4、飴の道-3
「俺はさ、あんまり好きじゃないぜ、過ぎ去ったことは嘘で、大したことがなくて、大事じゃなくて、本質的じゃない、みたいな考え」
外は強い風が吹いていた。
それはもう夏の汗が噴き出すよな熱風ではなく、秋風の気配を含んでいる。
乱花には背中の羽を縮めないとよたついてしまうような風だったが、迅龍はいつもと変わらぬ様子でひょいひょいと前を行く。
体の半分以上が機械でできているから、体重が重いのかもしれない。
祭りのあとだからだろうか、普段は人込みで溢れているこの街も、少しばかりがガランとして空白が多いように感じられた。
「過ぎ去った方が本質だったかもしれないし、明日来るまだ誰も見たこともないものの方が“本物”かもしれない。今こうして話している現実の俺よりも、ネットの中にいる俺の方が真実の姿なのかもしれない」
「そうなの?」
「さぁてね」と迅龍は道化師のように肩を竦めた。
「そこはそれ、当人がどう決めるか次第だよ、究極、どっちも本当で、どっちを嘘にしたって良いんだからな」
うーん、と乱花の眉間に皺が寄ったのは、風が目元を襲ったからではなく、迅龍の詐欺師然とした言い回しが理由だ。
「まあまあ、ようするにお祭りがなくなっちまうと寂しいな、って話だろ?」
「まあ、それはそうだけど……」
「そこでここだ」
土産物で賑わう通りの途中で、迅龍はぴたりと足を止めた。
親指で、一本のわき道を指す。人が一人通るのがやっと、という感じの細道で、しかもすぐに急こう配の階段が見えている。結構な厳しさの坂であるらしい。
「ワクワクするような、こういう路地」と迅龍何故かうっとりとしている。
「この先に行くの……?」
いよいよ、乱花の表情も訝し気なものになってくる。
迅龍の言うことだから何かが待っているのは確かだろうが、迅龍の言うことだから何が待ってるやら得体がしれない。
以前にこうやって連れ回されて気がつけばブラックマーケットでラミア用の鱗磨きの叩き売りをさせられていたこともある。
「おいおい、よく見たまえよ、こちらをね」
そういうと迅龍はつま先を軽く細道の角にこすりつけた。
よくよくそちらを見ると、小さなお地蔵さんのようなものがある。
いや、違う、それは誰がどうみても“招き猫”であるらしかった。
石を彫って作った招き猫が、地面からにょきりとタケノコのように屹立し、その可愛らしい手を表通りの方へと向けているのである。
その突如として現れる神出鬼没なネコの姿には、乱花にも覚えがあった。
「招き猫商会」
「そう、招き猫商会さ」
招き猫商会がなんたるかをここで詳らかに説明することは難しい。
世の暗部とつながってますよ?と顔に書いてある迅龍はともかくとして乱花もその辺りはよくは知らないし、あまり知りたいとも思っていない。
ただ言えるのは、かつて龍天街を異人種たちの溜まり場として作り出した偉大な商人達の集まりが招き猫商会だったらしいということだけだ。
そういうと聞こえはいいが、実際のところはこの街に巣食う海千山千の怪人たちが集う秘密結社のようなものであり、今でもこと商売の臭いのするところにはやたらめったらその前足、ならぬ嘴を突っ込んでくることがあるらしいのだが。
招き猫は彼らのトレードマークであり、その影響下にある商業施設にはこっそりとその姿を刻み込み、暗にその存在をアピールするのである。
秘密結社をと銘打たれる割には、大概な自己顕示欲である。
「この先は招き猫の縄張りだ。どうだい、ちょっと面白そうな気がしてきただろう?」
「面白くなかったら、どうするの?」
「その時は招き猫が責任を取ってくれるだろ」
壊していいぞ、その招き猫。という迅龍の物騒なんだか珍妙なんだか分からない言葉に納得したわけではないのだが、たしかに少しだけ乱花も楽しみになってきた。
「迅龍、この先って何があるの?」
行けばわかるさ、と言って先に降り出してから、少し考えて、結局、迅龍は振り返った。
「飴の道、さ」
その甘ったるそうな響きに惹かれて、乱花もまた彼の背中を追いかけた。
飴の道、という表現は驚くほどに正確だった。
急こう配の階段は、直に開けた幅の広い階段へ変わり、脇には土手が広がるようになった。その両脇にみっちりと、屋台が立ち並んでいるのである。
それも、飴、飴、また飴、そして飴である。
林檎飴やイチゴ飴、トマト飴といったフルーツ飴も中には並ぶが、大半は飴細工の店である。
可愛らしく砂糖がまぶされた猫や雪だるまの飴もあれば、ぎょっとするほどに精巧で今しも中空を泳ぎ出しそうな金魚の飴が何匹も群れ連なっている屋台もある。
色もとりどりだ。翡翠のような澄んだ緑の飴が無数の華を形取り、琥珀色の飴は虎や龍を描く。目を引くほどの真紅でつくられた薔薇の花と、鈍い古木のような茶色で作られた熊の飴なぞはそれこそ乱花の頭ほどもあり、食べ物というよりは完全に芸術作品の域である。
手際よく馴染みの店を見つけると、迅龍はガラス細工のように緻密な龍の飴と、逆に童話に出てきそうなくらいお茶目でキュートなウサギの飴を買ってきた。
差し出された飴に迷ってから、乱花は大人しくウサギの飴を受け取った。白くスマートで、妙におもしろおかしくクネクネとポーズを決めたウサギは、鳥獣戯画から飛び出してきたかのようで、口の中に入れるのが少々戸惑われた。
迅龍はというと、己が名前にも入っている龍の飴を舐めるでもなく、食むでもなく、口の先でもごもごと啄んでいる。
「変に口に入れると角が口の中に刺さるのだ」と、妙に言い訳がましく言った。口元でふやかしているらしい。機械で出来ている癖に、変なところで繊細な奴である。
同じように、舐めるでなく、しゃぶるでなく、噛むでなく、子猫が戯れるように乱花も口元で飴を遊ばせる。
そうして歩く飴の道は、中々風情があって愉快なものだった。
流石にアレだけの祭りがあった直後だからこの辺りも人が少ないが、迅龍曰くは本来なら平日でも人が途切れることのない場所だという。
確かに、納得はいく。飴細工自体は祭りなどで見たことが無くはないが、これほどまでに一か所に集まっているものを見るのは珍しい。
壮観だし、目移りしてしまうほどに見ているだけでも楽しい。
食べられる芸術品を目と舌で味わう。なんというべきか、いうならば「凄く贅沢してる感じ」であった。
「だよな」と言って迅龍は十分にふやかした飴をバリバリ齧り、いつの間にか手にしていた二本目に移った。酢漬けのすももを水飴に絡めたそれはあんず飴と呼ぶらしい。だが杏は使われていない。
「こういう飴ってさ、祭りの時は見るけど、逆にいうと祭りの時くらいしか見ないからテンション上がるよな」
「たしかに……それはそうかも」
飴だけではない。ずらりと並んだ出店も、祭りの縁日を連想させてワクワクさせてくれる。
この坂を下りている時ばかりはどこからか祭りばやしが聞こえてくるようだ。
祭りの空気が、祭りらしさが、ここには平時から腰を据えているのである。もしかしたら、ここに観光しに来る人々はそういう空気も味わいに来ているのかもしれない。
「ここはな、祭りの跡地なのさ」
「祭りのあと……?」
そういえば迅龍が出かける時にそんなことを言っていたな、と乱花は思い出す。口の中でサクッと音がした。ウサギが半分になったらしい。もう口からは出さずにこのまま胃袋に収めてやろうと決意した。
「この街はお祭りの類は多いな」
「うん」
多種多様な人種の集まる街である。
祭りは文化だ。言い換えれば文化の数だけ祭りがある。多様性はそれだけ多様な祝祭も引き寄せる。
そして祭りは時に、金になる。
「すると、こういう出店も出る。飴細工なんかもよく来るわけだ」
「うん」
「するとな、徐々に出店の中で飴細工の占める量が増え始めた」
「どうして?」
「バエるから」
「ばえ……ば、ばえ?」
「絵的に映えるからと言い換えようか?」
驚くほどに俗っぽいことを言って迅龍は近くの出店に並ぶ龍の形の飴を指さした。
そういえば、さっきから見ている限りでも、龍を模した飴は多いように思われる。飴細工の定番、というだけでもないようだ。
「なんとなくのイメージだんだがな、龍天街といえば龍だろ?だからこういう街で龍の細工をした飴を売るとだな、これが売れるのだ」
「あ、あっさぁ〜〜〜い!」
「案内人としてはそういう浅さが良いと思えないとな」
迅龍によれば、色鮮やかな龍の飴細工は龍天街でも売れ筋商品らしい。ずっと龍天街に住んでる乱花は口にしたこともないのだが。
「ま、何せただでさえ写真映えするのが飴細工だ。しかもどこかのお祭りに出かけたなら、それらしい名産品をひとつばかし収めたくなるのが人の情、というものだしな」
名前だけとはいえこの街は「龍の街」だ。観光客がその飴を見たときに、自分が街を訪れた記念に、と結びつけるのは、言われてみれば乱花にも納得がいくようにも思われた。
「みんな実感が欲しいのさ、旅も、観光も、祭りも、結局は体験を得るためのものだから、自分が旅してるんだ!っていう実感に勝る商品はないのさ」
だから、買う。
だから、喰らう。
だから、撮影する。
自然、人は売れるものを売り始める。
飴細工なんて日々の中でそうそう大量に売り出すものではないし、祭りが無ければ仕事が無いなんて店主もいる。
そういう人々が売る場を求めて各地より集まってくると、今度はますます飴細工の質や多様性が向上していく。すると、更に売れるようになる。そして人が集まる。だが人ばかり集まると売る機会が減ってしまう。
だから——
「こうして常時売るようになっちまった、って話ね」
出店の場所はこの土地の主が提供したものらしく、集まってきた飴細工職人を前に酔狂にも嬉々として貸し出しているらしい。実に龍天街らしいエピソードだ。
しかして、一時の熱狂たる祭りは、そのまま跡地に「飴の道」という奇々怪々、珍妙なる光景を生み出し、定着させたのである。
以来ここはこの街の、新たな日常となってしまったという、そういう話なのであった。
「俺の言わんとしたことが伝わって来たんじゃないか?」
随分と階段を下ってきた。そろそろ、一番下が見えてきた。飴の道の屋台はそこで途切れているようだ。正面には茶屋のような小さな商店が建っている。
指の間に挟んだ割りばしを、迅龍は賢人ぶったことを言いつつひゅいひゅいと振った。
乱花は小さく頷いた。
そして、振り返る。
振り向けば、飴の道が上へ、上へと連なっている。ひしめく屋台が左右を挟み一本の回廊を生み出している。ところどころ、屋台の看板や客引きの提灯が光ったり消えたりするから、まるで生き物が呼吸するように、明滅して見える。
それはまるで、空に向かって飛翔する、一匹の昇り龍のようである。
「これが、飴の道……」
「綺麗なもんだろ」
迅龍も振り返って目を細めた。乱花はまた頷く。
祭りは、一時のものである。過ぎ去ればその時間は消えてしまう。楽しい時間は、結局のところ形の無いものであり、儚くいずれは消え去ってしまうものに過ぎない。
「でも、この道はそういう儚いものがちょっとずつ残ったものだ。いうなりゃそうだな、そうやって形の無いもの、変わりゆくものが練って練って——それで固まったものがこの道だ」
あとの祭りも、言うほど悪くはないだろ?と迅龍は笑った。
儚いもの、消えるもの、過ぎ去るもの、戻らないもの、刹那に消えるもの。
けれどそれが偽物だなんて言いきれるであろうか。そういうおかしなもの、おかしなことがたくさん重なって練り上がれば、日常の方が変化していく。
この道だって、いつまでもあるわけではないのだろう。飴が売れなくなれば、また違うものに変わる。けれど、この道があった、ということだけは動かしようがない。誰かが覚えている。いや、忘れてしまったとしても、その道を歩いた一時は、その先の時間にまでずっと続いているのだ。
だからそうやって、ちょっとずつ物事は変わっていく。消えてしまって、変わり続けるからこそ、何かが残り続けているのだと。
途端、何かがすとんと得心がいった。
「迅龍、やっぱり私はね——」
どこかに旅にいきたい。
ここではないどこか、もっと広い世界を知ってみたい。
そう言おうとして従業員の方へと向いた時、彼はすぅっと坂の突き当りにあった商店の中に吸い込まれていった。
「じ、迅龍?」
「おう、お嬢も来いよ」
中に入ると、ゴミ箱の中に迅龍が割りばしを放り込んでいるところだった。
そのまま、脇にある蛇口で手を洗うと、カウンターの奥にいる老女に「おばちゃん、お茶を2人分」と声をかける。
「あの、迅龍、ここは……」
「おう、ここだよここ、ここに連れてきたかったのさ」
「はい?」
迅龍は両手を広げて店内を示す。数人掛けの椅子とテーブルがいくつか並んでいるが、食事処としては狭すぎる。壁際に並んでいるのは、駄菓子のようだった。
「この駄菓子屋は商売に苦しんでいてね、その上、目の前に飴の道も出来ただろ?だから先見の明のあるこの俺はこうアドバイスしたのさ——ゴミ箱と手洗いと、それからお茶を用意しろってね」
「ごみ……箱……」
乱花は手にもった串を眺める。飴を買えば避けることの出来ない、副産物、という名のゴミである。
「手洗い……」
迅龍に促されて、乱花も手を洗う。飴や砂糖の粉のべたつきがとれて、大層気分が良い。
「お茶……」
店主の持ってきたお茶は程よい渋みで、甘くなった口の中をすっきりと洗い流してくれる。
ふぃー、と迅龍は長い長い吐息を吐いた。
「どうだい、人が入ってくるに違いないだろこんなもん。これこそが祭りの生み出した奇跡さ。潰れそうな駄菓子屋は繁盛店に!お嬢よ、急に仕事なくなってへこむ気持ちもわかるがな、そうやってやってきたことは決してなくならないのだよ。それが次のビジネスチャンスに繋がる……ようはそれを見逃さないことが肝要なのさ」
うんうん、と迅龍は満足気に、誇らしげに何度も頷いた。まるで手柄を主張するかのように真夏の如く暑苦しい笑みを乱花にむける。
「……迅龍」
「うんうん、どうだ、学びを得ただろう?お嬢もだな、今回作ったコネクションを次に活かすべくまずは人脈の土壌作りを」
「迅龍はさ、もうちょっと儚くなった方が良いと思う」
「うんうん、あれ!?」
どういう意味?どういう意味?としつこく食い下がる迅龍のことは無視して乱花はお茶をすすった。
飴の如く粘り強く強かな人々の元気にあてられたわけではないが、いつのまにか彼女の心の中に根付いていた寂しさは消え去っていた。
自分の中に生まれた新しい気持ちについてはどう向き合おうかと考えてから、やっぱりと彼女はそっとそれを心の奥底へとしまい込む。
迅龍はこういった。まだまだこの街には見て回るものがあると。彼の知る限りでもまだ本の一冊分は見どころがあるらしいと。
思いがけない自分の変化を楽しむのは、その本を読み終えてからでも、遅くはないと思ったからだ。
一時の祭りが残りの日常を変えてしまうように、この街という祭りの中を生きる今は、知らぬ間に、彼女の未来も違う方向へと変えているのかもしれない。
そう思うことにしたのだ。