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3、春攫い-1

 その日は、いやその日も。

 ざんざかと雨が降っていた。

「長雨だねー」

 若いヒューマンの女美容師は窓の外に目を向けなかったが、降りしきる雨音だけでも十分に外の荒れ模様が感じられた。

 一昨日の夜から降り出した雨は勢いを止めることもなく降り続いている。スカートの裾を濡らして(らん)()が美容室に入ってきたときには、馴染みの美容師も「折角のお洒落の日がこれじゃ残念だねー」と苦笑したものである。

 雨脚は変わらず、きっとまだまだ振り続けることだろう。

 窓の外がぴかっと光ったのは、ちょうど乱花の前髪が均等に切り落とされたころだった。ドキリ、としたあとに案の定、ごろごろという大きな音が遠くから聞こえてきた。

「春雷か、いよいよだねー」

 身を竦めた乱花の肩を、美容師が安心させるようにぽんと叩いた。

 ざあざあという音は益々強く、窓から見える街の姿は真っ白なヴェールの向こう側に隠れてしまった。

 この雨では歩き回る者も少なく、街はまるで幕の下りた舞台のようだ。

「ほんとに、こんな天気だといよいよ……」

「いよいよ、楽しみになってきちゃうねー」

「ん?」

 美容師との会話に思わぬ齟齬が生じて、乱花は鏡越しに彼女のまん丸とした瞳を見つめ返してしまう。

 美容師は美容師で、思いがけない反応だったのか、「おりょ?」と好奇心の強そうな瞳をくりくりさせた。

「春雷が……楽しみなんですか?雨なのに?」

「いやぁ、そりゃ春の長雨だからねー……って、もしかして乱花ちゃんは知らない感じ?おやおや、龍天街の案内人ともあろうものがこれはいけませんな〜?」

 なんだか妙に嬉しそうである。


 この好奇心が強く愛嬌に溢れた美容師のもとに乱花が通うようになってからもう2年になる。

 その時はまだ彼女は街に来て間も無く、乱花がこの街の名所や生活していく上で便利な場所などを教えて回ったものである。

 その後、乱花が教えた灯籠劇場で彼女がなにやらただならぬ仲らしい男性と共に歩いているのをみた時は心臓が飛び出そうになったものである。

 いや、あのキラキラした光り輝く肌は鉱石と生物の中間にあたるクリスタリアンだから、もしかしたら性別はないのかもしれないけれど。

「……知らないって、何を?」

「そりゃあ決まってるじゃない、この街の春の風物詩、長雨といえば——春に恋した男の話でしょー」

「春に、恋した、男の話……?」

 乱花は口の中で、言葉を吟味するよう転がらせる。暫くしてから、ため息とも取れない長い長い息を吐いた。

「皆目見当がつかないや」

「ふぅーふぅーふぅー、それでは教えて差し上げましょうかお嬢さん?」

 何を真似してるのか低い笑い声をあげて、本当に楽しそうである。

 くるくると表情の変わる彼女の性格は、決して社交的とは言えない乱花にとっても好ましいものだった。

「ふふっ、遂に龍天街のことで乱花ちゃんを追い越しちゃったかー、誇らしいねぇ」

「ほんとに、(じん)(りゅう)じゃあるまいし、どこで仕入れてるんですか……?」

「そこはそれ、私の仕事の7割は世間話と噂話みたいなところがあるからさ」

 残りの3割で髪を切られているらしい。顧客である乱花としてはもう少し割り振りを増やして欲しいものだ。

 それじゃ、折角だし話させてもらおうかー、と、美容師は心なしか嬉しそうに手のハサミをより小さなものに持ち替えた。

 櫛が乱花の髪を優しくすいていく。彼女はもともと話し好きなのだ。

「春に焦がれた男の話。春に振られた、男の話をねー」


 彼の名前は、美容師も知らないという。

 ただ人は、桜源氏、あるいは単に桜さんと呼ぶ。どちらも春に執着した彼の生き様からそう名付けられたのだろう。

「乱花ちゃんはさー、虚桜って知ってる?」

「うつろざくら?」

 首をかしげそうになって、乱花は自分が散髪中だと思いだした。

 どこかの夜で聞いたような気もするし、そうでない気もする。

 いや、そういえばいつだったか「虚桜に案内して欲しい」という客が来たことがあったような気もする。

 それはそれは美しいという桜の木という話ではなかったか。

 しかしそれは迅龍をして「ちょっと出来かねますなぁ」と言わせたものだったはずだ。

「この街のどこかにあるっていう伝説の桜の木でね。それはもー、この世の物とは思えないほどに綺麗なんだそうだよ」

「伝説、ねぇ……」

 ちょっとその単語には乱花は冷めている。

 まずこの街には伝説が多すぎる。それで食わせてもらっている案内人の身とは言え食傷気味なのだ。

 思い出せる限りの伝説を記憶の底から引っ張り出して七不思議に纏めようとして、やめた。ぱっと思いつく限りで7個を超えてしまったからだ。

 だが、乱花の思い出せる限り、この街で桜の木を見た記憶は無かった。

 都会だからただでさえ自然は少ないし、建物が密集しているから花見が出来るような空地もそれほど多くないはずだ。どう考えても花見に適した街ではない。

 美容師も実際に見たことはおろか、どこにあるかも分からないらしい。

「噂だよ、噂。誰かが蓬莱の地で仙人に貰った桜を植樹したんだってー。それで、誰も見たことがないし、本当はこんな場所にあるはずの桜でもないから、人よんで虚桜ってわけ」

 ああ、と乱花は納得した。

 そういう話だった気がする。だから迅龍も断ったのだ。

 まあ、アレはどちらかというと「一見さんをご正体するのはちょっとねぇ……?」という顔つきだったが。

 しかし誰も見たことがないのに、この世のものとは思えぬほどに綺麗とは乱花には少々図々しい物言いな気はする。

 だが美容師は「一度見て見たいなぁ」と、夢見心地に目をはせた。ついでに、そこであけたらビールも旨いだろうな、と少々庶民的な欲望も零れ落ちる。

「桜さんはねー、その虚桜に恋しちゃったんだそうだよ」

 ——桜に恋。

 聞けば、実にロマンチックな話である。

「虚桜を見た途端にさー、桜さんはそのえにも言われぬ天下一品、幽玄なる花の魅力にすっかり一目ぼれして、心を奪われてしまったんだ」

 愛っていうより、恋だろうね、きっと。と美容師はいった。

 乱花がその違いを訊ねると、美容師は両手を目の脇に揃えて前を示した。脇目も降らずに一心不乱、ということだろうか。

「こうなっちゃうからねー、恋は。盲目ってやつさ」

 それで、桜さんもすっかり一心不乱、周りは何も見えずにその桜の美しさを追い求める恋の奴隷になってしまった。

 すると桜に関係のある春のアレコレ、何も可にもが好きになってしまい、春そのものが愛おしくて仕方がなくなってしまったのだという。

 だから春になるとそれはもう嬉しそうに花見に出かけるが、それ以外の季節は元やっていた仕事もやめて、春に得たインスピレーションをもとに芸術作品やら何やらをつくって暮らすようになっていったのだという。

 筋金入りの春マニア、春オタク、春狂いである。

 だが情熱とは偉大なものである。春を題材とした桜さんの作品群は、その圧倒的な執着故にか高く評価され、季節を表す風物詩として龍天街の外でもひっそりと愛好されているらしい。

「ほら、そこのも桜さんの作品だよ」

 美容師が肘で示した先には、たしかに一枚の桜の絵がかかっていた。

 大きな、一本の桜の木だ。風になびくように花びらが散って、まるで押し寄せる波のように見える。

 これが、虚桜を描いた絵なのだろうか。そう思ってみると、なんとも心を——いや、その身心ともに攫ってしまいそうな、甘美ではあるが厳かな不気味さを感じさせなくもない。

 だが、芸術家がモチーフにとり憑かれる、というだけでないのが、この話だった。

「桜さんはねー、それだけ恋したのに、春に振られちゃったのさ」

「ふ、振られちゃった?」

「桜さんはね——酷い花粉症なのさ」

「……はい?」

 それはそれは、数奇で残酷な運命であった。


 桜に恋焦がれ、春を愛した男がいた。

 しかし哀れにもその男は春を真っ当に生きられない呪いを受けた。

 呪いというか、花粉症である。

 はじめのうちはスギ花粉だけだったが、無理を押しているうちにドンドンと症状は悪化、反応する花粉もみるみる増えていき、今じゃ一年のほとんどの間、マスクをつけて街の地下で暮らしているらしい。

 恋した相手に裏切られ、共に生きることが出来ず、地下で恋焦がれて過ごす怪人。

 それだけ取り出せばどこぞの怪奇小説か舞台にでも出てきそうな悲哀の物語である。

 花粉症の話なのだが。

 いや、と乱花は思い直す。

 天使の末裔と呼ばれる彼女たちアンヘルは、天上の存在の力を引き継いでいる。といってもそれは病気にかかりにくいとかそういう話なのだが、そのせいなのか花粉症とも縁遠い人間だ。

 そういう彼女に罹患した人間の苦しみはわかるまい。想像以上に悲劇的な苦しみなのだろうと想像する。

「なんていうか、気の毒な話ですね」

 とはいえ感想はそんなものだった。

「だよねー……。でも、それほど酷いならもっと根本的な治療法があるだろうに、上手く行かないのかねぇ?」

 レーザーやら、免疫療法やら、今の時代はいろいろあるよねぇ、と美容師は首をかしげる。

「あるいは、本当に春に嫌われた呪いだから治療では治らない、とかだったりしてねー」

「自分の人生を春に捧げた人の末路としてはバッドエンドですね……」

「でもね、そこはそれ、伝説に残るお人だからさ」

「え?」

 桜さんは諦めなかった。くじけなかった。

 というか、まるで反省をしなかった。

 花粉が己を苛もうが、春に飛び込もうとする彼の情熱が冷めることはなかったのだ。

 今も彼は特製のゴーグルとマスクをつけると、相も変わらずにひとりふらふらと春の街に繰り出すのだという。

 そうして各地を回って、春の訪れを全身で体感することを何よりの喜びにしている。

「ただしそれは、“雨の日限定”らしくてね」

「雨の日?」

「まー、雨が降ってる間は花粉は飛ばないってことなんだろうね」

 ああ、と乱花は納得する。

 それと共に、改めて桜さんへの哀れみも再び湧いてきた。

 桜が好きで、春が好きになったというのに、春の間は雨の日にだけ閉じ込められてしまったというわけだ。今日のような雨ではそれこそ桜の花びらは散ってしまうだろう。それでは大好きな桜の花見も難しいではなかろうか。

「それでも春を愛することを止めなかったからこそ、人々は彼を“春に恋して、春に振られた男”として尊敬し、語り継ぐことにしたわけ」

 悲劇なのやら喜劇なのやら、いずれにせよ大恋愛にして、大悲恋であることぁけは確かだ。

 この話を案内人として観光客に伝えるにはどう伝えようか、と考えたところで乱花は諦めた。

 話したら乱花の方がすべったみたいになりそうだ。

 ただ——

「それで、何が楽しみなんですか?」

 なるほど桜に恋した春に焦がれた男の数奇な運命は理解できる。

 けれど、それが今この時の楽しみには繋がらない。

「ああ、それはね——」

 その時、鏡を見て乱花は驚いた。美容師の顔には劇的な変化が表れていた。

 何を思い出したのやら、甘いカフェオレのような暖かな朗らかさが、笑顔から漏れ出している。

 まるで春をそのまま体現したかのような、優しく、柔らかで、幸せそうな表情だった。夢見るような瞳の輝きは、爛漫の桜を連想させた。

「それはねー」

 ごくり、と乱花は自分が喉を鳴らしていることに気づいた。

 だが、その一瞬をカランコロンという鐘の音が遮った。

 すぐに美容師の顔から朗らかさがぱっと消え、現実に引き戻された表情からは「やばっ」という声が漏れ出た。

 音のした方を見れば、美容院のドアを開けて新たな来客が一人、傘の水を切っているところであった。

「ごめんごめん、次のお客さんがもう来ちゃったみたい。悪いね乱花ちゃん、あとの話は他の人に聞いてもらっていいかな!」

「えっ、えぇぇ!?」

「いやー、ほんとにごめんね。すっかり話し込んじゃったよー。はい、それじゃいつも通りの別嬪さんにしておいたから、今日は足元に気を付けてね!」

 それこそ春の嵐のような勢いでまくしたてると、美容師は呆気にとられた乱花を置いて次の客の元へとぱたぱたと走り去ってしまった。

 その時になってようやく乱花は、自分のカットが終わっていることに気が付いた。

 続きを訊ねようにも、パタパタと慌ただしく駆け回り「こんな日なのに千客万来だよー、もー!」と何処か楽しそうに右往左往する彼女には、とても声がかけられる気がしない。

「……それで、春は——春はどうなっちゃったわけ?」

 ぽつりと彼女が零した呟きは、敢え無く雨音の中に吸い込まれると消えてしまうのだった。


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