昨日見た夢の続きを俺は忘れない
……ちくしょう。
年下上司の山下にこてんぱんに言い負かされて、俺はやさぐれていた。
――もっとよく考えないと。
――何度言ったら覚えてくれるんですか。
――社歴では僕より先輩でしょう?
――スマホばっか弄ってたって成長できませんよ。
……ちくしょう。
小石でも蹴飛ばしたい気分だったが、舗装された小道にはそれすらも落ちていない。
うんざりした気分で、俺はガードレールに寄りかかりながらスマホの画面を開いた。
説教に時間を取られたせいで、今ハマっているエロゲのイベントが終わってしまっていた。
あいみの水着スチルが欲しかったのに。
『あの日見た夢の続きをきみと』は、成人向け恋愛シミュレーションスマホアプリだ。
あいみはそのメインヒロインだけあって、要求されるパラメータも高い。
イベントを取り損ねたせいで学力が足りなくなってしまった。
攻略失敗だ。あと、たった15だったのに。
いらねえだろ、エロゲにそんな要素。
気前よく肌色のスチルだけ見せてくれりゃいいんだよ。
ノーマルエンドの画面を見ながら、俺はリセットボタンに指を伸ばした。
――けたたましいブレーキ音とヘッドライトの眩しさに、一瞬、目の前が真っ白になった。
寄りかかっていたガードレールのすぐ先に、大型トラックの鼻先が迫っていた。
『ごめんね、ショウくん』
画面の中には、ノーマルエンドの困ったようなあいみの微笑。
それが、俺の見た最後だった。
***
俺は何もない空間にいた。
天もない。地もない。俺の姿すらない。
時間すらあるのか分からないが、
気が付けば光の珠が目の前に浮かんでいた。
――おまえは、死んだ
その珠は、存在しないはずの俺の頭の中に語りかけてくる。
『くそっ、トラック転生ってやつかよ』
あまりにもお約束の状況にとっさに返すと、光珠はちか、ちか、ちか と3回光ってから、
――そうだ
――希望は、あるか
と答えてきた。
俺の物わかりが良すぎたせいで、全ての説明を省略することにしたらしい。
お約束通り、望みの世界に転生させてくれるってことだろうか。
『そりゃまあ、やっぱりゲームの世界に――』
言いかけて、止めた。
ゲームの主人公に転生して、たとえあいみと出会ったとして。
それがどうした。
『……ごめんね、ショウくん』
困ったようなあいみの顔がちらついた。
ゲームの世界に転生したって、パラメータが足りなくて、結局フラれて。
スペックの高い野郎がぜんぶ持って行くんだろ。
そんなの、クソみたいな現実とおなじじゃねえか。
『――俺より賢いやつがいない世界に行きたい』
意表を突かれたのか、光珠がブブ、とスマホみたいに震えた。
『できんだろ、神様かなんかなら。俺をバカばっかの世界に転生させてくれよ』
――承知した
光珠はちか、と今度は一度だけ光ると、どんどん大きくなっていった。
巨大な光のなかに呑まれて、また何もかも無くなった。
***
「……いてて」
気が付くと俺は、草むらに寝転んでいた。
尻に敷いた小石が刺さって痛い。
肉体がある証拠だ。
見える範囲の手足とくたびれた吊るしのスーツを見る限り、姿は前世と変わっていないようだ。
そういや、自分自身については何も願っていなかった。
空は快晴。
見渡す限りは草木の生い茂る草原で、建物の影も形もない。
なんてところに転移させやがった。
こりゃあ日が暮れる前に街かなんかを探した方がよさそうだ。
大きく伸びをして立ち上がろうとすると、急に生臭い風が吹いて顔を顰めた。
ぽたり。
水音がして顔を向けると、大きな口。
赤い舌。
牙。
ぎらついた瞳。
――獣だ。
灰色の狼みたいな獣が、豪勢なディナーでも見る目で俺を見ていた。
「ひえっ……」
慌ててバランスを崩し、尻もちをついた。
せっかく立ち上がりかけた尻が、また地面にコンニチハだ。
意味もないのに、ざりざりと尻で後ずさる。
背を見せたら殺られる。
座ったまんまだって、どうせ喰われる。
武器になるようなものなんて、持っているわけがない。
せっかく望みの異世界に転移したのに、まさか一歩も踏み出すことすらないまま人生を終えるとは。
「――えいっ」
俺が自棄っぱちでその辺の石でも投げつけようとしたとき、ぬっと現れた人影が、手に持った石で獣の頭を殴りつけた。
キャインと鳴いて動かなくなった獣を前に、彼女は嬉しそうに飛び跳ねた。
「やったあ。今日はお肉だよ~」
ばいん。
たわわな果実が大きく揺れても、気にする風情もない。
「あ、あいみ……」
俺が思わず声をかけると、彼女は屈託のない笑顔を見せた。
「あっ、ごめぇん。きみのえものだったの?」
「え。ああ、いや……」
笑顔だけじゃない。水着スチルなんか目じゃないほど、惜しげもなくたわわに実った肢体を晒け出している。
「きみ、だれ? もしかして、群れからはぐれたの?」
たわん。
ゲームではお高く止まった優等生だったはずのあいみが、腰ミノひとつでそこに立っていた。
ふたりで獣を引き摺って歩きながら、あいみ似の女にこの世界の話を聞いた。
獣のいる場所に独りでいるよりはマシだろうと、とりあえず女の群れに身を寄せることにしたのだ。
「かえりみちがわかんなくなったんでしょ。あたしもよくやるんだよねえ」
女の話は要領を得なかったが、随分と気軽な様子で誘ってくれた。
群れにはそうやって増えるものも、居なくなったものもいるらしい。
「でも、よそ者の男が紛れ込んで怪しまれたりしないのか?」
「ええー。大丈夫だよ。きみ、いい人だし。お肉わけてくれるし」
肉がよほど嬉しいのか、女は鼻歌でも歌い出しそうだ。
「そういえば、この獣の名前はなんていうんだ?」
「えー、わかんない。お肉だよ」
「そうじゃなくて、あるだろ。オオカミとか、魔獣とか」
女はん-、と考えるそぶりをしたあと、
「じゃあさ、王様にきいてみればいいよ。王様はかしこいんだよ。数もいっぱい数えられるし」
なるほど、文明は未発達だが、一応は王制が敷かれているのか。
統治者に会えば何かわかるかもしれない。
「……じゃあ、おまえの名前はなんだ。俺はショウ。おまえは?」
「えー、名前好きだねえ、きみ。みんな、いちいち名前なんか付けたりしないよ」
名前がないってなんだよ。あの光珠の野郎、いいかげんな世界に寄越しやがったな。
――もっとよく考えないと。
山下の叱責が耳に響く。
とっさの思い付きで願ったことが、こんな結果になるなんて。
「……じゃあ、あいみだ。おまえの名前は、今日からあいみ」
「わかった! よろしくね、ショウくん」
バカばっかの世界を望んだ結果、俺は原始人の国に放り込まれていた。
***
王様という言葉の響きからそれなりの集落を想像していたが、たどり着いたのは天然のほら穴だった。
2、30人ほどの男女がそこにいて、俺たちが引きずってきた獣をみると歓声を上げた。
着ているものは腰ミノか、獣の皮を巻いているかだ。ろくに鞣されてもいないのか、獣皮からは嫌な臭いがする。
「王様、ショウだよ。お肉くれたの。あとね、ここにすみたいって」
王様と呼ばれた老人は、あいみの雑な説明を気にした風もなく、俺のスーツを舐めるように見まわしてから「構わない」とだけ頷いた。
「……王様、ありがとうございます。怪しいものではないのですが、帰り方が分からなくて」
あいみがフラフラと肉の方に行ってしまったので、とりあえず俺はこの場の権力者に仁義を切ることにした。
「構わない。好きなだけいるといい」
王様は鷹揚に繰り返した。
これだけではあいみが言うように賢いのかどうかはわからない。話しあぐねていると、あいみが雑に切り取った肉を手に戻ってきた。
「王様、ショウ、お肉食べよう。しんせんだからきっとおいしいよ」
そう言ってあいみは手にした一切れにがぶりと噛みついた。
「ちょっ、あいみ、それ生だぞ‼」
王様も生肉を手に取ると齧りだした。
……原始人って、生肉食べてたんだっけ?
生肉食うことでビタミンかなんかを補給してたんだっけか?
よく覚えていないが、少なくとも俺が食ったら即死亡フラグなのは確かだ。
「ショウくんも食べなよ」
口周りを真っ赤に染めたあいみの曇りなき笑顔に、俺は覚悟を決めた。
いきなりチートアイテムを出すのは抵抗があったが、背に腹は代えられない。
俺はほら穴を出るとその辺の枯れ枝を適当に組んで、胸ポケットに入っていたライターで火をつけた。
ふうふうと息を吹き込んで焚火が大きくなったら、別の木の枝に肉を突き刺した。
火にかざすと肉の表面がじんわりと汗をかき出した。
そのまま遠火で炙っていく。
得体のしれない獣の肉だが、脂が滴る頃合いになると、それなりに美味そうな匂いを漂わせた。
群れのやつらはおっかなびっくり、遠巻きに火を眺めている。
すぐに隠したからライターは見られていないはずだが、どのみちガスにも限りがある。
ボーイスカウトの類いの経験はないが、早々に火おこしの術を身に付けておいたほうがいいだろう。
「ねえ、ショウくん。それ、何してるの?」
好奇心に負けたあいみがにじり寄ってきたので、いい具合に焼けた串を渡す。あいみはおっかなびっくり小さくかじると、すぐに蕩けた顔になった。
「なにこれえ。あったかくて、じゅわっとしてる。こんなの初めて♥」
なんてこった。
エロゲの定番台詞を、こんな色気のない場面で聞くことになるなんて。
しみじみと噛みしめるあいみを横目に、俺も中まで火が通っているか確認しながら恐る恐る口に含んだ。
うん。
不味い。
血抜きが不充分で生臭く、野生の獣肉は筋張っていて、塩も振っていないので味がしない。
それでも焼いた肉を食ったことがない原始人には衝撃の美食だったらしく、あいみを皮切りに我も我もと肉を焼いて欲しがり、その夜は皆で焼肉パーティーを楽しんだ。
その夜は生臭い獣の皮を敷いた粗末な寝床で、あいみと寄り添って寝た。
布面積の少ない美女がすぐそばで寝ているというのに、恥じらいもへったくれもない腰ミノ姿ではどうにも昂らない。
スマホ画面ではあんなに興奮したのに。
ただ、美味い飯をたらふく食って満足そうに眠るあいみの寝顔を見ていると、なぜだか穏やかな気持ちになった。
月明りに照らされる呑気な寝顔を眺めていたら、俺はいつのまにか眠りについていた。
***
目が覚めると生臭い寝床の上で、節々が強張って悲鳴を上げていた。
夢であってくれれば、どれだけよかったか。
それでも、寄り添って眠る美女の存在に、少しだけ気分が上がった。
「あいみ。あいみ、起きろ。おはよう」
そっと揺り起こすと、長い睫毛が震えて、寝ぼけまなこのあいみが無邪気な笑顔を見せた。
「ん、おはよう。――きみ、だれ?」
目の前が、真っ暗になった。
「俺だよ、ショウだよ。昨日、群れに連れてきてもらって、一緒に肉を焼いて食っただろ」
「あっ、そうだった。お肉のひと!」
肉で思い出したのか、あいみはぱっと目を輝かせた。
――何度言ったら覚えてくれるんですか。
山下の言葉がまた蘇った。
俺より賢いやつがいない世界では、記憶力もお察しってことか。
俺は頭を振って不快な回想を振り払った。
「――ショウ」
王様に声をかけられてはっとした。
「あ、俺、ショウって言います。昨日からこの群れにお世話になっていて」
挨拶を始めた俺を王様は押しとどめた。
「やはり、お前は覚えているのか」
俺はまじまじと王様の顔を見つめてから、やっと答えた。
「……王様も」
王様はすごく賢いと、あいみが言っていた。すごく賢くて、数がたくさん数えられて、それから。
王様はわかっているという風に頷いた。
「群れの者たちに悪気はないが、寝て起きたら大抵のことは忘れてしまう。儂は、他よりは多少覚えているだけだ」
この世界はバカばっかりだ。俺がそう望んだから。
バカだから、昨日のことを覚えていられない。
覚えないから、文明は発展しない。
あの光珠め。程度というものを知らないのか。俺だって、ここまでバカな世界を求めてはいなかった。
「あの者たちは、何度教えても忘れてしまう。だが、何度も根気よく教えれば、覚えることもある。気長につきあってやってくれ」
王様は、俺の手の甲をポンと叩いた。
「好きなだけ居てくれていい。年寄りにとっては、焼いた肉のほうがありがたい」
それから、俺は自分が多少なり快適に過ごせるように、群れのやつらに文明を教え込んだ。
チートを見られることはあまり気にしなくていい。どうせ忘れちまうから。
まずは木の板と棒で火を熾す方法を試してみる。
俺だってテレビでしか見たことがないから、とりあえずやっているところを見せる。
1回で覚えられるやつはまずいない。
2回目で覚えるやつ、3回目で覚えるやつ。覚えたと思ったらまた忘れるやつ。
怒鳴り散らしたくなることもあったが、歯を食いしばって耐えた。
肉を焼くついでに臭い獣の皮を煙で燻すと、多少なり臭いはマシになった。
やつらはバカばっかりだが、身体能力は高い。
今までほぼ素手で狩りをして生き延びていたくらいだ。
俺にはひっくり返っても真似できないので、落とし穴を仕掛けることにした。
獣たちも頭が良くないので、面白いように引っかかる。
底に槍でも仕込んでおけば確実なんだが、たまに群れのアホどもまで引っ掛かるのでやめた。
逃げられてしまうこともあるが、どうにか面目が保てる程度の獲物は手に入れることができた。
あいみは群れの中でも格別に美しいが、格別に知能が低い。
ちらほらと俺の存在を認知するやつらが増えてくる中で、毎朝律義に「きみ、だれ?」と聞いてくる。
すぐに「そうだった」と思い出す日もあるが、そのまま思い出さない時もある。
毎回律義にクソ不味い焼肉を食っては「こんなの初めて♥」 と蕩けた顔をする。
はっきり言って足手まといだが、それでも常にそばに置いておくぐらいには、俺はあいみに情が移っていた。
やつらが雑に切り裂いてほっぽらかしていた獣の皮も、洗って、叩いて、燻して、なんとか鞣したと言えなくもないところまで持っていった。
噛んで鞣す方法があるのは知っていたが、俺には勇気が出なかった。
そうやって出来上がった皮を使い、腰ミノ集団をなんとか半裸ぐらいにまでしたところで、王様から譲位の打診をされた。
断ったが、自分が死んだ後には俺しかいないと頼み込まれた。
「冗談でもやめてくださいよ。王様が居なくなったら、俺も生きていられませんよ」
唯一、まともな会話を交わせる王様がいなくなったら、俺は群れの真ん中で孤独に耐えられる自信がない。
そうこうするうちに、俺はついに調味料を発見した。
獣たちがよく集まって舐めているあたりの岩を確かめたら、しょっぱい味がしたのだ。
抽出方法は要検討だが、とにかく塩分さえあれば、味のない焼肉とおさらばできる。俺は興奮してあいみの手を取った。
「その石があると、ショウはうれしいの?」
何もわかっていないあいみに、俺は近々食べたことがないほど旨い肉を食わせてやると約束した。
***
「おはよう、あいみ。お前今日、畑の水やり当番だろ」
俺はいつものようにあいみの肩をゆすって起こした。
最近、俺は食える植物の栽培に手を付けている。
バカどもはすぐに水やりを忘れて枯らしてしまうので、俺がシフトを組んで世話をさせていた。
「ん、おはよう、ショウくん」
「…………あいみ」
あいみがまだ眠そうに笑顔を返してきた。
「あいみ、おれを覚えているのか」
「えー、ショウくんでしょ。どうしたの?」
何でもないことのようにあいみが笑う。
2回目で覚えるやつ、3回目で覚えるやつ。覚えたと思ったらまた忘れるやつ。
バカばっかりのこの世界の中でも格別に頭の悪いあいみは、100回会っても俺を覚えられない。
それでも、諦めずに続けていけば、前に進む日は来る。
思わず視界が滲んできて、俺はあいみを抱きしめた。
忘れ去られた100回分の俺を忘れているあいみは、訳も分からぬまま抱き返してくれた。
その夜、俺は岩塩らしきものを煮出して味をつけた焼肉を、あいみに振る舞った。
有るか無きかの薄い塩味に、あいみは狂喜した。
「ショウくん、これ、おいしいねえ。きのうのより、もっとおいしい」
「……あいみ、俺たち、番にならないか」
理解されないことを承知で、俺は持ちかけた。
そもそもこの群れには番や結婚の概念がない。
相手を覚えていられないからだ。
産まれた子どもに父親という概念はなく、群れの子として育てている。
案の定、首をかしげたあいみに、俺はやさしく説明した。
「好きな相手と、お互い大切にして、子どもを作って、一緒に暮らすんだ」
よく考えもせずにあいみは頷いた。
「いいよ。あたし、ショウくんのこと好きだし。番になろう」
涙がひと粒、焚き火に落ちてじゅうと弾けた。
あのとき薄っぺらい板のなかで欲しかった言葉を、地獄みたいな異世界で、薄汚れた原始人みたいなあいみが俺にくれた。
ふたりは肉の脂でてらてら光る唇を重ね合わせた。
***
「……あいみ。おはよう、あいみ」
夜が明けて、同じ毛皮にくるまって眠る恋人に、俺は甘い声をかけた。
「……んー、おはよう……」
あいみはまだ眠そうに伸びをしてから、輝くような笑顔を見せた。
「……きみ、だれ?」
この世界はバカばっかりだ。
1回で覚えられるやつはまずいない。
2回目で覚えるやつ、3回目で覚えるやつ。覚えたと思ったらまた忘れるやつ。
その中でも、あいみは格別に頭が悪い。
――何度言ったら覚えてくれるんですか。
――やりきれないんですよ。教えたってすぐに忘れると思ったら。
山下の嫌味が耳に響く。
朝の眩しい光の中で、何も知らない俺の恋人が、ただ甘く微笑んでいた。
***本作はしいなここみ様主催【やきにく短編料理企画】に参加しようとして文字数超過で断念した作品です***
活動報告にイラストもご用意していますので、良かったらお立ち寄りください。




