「はい」
口では冷静を装っているが、やはり彼女の顔を見れば不安に満ちているのはわかる。
今はただ少女に黙って従おうと、ディアがエリーを抱えた途端に、ふと体が空高くブワッと持ち上がった。
気が付くと炎の海を逃れ、建物の屋上へと3人は移動していた。
同時に、少女はフラリと倒れてしまった。
出血が先程よりも悪化している、急いで止血をしなければとディアが手当てする。
燃え盛る炎と黒き噴き上がる煙に、周囲から火事だの騒ぐ声が聞こえ始めた。
何故、この子はレッド・プリズナーの名を偽ったのか。
何が目的で、襲い掛かったというのだろうか。
「助けるのですか?」
「勿論だ、少なくとも彼女は最後に僕達を助けてくれたみたいだしね」
「でも、この人は私達を殺そうとした人ですよ?」
「だけど、放っておくことはできない」
少女の矛盾に満ちた行動には首を傾げるばかりではあるが、このまま放っておくわけにもいかない。
応急処置を済ませると、ディアは急いで近くの病院へと少女を運んでいく事にした。