序章
昔は良く笑う子供だったと思う。なんて事の無いことで笑い転げ息が切れるまで走り回り、そして息が整う前にまた走り出す。家が田舎の方にあったので近くにあった裏山や小さな川で幼馴染達と一緒に追いかけっこして転んで泥だらけ傷だらけになって、家で母親に叱られる、そんなことが日常茶飯事だった。
そして景色が変わる。あれは小学校の入学式の帰り、入学祝いに何か買ってやろうと父親が言い出し両親と共に小さなコンビニに入った。完全に酒の当てのついでの様相で買って貰ったジュースとお菓子に悪態をつきながら車に戻り、ジュースを飲もうとした次の瞬間凄まじい衝撃と共にグシャッ!と何かが潰れる様な音と共に腹に激痛が走った。訳が分からなくて涙をぼろぼろと流しながら目を腹部に移すと血がドロドロと流れ出していた。激しい痛みと流れる血に肝が冷えていく、それは明らかに自分を殺そうとしている、それが怖くて堪らない。死にたくなくて、助けて欲しくて運転席とその隣にいるはず両親を見る。
でもそこには何もなかった、運転席の背もたれがあるだけでその先にあるのは・・・銀色の壁だった。
両親はどこにいったのか?不安が拡大して体がガクガク震える。痛いような熱いような感覚が更に強くなり何かが喉を這い上がってきて口から吐き出された、錆びた鉄の様な味とぬめっとした感触がとても気持ち悪い。
自分の周りを見てみるとバケツをぶちまけた様などす黒い血がシート一面に広がっていた。
それを見た瞬間何かが切れる様に意識が闇に閉ざされた。
目が覚めるとそこは壁からベッドからカーテンから白一色の部屋だった。
何が起こったのかと考えようとしてみるが頭が霞み掛かった様に考えてることが分からなくなる。隣で白衣を来たおじさんが口をパクパクさせてるが何も聞こえない、体も動かないのでああ夢かと思い思考を投げ捨てもう一度眠った。
今思うと夢ってのはあながち間違って無い、だって自分の現実はもう取り戻せないのだから・・・。
全身麻痺に聾唖、その日御津雄飛(私)は首から下の自由と聴力を失った。
事故の原因は居眠り運転。四tトラックが後ろ向きで止めてあった父親の車に斜め前から激突、両親は即死だったそうだ。私の方は衝突の衝撃で捻じ曲がった車の部品が腹部に突き刺さっていて、田舎だった為救急車の到着が遅れ心肺停止、さらに時間が立っていた為奇跡的に助かったそうだが後遺症が残ったそうだ。
今でこそこうして冷静に居られるが当時は頭の中がぐちゃぐちゃで何を考えてたのか思い出せない程酷かった。
見舞いに来てくれた友人に自分の耳にも届かない言葉で怒鳴り散らかした、その後二度と来る事は無かった。どこの誰とも知らない親戚が勝手に遺産を分配したのも後になって聞いた話だ。
そしてその日から十二年、言葉通り何も無かった。
始めは絶望、それが過ぎれば後はひたすら退屈だっただけだ。音が聞こえなくなって喋り方も忘れてしまった、できることはただ眺めるだけだ。都会の病院の三階の一室、その部屋とそこから見える景色だけが今の自分の世界だ。桜が咲いて、散っていく。ぼろいアパートが潰されてビルが建つ。遠くにあった山が伐採され岩肌に染まっていく。
ずっと眺めていた。眺めていることしか出来なかった。そして思う、これは生きていると言えるのだろうか?
考えた、いやもうそう思う時点で答えは出ていたのかもしれない。その日から十二年前に失われてしまった言葉を正解も分からないまま吐き出すことを始めた。看護師に喚き散らし、その看護師に呼ばれてきた医師にも喚き続けた。どうにも意思疎通が出来ない医師は困った顔をしていたが他に方法が思いつかない為繰り返した。
一週間程立ったある日、医師が脳波でマウスを動かせるというパソコンを持ってきてくれたので淡々と文字を打ち込んだ。
『しにたい』と。
何度か説得されたが生きていても意味が無いからと拒んだ。
親戚にも話が行ったが本人が望むなら仕方ないとのことだ、まぁ否定されても困るし気にしないでおく事にする。久しぶりにカレンダーを見ると誕生日が約一月後だったのでその日にしてもらった。とくに意味は無い、丁度いいと思っただけだ。
そしてあっという間に当日を迎える。ちょっとは恐怖や未練が沸くかと思ったが自分でも驚く程穏やかな気分だ。
医師が薬品を取り出し注射器の先端を突き入れて吸いだす。本当に宜しいですか?と目で聞いてきたのでコクリと頷いた。左の肘に繋がっている長年の相棒の様に付き添ってきた点滴に注射器を差込みゆっくりとピストンを押し込んでいった。それを見届け眼を閉じた、少しの時間の後常に体に掛かっていた重力が消え、意識が暗転していく中不思議な浮遊感が体を包み込んだ。これが天に昇るってことなのかな。ぼやけた思考の中に不意に浮遊感が消失し、次の瞬間頭の上から何かが圧し掛かって来るのを感じた。何かと思ったがどうすることもできず、まず膝に衝撃そしてそれより更に強い衝撃を額に受け鈍い痛みと共に、
「あ・・・あ・・・ち、治癒術者を!!」
という甲高い叫びを聞きながら意識を失った。