第4話 料理改革と教会
みんなと同じ料理を貰ったはいいが、正直美味しくなかった。
出汁が出てない為、塩味とハーブの香りだけで、旨味が殆ど感じられなかった。
生前、料理人だった事は無いが、自炊で色々料理を作ってきた記憶があり、元日本人であれば、美味い物を食べたい欲求が膨らんで来るのが当然だ。
夕食後、伯爵夫妻に許可を貰って、厨房にやってきた。
メンバーは、アーリア、アルティス、お嬢様、執事の4人だ。
お嬢様は、アルティスがいるのと、アーリアの料理を食べてみたいと思って着いてきただけで、監視役は執事の役目だ。
執事が料理人達に説明をしている。
「こちらで料理を作る為に来られました。大切なお客様ですので、失礼の無い様にお願いします。」
「どちらがお客様なんだ?お嬢様とアーリアさんしかいねぇじゃねぇか?」
「こちらのアルティス様です。」
「はぁ?そのちっこい獣が料理するって?、冗談も程々にして欲しいぜ。獣は厨房への立ち入りは禁止だ。」
「旦那様と奥様には、許可を頂いておりますので、問題はありません。」
「・・・判ったよ、んで?、何をするんだ?」
執事と話していたのは、料理長のバナン、話を聞いて不服に思っているが、伯爵の許可を貰っていると聞いて、渋々同意した様だ。
「どうぞ、アルティス様、中へお入りください。食材は全て使用して構いませんので、遠慮なく指示をお出し下さい。」
「ケッ、獣が何を作るってんだよ、生肉でも出すんじゃねぇのか?」
「黙りなさい。伯爵のお客様ですよ?、貴方がとやかく言える立場ではありません。黙って指示に従いなさい。」
「ふんっ」
執事が、愚痴る料理長を一喝して黙らせたが、料理長は納得がいってない様子だ。
「どうする?」
『とりあえず、何が有るか見て欲しいんだけど、骨とかくず野菜とかあるかな?』
「骨とくず野菜はありますか?」
「はぁ?、骨とくず野菜だとぉ?、んなぁもんはゴミ箱に決まってるだろうが。伯爵に何を食わせる気だ?、腐った料理なんぞ作りやがったら、ただじゃおかねぇぞ?」
「黙りなさいと言った筈です。喧嘩しても、貴方が勝てる相手ではありませんよ?」
「はいはい、黙ってりゃぁいいんでしょ、ったく」
執事と料理長がギャーギャー言い合ってる間に、ゴミ箱から動物の骨と野菜の皮等を取り出した。
「これをどうするの?」
『これをよく洗って、腐敗してる物と根っこを取り除いて、骨とくず野菜に分けて。』
アーリアが陶器製のシンクで骨とくず野菜を洗い、使えない物を取り除いた。
それでも、8割がたは残った様だ。
『骨を一度大きめの鍋に入れてお湯で煮る。』
『くず野菜も、別の鍋に入れて、煮る。』
『水の量は、くず野菜がひたひたになるくらいで。』
「ひたひた?」
『くず野菜と同じくらいの嵩までって事。』
竃には、火種が残してあって、薪を入れて火力を増す作業は、料理人がやってくれた。
「お前、手伝ってやれ。種火消されても困るからな。」
「結構、お人好しですよね?」
「うるせぇよ!とっとと行って来い!!厨房の竃には、ルールってもんがあるんだよ。
何も知らねぇ素人に使わせて、種火を消されちゃぁ困るんでな。」
捨てたゴミは、根っこの部分と腐りかけが殆どで、他は泥が付いている部分や、形が複雑で汚れを落とすのが大変な部分だけだ。
「火力はこれくらいでしょうか?」
「大丈夫です。」
『ねぇ、3分って判る?』
「さんぷん?、判らないな。」
「時間なんか測らずに、見た目で判断すりゃぁいいだろが」
時間の概念が無いのか、知らないだけなのかは分からないが、短時間をどうやって判断してるのか、不思議だな。
見た目が変わらなければ、ずっとそのままって事もありそうだな。
『判ってないなぁ、レベルが低いのか、見分けがつくのか判らないけど、専門外の人に熟練者の真似をしろだなんて、ゴミレベルの発言だよ。』
「それは少し言い過ぎだよ?、言いたい事は判るけどね。」
料理長は、突然3分とか言い出したアルティスにイラッとしていた。
修行した厨房でも、数分とか1分とか言われてたが、面倒くさいから、鍋の状態で判断する様にしたのだ。
時間なんか気にしてたら、それ以外の事ができなってしまうと思っていた。
だが、アルティス曰く、そう言う事では無いのだ。
3分というのは、茹で溢しをやる上で重要な時間で、これ以上長く茹でてしまうと、折角の出汁が出てきてしまうのだ。
茹でて溢すのは、灰汁と脂だけなので、適当な時間では困るのだ。
『んー、ちょっと黙らせるか。』
「な、何をするの!?」
『暴力じゃないよ?』
「ほっ、そうか、良かった。」
「私が測りましょうか?3分とはどれくらいの時間でしょうか?」
『「わっ!?」』
背後に立っていた執事が、突然話しかけてきたので、アーリアとアルティスは驚いた。
『180数えるくらい』
「7200数えると1鍾ですが、そのペースでよろしいでしょうか?」
執事が言っているのは、教会の鐘が2時間毎に鳴るので、1鐘が7200秒という事だ。
『それでいいよ』
「どの時点から数え始めますか?」
『お湯が沸いたらで』
「畏まりました。」
7200数えるって、時計とか持ってないのか?
「野菜の方が早く沸きますが、こちらを数えればよろしいですか?」
『そっちは数えなくていいよ、骨の方だけ』
「左様で御座いましたか、では、骨の方を測らせて頂きますね。」
判らない事は何でも聞く、さすが執事というべきか。
料理人が箱から野菜を取り出している様子を見て、疑問が湧いたので質問する。
『気になる事があるんだけど、いい?』
「ん?どうした?」
『あそこの丸い野菜に、毒があるのと無いのとがあるんだけど、両方食べるの?』
「え!?、毒!?、バレイショに毒があるの!?」
料理人達がザワついた。
バレイショを箱から出す作業をしていた料理人も、作業を一旦止めて、こちらを見ている。
使っている野菜に、毒があると言われれば、普通はそうなるのは判る。
だが、そもそもの話だが、事前に調べないのだろうか?とアルティスは思った。
料理長は、アルティスが突然いちゃもんを言ってきたように感じた。
「はあ!?何ふざけた事を言ってやがるんだ!?あのガキ!!」
『バレイショっていうの?、よく見せて。』
「判った」
料理長が剣呑な雰囲気を出しているが、無視するよ。
アルティスは、スキルで〈毒感知〉を持っているので、見れば毒があるかどうかが判るのだ。
『この角が出ているのは、毒があるけど、出ていないのは、毒が無いね。』
「角?、芽が出てるのは毒で、芽が出ていないのは毒無しって事だね?」
『これ、芽なんだ。』
見た目はプリンスメロンか、コールラビの様な感じで、直径も30cm程の大きさがある。
その表面に、白い角が生えている様に見えるが、これが芽になるらしい。
『寄り分けて、毒がある方を切ってみて』
ザクッ
『うん、中心部分は毒が無いけど、殆ど毒があるね。捨てた方がいいよ。』
「中心以外は毒があるのか、駄目だなこれは。」
バレイショを半分に切ってもらったが、8割が毒を含んでいた。
これでは、捨てた方がいいだろう。
「なっ!、捨てるのか!?、半分がゴミって事になるじゃねぇか!」
「毒入りを伯爵に出すんですか?」
「そんな事はしねぇよ!、だが、今まで平気だったじゃねぇか!」
『それは多分、弱い毒だから、体調不良と思われてたんだろうね。』
「体調不良と間違えられていた?、そういえば、バレイショを食べた後に腹痛を起こす事が、何度かあった様な・・・」
「あー、私もそれあるよ!、風邪ひいたんじゃないかって言われてたもの。」
「っ!、確かに、食後に腹が痛くなる事は何度かあったが・・・」
「フシャー!!」『気付けよ!』
料理長が、アルティスに威嚇されて怯んだ。
「気付いていたのに、無視していたと?」
「ち、違うぞ!別の何かで腹が痛くなったんだと思ってだな。」
『腹が痛くなったのなら、別の何かでなったとしても、徹底的に調べるべきでは?』
「伯爵に出した食事を食べて、お腹が痛くなったのであれば、その中に原因があるのでは?調べなかったんですか?」
「・・・軽い腹痛くらいでは調べねぇよ!」
料理長は思わず、開き直った態度を取ってしまったが、自分でも解っている。
体調不良にさせてしまったのを無視していたんだからな。
何度もあった筈なのに、慣例だからと無視をしていたんだ、それを獣に怒られた!?なんて情けない事をしたんだ、俺は!?
『開き直った?』
「開き直られては困るのだが?」
食事の後に、腹が痛くなったのなら、それは食中毒というものだ。
なんでそれが、〈風邪〉になるのか、意味が判らないな。
「っとにかく!、これは捨てて下さい。毒があるのだから。」
『この安全な方を使って、料理作ろう。』
「そうだね、こっちのを使おう。」
料理長は、芽が出ているバレイショを全て捨てさせ、下っ端の料理人に、〈商会に、芽が出ていないバレイショのみを依頼する〉様に指示した。
アルティスの指示で、アーリアがバレイショの皮を剝き、棒状に切って、一旦水にさらしておく。
料理長の知識からしても、切ったバレイショを水に浸すと、ベタベタが無くなるという事を知っていた。
やはり、あの獣は料理を知っているって事なのか?
『そろそろ、鍋も煮立ってきてるかな?』
「野菜の方は煮立ってるね、骨の方はまだかかりそうだね。」
『野菜の方は、火を押さえて、沸かない様にしておいて、ちょっと色のついた泡は、掬って取り除いておいて。』
野菜くずの鍋から、泡を掬っている様子を見て、料理長は頷いた。
あの泡はエグ味とか臭みとかで、取り除いた方が美味しくなるんだ。
火は弱めにした様だが、そのまま煮込むらしい。
「副料理長、ザルとサラシを用意しておけ。使うはずだ。」
『色のついた泡ね。これ重要だよ。白い泡は旨味だから、捨てちゃ駄目だよ。』
ぐつぐつ煮ると野菜スープが濁ってしまうので、弱火でコトコト煮込むのがコツだ。
『水に晒したバレイショをザルに取って、水気を切っておいて』
骨の鍋が沸いてきた。
『カウント開始。お湯を捨てる準備をしておいて』
時間があれば、水に晒して血抜きを行う方法もあるが、今回は茹で溢しをする。
何の骨か判らないから、生臭みの原因となる血を、茹でて固めてしまう作戦だ。
執事の手が上がった。
『骨をザルに取って、お湯を捨てる』
『骨を水で冷やして、洗った鍋に再度入れて、香味野菜を加えて煮込む』
「香味野菜?、セボラとかアンジョかな?」
『そこの三角のと、緑と白のやつも』
「こっちのがセヌラ、こっちがリッキーだよ」
『リッキーは緑の所だけでいいよ、他のは半分だけでいい』
「セヌラは?」
『大きく切って入れる』
「セボラは切る?」
『半切りでいいよ』
「具じゃ無いの?」
『臭み消しの為だから、少量でいいんだよ。』
「臭み消しか。」
骨を水で冷やす時は、水道が無い為、洗い流すのが容易ではないので、水に浸けて浮いた油を取り、固まった血はたわしで落とすだけにした。
セボラ=玉ねぎ、アンジョ=大蒜、セヌラ=人参、リッキー=西洋ネギ、基本的に野菜類は大きくて、セボラがマスクメロンサイズで、球根ではなく実で、アンジョは球根だが、一欠けが拳大、セヌラが独楽の様な球根で直径10cm程、リッキーは、肥大した茎で、直径30cmで長さが50cm程。
入れすぎると、ネギ臭くなりそう。
骨の方は、執事が何やら数えているみてぇだが、何してんだ?と思ってたら、合図を出して、骨の方の湯を全部捨てやがった!
湯気からは、血生臭い臭いがプンプン臭ってくるぜ。
だから、骨なんか食うとこもねぇし、捨てるんだよ!獣にゃ判らねぇ事かもしんねぇがな!
野菜スープの方も、大分煮崩れてきたので、漉してもらおう。
『くず野菜は漉してスープだけにして』
「あぁ、こちらを使ってください。」
率先して手伝ってくれる料理人が、ザルとサラシの様な布を貸してくれた。
これは、料理長が指示して、用意してくれていた様だ。
漉しとったスープを冷まして味見してみよう。
『味見しよ』
「うん、・・・美味しい・・・、何も味付してないのに、優しい甘みがあって、凄く美味しい。」
「私も飲みたい!」
「私もよろしいですかな?」
結局全員が試飲した。
料理長は、驚愕の顔で固まってしまった。
アーリアの言葉を聞いて、皆で味見をしたが、ほぼ全員が絶句していた。
様々な野菜の味が、優しい甘みとコクを引き出してきた、そんな言葉が思い浮かんで来た。
今までの人生は何だったのか!?飲んだ瞬間に、頭を思いっきりぶん殴られた様な気がした。
そして、いつもの厨房が違った風景に見えてきた。
小さい筈の獣が、俺の何倍もの大きさに見えた次の瞬間には、俺は土下座していた。
ゴリマッチョで、いかつい顔してるから、怖がって誰も近寄らないなと思っていたが・・・
「申し訳ございませんでした!!」
料理長が、突然土下座して謝ってきた。
執事が料理長をスルーして、野菜スープの感想を言った。
「とても美味しいスープで御座いますね、色んな野菜の味が凝縮されている様です。さすがアルティス様でございます、くず野菜など、今まで捨ててたのが悔やまれます。」
何故か、執事がどや顔で料理長を見下ろしている。
執事の言葉が料理長の心にグサッと刺さった。
今までクズだゴミだと大量の野菜を捨てていた事に、執事が苦言を言ってきたのだが、料理長はそれに反論する事ができなかった。
自分達は毎日、こんなにも美味しい物を、大量に捨てていたのだから。
土下座している料理長を尻目に、アルティス様は次の料理に取り掛かっていた。
骨スープができる迄の間にバレイショを揚げてしまおうと言うのだ。
『バレイショを素揚げして』
「バレイショを素揚げします。」
「素揚げなら、私がやります。」
ポテトフライを教えたなら、次は油の取り扱い方だ。
怖さをしれば、適当になんて扱わなくなる。
知る事が一番大事なんだ。
アーリアに講師になってもらい、説明しよう。
「油の温度は、木の棒を入れて、先から小さい泡が上がってくるまで10秒くらいが丁度いい温度です。」
「煙が出たり、木の棒がブクブク泡立つ時は、火からおろしてください。」
「何でだ?熱いんだからいいんじゃないか?」
「熱すぎると燃えます」
「熱すぎると燃えるって言ってたが、水かけて消せばいいんじゃないのか?」
「燃え上がって火事になります!」
「「「!?」」」
「火が無くても燃えるのか!?」
自然発火については、見た事が無ければ理解するのは難しいだろう。
火を日常的に扱う場所だから、料理人達は火の扱いに十分な注意を払っている筈だが、知らない現象を聞かされても疑問に思うのは当然の話だろう。
「何故火が付くのですか?」
「油が高温になると、勝手に火が付くそうです・・・」
今、この場にいる中で、自然発火する光景を見た事があるのは、アルティスだけだろう。
やはり、実際に見てみない事には信じられないのは、仕方が無い事かもしれない。
『あるじ、そこの小さいスキレットにレードルで掬った油を入れて、火にかけて放置してみせて』
レードルで掬った油をスキレットに入れ、竃の上に置いた。
竃には鍋受け又は組蓋と言われる鉄板のリングがあり、そのリングを鍋の大きさに合わせて置くことで、小さい鍋でも竃に置いたまま料理ができる様になっていて、且つ、煙を煙突に向かわせる様になっている。
スキレットを暖める火は、弱めにしてあるし、油から煙が出始めても火か着くようには見えない。
ボッ!
「「「「!?」」」」
突然火が点いた。みんなの目が見開き、初めて見た光景に驚いている。
『水をかけちゃいけない事を試してみようか、スプーンに水を入れて、離れた所から火の中に入れてみて』
「この様に油に火が点いた場合は、絶対に水をかけてはいけません!水をかけるとこの様に・・・」
スプーンに入れた水を離れた場所から火に投げ入れた!
ジュワッ!バチバチバチ!
炎が吹きあがり、撥ねた油が周囲に飛び散った!!
「ギャー!」
「ヒィー!」
飛び散った油にも火が点き、竃の周りが火の海になりそうだ。
だが、今、水をかけてはいけないと説明があったばかりで、惨状を見た料理人達は、どう対処をすればいいのか判らず、右往左往するばかり。
『大きめの布を濡らして、周りの火の上に被せて』
「大きめの布を貸してください!」
『もし、服に火が点いたら、すぐに脱いで甕の中に入れるか、床をゴロゴロ転がって、周りの人は、濡らした布を被せて消す様にね。立ったままだと、火が顔に来るから、パニックになって、他の人に火が移っちゃうんだよ。』
「服に火が点いた場合は、すぐに脱ぐか、床に転がってゴロゴロ転がるか、周りの人が濡らした布を被せて消して下さい。立ったままだと顔を火傷するのと、混乱して周りの人も被害を受けます。」
借りた布を水の入った甕の中に突っ込み、軽く絞ってから飛び散った火の上に被せると、簡単に火が消えた。
それを見た料理人達が布を取り出し、次々と布を甕に入れ、軽く絞って火の上に被せていく。
最後に残った炎を上げるスキレットは、竃から下ろして、濡れた布をかぶせる事で消すことができた。
竃の火を消す事も重要だ。
油が発火点にあれば、布をどけてもまた燃え上がる。
取っ手が短くて、移動できない場合は、竃の火を落とす事でも可能だけど、濡れた布を被せてから、竃から下ろした方が簡単だ。
取っ手が熱くなっている場合があるから、濡らした布で手をグルグル巻きにするか、ミトンで掴んで持つのがいいだろう。
当然被せた布は焦げるが、火事になるよりはマシだろう。
壁に飛び散った油が燃えているが、濡れた布で拭いても火は消えない。
布に移った火は水の中に入れるか、布で包み込めば消えるんだ。
揚げ油の怖さを教えたら、講義は終わりでいいだろう。
後は彼ら次第だ。
油の温度を十分に下げる事が重要だ。その事を説明し、実験を終了した。
『あるじ、火傷してない?』
「大丈夫、してないよ。」
『よかった。』
「飛んでくる油は、全部避けたから」
『それ、人間技じゃないよね・・・』
「バレイショを揚げるのは、副料理長に任せますね。」
料理長が細かい指示を出していた相手は、副料理長だったのか、どうりで率先して手伝うと思ってた。
『骨の方も出汁が出始めたから、味見してみよう。』
「よし、こっちの味見を・・・」
感想言わないと思ったら、泣いてたよ。
一斉に味見が始まった。
またもや、料理長が驚愕の言葉を口にしている。
「なんだこれ!?骨を煮るとこんな美味い味になるのか!?肉を煮込むよりもずっと濃厚で美味いスープができるだと!?」
感動してる様だが、まだ早い。
『野菜スープと半々で合わせて飲んでみて』
料理長が率先して、小鍋に骨の出汁とくず野菜スープを入れて、味見用として出した。
カランカランカラカララ
レードルでスープを飲んだ騎士の手から、レードルが滑り落ちた。
表情は恍惚に浸っている様な、幸せに満ちた顔をしている。
味見用の小皿に、スープを入れて飲んでみたが衝撃が走った。
全員が味見した。
「くず野菜スープが美味いんだから、混ぜたら美味いに決まって・・・うぉぉ、あっさりしたくず野菜スープにコクが出てきたぞ!、なんだよこれ!?」
「こちらも、とても素晴らしいスープに仕上がっております。野菜とは違う深みのあるこってりとした骨のある味わいです。骨だけに。骨は毎日出ますから、毎日スープを作れるようになりますね。アルティス様、大変素晴らしい技術を教えて頂きありがとうございます。これなら明日の朝、旦那様達を驚かす事ができそうですね。骨だけに。」
執事がダジャレを言った、しかも、最後に繰り返した。
執事が、しょぼーんって顔をしているが、そのダジャレを聞いて、驚愕している者がいた。
「し、師匠が・・・、笑いをとりにいった・・・、あわわ」
コルスが聞いてたか。
しかし〈師匠〉?、コルスは執事の部下なのか。
だから、あの時〈苦笑〉したのか。
『骨は煮込めば煮込むだけ、味が凝縮されるけど、お湯が少ないとすぐ焦げるのと、お湯が白く濁って来ると、独特の臭いが出るから、慣れるまではやめておいた方が無難だね。スープを取ったら、骨は捨てていいよ。日持ちしないから、使う分だけ取るのがいいね。』
「骨の方は煮込めば煮込むだけ味が凝縮されますが、お湯が少ないとすぐ焦げるので、お湯が白く濁ってきたら煮込むのをやめます。」
「こちらも漉してスープを使います。骨は捨てて下さい。」
「煮込み方と骨を変えると、違う味わいになるので、色々試して欲しいそうです。」
このスープを作る為に、骨の髄まで絞り出した残りカスって事だ。
「煮込む時間と骨の種類で味が変わるだと!?そんなの試すに決まってるだろ!」
「おぅ!明日の朝になったら、腰抜かすんじゃねぇか?がはは。坊主、さっきは突っかかって悪かったな!教わった技術を使って新しい料理を完成させたら、一番に味見をさせてやっからよ、待っててくれよ!」
『干した果実って何かある?』
「ブードゥーがあるね。」
何かヤバい宗教みたいな名前だな。
『それをお湯に浸してから、乾かした保存用の入れ物に入れて、水と砂糖を混ぜて入れて、蓋をするんだよ。なるべく密封する様にして、毎日入れ物をシェイクして混ぜるんだ。数日後に腐敗臭がしなければ、ほぼ完成と見ていいんだけど、パン生地に混ぜて捏ねて、ちょっと休ませると、生地が膨らんでくるんだよ。成形してもう一度休ませてから焼くと、フカフカのパンができるかも知れない。』
「ブードゥーをお湯に浸してから冷ました、保存容器に入れて、砂糖水を加えてから密封、毎日振ってかき混ぜて、数日後に結果が出ると?確実じゃないの?」
『天然酵母が育つか判らないからね。ちゃんと育ってくれれば、パンが膨らむよ。』
「それで天然酵母ができるの?見分ける方法は?」
『泡が立ってるかどうかと、臭いだね。腐敗臭なら失敗。ブードゥーの香りなら成功の可能性が高いよ。』
「泡が立っていれば、成功で、腐った臭いがしたら失敗。成功しているっぽかったら、パン生地に混ぜて、休ませて、成形して、休ませて、焼いたら膨らむかもしれないのね?」
「私が作ってみましょう」
そして、アルティスが作らせていた、バレイショの素揚げの方には、塩を振りかけて食べる様だ。
『食べてみて。』
ヒョイパクッ
『ペティ!?』
「バレイショが美味しい!?」
素揚げして塩を振っただけのバレイショが、外はカリッと中はホクホクで美味い!あっという間に無くなったので、次は薄切りにしたものを揚げて、塩を振った様だ。
「パリパリしてて美味い!酒のつまみにぴったりだな!」
そこに、アルティスが爆弾発言を落とした。
『食べ過ぎると太るよ?』
「え?食べ過ぎは太る!?」
ペティが、ビシッと音が聞こえた様に動きが止まった。
ペティの両手は、油でテカテカになっているのを見て、料理長が、ペティの目の前の物を取り上げた。
『ペティは食べ過ぎると太るよ?』
「お嬢様は食べ過ぎると太る様ですね。」
「何で私だけ?」
「動かないからです。」
「お嬢様には、ひと月に1度だけに制限をかけた方がよろしいかと、存じます。」
『食べる量にも制限をかけてね。』
「畏まりました。」
「何?、今何て言ったのっ?、ねぇ!?」
調理場を辞した二人は、部屋に戻ってきた。
スープもポテトフライもポテトチップスも大好評だったよ。
ペティの食べるペースが異常だったから、執事に食べさせる量を調整する様に言っておいたよ。
「凄いよさっきのスープ!、あんなに美味しいのは初めて飲んだよ!、明日の朝はどんな美味しいスープに仕上がってるのか楽しみで仕方ない!」
『あれは出汁って言うんだよ。料理の基本だね。』
「だしって言うんだ、あれが基本って事は、他にも美味しくなる物があるんだね?」
『あるんだけど、この世界の調味料とか知らないから、作りようが無いんだよね。』
「じゃぁ、明日市場に行って買物してみない?」
『行きたい!』
「お嬢様も誘って行ってみよう。」
アルティスは考えていた、この国の料理は、全然発展していないし、工夫も無い。
主食が、無発酵パンだったが、酵母を知らないにしても、干し果実入りのパンでも焼けば、少しは膨らむ筈だ。
いや、地球ではないから、酵母菌が居ないのかも知れないな。
酒はあったから酵母菌は存在してるとは思うが、アルコールを含む果実がある可能性も捨てきれないのだ。
麦畑っぽいのはあったが、小麦と同じ性質とは限らない。
グルテンを含まない可能性もあるし、穂がライ麦っぽかった気もする。
『ふわぁーぁ・・・』
いつの間にか、寝ていた様だ。
アーリアが起き上がった為、同じ枕で寝ていたアルティスも起きた。
「起こしてしまったか。」
『おはよう、あるじ。』
「おはよう、アルティス。今から、朝の散歩に出るが、行くか?」
『朝は騎士モードなんだね。』
「フフ、騎士は、朝練するからな、いつもこんな感じだよ。」
『じゃぁ、行こう。』
外の庭園に出てきた。
庭園は、道を挟んで左右対称になっており、薔薇や牡丹みたいな花や、金銀の紫陽花や歯と舌がある花が咲いている。
『ん?歯と舌?、[鑑定]!ってモンスターじゃん、弱いけど。』
名前:カーニヴォラスフラワー
HP:10
MP:30
STR:25
VIT:36
AGI:57
ING:11
MAG:30
攻撃スキル:噛みつき 触手
感知スキル:振動感知
「ああ、それは食鼠植物だよ。ネズミを捕食するんだ。動かないから、近づかなければ平気だ。」
『さ、さすが異世界・・・』
「元の世界には居なかったのか?」
『居るには居たけど、歯とか舌は無いし、主に虫が対象だったなぁ』
ネズミを食べる食虫植物は、聞いた事がある。
ウツボカズラの仲間で、ネズミが入る程に大きいらしく、這いあがれなくて溺れた後、溶かされて栄養にされるのだとか。
「どうやって捕まえるんだ?」
『誘き寄せて、溶かして食べる。』
「ピットフロースの様な感じか。」
『ピットフロース?人間も落ちるの?』
「そうだな、大きいから、人間や馬も落ちるな。」
『へぇー』
こっちの世界には、もっとスケールのデカい奴が居た様だ。
しかも、馬も落ちる?ピットフロース?ピット・・・あぁ、落とし穴か。
「そろそろ朝食だ、戻ろう」
朝食の席で、伯爵夫妻が、スープの味を大絶賛しながら食べて、伯爵がとんでもない事を言ってきた。
「アルティス君を副料理長に任命する!」
『丁重に、お断りさせて頂きます。』
「お断りさせて頂きますと言ってます。」
「ええ!?、そんな事言わずに、もっと美味しい料理を作ってくれてもいいんだよ?」
伯爵夫妻は、しょんぼりしていた。
午前中は昨日の話の通り、意思疎通の検証をするのかと思ったが、朝食時に会話していたので、キャンセルになった。
市場は午前中に開いている為、買物に行く事となった。
午後は執事と、念話の講習会だ。
街に出る時は、教会関係者に気を付ける様、注意された。
信仰する神の中には、バステト神の様な獣顔の神がいるらしく、教会に行くと、しつこく勧誘される可能性があるとのこと。
隷属の首輪を嵌められる可能性もある為、十分気を付ける様に言われたが、アルティスに効果があるのかは不明だ。
モコスタビアの教会では、神への信仰はとうの昔に廃れている。
教会には、借金の方に奪ってきた子供が集められ、本国に送る手筈となっている。
教会の中には、ワープポータルが設置されており、本国や大都市の教会まで一瞬で飛ぶことができる様になっている。
本国では、送られてきた子供を何に使っているのか判らないが、教皇が齢180のバケモノである以上、碌な事には使っていないだろう。
人々は、回復魔法の手数料が高いだ何だとほざいておるが、教会で使う回復魔法は、中級クラスの[ハイヒール]であり、欠損は治せないものの、複雑骨折なら治せる程の強力な魔法なのだ。
高価なMPポーションを飲みながらやるのだから、高くなるのも当然だ。
ポーション類は、貴族共が既得権益を保持する為に、作り手を囲い、無理な作業を押し付けて、後継者を育てる前に過労で殺してしまい、今や低品質なものしか作れなくなってしまった。
エルフやドワーフ、その他の種族も人間の横暴さに怯え、次々と人間の街から消えていき、残っているのは、エルダードワーフとハーフエルフくらいか。
教会では、災害や大事故が起こる度に民衆が襲撃に来て、神像を叩きまくるから、神像は皆崩れてしまった。
それと共に、私の信仰心までもが崩壊し、神聖王国に多額の献金をするだけになってしまった。
神聖王国に沢山の献金をする事で、自分の役職が上がり、以前は只の神父だったのが、今や司祭にまで昇りつめたのだ。
この国では、王都に近いとはいえ、馬車で片道20日もかかる程の距離にある、ど田舎の街に司祭など、普通はいない。
それだけ私は頑張ったのだ。
街中の情報収集に出ていた神官が、伯爵家に人間の言葉を理解できる獣が来たという、メイド達の会話を盗み聞きした様だ。
「司祭様、ご報告があります。」
「何事ですか?」
「昨日、領主のホリゾンダル伯爵家に、息女のペティセイン嬢が戻られたとの報告がありました。」
「また、失敗したのですか。本当に役に立ちませんね。」
「はっ、申し訳ありません。しかし、それとは別に情報がありまして、お供の騎士が獣を連れて帰ってきたそうで、その獣は言葉を理解するのだとか。」
「言葉を理解できる?仕草がそう見えるだけでは無いのですか?」
「それが、騎士と会話をしているのだとか。」
「ほう、それで?」
「朝食のスープの味を激変させて、副料理長に任免されたとか。」
その獣は、伯爵夫人に気に入られ、伯爵家の食事を激変させたという。
どう激変させたのかは判らないが、神の子と呼ぶにふさわしい能力を持ち合わせていると言えよう。
まさしく、教会にこそ相応しい獣ではないか!
「なんと!?すぐにその獣を教会の物とできるように手配しなさい!」
「それがですね、その騎士が獣を伴って朝市に向かっているそうでして、もうすぐ教会の前を通る様です。」
「でかした!すぐさま奪う手筈を整えなさい!!」
屋敷を出てから、追跡されている様だ。
「ミャ」『[鑑定]』
『神官につけられてるよ?』
「ああ、屋敷を出てからずっといるな。」
どこでアルティスの事を知ったのか知らないが、こっそり追跡するとは、頂けない。
疚しい事でもあるのかもしれない。
『ぶっ飛ばしていい?』
「やめなさい。」
屋敷から、市場のある広場に向かう途中には、教会の建物がある。
必然的に教会の前を通る羽目になるのだが、教会の前には既に、司祭と神官が道を塞ぐように待ち構えていた。
教会の前で待ち構えていると、騎士とペティセイン嬢が歩いてくるのが見えた。
騎士の胸元には、小さな獣が抱かかえられていた。
「あれが、目的の獣ですか。フェレス神の使徒とでも言って、奪ってやりましょう。くくく、あの騎士の悔しがる顔が拝めると思うと、ワクワクしてしまいますねぇ。」
騎士とペティセイン嬢がすぐ近くまで来た時に、声を掛けた。
「お待ちしておりました、どうぞ中にお入り下さい。」
何か言っているが、無視だ。
特に教会に用は無い。
扉には、黒い靄がかかっていて、魔力感知で物陰に隠れている神官達が見えている。
「お待ちください!そちらはフェレス神の使徒様と思われます!なので、当然教会に来るべきお方です!」
司祭と神官3名が、行く手を阻んだ。
『知らんがな、フェレス神ってのは、獣顔の神だっけ?』
「本人は、違うと言っていますが?」
「そんな筈はありません、何かの間違いでしょう。騎士殿には、用はありませんので、お帰り願えませんか?、そちらの使徒様のみ、お入り下さいませ。」
「この子は、私と契約をしています。貴方たちに渡す訳にはいきませんね。当人が、教会に、用は無いと言っています。そもそも、神の関係なら、神からの啓示があるのではないですか?、そんな話は聞いた事が有りませんが。」
アーリアが反論するが、教会側も黙って聞いてるだけではない。
司祭は、アーリアが契約したと言っている事に反応した。
契約?今、契約と言ったのか?契約魔法などおとぎ話の中の魔法では無いか!テイムでもしたと?馬鹿馬鹿しい!
「それは、人にはわからない何らかの理由があって、別の場所で顕現されたのでしょう。まずは、それを証明する為にも教会の中へどうぞお入り下さい。」
教会の入り口には、罠が張ってあり、騎士が捕まれば、檻が縮んでたちまちに、肉片と化すであろう強力な罠だ。
アルティスの魔力感知には、教会の入り口の扉に、何か危険な気配がする為、近づきたくは無いと思った。
それに、アルティスを神の眷属と言う割に、敬意が全く見られないのだ。
『入り口から危険な気配がするから、近づいては駄目だ。』
「入り口に何か罠の様なものを仕掛けていませんか?、この子は絶対に入りたくないと言っております。万が一、無理やり閉じ込める様な事があれば、ホリゾンダル伯爵家を敵に回すことになりますよ?。」
「ふん、伯爵ごときが教会に何をできるとお思いか!いいからこちらに渡しなさい!」
司祭は、教会の入り口に仕掛けた罠を見破られた事に驚愕したが、獣には特別な力が備わっていると感じ、左指の指輪に魔力を通し、神官達の身体能力を10%向上させた。
貴族を脅しに使っても、効果無しか。
この世界の教会は、貴族より偉いみたいだな。
伯爵を侮辱する発言に、アーリアの気配が変わった。
周りに潜む神官達にも、何らかのバフがかかった様だが、微妙過ぎてよく解らない。
『どうしようか』
「すぐに動くと思うから、待ってくれ。」
『あぁ、動き出したね。』
「おい、力ずくで奪い取れ!」
「しかし、我々では騎士相手に勝てませんよ!?」
「取り囲んで一斉に襲い掛かれ!」
教会の神官が、建物の裏からぞろぞろ出てきて周りを取り囲んだ。手には槍や斧、メイスなどを持っていて、アーリアに殺気を向けている。
「これは、敵対行為と見て問題ありませんね?」
今いるのは、アーリアだけで、ペティは少し離れた所で待っている。
多勢に無勢だが、素人が幾ら武器を持とうが、騎士であるアーリアに敵う相手ではない。
騒ぎを聞きつけた野次馬が集まってきたが、神官に向かって石や棒切れを投げて、野次を飛ばしている。
『俺を降ろして、危ないから後ろに下がって。』
「大丈夫?」
『大丈夫!』
「判った。」
アーリアがアルティスを降ろし、半歩後ろに下がった。
獣が地面に置かれ、騎士が一歩下がった?
今頃になって渡す気になったのか?初めからそうしていればよい物を。
「おお!使徒様、私共の所へ来て下さるのですね!ささっ、どうぞ私めが中へお連れ致しますので、こちらへ」
司祭は隷属の首輪を準備して、アルティスに手を伸ばした。
アルティスは、手を伸ばしてきた司祭に向かって、引っ掻きを発動した。
「フギャアーォォォォ」『お前の気持ち悪い手で触るな!。』
スパッ
「ぎゃあぁぁぁ」
司祭の両腕が肘から切れた。
アルティスは、殺気を放つと同時に、怒りの咆哮と引っ掻きにより、司祭の両腕を斬り落とした。
周りの神官達は、殺気を受けて恐怖に慄いた。
司祭は、一瞬、何が起こったのか判らなかった。
突然、自分の両腕が消えて、血が噴き出してきた。
猛烈な痛みが両腕から走り、肘から先が無い事を理解した。
「なんて事だ!!腕が!腕があああぁぁぁ!殺せ!その獣を殺せ!!」
司祭が叫んだが、アルティスも直ぐ近くに居た、錯乱した神官が槍で攻撃してきた為、司祭を気にする余裕が無かった。
「ヒイィィィ」
サッ
『〈猫パンチ〉』
ドフッ!
教会の扉の近くに居た、神官が繰り出してきた槍を躱して、右前足で〈猫パンチ〉を発動し、吹っ飛ばした。
神官は、教会の扉にぶつかり、衝撃で槍を落とした。
その直後、扉を包んでいた靄が渦を巻き、魔法陣が浮かび上がり、仕掛けが発動した。
黒い大きな檻が神官を閉じ込め、急速に縮み始め、檻の中に居た神官は、細切れにされて、血だまりの中の肉塊へと変わり果てた。
司祭は、獣が素早い動きで槍を避け、反撃とばかりに小さな前足で神官を殴ったが、その瞬間までは、あんな小さな足で殴った所で、大したダメージにはならんだろうに、と思っていた。
しかし、結果は違った。
神官の腹は大きく凹み、教会の扉に叩きつけられたのである。
そして、発動した罠によって、神官はミンチになってしまった。
酷い惨状を目撃した野次馬達は、パニックになって騒いでいる。
死が身近にある世界とはいえ、剣で死ぬことはあっても、握りつぶされて死ぬ人間など、そうそういない。
路地裏に行けば、死体の2・3体は見つける事はあるが、形が残らない程の死体など見た事が無い。
たとえ、死んだのが神官であったとしても、平気な顔で見ていられるものでは無く、神官が死んだ瞬間の映像は、暫らく夢に出て来る程のトラウマになったであろう。
神官の一人が、アルティスにあっさりと吹き飛ばされたのを見て、直後の仲間の凄惨な姿に怯え、次の行動に移れずに右往左往していた。
住民達は、神官達を罵ったり、侮蔑の言葉を吐き捨てたりして、拳大の石やゴミが投げつけられ、手に木の棒を持った住民は、立ち尽くす神官を殴り始めた。
司祭の両腕が切れているのを見て歓声をあげる人もおり、殆どの人は教会を敵対視している様子だ。
『ここの教会って、何やってんの?市民を敵にまわし過ぎじゃない?』
「この教会は回復魔法や魔法薬を高額で売り捌いて、暴利で金貸しや、子供や女性を奴隷にして売却したりと、教会の権威を笠に着て、悪どい事ばかりをやっていたんだ。だから信者は、この都市には殆ど居ないと言っても過言では無いよ。」
「その通りだ、この街に信者など一人もいない。回復魔法が高いだと?魔法薬が高いだと?暴利で金貸しだと?奴隷売却だと?教会の権威は笠に着たが、其れがどうしたと言うのだ!何が悪いと言うのだ!?」
開いた教会の扉の向こうには、怯えた顔の子供達がいた。
奴隷にされてしまった子供達なのだろう。
『扉の向こうを見ても、神像が全く見当たらないんだけど?』
「普通はある筈なんだが・・・無いな。」
普通の教会の中には神像が飾られているというが、ここには崩れた瓦礫しか無い。
「中の子供を助けに『ちょっと待った!』え?」
『魔力感知では、中にも罠が仕掛られている様子が見えるんだ。多分あの子供達は囮だよ。』
「まさか!?」
『神官を先に中に入らせよう』
「判った」
くっ、騎士が中に入りそうだったのに、獣が止めてしまった!
中には、入り口付近に罠をたくさん仕掛けてあったのに!
せめて、衛兵が中に入れば、少しは気が晴れそうだと思ったのも束の間、騎士が制止して、司祭の目論見は外れてしまった。
衛兵の一人が、教会の中に入ろうとしていたが、アーリアが制止する。
「衛兵!中に入るな!」
「しかし、囚われていると思しき子供が」
「中には罠が仕掛けられている可能性がある、神官を先頭に行かせてから中に入れ!」
「はっ!」
衛兵が近くでリンチされていた神官を指さして、部下に指示をした。
「そこの神官をこっちに連れてこい!」
連れて来られた神官は、何をさせられるのか理解して、真っ青な顔を横に振っている。
「よし、お前、中に入れ!」
「い、嫌だ、中に入ったら死んでしまう!」
司祭が何かを言いたそうにしているが、痛みで声にならない様だ。
アルティスの思った通り、罠が仕掛けてある様だ。
神官は血だまりにへたり込み、怯えている。
「だったら罠を解除しろ!」
「か、解除には、司祭のゆ、指輪が必要で」
司祭は歓喜した!よし!上手く指輪に誘導したぞ!そのまま触れば、爆発に巻き込める!
神官の視線、眉の動き、そして一瞬臭った苦い臭いで嘘と判断した。
『嘘だよ、指輪は嘘』
「衛兵、その男の言っている事は嘘だ、指輪に触るな!」
何故バレたのだ!?何故嘘だとバレたのだ!?司祭の顔が絶望に変わった。
衛兵が切れ落ちた司祭の腕を持って、神官の前に突き出した。
「どの指輪だ?外してみろ」
「ひいぃぃ、つ、杖だ、ほ、本当は杖だ、あの杖を使って解除するんだ!」
『司祭の持ってた杖だ、あれで解除できるらしいが、何か企みもあるようだな』
『[鑑定]!トラップスタッフ?、罠の設置と解除、使用条件:MAG値400、使用に失敗すると、MPが0になるのか。ゴミだな。外側は栗の木だ。ハリボテで、中に貧相な杖が仕込まれているようだ。てか栗ってあるのか。』
「どうやるんだ?やってみろ!」
神官にやらせようとするが、首を振って拒否している。
「私の魔力では、む、無理ですぅ。」
『主ならできるよ、杖の先を教会の中に入れて〈解除〉って唱えるだけ』
「私がやろう」
再び、司祭が期待に満ちた表情になった。
チャンスが回ってきた!?騎士程度のMAG値では、あの杖は起動させられん!失敗すれば、MPが枯渇して殺せる!
アーリアが杖を持ち、杖の先を教会の入り口から差し込み、唱えた。
「解除」
教会の中の雰囲気がガラリと変わり、明るくなった。
「解除できた?」
『うん、できてる』
「衛兵、罠の解除ができたから、中に入ってもいいぞ」
「よし、手の空いてる者は中を捜索しろ!」
司祭の顔が再び絶望に塗り替えられた。
「な・・・何故使えるのだ!!アレはMAGが400以上でなければ、使えないのだぞ!?騎士如きが使っていい物では無いのだぞ!!」
横にいた神官が、青褪めた顔で喚きだした。
「う、うぅ、嘘だ・・・、まさか、あの杖を使って平気な訳がない!その杖を使うにはMAGが400以上無ければ使えない筈だ!」
「余裕だな。フフン、お前はもう寝ておけ」
ゴスッ
殺すのかと思ったら、神官を鞘に入れたままの剣で、昏倒させただけだった。
司祭が絶望に満ちた顔で、禁句を呟いた。
「よ、余裕だと!?何なのだ、あの騎士は!?バケモノか!?」
ドゴッ
「誰がバケモノだって?」
教会の内の捜索で、子供の奴隷10名と麻薬が発見され、司祭以下神官30名が捕縛された。
教会地下の牢屋内にミイラになった遺体が数体あり、殺人容疑も含めて、司祭は死罪、神官達は犯罪奴隷になり、強制労働送りになるだろう。
司祭の使っていた杖は、罠の設置と解除のみの能力しか無く、ハリボテだった為、後日破壊され、薪になった。
とりあえず、教会の事は衛兵達に任せて、アルティス達は、買物を再開する事にした。
お昼近いので、市場は殆ど終わっているが、市場通りと呼ばれる屋台街で色々教わりながら楽しんだ。
『何か、香辛料の匂い!ちょっと見に行こう』
「香辛料か、色々あるよ」
「へいらっしゃー」
『八百屋かよ』
「やおや?」
『何でもない』
「おじさん、この中で辛いのはどれ?」
「辛いのはこの赤いのと、青いのだな」
『青のは持ってるな』
「何か買う?」
『ここのって高い?』
「袋で買ったら足りないけど、あの小さい壺の分買うならそれ程でも無さそうだけど?」
「おじさん、その壺は何リーブラ分の容量なの?」
「おう、100リーブラ分だぜ!何か買うかい?」
「じゃぁ青いの以外を100リーブラ分ずつ買うよ。ホリゾンダル伯爵家に届けてくれ。」
伯爵邸に戻ると、料理長が来た。
「ああ、やっと帰ってきたな。料理指南役就任祝いだから、今日は豪勢にしなきゃなんねぇんだよ、だから新しい料理を作ってくれ」
はあ?何言ってんだ?コイツ
『俺はもてなされる側じゃないのか?』
「この家の料理人は、歓迎会に得意料理を一人一品作るんだ、だからじゃないかな?」
『そんなバカな!?そんな事急に言われてもなぁ・・・』
「何でもいいんだよ?アルティスの新しい料理、食べてみたいよ」
くっ、そんな事言われたら、断れないじゃないか!
『じゃぁ、材料見てから考えるよ』
「調理場で材料を見てから考えるそうです。」
「よし!じゃぁ調理場へ行くぞ!」
調理場にやってきて材料を見たが、何でもあると言われてた割に、何もない・・・。
『こんだけかぁ・・・調味料が全然無いんだよなぁ・・・』
「足りないの?」
『デザートでもいいの?』
「いいんじゃない?」
卵がある、ミルクもある、砂糖もある。
これは、プリンだな。
『テレテッテッテ・テレテッテッテ・テレテッテッテッテ・テテテテテ♪』
「何それ?、何か楽しそうだな」
某TVのテーマソングが思い浮かんで、つい歌ってしまった。
『音楽ってあるの?』
「あるよ?」
『楽器は、どんなのがあるんだろう?』
「太鼓とか」
『他には?』
「笛?」
『何故疑問形?』
「あんまりよく知らないから」
騎士には、関係無いからね。
『そっか、じゃぁ始めよう!。今回は〈プリン〉を作ります。』
「はいはい。」
『器は、丁度いいのがあったから、これでいいとして。まずは、砂糖を煮ます。』
「砂糖を煮る?」
『鍋に砂糖をたくさん入れて、火にかけて、溶かす。』
「飴でも作るの?」
『カラメルソースを作るので、焦げない様に溶かして混ぜて、茶色になったら少し水を入れて、器に入れる。』
「溶かして、混ぜて、茶色・・・どれくらい?」
『あるじの髪の色くらい』
「ふむふむ」
『お手伝いさん呼んだ方がいいよ?、執事の講師の時間が無くなっちゃうよ』
「誰か手伝ってください」
4人が手を挙げた。
「「「「はい!」」」」
『一人でいい』
「お菓子得意な人は?」
「はい!」
「じゃぁ、君で。名前は?」
「キャネルです。」
『キャネル君に卵を割ってもらおう30個程』
「卵を30個割って下さい」
「はい!」
「ソースできたよ」
『器に少しだけ入れて行って、あ、そのくらいずつで』
『割った卵をかき混ぜて、白身が無くなるまで』
「卵を白身が無くなるまで混ぜて下さい。」
「はい!」
茶筅みたいな道具で混ぜてる、凄いな。
『砂糖を入れます』
「どれくらい?」
『1.2キロ』
「この分銅でどれくらい?」
『1000と200』
「この量を卵に入れて混ぜる。その後は?」
『ミルクを暖めてこのカップで6杯入れる』
「凄い量になるね。」
『どうせおかわりするでしょ?』
「そうだね。」
『良く混ざったら、カップに静かに入れていく』
「静かに入れていく。」
『あのオーブンって使える?』
「使えるけど、焦げない?」
『トレーに並べて、水を張ると、温度が上がり過ぎないよ』
「これに並べて、水を張る、で、オーブンに入れる」
「あ、まだ温度低いですよ?」
『熱すぎるとダメなんだよね』
「熱すぎはダメだそうです。」
『1個取ってみて?』
「試食?」
『時間判らないから』
「プルプルで美味しい!」
『トレー出して』
「できあがり?」
『盛り付けは、カップの底を温めて、皿に被せる。ゆっくり持ち上げると』
「「「「「おおー!」」」」」
お皿の上には、プルプルでカラメルの乗ったプリンが出てきた。
『これ、たくさん作って、余ったらメイドさんとか兵士にあげてね。』
「もしかして、これも太る?」
『当然。美味しい物は全部食べ過ぎれば太るんだよ。』
「くっ、無念」
『あるじ、キャラ変わってるよ?』
「些細な事だ。」
『美味しい物はね、少しずつ食べて、末永く楽しむ物なんだよ。』
「このプリンは、毎日食べては駄目なのか?」
『甘いデザートは1日1個までね。新作、作っても食べられなくなるよ?』
「すまない、取り乱した様だ。」
『そんな事より、念話の講義に行こうよ。』
「そうだな、行くとしよう。では、後はよろしくお願いする。」
『サラダバー』
「サバラダー」
厨房を辞した。
『執事探さないとだね。』
「呼べばくるんじゃない?」
「お待ちしておりました。」
「『うわぁ!?』」
背後から返事が聞こえ、驚いて振り向くとそこには、執事が立っていた。
「お、驚かさないで下さいよ。」
『いつ来たんだよ?』
「厨房の外でお待ちしておりましたが、驚かせてしまい、申し訳ございません。」
「執事さんは、存在感あるのに気配が希薄だから、気が付かないんだよ。」
『驚かす為に気配を消してたんじゃ無いか?』
「いえいえ、そんな事は、滅相もありません。部屋をご用意しておりますので、そちらへご案内致します。」
執事の案内で、個室へと入った。
壁には黒い板が貼り付けられており、教卓と向かい合う机がある。
この部屋は、メイド達の教育や、ペティの勉強に使われているのだそうだ。
「では、こちらの席にお座りください。」
アーリアが席に座り、アルティスは机の上に、お座りした。
「こほん、では、念話についての講義を始めたいと思います。まずは、念話の説明から致します。」
「念話とは、言葉を声を介さずに相手へと伝える術でございます。」
「我々は、言語理解により、アルティス様の鳴き声を言葉として、理解している状況にあります。」
『え?使ってないの?』
「はい、アルティス様は、ご自分の鳴き声を、聞き取れておられるかと存じますが、声を出しておられますので、念話ではありません。」
『そうだったのか。』
「念話を使えば、声を出さずとも会話が可能となりますので、遠距離での会話も可能となります。」
「魔道具にも、同様の機能を持つ、〈ガラケー〉という物がありますが、とても高価な魔道具の為、持っているのは、高位貴族のみとなります。」
『ガラケーだって!?、それは、いつからあるんだ!?』
「建国した勇者様が、お作りになられた物でございます。」
『勇者は、元々この世界の人間なのか?』
「いえ、異世界からの召喚者でございますが、今は関係御座いませんので、ご質問があれば、後でお受けいたします。」
『そうだな、話の腰を折ってすまない。』
「念話は、魔法の一種ですので、話したい言葉に魔力を乗せて、相手を思い浮かべる事が、第一歩となります。」
『こうか?』
「さすが、アルティス様でございます。」
『あるじはでき・・・』
後ろを向くと、アーリアが目を閉じて俯きながら寝ていた。
アルティスは、アーリアの右肩に乗り、左前足で頬を叩いた。
バンッ!
軽く叩いただけではあるが、STR240のアルティスが叩けば、普通の人なら強打されたのと等しい程の威力となる。
「ぐはっ、痛いよアルティス。」
『寝ないでよ、ちゃんと聞かないとプリンあげないよ?』
「ごめんなさい!、ちゃんと聞きます!」
執事が引いてる。
アーリアの右頬には、肉球の跡がくっきり残っていた。
『俺はできるようになったから、あるじはみっちり教えてもらってね。』
「みっちり・・・」
「アーリア様、早く覚えなければ、アルティス様から怒られてしまいますので、お顔が大変な事になってしまわれるかも知れませんね。」
『大丈夫だよ、治療術で治してあげるから』
「い、痛くない方法でお願いします・・・」
『寝なければいいんだよ?』
その後、夕食までの2時間、アーリアは、アルティスのスパルタ教育を受け続け、念話を覚える事ができた。
アルティスの料理指南役就任パーティーは、大好評だった。
作ったプリンは、一人2個までと制限した為、ペティがこっそり追加を料理長に頼もうとしていたので、爆弾を落としてやった。
『あんまり食べると太るぞ?』
「ギクッ」
ペティが固まった。
ギギギと音を立てる様な動きでアルティスの方を見た。
「今の声は、アル君の声?」
伯爵は、アーリアから食べ過ぎると体に悪いと聞き、未練がましく、隣でプリン少しずつ味わって食べている、エカテリーヌ夫人を見ている。
アルティスは、素知らぬ顔で、自分のプリンを、半分アーリアにあげて、残りを食べていた。
「アーリアずるい!」
「私はまだ、1個しか食べてませんよ?」
『ペティ、ポテトフライにポテチ、そこにプリン食べたら、デブ一直線だぞ?』
「ねぇ、この声ってアル君なの?」
『そうだよ』
「可愛い顔して、声も可愛いのに、辛口なのね・・・。なんかギャップが凄いわ。」
アルティスは、声を低くするイメージで念話してみた。
『声を低くした方がいいか?』
「やめてー!、ギャップが酷くなるからやめてー!?」
部屋に戻って暫らくして、執事がアーリア達を呼びに来た。
「旦那様が、昼間の騒動の話を聞きたいとの事です。」
執務室に向かうと、ペティもソファーに座っていた。
「昼間に教会と揉めた時の経緯を聞きたい。話してくれ」
教会の前での出来事を説明すると、
「そうか、司祭までが強硬に出てきたのか。衛兵の隊長からもある程度の話は聞いてはいたんだが、何故そんな事になっているのかが、判らなかったんだ。説明を聞いて納得したよ。ありがとう。」
「今回の件で、教会の行ってきた悪事の全容が見えてきた。奴らは、教会の権威を盾に好き放題やっていたからな、今回見つかった証拠だけでも、司祭を排除する事ができるだろう。」
「教会内に残っていた書類からも、次々と悪事の証拠が見つかっている。やっと、この街も静かになる。」
教会が好き放題やっていたせいで、領主の仕事も大変だったのだろう。
街の巨悪が居なくなったせいで、裏社会の連中が騒ぎ出す可能性もあるけど、地道に芽を潰していくしかないんだろう。
ペティが教会の今後について聞いた
「今後教会はどうなるのですか?」
「うむ、次の司祭が来る事になるだろうが、今回捕らえた司祭が、本当に教会とは無関係だったのかの確認がまだ取れていないからな、新しいのが来ても、暫らくは騎士団に見張らせる予定だ。」