第8話『学園攻防』
「くそっ、キリがない!」
俺、神田京介は、念動力で作り出した瓦礫の盾で敵の攻撃を防ぎながら悪態をついた。アカデミーの廊下は、すでに戦闘の痕跡で見る影もない。壁には穴が空き、床には瓦礫が散乱している。
「京介くん、右から来るよ!」
秋葉大和が叫ぶ。彼の周囲には電磁バリアが展開され、ハッキングによって一時的に味方にした敵のドローンが、元仲間であるはずの黄昏の蛇戦闘員に攻撃を加えている。
「サンキュ、大和!」
俺は『時の羅針盤』の欠片の力を借りて未来を読み、迫りくるエネルギー弾を紙一重で回避。同時に、近くにあった消火器を念動力で敵に叩きつける!
「ぐあっ!」
戦闘員が怯んだ隙に、駆けつけたアカデミーの上級生が能力で追撃し、無力化する。
「助かったぞ、一年!」
「いえ……!」
アカデミー全体が戦場と化して、もうどれくらいの時間が経っただろうか。黄昏の蛇の襲撃は苛烈を極め、学園のあちこちで激しい戦闘が繰り広げられていた。俺と大和も、他の生徒たちと協力しながら、必死に応戦しているが、敵の数は多く、強力な異能を持つ者もいる。じりじりと押され始めていた。
「京介くん! 大和くん!」
凛とした声と共に、黒い影が疾風のように駆け抜けた。六本木蕾先輩だ! 彼女は驚異的なスピードとパワーで、数人の敵戦闘員を一瞬で蹴散らす。
「蕾先輩! 無事だったんですね!」
「ああ。少し手間取ったがな。状況は?」
「かなりマズいです! 敵の数が多すぎます! このままじゃ……!」
大和が悲鳴に近い声を上げる。彼のバリアも、度重なる攻撃でかなり消耗しているようだ。周囲を見渡しても、味方の多くは負傷し、疲弊しきっている。絶望感が、じわじわと空気を支配し始めていた。
ここまでなのか……? アカデミーは、陥落してしまうのか……?
「あーーーーもうっ! うるさーーーい!!」
その時、どこからともなく、場違いなほど大きな、そして不機嫌そうな声が響き渡った。
「え?」
俺たちが声のした方――校舎の中庭――を見ると、そこには信じられない光景が広がっていた。
中庭の噴水の縁に、腰かけている少女がいた。ラフなパーカー姿で、手にはコンビニで売っているような大きなプリンのカップを持っている。
「し、渋谷さん!?」
渋谷サキだった。彼女は、スプーンでプリンをすくいながら、周囲で繰り広げられている激しい戦闘を、まるで他人事のように眺めていた。
「もうっ! せっかく買ってきた限定プレミアム濃厚プリンが、こんな騒ぎでゆっくり味わえないじゃない! どうしてくれるのよ!」
サキは、心底迷惑そうに叫んでいる。この状況で、プリン!?
「貴様……! あの時のイレギュラーか!」
「なぜここに!?」
近くにいた黄昏の蛇の戦闘員たちが、サキの存在に気づき、武器を向ける。
「あ? あんたたち、まだいたの? しつこいなぁ。空気読みなさいよね、プリンタイムの邪魔しないでよ!」
サキは、ぷりぷりと怒りながら言い放つ。
「ふざけるな! 死ね!」
戦闘員の一人が、エネルギー弾をサキに向かって発射した!
「危ない!」
俺が叫ぶより早く、サキは「あ、やべ」と呟きながら、ひょいと噴水の縁から飛び降りた。エネルギー弾は、彼女がいた場所を正確に撃ち抜き、噴水を砕く。
「あっ! あたしのプリンがぁぁぁ!」
サキは、着地の衝撃で手から滑り落ち、地面に叩きつけられて無残な姿になったプリンを見て、本気で悲鳴を上げた。
「……よくも、あたしのプリンを……」
サキは、ゆっくりと立ち上がり、戦闘員たちを睨みつけた。その瞳には、いつもの飄々とした光はなく、本気の怒りが宿っているように見えた。
「あんたたち……ゆるさない……!」
次の瞬間、信じられないことが起こり始めた。
「うわっ!?」
サキを狙っていた戦闘員が、何もないところで突然足を滑らせて転倒した。
「なんだ!? 武器の調子が……!?」
別の戦闘員が構えていた武器が、突然火花を散らして故障した。
「ぎゃああ! 壁が!」
さらに別の戦闘員がいた場所の壁が、まるで意志を持ったかのように突然崩れ落ち、彼を下敷きにした。
「な、なんだこれは!? 不運が連鎖しているのか!?」
黄昏の蛇たちが混乱に陥る。それは、明らかに偶然ではなかった。サキの周囲で、「都合の悪い偶然」が、敵に対してだけ連鎖的に発生しているのだ!
「さ、サキさん……!」
俺たちは、唖然としてその光景を見ていた。
「えいっ!」
サキは、近くに落ちていた小石を拾うと、遠くの敵に向かって投げつけた。小石は、漫画みたいにカキン、コキンと不自然なバウンドを繰り返し、見事に敵のヘルメットに命中。敵は目を回して気絶した。
「プリンの恨み、思い知ったか!」
サキは、ふん!と鼻を鳴らす。明らかに意図的に能力を使っている。それも、これまでとは比較にならない規模と精度で!
彼女がいるだけで、その一帯の戦況が、明らかに味方に有利に傾いていく。敵の攻撃は「たまたま」致命的な箇所を外し、味方の攻撃は「たまたま」クリティカルヒットする。
「す、すごい……! これが、サキさんの本当の力……!?」
大和が感動したように呟く。
だが、俺は気づいていた。蕾先輩も気づいているだろう。能力を使うたびに、サキの顔色が目に見えて悪くなっていくのを。最初は怒りで赤くなっていた顔が、次第に青白くなり、額には脂汗が滲み、息も荒くなっている。時折、ふらりとよろめき、壁に手をついている。
「……渋谷さん、もう十分だ!」
俺は思わず叫んだ。
「へ? なに言ってんの、京介くん。あたしはまだ怒ってるんだけど?」
サキは強がって笑顔を作るが、その声には明らかな疲労の色が滲んでいた。
「でも、無理してるだろ! そんなに力を使ったら……!」
「だいじょーぶだって! あたし、ラッキーガールだから、このくらい……へっちゃら……」
言いかけたサキの体が、ぐらりと大きく傾いだ。
「危ない!」
俺は咄嗟に駆け寄り、倒れそうになるサキの体を支えた。触れた腕は、氷のように冷たくなっていた。
「……ありがと、京介くん。ちょっと……疲れちゃった、かな……」
サキは、弱々しく笑った。その笑顔は、いつもの悪戯っぽいものではなく、ひどく儚げに見えた。
「渋谷……」
蕾先輩が、複雑な表情でサキを見つめる。
「ほら、あたしが稼いだ時間、無駄にしないでよね」
サキは、俺の腕の中でそう言うと、ふっと意識を失った。
「渋谷さん! しっかりしろ!」
俺は必死に呼びかけるが、反応はない。ただ、穏やかな寝息だけが聞こえてくる。
サキが作り出した混乱と時間のおかげで、アカデミー側の反撃体制は整いつつあった。だが、俺の心は晴れなかった。
渋谷サキ。彼女は一体、何を背負って、どれほどの代償を払いながら、その「幸運」を振りまいているのだろうか。
仲間との絆、勝利への希望。それらが確かに見えてきた一方で、彼女の存在が持つ危うさと、その先に待つかもしれない過酷な運命を、俺は予感せずにはいられなかった。