蒼衣ママは渚生くんのことがお好き!?~甘々な居候生活~
第一章:ペットな俺と、完璧なママ
「ただいまー。はぁー……今日もお仕事疲れたー……」
玄関のドアが開く音と同時に、脱ぎ捨てられたヒールがカツンと軽い音を立てた。
俺は掃除機のモップを手から離し、玄関へ向かって声をかける。
「おかえり、ママ。お疲れ様」
「ふふ、渚生ちゃんただいま。お部屋、ぴかぴかになってる! さすが渚生ちゃん、えらいえらい♪」
吸い付くような笑顔で俺の頭を撫でてくるのは、従姉の碧衣さんだ。
一流企業のOLとしてバリバリ働き、容姿端麗で仕事も出来る、世間で言う「理想のキャリアウーマン」。そんな完璧な女性が、いま目の前で俺の頭をこれでもかと甘やかすように撫で回している。
「今日はご飯どうするの? 俺、買い出し行ってきたけど」
「今日は家で二人で食べましょ。渚生ちゃんの手料理、楽しみにしてるね」
そう言ってパタパタと奥へ引っ込んでいく彼女の後ろ姿を見送りながら、俺は深いため息をついた。
(なんで俺が、こんな人の家で居候しているかというと……)
——回想。
大学2年の当時。俺は住んでいたアパートの家賃を滞納し、実家からの仕送りも打ち切られて途方に暮れていた。
『アパートの家賃分の仕送りも来ないし……俺の人生、もう終わりだー!!』
公園のベンチで頭を抱えていた俺に、声をかけてきたのが彼女だった。
『あなた……もしかして、渚生ちゃん!?』
小さい頃、親戚の集まりでよく遊んでもらっていた碧衣姉だ。当時は幼心に淡い恋心すら抱いていたが、高校生くらいからめっきり会わなくなっていた。そんな憧れの女性と惨めな姿で再会し、事情を説明したところ——。
『もしよかったら、うちに来る? 部屋、余ってて寂しかったの』
碧衣さんは知り合いのツテで広い一軒家を格安で借りていた。
そして、彼女はなぜか昔から俺のことが異常に気に入っており、「家事全般を担当すること」と「家の中だけでなく外でも自分のことを『ママ』と呼ぶこと」を条件に、無償で居候させてくれることになったのだ。
外で「ママ」と呼ぶのは、最初は恥ずかしくて死にそうだった。近所の子どもに笑われたこともある。だが、家賃・食費・光熱費がタダという破格の条件には背に腹は代えられない。今ではすっかり口に馴染んでしまった。
(でもさ……同じ屋根の下に住んで1年以上経つのに、キスすらしたことないってヤラハタどころの話じゃねえぞ……)
肉体的な関係は一切なし。完全に「ペット」扱いなのだ。
「渚生ちゃ~ん、シャンプー切れちゃったから持ってきてくれる~?」
「あ、はーい今持っていっ……うわぁ!?」
脱衣所へ向かうと、風呂場から碧衣さんが顔を出していた。体にバスローブを巻き付けているが、前がはだけまくっていて無防備すぎる!
「ちょっと! そんな格好で出てきて、男に襲われたらどうすんだよ!?」
「ふふ、しょうちゃんにそんな甲斐性あるわけないでしょ~? それに小さい頃は一緒にお風呂入ってたじゃない♪ 今さら裸見られたって、恥ずかしくも何ともないわ」
「男として見なさすぎだろ……!」
頬を赤らめて顔を覆う俺を見て、碧衣さんがクスッと笑った瞬間。
「あ、バスローブ取れちゃった」
ハラリと布地が落ち、視界いっぱいに碧衣さんの完璧すぎるダイナマイトボディが広がる。
「ぶーーーーっ!!」
「もう、何ママの裸に興奮してるの!? しょうちゃんのおませさん♪」
「そりゃあんな体見せられたら鼻血の一本や二本出ますわ!!」
俺が鼻を押さえて叫ぶと、籠の中のセキセイインコが羽をパタパタと羽ばたかせた。
『カイショーナシ!! カイショーナシ!! ヘンタイ!! ヘンタイ!!』
「うるさいぞクーちゃん! 男だったら普通こうなるんだよ!」
◇
夕食は、碧衣さんが「給料日だから」と奮発して買ってきた最高級のステーキ肉。
(焼いたのは俺だけど……)
「はい、あーん♪」
「はずかしいからやめてよ、ママ……」
「いいから、あーん♪」
パクリと口に含む。……悔しいがめちゃくちゃ美味い。
こんな形で従姉にペット同然で飼われ、ヒモとして生きている屈辱に涙が出そうになるが、肉は美味い。
「おいちかった? しょうちゃん?」
「とても……おいしいです……」
「いい子♪ いい子♪」
頭を撫でてくる碧衣さんの横で、インコのクーちゃんがまた叫び出す。
『居食い!! イソーロ!! ペット!! ヒモ!! クルルルルッ!!』
「俺、お前と同レベルの存在だってよ……」
『ナカーマ!! ウソ!! ミトメタクナイ!! 認め・たく・ない!!』
「ペットの鳥にすらバカにされる俺の立場って一体……」
俺は今年で25歳。大学を留年し、3年連続で応募した漫画賞も一次選考すら通っていない。
「渚生ちゃんはね、ずっと家にいていいんだからね? しょうちゃんは私の大切な所有物であり、ペットなんだから」
碧衣さんが優しく微笑む。そこに恋愛感情はなく、ただ純粋で深い「庇護欲」だけが存在していた。
自立したい気持ちはある。だが、バイトすらまともに長続きしない根性無しの俺には、この温かいぬるま湯から抜け出す度胸も術もなかったのだ。
第二章:ツンデレ後輩と、甘くない現実
翌日。大学の講義室。
俺は経済学の講義を上の空で聞きながら、ノートに漫画のネームを描いていた。
(あー……授業つまんねぇ。経済学なんて興味ねぇよ……)
「先輩。ちゃんと授業受けてください。このままだとまた単位落としますよ」
隣から呆れた声が飛んでくる。ゲーム同好会の後輩であり、俺が大学で唯一まともに話せる相手、玲だ。彼女は俺と対照的に、真面目にペンを走らせている。
「なぁ玲、今回の期末試験のノートコピーさせてくれよ。千円払うから」
「その千円って、先輩のお金じゃないですよね? 人のお金でノート借りて恥ずかしくないんですか?」
「ギクッ……わ、悪いとは思ってるけど……」
「渚生先輩って、あの有名企業に勤めてる碧衣さんの家に転がり込んでるんですよね? 大学生でありながらヒモだなんて汚らわしい! ……事情を聞けば『ペット扱い』だなんて、まるでラノベですね。下等生物の先輩にはお似合いの姿です(ププッ)」
「こいつ、ぶん殴りてぇ……」と心の中で呟くが、俺は『女は殴らない』主義なのでぐっと耐える。
玲はふと、俺のノートの端にある落書きに目を落とした。
「先輩、まだ漫画なんて描いてるんですか? 人生逆転を狙って漫画家志望なんてやめて、身の程をわきまえてトイレの清掃員でも目指してください。根性無しの先輩になれるわけないでしょう」
吐き捨てられる毒舌。だが、ぐうの音も出ない正論だった。
◇
数日後。前期の試験が近づき、俺と玲はゲーム研究会の部室でテスト勉強をしていた。
勉強の合間、俺がポケットから求人情報誌を取り出すと、玲が眉をひそめた。
「先輩、バイトするんですか? 碧衣さんのところに居候してるなら、お金には困ってないでしょう」
「ちょっと欲しいものがあってさ……。ファミレスの調理補助なんだけど、短期の手伝いだから時給がよくて。ただの手伝いなら俺でもなんとかなるって!」
「……まあ、頑張ってください(全く、普通はそんな甘い話ないって分かるはずなのに。この人がバイトなんて心配ですね……。あ、テスト勉強終わったら『餓狼伝説』の対戦付き合ってくださいよ。今度こそ勝ちますからね!)」
格闘ゲームだけは唯一の得意分野である俺は、「はは、かかってこいよ」と苦笑いした。
◇
バイトのことは、碧衣さんには黙っていた。言えば絶対に止められるからだ。
しかし、実際のファミレスの厨房は地獄だった。
「手伝い」どころか、殺人的な忙しさの中で容赦ない怒号が飛び交う。
「仕事遅いよ! 何やってんの!?」
「す、すいません! すぐ行きます!」
(くそっ! 話が違うじゃないか! ダレだよ『調理の仕事は鉄板だから楽』なんて言った奴! 労働滅びろ!!)
帰宅後、疲れ果てた俺に碧衣さんが心配そうに声をかけてくる。
「しょうちゃん、疲れてるみたいだけど大丈夫!? テスト勉強が大変なの?」
「大丈夫だよ、ママ……ちょっと夜更かししてゲームしてただけだから」
「ならいいけど……」
カゴの中で、クーちゃんがボソッと呟いた。
『ムリハヨクナイ!! 無理はヨクナイっ!! クルルルルッ!!』
脳みそ1グラムの鳥にすら、俺の嘘は見透かされているようだった。
第三章:怪我、雨、不器用なエール
大学、テスト勉強、そして怒涛のバイト。
極限のスケジュールが続き、俺の体は悲鳴を上げていた。
「あ、あと一週間で……この地獄の日々も終わる……」
「だから言ったでしょう。モヤシの先輩に調理の仕事なんて務まるわけないって。昨日だって寝ぼけて鉄板に頭ぶつけそうになってたじゃないですか」
「テストも目の前だからな……意地でもやり切るよ」
「そういえば、そのバイト代で何買うんですか? ゲームですか?」
「ちょ、ちょっとそれは秘密……」
◇
そして、テスト前日。
テストのことばかり頭にちらつき、バイトの集中力が切れていた。
その時——棚の上から重い皿が滑り落ちてきた。
「あっ——!?」
とっさに受け止めようと手を伸ばしたが、ガシャン!という音と共に鋭い痛みが走る。右手の指を深く切ってしまった。
「大丈夫か!?」
店長に付き添われて病院へ向かった。幸い日常会話や生活に支障はないと言われたが、手が激しく震え、ペンすら満足に握れない。
(ちゃんと集中していれば……! どうすればいい……明日テストなのに……)
絶望に打ちひしがれ、俺は藁にもすがる思いで玲に電話をかけた。
事情を話すと、玲は「今どこですか!?」と住所を聞き、数十分後に自転車を猛スピードで漕いで駆けつけてきた。
「先輩! これを使ってください!」
息を切らせた玲が差し出してきたのは、濡らしたハンカチと、びっしりと文字が書かれたルーズリーフだった。
「痛みが強くなったら、そのハンカチで手を冷やしてください。少しは和らぐはずです。あとこれは……私が急遽作った、試験問題のヤマ感を予想したメモです。これを覚えれば、ギリギリ60点は取れるはずですから……!」
「玲……なんで、俺にここまでしてくれるんだ……?」
俺が尋ねると、玲はパッと顔を背けた。
「せ、先輩にいなくなられると、ゲームの相手をしてくれる人がいなくなって寂しいからです!勘違いしないでください!」
「なんだ、そうだったのか」
俺が安堵の息を漏らすと、玲は病院の出口へ向かって歩き出した。そして、背中を向けたまま、聞こえないほどの小声で呟いた。
「……先輩の、バカ」
その夜、碧衣さんは出張で泊まりだった。
誰もいない家に帰ると、冷蔵庫に碧衣さんが作ってくれた作り置きの料理とメモが入っていた。
『しょうちゃん、温めて食べてね。勉強頑張ってね』
玲のためにも。ママのためにも。そして、自分自身のためにも。
俺は震える手でペンを握り直し、朝までノートにかじりついた。
第四章:たったひとつの自立と、愛の証明
テスト当日。
「受かりますように、受かりますように……!」
「必死ですね、この先輩は……。大丈夫ですよ、今まで教えた通り、いつものようにやればなんとかなります」
右手の痛みを冷やしつつ、俺は必死で答案用紙を埋めた。
玲のヤマ感は完璧に当たっていた。赤点ギリギリではあったが、なんとか前期の試験を乗り切ることができたのだ。
「ありがとな、玲。本当に助かった」
「べ、別にお礼を言われるほどのことじゃないです……(好意のないどうでもいい人間なら、テスト勉強なんかにつきあうわけないでしょう。全く、この人は鈍いんだから……)」
テスト終了後、俺は最後のバイトへ向かった。給料の受け取りと事務手続きだ。
「頑張ったな、渚生。最初はこんなモヤシに務まるかと思ったけど、意外と根性あって助かったよ」
「あ、ありがとうございます!」
店長から封筒を受け取る。辛い思い出ばかりだったが、逃げずに続けてよかったと心から思えた。
厚みのある封筒を握りしめ、俺はそのまま街のジュエリーショップへ向かった。
念願の品を手に入れ、ホクホクした気持ちで帰路につく。
(ついに買ったぞ……! これで俺は——)
しかし、安堵した瞬間に緊張が切れた。
連日の疲労、怪我、そして熱。視界がグラリと揺れ、意識が遠のいていく。
「あれ……なんで……」
俺は道端で、そのまま倒れ込んだ。
◇
「……しょうくん! しょうくん! お願い、目を覚まして!」
聞き覚えのある、愛おしい声。
目を開けると、涙でぐしゃぐしゃになった碧衣さんの顔が目の前にあった。俺が倒れたと連絡を受け、着の身着のまま駆けつけてくれたらしい。
「しょうくん、その手……どうしてそんなになるまで無茶するの!? 私に内緒でバイトなんてして……!」
「あはは……いつも世話になってばかりで悪いから、少しは自分でも稼げたらと思ってさ……」
「そんなのいらない! しょうくんは、ずっと私の世話になっていればいいのっ!」
碧衣さんの叫びが静かな部屋に響く。
(……言うなら、今しかねぇ)
ここで言わなきゃ、今まで何のために泥水をすする思いで頑張ってきたんだ!?
日々の居候生活で染み付いたヘタレ癖が邪魔をする。だが、ポケットの中にある「それ」の感触が、俺の背中を押した。
「ママ……いや、碧衣さん」
俺は痛む右手でポケットから小さな箱を取り出し、碧衣さんへ差し出した。
「俺が……俺が一人前に稼げるようになったら、俺と結婚してください」
パカリと開けた箱の中には、シンプルだが光り輝く指輪。
バイト代で買った、十万円の安物だ。だが、今の俺にとっては血と汗の滲む大金だった。
碧衣さんは目を見開いた。
「これのために……わざわざ十万円も稼いだの? 私は、指輪なんてなくても気持ちだけで十分なのに……」
「それじゃ意味がないんだ。自分で稼いだお金で買った指輪を渡すことが、俺にとっての自立への一歩で……碧衣さんへの、愛の証明なんだ」
言葉が途切れる。碧衣さんの大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
「嬉しい……! ありがとう、しょうくん……!」
碧衣さんが勢いよく俺に抱きついてきた。そして、おもむろに顔を近づけると、俺の唇に柔らかい感触が重なった。
「ん……ッ!?」
深くて、甘い、初めてのキス。
「な、なな何するんですか碧衣さん!?」
「ふふ、結婚の『先払い』だよ♪」
赤面する俺を見て、碧衣さんは愛おしそうに頬を撫でてくれた。
「結婚してもいいけど、私はしょうちゃんに無理はしてほしくないな。人間、一歩一歩着実に歩んでいけばいいと思うの。今回みたいな無茶はもう絶対にしないで。それが、私と結婚する条件」
「碧衣さん……」
「ありのままのしょうちゃんが、私にとって一番愛せる相手なんだから」
「……うん。あ、でも漫画賞も取らないとね」
「ゆっくり書けばいいと思うよ。……次は、ウエディングドレスだね♪」
碧衣さんの言葉に、俺はドレスの値段を想像して思わず引きつった顔になった。
「が、頑張ります……!」
終章:ふたりだけの夏
後日。大学の講義室にて。
「ご結婚、おめでとうございます。先輩」
「な、なんでそれを知ってるんだよ!?」
「碧衣さんが昨日、電話でとっても嬉しそうに話してくれましたよ」
玲はジト目で俺を見つめた後、「はぁ」と大きなため息をついた。
「全く、あの人は……」とぶつぶつ言いながら去っていく俺の後ろ姿を、玲は寂しそうに見つめていた。
(私の初恋は実らなかったけれど……あの人が相手なら、勝ち目なんてないですね……)
言葉には出さず、玲はそっとノートを閉じた。
◇
一週間後。夏休み初日。
海沿いの国道を、一本のバイクが駆け抜けていた。
「夏休みになったら二人で海に行こう」という約束を果たすため、俺と碧衣さんは海へやってきたのだ。
ギラギラと太陽が輝く砂浜にバイクを止めると、碧衣さんが嬉しそうに海を指差した。
「ねぇ、ちょっと泳いでいかない?」
「え? 水着持ってきてないけど?」
「そんなのいいの! 細かいことは気にしない!」
碧衣さんは俺の手をぎゅっと握りしめ、太陽のような笑顔を向けた。
「それじゃあ、二人の希望の未来へ——レディー、ゴー!!」
「ちょ、ちょっと待ってママーーー!?」
碧衣さんに引っ張られるまま、俺たちは衣服のまま青い海へと飛び込んだ。
バシャーン!と大きな水柱が上がり、温かい潮風が二人を包み込む。
濡れた髪を拭いながら笑い合う碧衣さんの姿を見て、俺は心から思った。
ダメな俺だけど、この人を一生守っていこう、と。
太陽の下、俺たちの特別で、少し甘い夏が、今始まろうとしていた。




