第77話 新生ヨートンの報告と懐かしのメビウス
メイドに引き連れられて狼人族が厨房に向かうと、厨房の中から言い争う声が聞こえて来た。
「早くエントランスホールに向かって下さい。」
「行かねぇよ!俺達の居場所はここなんだよ!ヨートンが居なくなったんなら、俺はこんな糞ったれな国なんか出て行ってやる!」
「では、早く出て行ってください。やる気のない人は、ここに居場所なんかありませんので。」
「料理長、他に行く当てもないんですよ?取敢えず新しい主人を見てから決めた方がいいんじゃないですか?」
「煩い!お前らは黙ってろ!」
どうやら、メイドと料理人達が言い争っている様だ。
『アルティス様、メイドと料理人が言い争っています。我々で制圧してもよろしいでしょうか?』
『待て待て、すぐにそっちに行く。』
サブマスと共に厨房に向かうと、言い争いは収まっている様だが、迎えに来たメイドと料理人達が険悪ムードで睨み合っていた。
「一体何をしているんですか?料理人達は新しい雇い主に会わずに、どうやって雇用契約を結ぶつもりなんですか?」
「ああ?冒険者ギルドのサブマスターが、何でこんな所にいるんだ?」
『新しい国家元首だ。新しくこの屋敷の所有者になって、お前らの雇用主になる人だよ。お前らは何の権限があって、こんな所に閉じこもってんだ?』
「誰が喋ってんだ?俺達は、ここを辞めるんだよ!碌な食材も無く、料理も殆どやらせてもらえないからな!」
『いじけたガキだな。出て行くつもりなら、とっとと出て行け。お前が代表者で、他の者もそれに従うって事でいいのか?残りたい奴は、そいつから離れろ。ここを辞めるんなら、もう言う事を聞く必要は無いんだからな。』
「なんだとっ!姿を見せずに好き勝手に言いやがって!姿を見せろ!」
『お前が全員道連れにして辞めると言うのなら、そいつ等の面倒を見るって事になるんだが、その責任をとれるのか?お前の我儘で、他の料理人が路頭に迷う事になるんだぞ?再就職先も決まってないのに、そいつらの生活をどう守るつもりなんだ?』
「煩い!早く姿を見せろ!」
『目の前に居るだろ?俺はバネナ王国宰相のアルティスだ。後ろの狼人族が、新しい料理人だ。辞める奴は邪魔だから、とっととここから出て行け。』
「はあ?このちっこい獣が宰相だと?笑わせんな!そんな訳ねぇだろうが!!」
「貴様!アルティス様を愚弄するつもりか!」
料理長の台詞に怒ったリズが、剣を料理長の喉元に突き出した。
『リズ、止めろ。知らないんだから仕方無いだろ。狼人族は調理を開始しろ。辞めるつもりのない料理人は、手伝え。それと、料理が終わったら、ここを綺麗に掃除しろ。こんな小汚い所で作った料理では、食中毒待った無しだからな。料理人は、毎日ここを徹底的に掃除しろ。調理器具もピカピカに磨き上げて、常に清潔な厨房を保て。』
ここの厨房は、兎に角汚い。
壁は煤で真っ黒、調理台には埃が溜まり、床には腐った野菜くずやゴミが散乱しているのだ。
このままでは、真面な料理など作れそうに無いな。
『[クリーン]』
ブワッ
アルティスは、厨房に対してだけクリーンを使って綺麗にしたが、壁の煤や調理器具の焦げ付きについては、殆ど変化していない。
また、料理人達の着ている厨房服が、薄汚れている事が気になった。
『エリス、厨房服の洗濯は誰がやっているんだ?』
「厨房服は全員1着しか持ってないので、特に洗っていません。クリーンだけで済ませていると思います。」
『安月給で買えないのか。クリーンでは、結果に個人差があり過ぎて、綺麗にならないんだよな。メイド服と厨房服はこちらで用意してやる。レンタルだ。だから売り飛ばしたら犯罪奴隷にする。エリスは、一旦エントランスホールに戻れ。食堂も汚い様なら、今の内に掃除しておけよ?埃っぽい部屋で食いたくは無いだろ?』
「は、はい!畏まりました。」
グー・・・
『腹減ってるのか。干し肉でも齧っとけ。』
メイドのエリスに最高級干し肉を渡すと、ソフティーの喉がゴクリと鳴った。
エリスは干し肉の匂いを嗅ぎ、パクリと齧ると、目を大きく開いて驚きながら、あっという間に食べてしまった。
食べ終わると、名残惜しそうに手を見つめ、厨房を出て行った。
『辞めない料理人は4人、辞める奴は元料理長だけだな。辞めない奴はちょっとこっちに来い。そんな薄汚い格好で、食材に触るな。料理する前に、必ず手を洗え。[バブルウォッシュ][クリーン][ドライ]』
「うわあ!?あ、あれ?何ともない・・・?」
「凄い!新品の様になっている!?」
アルティスが着ている厨房服を洗い、最後にドライで乾燥させたのだが、ドライを使われて驚いた料理人達は、自分達が死ぬ事も無く、服だけが乾燥している事に驚き、厨房服の汚れが全て消えて、新品の様な色になっている事に驚いた。
厨房服は麻布で作られており、漂泊の技術が無い為に薄っすらと黄色みがかった色をしているのだが、長年着続けて来た為に薄茶色になっていた。
アルティスの魔法によって、本来の色を取り戻した厨房服を見た料理人達は、自分達の魔法の未熟さを痛感した。
『ソフティー、子供達に厨房服の作成をお願いしておいて。一人3着で。あと、メイド服もお願いするよ。』
『わかった。』
ソフティーにだけ聞こえる念話で、メイド服と厨房服の作成を依頼した。
ソフティーは、メイド全員のサイズを既に把握していて、編み上げる為の型を頭の中で作成済みなのだ。
体のサイズを把握できるのは、実際にどうやっているのか判らないのだが、どんなに着ぶくれしていても、ソフティーの目を誤魔化す事等できないのだ。
『で、元料理長はいつまでいるんだ?辞めるならとっとと出て行けよ。残りたいというのなら、下っ端からやり直せ。厨房の衛生管理もできない奴を料理長なんぞにできないからな。料理人を続けたいのなら、掃除する事と道具を綺麗に使う事を覚えろ。それができないなら、料理人なんて辞めろ。』
「お前等!俺に着いて来るんじゃなかったのかよ!」
「申し訳ありませんが、ここを辞めると住む場所が無くなってしまいますし、家族の生活もありますので、ついて行く事はできません。それに、この狼人族の方々の料理は、私の知らない手法と、新しい料理を覚えられるチャンスでもありますので、辞める訳にはいきません。」
嘗ての部下に、きっぱりと断られた元料理長は、ガックリと肩を落として厨房から出て行った。
何故、あれ程までにこの場を離れるのを嫌がっていたのかは、正直判らない。
揚げ物をしている訳でも無く、煮込み料理もオーブンも使っていないのだから、挨拶に行く時間を惜しむ程、ここに居なければならない理由など無いのだ。
考えられる理由としては、メイドとの仲が悪く、口論になって勢いで辞めると言い出して、引っ込みがつかなくなって、部下に止めてもらおうとしたって程度だろう。
それを理解したところで、自分の非を認めて謝れない大人など、ただの害悪でしかないのだ。
しかも、部下に引き留めて貰えないどころか、突き放される始末。
残す意味があるか考えるまでもなく、必要性は皆無だ。
料理人については、それ以外にもう一つ気になった所がある。
「うんまーい!何ですかこれ!?凄く美味しいです!もうひと口欲しいです!」
「駄目だ。これはお前らに食わせる為に作った訳では無い。少なくとも、料理人であるのだから、自分で作れ。」
「しょぼーん」
狼人族と小太りな料理人の会話が聞こえて来たのだが、他の者が頬がコケる程に痩せているのに、小太りって。
体質でそうなる奴は居るが、材料が無ければ維持できる筈も無く、無自覚に食べ続けているのが真相だろう。
で、目の前にそいつが居て、配膳用に器に盛った料理をこっそり食べようとしている。
だが、王城内の食堂で、毎日何万人分もの食事を作り、漏れなく配膳しているのだから、そんな奴を見逃してやる様な甘さは、狼人族には無い。
「何盗もうとしているんだ?器を置け。貴様はこっちに来い。料理人の癖に盗み食いとは良い度胸だな。これを千切りにしておけ。」
「ひいいぃぃ!」
狼人族に見つかった小太りは、野菜を刻む作業チームに入れられ、アドゥを切れと命じられた。
小太りは、つまみ食いの名人だと見られたのだろう。
現に小太りに渡されたのは、最近栽培に成功したパラライズアドゥという、痺れる激辛なショウガだ。
あれ、生で口に入れると、唇から喉までヒリヒリとして水も飲めなくなるのだ。
別にシュウ酸の様に物理的に飲めなくなる訳では無く、水を飲む度にヒリヒリする範囲が広がり、熱いのも冷たいのも痛いと感じる様になるのだ。
「ギャーいはい!ひははいはい!!」
ゴクゴク
「ぐえええぇぇ、喉がいだいぃぃ」
ほらね。
そもそも小太りの犯歴に詐欺と出ているのだから、ここに居るべきでは無いんだよね。
他に、寸借詐欺って出てるのに、詐欺師にはなっていない処を見ると、つまみ食いという寸借詐欺を重ねるうちに、累積で詐欺に昇格したって事なんだろう。
本気で騙すつもりでは無く、ちょっとした悪戯のつもりでいるが、一人だけ太っているのを見ると、長い間続けて来た事がよく解るというものだ。
『おい、そこの豚、お前はクビだ。犯罪歴がついているから、犯罪奴隷にする。』
アルティスがクビを宣告すると、すぐ隣に居た狼人族の男が、小太りの首に首輪を打ち付けた。
隷属の首輪を着けられた小太りは、包丁を置いて立ち尽くしている。
首輪には、ジャッジメントの魔法を付与してあって、本来は使用者に関わらず犯罪を行った国の法律によって裁かれるのだが、現在の様に国としての機能を失った状態では、首輪を使用した者の国の法律が適用される。
『で、こいつの犯罪は軽犯罪なのに、何でこんなに懲役が長いんだ?』
「凄いですね、軽犯罪者で50年とか、初めて見ました。」
『長年同僚を騙し続けて来たから、法の神を相当怒らせた様だな。』
このジャッジメントという魔法は、法の神がその国の法律を読み取り、魔法に反映させてジャッジするのだが、偶に罪の重さに対する刑罰が軽すぎた場合に、手心が加えられる事があるのだ。
今回がそれにあたるって事だな。
「な、何でですかー!?ちょっとつまみ食いしただけなのにー!」
『罪の意識が無ければ、罪にならないという訳では無い。ましてや、周りの同僚を見てみろ、痩せこけているだろ?メイドも執事も空腹に耐えながら仕事をしている。なのに、お前は太っているという所が問題なんだよ。良心の呵責も無く、自分の欲望のままつまみ食いをして、ついには執事を飢餓に追い込んだ。その罪は重いという事だ。』
「僕は料理人なんだから、味見の為に食べていただけで、欲望を満たしていたなんて、心外だ!」
『確かに料理人の端くれかもしれないが、さっき味見をした時のお前は、作る側では無く、食べる側だったな。判るか?他の奴は味見の為に渡された物を口の中で吟味して、時間を掛けて飲み込んだのに対し、お前は一瞬で飲み込んだんだ。そしてお代わりを要求した。つまり、お前は自分で作るという発想では無く、作ってもらった物を食べ尽くすという発想しかないんだよ。料理人としては、致命的な欠点だな。』
そして、コイツの名前はグラットン。
正に名は体を表すって奴だな。
『お前には、3食の食事以外、食べる事を禁ずる。お代わり禁止、1回の食事の量は500グラム以内とする。割り振る仕事は、汚水槽の掃除と維持管理だ。』
一食500グラム以内と言うと、多そうに思えるかもしれないが、茶碗一杯のご飯、味噌汁、肉野菜炒め、これで大体500グラム以内にギリギリ納まるくらいだ。
ピタパンで言えば、2個程だ。
肉体労働をする者に対して、この食事の量はかなり少ないと言えるのだが、今まで散々食べて来たのだから、胃を小さくする為にも量を制限するのが妥当だろう。
『食べたくても食べられない苦しみを、身を以て体験しろ。』
この街の周辺は、殆どが枯れた大地で、雑草も殆ど生えていない荒野しかない。
水は井戸で汲み上げるか、魔法で生み出すしかなく、草の生えていない大地は水はけも悪いのだ。
ダンジョンの入り口やタカールの屋敷は、嘗てのヨートンハイム公国時代の首都の城と大公の公邸を利用している為、街並みよりも高台にあるとはいえ、長年に亘り積もりに積もった砂埃で、排水も儘ならない状態だ。
そうなれば当然、流したつもりの汚水は流れず、その場で腐敗する事になり、瘴気が溜まる原因となったり、良からぬ魔獣が生み出されたりするのだ。
魔力感知では特に変な物は生まれていない様だが、そんな所に負の感情が入り込めば、魔獣が生まれる原因になったりするかもね。
『さあ、できた料理はどんどん食堂に運んで、食事にしよう!』
食堂に入ると、メイド達が頑張って綺麗にした様で、椅子もテーブルも輝いて見えた。
食堂の入り口前には、メイド達が集まって屯している。
座って待っていればいいのか、指示を待っていればいいのか判らず、取敢えず入り口の前で待っているのだろう。
『何をしている?早く中に入って、配膳しろよ。あ、執事は先に座ってろ。お前は特別メニューだ。』
食堂の中は、大勢が一度に食事できる様に、長机が3列もあり、一番奥に一際でかいテーブルと豪華な椅子がある。
あの席でタカールが食事をしていたのだろうが、誰も居ない長机を眺めながら、どんな思いで食っていたのか気になるな。
『全員座れる様だから、メイド達は全員座れ。料理人達も座れ。あぁ、そのお誕生席には置かなくていいぞ。我々も下で食う。』
「では、全員座った様ですし、お祈りして食べ始めましょう。」
『いただきます。』
「「「いただきます。」」」
アルティス達が、ワラビを除いて一言で食べ始めたのを見て、サブマスターを始めとするメイド達と料理人達が、呆気に取られた顔をした。
「あの、アルティス様はお祈りしないんですか?」
『いただきますって言ったじゃん。君らのお祈りを要約しただけだよ。お前らも冷めない内に早く食べろよ。頭の中で、豊穣の神に感謝して、いただきますって声に出せば問題無いだろ?長々と喋ってる間にどんどん冷めるんだから、余計な事言ってないで温かい内に食え。』
「いただきます!」
メイド達がアルティスの話を聞いて、一斉にいただきますと言って食べ始めた。
今の今まで飢えに苦しんでいたのだから、沢山の料理を目の前にして、神に祈れなんて無粋な事は言う必要なんてないんだよ。
飢餓で倒れた執事の前には、お粥と世界樹の実のゼリーがあり、お粥をひと口食べた執事は、二口めからは器を持って流し込む様に食べていた。
ゼリーも食べ終わると、グーと盛大にお腹を鳴らしたので、メイド達と同じメニューを出してあげた。
食べ終わった執事が、アルティス達の下へやって来た。
「アルティス様、ボック様、この様な素晴らしいお食事を頂きまして、ありがとうございました。これで心置きなくあの世へ旅立つ事ができましょう。」
『何言ってんだ?まだまだ働けよ。』
「ですが、私めは重い病気に罹っておりまして、余命幾許も無いと言われておりますので、それ程長くは生きられないと思います。」
この執事、齢は43歳なのに見た目は真っ白い髪と真っ白い髭で、60歳以上の老人に見えるのだが、これと言って何かの病気に罹っている訳では無いのだ。
『重い病気とは何だ?病名を聞いているか?』
「竜因子感染症と言われております。」
『その感染症は、逆に死ねなくなるんだよ。竜人族は長命種だからな。だがお前の中には竜因子は無いし、さっきの食事で病原体は全て綺麗さっぱり消えている。今はまだ飢餓状態だった時のだるさが残っているかも知れないが、一晩寝ればそれも消える。ここに居る全員、世界樹の実のゼリーを食ったんだから、明日からは元気に働けるようになるぞ。』
ブー!
「せ、世界樹の実のゼリー!?それは寿命が延びると言われている霊薬では無いのですか!?」
話を聞いていたメイド達と料理人達が一斉に噴き出した。
『馬鹿言うなよ、幾ら世界樹とは言え、寿命を変える程の力なんて無いぞ?精々元気になる程度だよ。どんなにヨボヨボでも元気になるから、寿命が延びた様に感じるだけだよ。毎日食ってれば、天寿を全うできる様になるだけだ。但し、暴飲暴食した場合は、早死にするだけだから、やらない様にな。』
「そ、それでは、私めはまだ生きていられるという事ですか?」
『当然だ。近くにドラゴンも居ないのに、竜の因子なんて取り込まれる訳が無いだろう?可能性があるとしたら、竜の血を飲んだとか、ドラゴンの肉を生で食ったとかすれば、感染する可能性はあるが、竜の血を飲めばリザードマンの様な姿になるし、生の肉なんて齧れる程の強靭な顎も持ってないだろ?ドラゴンの内臓入りのポーションを飲んだとしても、精製過程で因子なんて消えるから、感染する事は無いな。』
執事を含め、メイド達全員がアルティスの前に跪き、頭を垂れた。
「私共一同、アルティス様とボック様に絶対の忠誠を誓います。今後、何があろうとも決して裏切る様な事は御座いません。」
『俺はバネナ王国に戻るから、その忠誠はこの国と、元首となるボック氏に捧げてくれ。それと、後で執事服とメイド服、厨房服を届けてやるから、今着ている服は全て捨てろ。サブマスターもな。新しい服は、アラクネ絹製で刺突・斬撃耐性と火耐性があるものになる。それぞれ3着ずつ支給するから、それを着て仕事に励め。売るなよ?売ったら犯罪奴隷として、死ぬまでグラットンと一緒に汚物槽の掃除係としてこき使ってやる。』
「アラクネ絹製!?」
『そうだ、執事の給金も変更する。メイド達と同じ金額ではあるが、月額銀貨20枚と月宴祭の日に俸給として金貨1枚を支給する。それと、ヨートン共和国国家元首の下で仕事をする者の証として、精神魔法耐性、状態異常耐性、各種属性魔法耐性と打撃耐性、対衝撃耐性と呪術耐性、VIT300を付けたアクセサリーを支給する。メイド達にはカチューシャ、執事にはブローチで念話と言語理解付きのアクセサリーも別途支給、それと全員にワイバーンの革製のマジックポーチを支給する。それらは全て使用者登録をして、自分以外には使えない様にする。但し、無敵という訳では無い、頭や首を狙われれば死ぬ可能性もあるので、危険が迫った場合は必ず頭を守る様にする事。誘拐されても、暫らくはバネナ王国軍の精鋭が見つけてくれるので、絶対に死ぬなんて考えない事。以上。』
話を聞いていたボックと執事達は、驚きのあまり動かなくなってしまった。
「あの・・・それは神話級の魔道具では無いのですか?」
いち早く復帰したボックが聞いてきた。
『バネナ王国では、全員がそれ以上の装備を身に着けている。この国に渡すのは、あくまでも下位互換の物になるが、俺と関わった以上、簡単に死なせる気は無いのでな。尚、勿体ないからといって身に着けなかった場合は、速やかに没収する。全員の専用装備となるとはいえ、我が国では登録解除もできるので、登録を初期化する事も可能だ。悪事に利用した場合は、連帯責任として全員の装備及び支給した服も回収する。』
数名のメイドが下を向いたので、何かの悪事に利用しようと思ったのかもしれない。
『何か悩み事があるのなら、相談しろ。念話で俺に連絡してくれれば、解決に協力してやってもいい。今話せるのであれば、今言え。』
「私からお話致します。我々、殆どの者が借金がありまして、子供や兄弟姉妹を借金の形として奴隷にされております。その奴隷にされた兄弟姉妹や子供を助け出したいのでございます。」
『カノエ』
「はっ!ご報告致します。親族と思しき奴隷の内、15名はタカールの分身が経営していた商会に居た模様で、既に再契約にて保護をしております。他に、主人の居ない子供の奴隷が複数見つかっておりますので、そちらについても保護しております。タカール系列以外の商会にも居るようですので、そちらについては、現在調査中です。」
急に目の前に現れたカノエに驚いて、執事達が後退りしていたが、話を聞いて前のめりになった。
「タカール商会以外にもいるって、どういう訳だ?借金奴隷なら借金をした相手の下に居るのが正常だと思うが。」
『まさか、借金奴隷の売買が行われていたって事か?』
「その通りでございます。」
クールが疑問を抱いて質問をカノエにしたが、カノエは調査中の為判らないとばかりに首を横に振り、アルティスが考えられる可能性を示唆した。
それに答えたのは、執事だった。
全世界共通の奴隷制度には、幾つかの制限がある。
それは、基本的に奴隷の売買を認めていない事だ。
例外として、重犯罪奴隷と多重借金奴隷の売買については可能とされていて、奴隷商が売っているのは、この例外の範疇の奴隷という事だ。
但し、軽微な借金奴隷であっても、貸主の経済状況の悪化や死亡によって、売りに出される事もある。
その場合は、奴隷商が国王か執政官に許可を貰わなければ、売買する事ができないのだ。
特に、貸主が死亡した場合は、その借金奴隷の所有権は国王に移譲する事となり、勝手に解放されたり、売買される事は無い。
この措置は、借金奴隷になった以上は、その借金の分の労働を対価に国を通じて契約したものとして、返済が終わるまで開放される事が許されない事を意味している。
これが無ければ、借金奴隷になった後で、仲間が貸主を殺してしまえば、解放されてしまう事になり、借金奴隷自体のシステムが成り立たなくなってしまうのだ。
また、殺人を助長する事にも繋がる為、後から追加されたそうだ。
今回の件で言えば、借金奴隷を例外措置に当て嵌まら無いにも拘らず、売買された事になるのだ。
だって、債権者が国王になった場合、経済状況が悪化したとすれば、国が傾いたって事になるし、死んだら次の国王が所有者になるだけだからね。
普通はあり得ない事なのさ。
『カノエ、購入した商人を洗い出して、神罰を盾に取り戻してこい。借金奴隷なら、借金の加算もあり得ないし、ごねる様なら書類を確認して商人に奴隷制度を説明してやれ。』
「説明すると何かあるのですか?」
『違反している様なら、神罰がおりるだろ。』
「あぁ、ディガルズォースの奴隷審判ですか。やってみます。」
ディガルズォースの奴隷審判とは、800年ほど前にディガルズォースという男が、違法な奴隷売買を行った者に、奴隷制度を説明したら神罰がおりたという伝説があるのだ。
この話は、神聖王国の経典や、他の神を奉る国の経典にも載っている伝説として、かなり有名な話しなのだ。
これが本当の話なのかは判らないが、どの国でも同じ様な内容で伝わっている事から、本当の事として噂されている。
このディガルズォースという男は、魔王軍に滅ぼされた国の王だった男で、魔王軍四天王の一人と相打ちになって死んだ英雄とされている。
その死んだ四天王の一人とは、オーガキングで過去最強の四天王と言われている奴なのだ。
そいつが死んだから、ミュールが四天王になったらしい。
ただ、ミュールの年齢が180歳くらいなので、約600年間空席だったって事になるから、ミュールが後釜って話には信憑性が全くないよね。
まぁ、アリエンの話では、四天王が4人揃ったのは、四日間くらいしか無かったらしいけどね。
どうなってんだ四天王!って思ってたら、全員我の強い連中ばかりで、会えば四天王同士で喧嘩して、誰かしらが殺されてるんだとか。
魔王って全然統率力無いな。
『では、保護した者達との面会は、夕方に頼む。保護された中に居ない場合は、その時に名前と身体的特徴を教えてもらう。徹底的に調べてやるから、安心しろ。今は仕事に専念してくれ。執事は自室にて休養、3名はボックに東側の部屋を案内、3名は西側の方を案内してくれ。それと、この屋敷に風呂はあるのか?』
「湯浴み場はございますが、お風呂はありません。水が貴重なので。」
大量の魔力があったのに、水の生成に利用しなかった様だな。
嘗てヨートンハイム公国の周りには、大森林が広がっていた。
公国に魔力炉を建設すると、徐々に森が消えて行き、今や見る影も無い程の荒野となっている。
森が消えた原因は、大地と空気中からのマナを大量に吸い上げてしまった事だろう。
この世界の全ての生物は、魔力を保有しており、空気の様にマナを吸収して魔力を生成している。
マナが無ければ魔力を生成できず、魔力は生命力に深くかかわっている事から、魔力炉に大量のマナを吸わせてしまえば、森が消えてしまうのも納得がいく。
この世界の木々がマナを何に活用しているのかは知らないが、魔力がある為に異常な大きさの昆虫や、木々をバクバクと食い荒らす昆虫や小動物がわんさかいるので、繁殖の補助や、防衛機能等に利用していたのかもしれないな。
そして、森が消えてしまった事で、土地の保水力が低下して、水を得る事が難しくなってしまったのだ。
今や、井戸の深さは40m程に達していて、水を汲むのも一苦労なのだ。
では、魔法で作った水はどうかと言うと、周囲に水が無ければ魔力を変換して水が作り出され、周囲に水があればその水を集めてくれる。
この時集められた水は、泥や土などの不純物が全て取り除かれた状態になり、まるで浄水器に通した様なきれいな水になる。
蒸留水の様な純水ではなく、ミネラルの残った水になるのだ。
集まるのが水分では無くて、水という所がポイントだね。
水分を集めてしまうと、ドライを使ったかの様に体内の水分も対象になってしまう為、除外されているのだと思う。
思うというのは、魔法言語を全て解読した訳では無く、似た魔法の魔法陣を比べて、差異がある箇所の魔法を調べているだけなので、主要な部分については殆ど調べていないのだ。
魔法陣は様々な記号や図形、文字の組み合わせで構成されていて、似た様な魔法でも全く違う魔法陣だったり、全然効果の違う魔法の魔法陣がそっくりだったりと、かなり複雑怪奇なのだ。
だから、必要な魔法の魔法陣をコピーしたり、一部分を抜き出して別の魔法に組み込んだりはできても、魔法陣を組み上げて新しい魔法を作り出すのはできないのだ。
それをやるには、魔法陣自体を研究して、各パーツの種類や組み方の法則などを調べなければならないのだが、忙しすぎてそんな事をやっている暇が無いのだ。
『この機会に、水魔法の魔法陣を解析してみるのもいいが、そろそろ帰らないと怒られそうなんだよなぁ・・・。』
「そうですね。もう1週間近く戻っていませんからね。」
『カレンも機嫌悪くなっているだろうし、一旦戻って報告してくるか。』
「それが良いと思います。」
取り急ぎケットシーの派遣を急ぎたいところだが、一時的とはいえヨートン共和国を庇護下に置くとなれば、陛下への報告と許可を貰う必要が出て来る。
神託の事も報告する必要がある為、一度王都に戻って報告を行う事にした。
『[ワープゲート]では戻ろう。ミュールは戻って、クールとリズはここで待機。できれば孤児院用のスペースの確認と、メイド達の選定をしてくれると有難い。すぐに戻る予定だが、時間が掛かる場合もあると思ってくれ。』
「了解しました。アルティス様が居なくてもできる事は、できるだけやっておきます。」
『頼んだぞ。』
ワラビには特に指示を出していないが、残る様だ。
神託の件もあるので着いて来て欲しい所ではあるが、ワラビは聖女であり、部下では無いのだ。
聖女は、神と人族とを繋ぐ立場であり、バネナ王国所属という訳では無いので、彼女自身の意思によって行動している。
今回も何かしら考えがあっての居残りなのだろう。
『陛下、幾つか報告がありますので、戻りました。』
「アルティスさん、おかえりなさい。早速ですが報告をお願いします。」
『はい。まずは経緯から。マッドフォレストでタカールの分身を尋問しましたところ、ヨートン共和国に本人が居ると判明しましたので、エステルという魔術師に統治を任せて、ヨートン共和国へ向かいました。途中の都市国家のネイバー王国では、タカール商会の手の者により、体にアメジストの結晶ができるという症状に苦しむ人々がおりました。原因は、クリスタルリザードの魔石を使い、結晶化の魔法を付与した壺に薬と称して配布しておりました。その目的は、借金奴隷を増やす事で、闇奴隷では無い奴隷を増やす為でした。ですが、神罰により首謀者は死亡、同時に救済による症状の消失がありましたので、現在は終息しております。』
報告を聞く陛下の顔色がコロコロ変わって面白いが、最後にはホッとした表情になったので、他国の話ではあっても、人々が不幸に見舞われる事を案じているのだろう。
「国の方はどうなりましたか?」
『王族を助け出したのですが、翌朝には国民に殺されていました。誰かが政権を取るまでは混乱するとは思いますが、彼らが決める事ですので、行く末は見ておりません。』
「そうですか。仕方ないですね。」
国に余力があれば、使節団を派遣して立国を手伝ってもいいのだが、残念ながら手が足りないのだ。
下手に貴族を派遣しようものなら、そいつらが政権を取る算段を始める可能性があるので、静観するのがいいだろう。
神罰が下った国に攻め込む馬鹿も居ないだろうし、内戦できる程の人数も居ないので、静かに権力闘争が行われて、その内どうにか治まると思う。
『次に行ったのはファクト王国ですが、こちらは神罰にビビった連中が奴隷を解放して逃げた後でしたので、何もせずスルーしました。』
「そうですか。」
『ヨートン共和国に行く道中で、奴隷を乗せて逃げる馬車を捕まえまして、ヨークバル出身者の借金奴隷の母子をヨークナルに転送、天空人1名と獣人を保護しました。』
「天空人!?伝説の種族ですよ!?」
『はい。天空の城が本当に存在しているのかは判りませんが、暗部志望だったのでハンザ領に送っておきました。』
「えー、会いたかったなー。」
口尖らせて何言ってんだこの人。
『後で謁見させます。それでいいでしょうか?』
「お願いするわ!天空人、どんな方なのかしら、楽しみですわ!」
『普通の人間でしたよ?高い所に住んでいた様ですが、呼吸数を減らせるスキルを持っている以外に、何の特徴もありませんでした。』
「ちょっと!夢を壊さないで頂けないかしら?」
『会ってから本人目の前にして、普通だとか呟くよりはいいでしょう?』
「いつお呼びするのかしら?」
全然聞いてねぇ。
実の所、基本的な技能は身に付いているので、その技能を昇華させるだけと思えば、それ程時間はかからないと思う。
裏の人を表に出すのは気が引けるが、陛下が会いたいというのなら、致し方ないだろう。
『近々と思います。自力で来させますので、それなりの時間がかかると思って下さい。オロシ、手配よろしく。』
『了解』
ハンザ領から徒歩で来るとなると、普通の人間であれば年単位の話になる。
コルスやペンタであればかなり早いのだが、ポータルやを使わないで来るのであれば数週間はかかりそうだが、もっと早く着く。
瞬歩やディメンションウォーク、ショートワープなどを駆使して移動をするので、100km程度の距離であれば、数分で移動できてしまうのだ。
ただ、コルスとペンタは大河をショートカットできるとしても、他の者では難しいので、神聖王国領を経由して来る事になる為、どうしても時間が掛かってしまうのだ。
コリュスは大河を渡ろうとして、タイラントライスフィッシュに丸呑みにされて、緊急避難が発動して王都に飛んで来た事があるのだが、それを態とできるのはコリュスしかいないだろう。
普通の暗部は、その後の事を考えて挑戦しようとは思わないのだ。
当然の事だけど、怒られるからね。
『報告を続けます。ヨートン共和国に到着直後から、多数の冒険者及びタカールの大群に襲われましたが、それらは全て排除しております。』
「タカールの大群?何ですかそれは?」
『結論から申しますと、タカールはヨートン共和国にあるダンジョンのダンジョンマスターでした。』
「捕縛できないという事ですか?」
『捕縛はできませんが、既に死亡しました。』
「・・・それはどういう事ですか?」
『タカールの大群に襲われましたが、その後ダンジョンの攻略に向かいまして、21階層でダンジョンコアからの接触を確認、魔力導線を辿ってコアの位置を確認しましたので、脅す為にクエイクをコアの周りに発動しました。そしたら、ダンジョンマスターの部屋にも影響があったらしく、積み上がっていた重い物に圧し潰されたと思われます。』
「重い物とは・・・?」
『多分世界中から集めた、白金貨と金貨だと思います。』
「それは回収できるのですか?」
『回収する為の冒険者チームを編成して、ダンジョンを攻略させようと思っています。』
「では、そうして下さい。何が何でも回収をお願いします。」
『心得ております。っと、それと神託がありまして、私に魔力炉の処理を依頼されました。』
「神託・・・では仕方がありませんね。進めて下さい。」
『それと、ヨートン共和国は事実上、タカールの独裁体制だった様で、統治者が居なくなってしまいましたから、今後の事も考えて、一時的に我が国の庇護下に置き、新しい統治者として、冒険者ギルドのサブマスターを指名、ダンジョンの管理を冒険者ギルドにさせて、我が国がバックアップするという事で合意しております。』
「属国にすると言う事ですか?」
『一時的にです。飛び地ですから、永続的に属国にするには難があります。ましてや、我が国は現在進行形で人材が不足しておりますから、国として維持できる状態になるまで、補助をするだけとします。ヨートン共和国は、国内にいる人族の殆どが冒険者で、国民が1割程度しか居ませんので、冒険者が居なくなれば住民の数は1万を切るでしょう。ですので、移住者の募集や産業の活性化、共和制の復活と国内の安定化に寄与したいと思っています。』
「あくまでもヨートン共和国の後ろ盾になるだけで、表に出る事は無いという事ですか?」
『そうですね。当面は騎士団を駐屯させて、駐屯地に冒険者チームも住まわせます。そこを基点としてダンジョンを攻略してもらうつもりです。それと、国民の教育、政府機能の確立、制度改革、財政再建など、殆ど建国するのと同じ様な感じですが、周辺諸国も荒れると思いますので、軍隊の育成と警備隊の育成が急務ですね。』
「周辺諸国が荒れると言うのは?」
『タカールの分身が一斉に消えましたから、裏で牛耳っていた組織が忽然と消えた訳です。そうなれば当然、代わりに台頭してくる組織や人物が名乗りを上げて来ますので、暫らくは内戦状態になるかと思われます。その一部は戦力の増強を狙って、攻め込んで来る事もあり得ますので、防衛体制を整える必要があります。』
「大変な事に巻き込まれてしまいましたね。判りました。ヨートン共和国のバックアップを承認します。」
『ありがとうございます。冒険者ギルドには、我が国の一部として編入、特別自治区として庇護下に置く事を伝えてありますので、機を見て独立させる事は、当面の間は内密にお願いします。』
「判りました。」
陛下の承認も得られたので、さっさと人員を派遣して任せてしまおう。
「そういえば、マッドフォレストの方は大丈夫なんですか?」
忘れてた。
『大丈夫では無いですね。君主が消えてしまったと思います。』
「では、メビウス・カルパッチョを任命してはどうですか?」
『見つかったんですか?』
「今、王城に来ています。カルパッチョ家の再興をしたいと申し出て来ました。」
『うーん、大まかな性格は把握していますが、何を考えているのかよく解らないんですよね。アイツ。』
「監視を付けて任せておけばいいでしょう?家の再興をしたいと言ってきているのですから、属国の君主として任せてしまいましょう。」
『それでは試験をして貴族を任命するという国の方針に反してしまいます。』
「試験を行えばいいのでは?不合格なら勉強させながら、運営を任せるという建前で良いと思います。」
何か、近くに置いておくのが嫌だとでも言う感じだな。
取敢えずガウスの件もあるから、一時的だとしてもアイツに丸投げするという事でいい気がする。
『判りました。では、試験を行って体制の構築と、教育の方法を考えておきます。』
報告を終え、ヨートン共和国の許可も得られたので、メビウスのいる部屋の前にやってきた。
『あぁ、それで嫌がってたのか。』
「アルティス様!おかえりなさい。リズと交代ですよね?」
カレンが勢いよく走って来て、開口一番そんな事を言ってきた。
目が血走っていて、ちょっと怖い。
『交代では無い。が、久し振りに3人で行動するか。』
「やった!」
『取敢えず、メビウス・カルパッチョと会うから来い。』
「了解」
メビウスのいる部屋の前に来て感じたのは、悪魔の気配だ。
陛下の身に着けているアクセサリーの中には、悪魔に対して嫌悪感を抱く様な付与を施している物がある。
いきなり攻撃では無く遠ざける様にしたのは、悪魔そのものでは無く悪魔崇拝者や、悪魔に魅入られた者にも反応するからだ。
謁見に来て悪魔に関係のある者を殺害してしまっては、傍から見たら乱心したと思われてしまうのと、それらを排除するのは陛下の役目では無いのだ。
君主自ら攻撃するなど、危機的状況でも無い限りあり得ない話だ。
ただ、嫌悪感を抱いたから適当にあしらいましたでは、後々不都合な状況に陥る可能性もある為、冷静に対応できる様に精神安定の効果も付与されている。
その効果もあって、心がざわつきながらも一旦保留として、城内に幽閉したのだろう。
メビウス・カルパッチョは、カレースパンの街から消えた後、行方が判らなくなっていたのだが、特に重要な人物という訳では無い為、足取りの調査などは行わなかった。
勇者の末裔とはいえ、遺伝的に何かがある訳でも無く、寄親を持たない男爵家の当主という立場から、特に気にする必要は無いものとして放置していたのだ。
バネナ王国では、寄親寄子制を採用しており、領主の下には下位貴族が寄子として付いている。
制度として領主になれない下位貴族に寄り親である領主が、官吏等の仕事と地位を与え、領内の治政や戦時の兵力などで協力してもらう制度だ。
王都に居る法衣貴族達には領地が無いので、寄子は居ないのだが、王の寄子となって大臣や公的機関の管理を任されている。
だが、長く続いた平和な時代に下位貴族が増え、寄子になれない貴族達が出て来た。
カルパッチョ家もその寄子になれない貴族の一つではあるが、没落した訳では無いので、再興したいという意味がイマイチ解らないところだ。
『メビウス・カルパッチョ、宰相のアルティスだ。少し話をしたいので入るぞ。』
カレンが警戒を露に扉を開けると、メビウスが剣を抜いて立っていた。
『何故剣を抜いている?』
「俺を殺しに来たんでしょ?勝てないと判ってはいるが、少しでも抵抗したいと思ってね。」
『ふむ、では遠慮なく制圧させてもらおう。カレンよろしく。』
「はっ!」
『[アナライズ]左手の中指を斬り飛ばせ。』
ヒュッ
「ぐあっ!」
アルティスに見抜かれた左手を隠そうとしたが、カレンの一振りの方が早かった。
斬り飛ばされた指は床に落ち、その指に嵌めてある指輪から、黒い霧が吹き出した。
『[ホーリーフィールド]』
「くっ、もうちょっと穏便に済ませる方法は、無かったのか?」
『指全体に侵食されていたからな、無理だ。』
「じゃぁ、仕方ないか。」
『お前は、この万能薬を飲め。精神に寄生した一部も取り除かなければならない。』
メビウスが小瓶に手を伸ばそうとしたが、寸前で手が止まり、動かなくなった。
『カレン、飲ませてやれ。』
「では。」
パチンッ
カレンがパッチンバンド式の首輪をメビウスに着け、万能薬を飲ませた。
次の瞬間、メビウスの口からエクトプラズムの様な煙が吐き出された。
『[アナライズ]消えたな。首輪を外していいぞ。ポーションもかけてやれ。指輪の方は神聖魔法玉を押し付けてやれ。』
カレンが神聖魔法玉を取り出し光らせると、ホーリーフィールドで身動きが取れなくなっていた霧が霧散した。
指輪に玉を押し付けると、指が塵となって崩れ去り、残った指輪は玉に吸い込まれて中心に固定された。
『こんな風になるのか。その玉はディメンションホールに入れておいてくれ。後でワラビに処分してもらおう。』
「俺の指が・・・」
『治してやるよ。だが、あの指輪の出所を話してからだ。』
「・・・判らないんだ。カレースパンに居た筈が、気が付いたらオークの森の端で倒れていたんだ。その時には既に指輪が嵌まっていた。だから、気を失っている間に着けられたのだろう。」
メビウスは嘘はついていない様だが、コイツ自体が嘘だな。
『お前、オークの森で気が付いたのはいつの話だ?』
「半月ほど前の話だ。」
『今日の日付は判るか?』
「1月の3の週じゃないのか?」
『半月も記憶が抜けてるな。お前の足取りを徹底的に調べ上げなければ、役職に就ける事等できないな。明日はお前自身を細かく調べる。判ったらとっとと寝ろ。』
「・・・。」
返事が無かったが、無視して部屋から出た。
もう夜も遅いので、さっさと寝るよ。
メビウスの方は部屋から出る事もできないので、監視を命じておけばいいだろう。
指を処理して体の中からも追い出したが、未だに警戒を解かないのは、あの手の手法を取る場合、見つかってもダミーを使って安心させるなどして、二重三重で手を打って来る可能性が高い。
搦手を使って来るというのは、狡猾な者が打って来る手なので、その位慎重になるのが普通だと思っている。
寧ろ、暴かれた時の対策を取らない方が不自然だろう。
態と暴かれて、安心させたところに第二の策を打った方が、確実に騙せるのだから。
ただ、二重三重に策を打てるのは、一度失敗した者か余程慎重な性格の持ち主しかいない。
その辺の貴族に試して問題無かった場合は、策を打たない可能性も高いのだ。
今回はどうなる事やら。
「放置して大丈夫なんですか?」
『あの部屋ではどうする事もできないだろ。取敢えず、何かあるにしても泳がせる必要もあるからな。』
「そうですか。今夜は戻られるんですか?」
『戻らないよ?アレを放置して行けないだろ?』
「では、明日行くんですね?」
メビウスの事を心配してるのかと思ったら、自分を置いて行かれる事を気にしてるだけの様だ。
『ちゃんと行く時には呼ぶから、安心しろよ。』
ベーグルでフィンバックホエールを狩った後、カレンに任せたまんまエスティミシスに行っちゃったから、怒ってんのかな?
「絶対に置いて行かないで下さいね!」
『判ってるよ。』
やっぱり、置いて行ったことを怒ってるみたいだな。
そうは言っても、エスティミシスに行かせるのは気が引けたし、リズも偶には構ってやらないと拗ねちゃうからなぁ。
ま、今度新しい料理でも教えて、機嫌を直してもらえばいいか。
「お、アルティス戻って来たのか。リズはどうしたんだ?」
『リズとクールは、向こうで仕事だよ。報告して許可貰ったらすぐに戻るつもりだったんだけど、メビウスの件を頼まれちゃったからさ、対応する為にこっちで寝るよ。』
「そうか。ウルファが落ち込んでたぞ?」
『アイツは暫らく鍛え直しだよ。折角体型が戻って来たのに、ドラゴンなんぞに乗っ取られやがって!』
「駄目なのか?」
『駄目だよ。四つ足と人型には大きな差があるんだよ。体ってのは精神に左右されるんだよ。特に考え方や動き方が全然違うんだから、精神を乗っ取られるとそっちに無理やり合わせちゃうんだよ。例えその場から動かなくても、全然違う動きの記憶が刻み込まれたら、咄嗟の時に出るかも知れないじゃん。ブレスなんて吐けないのに、吐こうとしたりさ。』
「そうか。ではみっちりと人型である事を認識させる特訓をやらせるとしよう。」
『頼むよ。』
翌朝、メビウスを部屋に迎えに行くと、異変が起きていた。
『メビウスーはやっぱりこうなったか。』
メビウスは、メビウスだった物に変化していた。
今やただの肉塊だ。
「判ってたんですか?」
『まぁね、悪魔に憑りつかれていた人形なんだから、維持できる訳はないんだよね。』
「これは、大丈夫なんですか?」
『というか、こいつメビウスじゃないし、大丈夫でしょ。』
「え?」
『似てるけど、このメビウスはホムンクルスの方のメビウスじゃん。本物はもっと老けてたでしょ?』
「・・・そういえば、そうでしたね。若い方のメビウスを見慣れていたので、本物のメビウスの顔を忘れてました。」
『もしかして、このメビウスの体って、何体もあるのかな?』
「さぁ?」
王城の書庫を復活させた後、バネナ王国の貴族リストを確認した時に、カルパッチョ家がバウンドパイク侯爵に召し上げられた貴族だと知った。
バウンドパイク侯爵といえば、悪魔男爵の執事と一緒に悪事を働いていた奴で、捕縛後は領主家の地下牢に放り込んでいた。
メイドからは、ホーリーライトで崩れ落ちたと聞いているのだが、そんな指示を出した覚えも無ければ、誰がやったのかも判らないのだ。
暗部からの報告では、地下牢には痕跡すら残っておらず、ホーリーライトやセイクリッドライトの魔道具も無かったそうだ。
つまり、メイドが嘘をついているか、別の何かが連れ去ったかなのだろう。
だが、既にバウンドパイク領はマサヒト・ホルフウェーブに引き継がれ、バウンドパイク侯爵の居場所は無いし、諸侯に助け出されたとしても取り戻す事は不可能に近い。
バウンドパイク侯爵が下級悪魔と入れ替わっていて、実は別のどこかに避難していた可能性もあるが、そんな事をして何の意味があるのかも判らない。
ギレバアンは地下空間の神像のおかげで、中心地に神聖なエリアが広がっていて、悪魔や悪魔信奉者、怨霊が近寄り難い街になっているし、地下空間の下にあった魔界とのゲートも既に閉じている。。
レッドドラゴンが住み着いた場所もバウンドパイク領内だった事から、まだ何かが隠されていると考えた方が良いのかもしれない。
あんまり細かくは調べていないから、調査した方が良いかも知れないな。
『オロシ、バウンドパイク領の情報はあるか?』
『情報ですか?どんな情報が必要ですか?』
『領主会議の時に治療術を掛けた奴誰だっけ?』
『あれは、ブラスバレル侯爵ですね。』
『あー、あれが馬鹿騎士の親なのか。足取りの調査を頼むよ。それと、バウンドパイク領にあるダンジョンの情報も。冒険者ギルドにダンジョンの異変とか、話が上がって無いか?』
『バウンドパイク領のダンジョンは、小規模で雑魚しか居ないので、人気が無いんですよ。ドロップ品が良くないので、あまり行く人が居ないですね。』
『ドロップ品は、何が出るんだ?』
『アドゥとアンジョです。』
『品質を確認してくれ。食べられる物なら、国がすべて買い取る。栽培も試してくれ。ダンジョン産だから、栽培できない可能性もあるが、念の為にな。確認は、砦のシフェンに渡して調理してもらってくれ。香り、食感、保存性、魔力の属性、問題無ければ1つ銀貨1枚で買い取る。』
『あ、はい。』
アンジョとアドゥは、ニンニクとショウガの事だ。
どちらも天然物しか手に入らず、栽培を試みているが、最適な栽培方法が見つからず、苦労しているのだ。
アンジョは、栽培している時から強烈なニンニク臭が漂い、シールドモウルが寄り付かなくなる特徴を持っているが、野生種が重さ1kgあるのに対し、栽培した物では100gに満たない大きさにしかならないのだ。
アドゥについても、シールドモウルが嫌うらしいのだが、植えても中々うまく育てられないと報告が上がっている。
これらがダンジョンから手に入るのであれば、是非にも欲しい所だ。
商人から買うと、1つ金貨1枚取られるのだが、それが銀貨1枚で安定供給されるというのなら、安い物だ。
あらゆる料理に使える、万能野菜であるこの二つは、絶対に欲しいのだ。
因みに、パラライズアドゥは、近縁種っぽいが違う植物の根で、どちらかと言えばマンドラゴラに近い種で、植えれば勝手に増えてくれる程に育てやすいが、激辛なので利用価値は高くない。
『他に何かありますか?』
『レッドドラゴンが塒にしていた場所の周辺を調べてくれ。洞窟、祠、魔法陣、遺跡、そのどれかがある可能性があるが、隠ぺいされている可能性もある。特に、ギレバアンにあった隠蔽の様に、投影されている可能性もあるから、詳しく調べて欲しい。』
『了解。バウンドパイク領に何かがあるという事ですか?』
『あそこに集中し過ぎてるんだよな。男爵級悪魔に魔界のゲート、魔薬、レッドドラゴン、アルケー、メビウス、魔人、一見どれも無関係の様に見えるが、悪魔と神聖王国が繋がっていた以上、ゲート、魔薬、メビウス、魔人は確実に関連している。アルケーは偶然かもしれないが、レッドドラゴンのいた山は、決して山奥とは言えない場所だったし、本来アルケーが生息している様な場所では無い。そして、古代竜の復活を目論んでいたレッドドラゴンが、何故あの場所に居たのか、魔人もメビウスも悪魔が近くに居たし、気にならないか?』
『確かに。何かあるかも知れませんね。』
ふと思いついたのが、バウンドパイク侯爵がダンジョンマスターになった可能性だ。
ブラスバレル侯爵の息子をダンジョンマスターにしようと連れて行って、自分がダンジョンマスターになってしまったとかね。
そのダンジョンマスターにバウンドパイク侯爵がなった時に、近くに居て強い魔力に当てられて、魔力障害を引き起こした可能性だ。
そして、外に出られなくなった侯爵が、自分の分身を作り、操作をしていた。
非道な事をしていたのは、平民を同じ人間として見ていなかっただけで、それは貴族にはよく見られる傾向なので、不思議な事では無い。
寧ろ、自分の手で殺していない分、まだマシと言えるかもしれない。
で、地下牢で消えたのは、分身を消しただけと考えれば、辻褄が合ってしまうのだ。
光を当てた時に消えたのは、自分が死んだと思わせる為の演出とも考えられる。
それと、今更メビウスのホムンクルスと悪魔って、情報が古すぎるんじゃないの?兵士の方のメビウスは、童顔でポンコツだったのだが、今回の奴も同じ顔だった。
本物は、もっと精悍な顔つきで、キラキラではないイケメンに無精ひげボーボーな感じだった。
助けた時は、もっと髭もじゃだったんだが、一晩経って翌朝には、無精ひげ風に変わっていた。
アイツの中では、それがファッションなのかもしれないが、髭って伸ばすと老けるよね。
バウンドパイク侯爵の事については、あくまでも想像の範疇を越えない話なので、本当にそうかは判らない。
何の情報も無い中で考えても、想像にしかならないのだ。
だから今は、情報が集まるのを待つだけだね。




