第4話『遺物共鳴』
「――解析パターン、タイプ・デルタ。微弱ながらも安定した時空間放射を確認。座標データ……エラー。指向性シグナル、断続的に検出。これは……」
アカデミーの研究室。無数のモニターと機材に囲まれた中で、秋葉大和は神経を集中させていた。彼の目の前には、厳重なフィールド内に浮かぶ『時の羅針盤』の欠片がある。回収してから数日、大和はこの小さな遺物の分析に没頭していた。
「どうなんだ、大和?」
俺、神田京介は、心配そうに彼の背中に声をかけた。ここ数日、俺の体調はあまり良くなかった。眠りが浅く、断片的な悪夢――崩壊するビル、燃え盛る街、誰かの叫び声――にうなされる。そして、時折、欠片がポケットの中で微かに熱を持つのを感じるのだ。
「うん、京介くん。この欠片、やっぱり他の『何か』と交信しようとしてるみたいなんだ。すごく弱い信号だけど、間違いなく他のレリックの存在を示唆してる。ただ……」
大和は困ったように眉を寄せた。
「ただ?」
「その信号がどこから来てるのか、まだ特定できないんだ。ノイズが多くて……。それと、京介くん、この欠片、君のクロノ・アビリティと強く共鳴してるみたいだよ。君が近くにいると、欠片のエネルギーパターンが明らかに変化するんだ」
「共鳴……」
だからか、この不調は。俺の未熟な能力が、レリックの強大な力に引きずられている?
「おい、神田。顔色が悪いぞ」
研究室の入り口に、腕を組んだ六本木蕾先輩が立っていた。
「あ、蕾先輩……」
「無理はするなと言ったはずだ。レリックとの共鳴は、時に能力者に過負荷を与える。特に、お前のように覚醒したばかりの未熟な者にはな」
「でも……」
俺だって、早くこの力に慣れて、役に立ちたい。足を引っ張ってばかりじゃいられない。
「焦りは禁物だ。今は自分の状態を正確に把握し、制御する訓練に集中しろ。……行くぞ、今日の基礎訓練の時間だ」
「はい……」
俺は少し重い体を引きずるようにして、大和と蕾先輩と共に研究室を後にした。
◇
その日の訓練は、いつも以上にきつく感じられた。集中力が続かず、簡単な物質操作も失敗ばかり。蕾先輩の厳しい叱責が飛ぶ。
「神田! ぼうっとするな! 戦場でそんなことでは一瞬で命を落とすぞ!」
「すみません!」
訓練が終わり、俺と大和はぐったりとしながらアカデミーからの帰り道を歩いていた。蕾先輩は別の用事があるらしく、先に戻っている。
「はぁ……今日もダメダメだったなぁ……」
俺が弱音を吐くと、大和が励ましてくれる。
「そんなことないよ、京介くん。最初の頃に比べたら、だいぶ安定してきたって。ほら、あそこの自動販売機、ちょっとだけ揺らしてみるとか……」
「いや、今はやめとく……なんか、嫌な感じがするんだ」
胸騒ぎがする。欠片が、またポケットの中で熱を持ち始めている。まるで、何かに警告を発するように。
その時だった。
「――見つけたぞ、『羅針盤』の小僧」
空気が、凍った。背後から聞こえた声は、低く、感情が欠落している。ゆっくりと振り返ると、そこには大柄な男が一人、立っていた。昨日の影使いとは違う。筋肉質な体に、硬質な素材で作られたような戦闘服。そして、胸元にはやはり「黄昏の蛇」の紋章。
「黄昏の蛇……!」
大和が息を呑む。
「その『欠片』、渡してもらおうか」
男は、有無を言わさぬ口調で言い放つ。その眼光は、獲物を狩る捕食者のそれだ。
「誰が渡すか!」
俺は咄嗟に叫び返し、大和の手を引いた。
「逃げるぞ、大和!」
「う、うん!」
俺たちは全力で走り出した。アカデミーに連絡を! いや、それよりも今は距離を取らないと!
「無駄だ」
男は呟くと、驚くべき速度で俺たちに追いつき、その巨腕を振り下ろしてきた!
ドゴォォン!
地面が砕け、アスファルトの破片が飛び散る。間一髪で回避したが、衝撃波で体がよろめいた。なんだ、あのパワー!?
「京介くん、こっちだ!」
大和が機転を利かせ、近くの商店街へと駆け込む。人混みに紛れれば、あるいは――。
「逃がすと思うか?」
男は人混みをものともせず、一直線に俺たちを追ってくる。周囲の買い物客たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。まずい、一般人を巻き込むわけにはいかない!
「大和、あっちの路地裏へ!」
俺たちは人気のない裏通りへと逃げ込んだ。しかし、それは袋小路だった。
「追い詰められたな、ネズミども」
男がゆっくりと距離を詰めてくる。その体からは、威圧的なオーラが発せられている。こいつ、相当な手練れだ。
「くっ……やるしかない!」
大和が前に出て、両手を構える。
「電磁バリア、展開!」
彼の周囲に、青白いエネルギーの膜が展開される。
「ほう、多少は抵抗する気概があるか。だが、そんなもので!」
男は拳を振り上げ、バリアに叩きつけた!
バキィィィン!
激しい音と共に、バリアに亀裂が入る。大和の顔が苦痛に歪む。
「う、ぐ……っ!」
「大和!」
バリアが砕けるのは時間の問題だ。俺も何かしないと! ポケットの中の欠片が、激しく熱を帯びている。脳裏に、断片的な映像が明滅する。
――男の右ストレート。
――次に、左足での蹴り上げ。
――そして、地面を踏み砕く衝撃波!
「大和! 右! 次、足元! 衝撃波が来る!」
俺は叫んでいた。欠片の力が、未来を断片的に見せている!
「えっ!?」
大和は戸惑いながらも、俺の言葉に従って身をかわす。その直後、彼がいた場所に男の拳が叩きつけられ、続けざまに蹴りが空を切り、地面が砕ける!
「なっ……!? なぜ読める!」
男が初めて驚愕の表情を見せる。
「今だ、京介くん!」
大和が叫ぶ。俺は、欠片から流れ込む情報に意識を集中させる。
――男が体勢を立て直す一瞬の隙。
――彼の右脇腹が無防備になる。
――最大の力を、そこに!
俺は、ありったけの念動力を集中させ、足元の瓦礫を男の右脇腹に向かって叩きつけた!
「ぐおおっ!?」
さすがに硬い戦闘服を着ているが、不意を突かれた攻撃に男は体勢を崩す。
「畳み掛けるぞ、大和!」
俺の未来予知による指示と、大和の電磁攻撃、そして俺の未熟な念動力。単体では非力な俺たちの力が、連携することで強敵を翻弄し始める。
「おのれ、小賢しい……!」
男は何度か体勢を立て直そうとするが、俺の予知によってことごとく動きを読まれ、有効打を与えられない。次第に焦りの色が見え始める。
そして、最後は俺たちが作り出した一瞬の隙を突き、駆けつけたアカデミーの増援部隊(蕾先輩が呼んでくれていたらしい)によって、男は取り押さえられた。
「はぁ……はぁ……やった……」
俺はその場にへたり込んだ。全身が鉛のように重い。欠片の力を使った反動か、激しい頭痛と倦怠感に襲われる。
「大丈夫かい、京介くん!?」
大和が駆け寄ってくる。
「ああ……なんとか……」
顔を上げると、信じられない光景が目に入った。
路地裏を見下ろす隣のビルの屋上に、誰かが座っている。ラフなパーカー姿で、足をぶらぶらさせながら、楽しそうに何かを口に運んでいる。ポップコーン? いや、よく見ると色とりどりの……金平糖?
「し、渋谷さん!?」
俺の声に、屋上の少女――渋谷サキが気づき、ひらひらと手を振ってきた。
「やっほー! 京介くーん! 今の、なかなか面白かったよー! ちょっとハラハラしちゃった!」
まるで映画でも見ていたかのような口ぶりだ。まさか、ずっと見てたのか!?
「な、なんであんなところに……危ないだろ!」
「えー? ここ、特等席だよ? それにしても、京介くん、あのピカピカ光る石ころ、ちょっとは使いこなせるようになったんじゃん?」
サキはにこやかに言う。ピカピカ光る石ころって、欠片のことか?
「『羅針盤』はねー、持ち主を選ぶんだよ。ちゃんと『道』を示してあげないと、すぐに迷子になっちゃうからねー」
「道……?」
どういう意味だ?
「ま、せいぜい頑張りなよ、未来の『航海士』さん?」
サキは悪戯っぽく笑うと、ポケットから取り出した小さなパラソルを開き、ふわりと屋上から飛び降りた。え、パラソルで!? まるでメリー・ポピンズみたいに、彼女は夜の街へと消えていった。
「……行っちゃった」
大和が呆然と呟く。
俺は、サキが残した言葉を反芻していた。『羅針盤』、『道』、『航海士』……。あの少女は、一体どこまで知っているんだ?
黄昏の蛇の脅威。レリックの謎。そして、神出鬼没のトリックスター、渋谷サキ。俺を取り巻く状況は、ますます複雑になっていく。それでも、今はただ、この力を使いこなせるようになるしかない。俺は、まだ熱を持っている欠片を強く握りしめた。