レッド・プリズナー ③
狙われた女性を引き連れて、ディアは入念に周囲を警戒しながら病院へと向かっていた。
事情を話せば一晩ぐらい彼女を匿って貰う事は出来るだろう。
幸い例の襲撃者は追ってくる様子はない。
しかし、気を緩める事無くディアは全神経を尖らせていた。
あの襲撃者は只者ではない、まるで赤眼の剣士と対峙した時と同じような感覚に陥っていたからだ。
ムラクモ流を手にした自分は、間違いなくギルドの上位に相応しい存在だと思っていた。
今はただ正当な評価を受けていないだけで、戦闘レベルだけで言えばランクAに値する実力だって持ち合わせていると信じていたというのに。
ディアは自身の評価と現実の違いが身に染みていた。
自分が最強と信じてきたムラクモ流の一太刀が、二度も封じられてしまった。
先程の戦闘では、相手が退いたからこそ無事で済んだが……もし、あのまま続けられていたらどちらも無事であった保証はない。
愚かだった、自分がこれ程までに弱いと感じた事は初めてだ。
剣を始めて握ったその日から、騎士団に入団できた実力を持ち合わせていた事からも、ディアは自分の持つ強さを信じることが出来ていた。
赤眼の事件以来、情けない事にディアは自身の強さを信じることが出来なくなってしまっていた。
ようやく病院が見えてきたところで、一度ディアは周囲を見直して呼吸を整える。
今までは建物で身を隠しながら進んでいたが、ここでは一気に姿を晒さなくてはならない。
安全を確認すると、ディアは女性を連れてダッシュで病院内へと駆け込んだ。
ここまで来れば流石に安全だろうと、ディアはホッと胸を撫で下ろす。
ずっと走り続けていた事もあって、女性は息を切らしていた。
「ここならもう大丈夫さ、走らせてごめんよ」
「……どうぞ、お気になさらずに」
女性はディアに冷たく言い放つと、随分と嫌われたもんだとため息をつく。
心なしか、命を狙われているにも関わらずに女性は驚くほど冷静だ。
いや、内心は恐怖という感情で埋め尽くされているのだろう。
女性が襲われたに見せた驚愕の表情がそれを物語っていた。
「君、名前は?」
「……エリー」
「僕はディアだ、よろしく頼むよ」
一応は挨拶をして握手を求めたが、エリーは差し延ばされた手を無視して俯くだけだった。
あまり期待してなかったとは言えど、ここまで拒絶されては流石に心が傷つく。
「ちょっと支部に連絡を入れる、ここで待っててくれ」
「……私をどうする気ですか?」
「そう警戒しなくていい、あんな奴に狙われるよりかはギルドの方が安心さ」
「何故そんな事が言えるのですか? あの襲撃者が、貴方達の仲間ではないという保証は?」
「どういう意味だ――」
ディアは途中まで口にして、すぐにエリーが告げようとしている事の意味を理解した。
ギルドは何でも屋であり、仕事を選ばずどんな依頼でも遂行する組織だ。
その中に殺しの依頼があっても不思議ではない。
つまり、あの襲撃者は『ワーカー』なのではないかと、言いたいのだろう。
……否定はできない、だがもしワーカーであれば、今ギルドに連絡するのは得策ではない。
「やれやれ、確かに僕の同業者には暗殺者ってのもいるけどね……だけど皆が皆同じことしてるわけじゃないし、ギルドだって仕事はちゃんと選ぶさ。
少なくとも、君のような何の変哲もない一般人を理由もなく殺しはしない」
「それでも人殺しを仕事にするなんて、最低です」
「なるほど、それが君が僕達を嫌う理由かい?」
「軽蔑してるだけです」
女性はあくまでも食って掛かるかのように強気な姿勢を見せていた。
しかし実際は身体を小刻みに震わせていて、顔は俯いたまま上げようとしない。
「どちらにせよ、君を狙った人物について調べるべきだ。 ギルドの事は別に信用しなくていいさ、だけど僕は君を守る事を約束しよう」
「いくら取る気ですか?」
「……それはまぁ、貴方の気持ち次第って事で」
これは何を話しても駄目だな、とディアはほぼ投げやりな返事をすると電話がないかを探す。
受付には誰もいないようなので、勝手に使用する事になるが問題はないだろうと構わず受話器を手に取る。
今の時間はギルドはまだ営業しているだろうし、仕事を山ほど抱えているネイルだって支部に残っているはずだ。
直にネイルに繋がる連絡先を入れると、電話は即繋がった。
「もしもし、こちらナンバー3所属のディアです」
『君か、こんな遅くにどうした?』
「実は厄介な事が起きていてね、至急貴方に調べてほしい事がある」
『事件に関する事でなければ、手は貸せないぞ』
「多分、関係するさ。 実は例の宿の従業員が何者かに殺されかけた。 黒尽くめのフードに白い仮面の妙な格好……」
『何? どういう事だ?』
「わからないさ。 いくつか妙な点があってね、狙われた従業員と僕の元に×が記された東区の地図が渡されたんだ。
この場合は病室のドアに紙が挟まっていた、従業員の方は不明だけどね」
『……その印、いくつ記されていた? 色は何だ?』
「赤だ、それに僕の方の紙にははっきりと『あの女を殺す』って書かれてたんだ」
『少し、待て』
ネイルがそう告げると、コトンと受話器を机に置いた音が聞こえた。
反応から察するに何か心辺りがあるのは間違いなさそうだ。
エリーは落ち着かないのかチラチラとこちらを見ては目を逸らしてを繰り返している。
『詳しくは直接聞こう、明日支部まで来れるか?』
「一応外出許可は下りてるからね、行けなくはないよ」
『その従業員とやらは一緒なのか?』
「そうだね、あんまり話してくれないけど」
『……いいか、絶対に目を離すんじゃないぞ』
「勿論、そのつもりさ」
やはりネイルの口ぶりから、何かを知っていると思われた。
またしても何か大事に巻き込まれたのではないかと不安が過ぎる。
今更何が起きようが不思議ではない状況に立たされてはいるが。
一通り話を終えるとディアは受話器を置いて、一息つく。
「あの、私いつ解放してもらえるんですか? 明日仕事があるんですけど」
「こんな状況でも仕事が第一とはなぁ、少し真面目すぎるんじゃないか?」
「貴方が不真面目なだけです、電話貸してください。 宿に連絡入れます」
「僕に言われても困るなぁ、たまたま誰もいなかったから使っただけだし」
「そうですか、なら責任は全部貴方に押し付けます」
相変わらずのキツイ口調で告げられると、エリーは受話器を手に取った。
こんな調子でこの先大丈夫なのかと不安に思うが、ディアはこれ以上は何も起きてほしくないと願うだけだった。
翌日、ディアはエリーを連れてギルド支部へ訪れた。
幸い例の襲撃者が再度襲い掛かってくることはなかったようだ。
受付で手続きを済ませると、待合室には既にネイルがディアの事を待っていた。
一般人であるエリーを同席させる事には抵抗があったが、事件に巻き込まれた被害者でもある為、ネイルの要望で連れてきている。
軽く挨拶だけ済ませると、二人は椅子に腰を掛けた。
エリーは昨日のようにただ俯くだけであったが。
「早速だが、昨日の件について……君が見た地図とやらを見せてくれないか」
「これだけど―――あ、君のも頼むよ」
エリーはディアに例の紙切れを手渡す。
その手は驚くほど華奢な手だった。
ネイルはじっくりと二つの地図を眺めていると、眉間に皺を寄せて地図を卓の上に置く。
「……実は先月から同じような手口の事件が発生している。 何者かが地図で場所を示し、その場所で必ずターゲットを殺しているようだ」
「何だって? 被害者の共通点は?」
「わからん、これといった繋がりが見えていない。 ギルドでの暗殺依頼についても探ってみたが、被害者のリストと合致する件は見つかっていない」
「ギルドは絡んでいない、というのか?」
「ああ、他の支部でも同じような事件が相次いでいるようだ。 だが、今回のように未然に事件を防げたケースもあるし、不審な人物の姿を見ただけの例もある」
恐らく昨日見た人物が例の不審者に値するのだろう。
だが、あの時見た紫色の髪、どこかで見た覚えがある。
確かあれは、昨日の―――
「不審者の特徴を教えてくれ」
「昨日も言った通り、黒尽くめのフードに白い仮面で素顔を隠していた。 両手にナイフを持って紫色の長い髪に」
「……ナイフに紫色の髪? それは間違いないのか?」
「間違いないけど、それが何か問題でも?」
「いや、目撃情報と少し異なるだけだ。 だが、他の情報と合致すれば同一人物とみて間違いないだろう。
だが……そうなると非常に厄介な事になるぞ」
ネイルは何時になく真剣な表情で告げた。
この事件は只事ではないというのがヒシヒシと伝ってくる。
思わずディアは生唾がゴクンと飲み込んだ。
「実はこの事件、2年前に出現した『殺し屋』と類似している。 彼はワーカーではあったが、過度な殺しによってギルドから追放された身だ。
以降、姿をずっと現さなかったようだが……ここにきて、再び姿を現したようだな」
「殺し屋だって? ……まさか、ギルドの枠から外れて殺し屋の事業を再開させたのかい?」
「奴の意図はわからん。 ディア、君はこの事件から身を退くべきだろう。 恐らく君が追っている事件とは関係ないはずだ」
「……いや、あるはずさ」
ディアは目線をエリーに向けて、告げた。
しかし、エリーは目を逸らすだけだ。
彼女は事件に関する事を何か隠している。
それを一向に語ろうとしないのはギルドが信用されていないだけと思ったが、本当にそうなのだろうか。
たまたま彼女が例の襲撃者に狙われたとはゼロではない。
「私は何も知りません、これ以上の拘束は職場の方にも迷惑がかかります」
「だが、君は命を狙われている。 事件が落ち着くまではしばらく我々が――」
「結構です、護衛なんていりません」
あくまでも強気な姿勢を保ち続ける彼女は、ある意味では強靭な精神の持ち主とも言える。
だが、それ程心は強くないはずだ。
きっと無理をしているのだろうと感じる。
「とにかくディア、病み上がりの君ではこの事件は重すぎる。 後の事は私が引き継ごう、君は例の事件を引き続き調査したまえ」
「僕では、実力不足だというのか?」
「その通りだ」
ネイルは間髪入れずに、答えた。
―――実力不足、騎士団を抜け、ムラクモ流を手にしてまでも手に入れた絶対的な強さ。
それだけ手にしてもまだ、足りないというのか。
ディアは何か言い返してやろうと思ったが、何も言葉が出ずにただジッとネイルを睨むだけしか出来なかった。
「勘違いするな、君の戦闘技術については十分に評価しているし、君は間違いなく強い剣士ではある。
だが、相手はプロの殺し屋だ。 正々堂々と戦わず、ありとあらゆる姑息な手段でターゲットの命を狙うんだ。
はっきり言えば、君の剣術はまるで役立たない相手だという事だ」
「―――一体何者なんだい、その殺し屋とやらは?」
「彼は自らを『レッド・プリズナー』と名乗っていた。 かつて、ギルドでSランクだった『最強の殺し屋』だよ」
「なっ―――」
ネイルから告げられた衝撃の一言。
昨日一太刀交えた時に感じたプレッシャーの正体を、ようやく理解できた。
そう、昨日見たあの襲撃者は……
ディアが目指している最強の称号に達した『Sランク』の一人だった。