6、猫歩き-2
公園は坂の中腹にあるようだ。片側からは展望台のように大通りの方が見えた。賑やかな通りや、にょきにょきと生えるビルの様子を見ることが出来る。陽だまりだけでなく、吹き抜ける風も気持ちのいい場所だった。
「ホクサイさんは人懐っこいですが、頭が良く警戒心も強い子です。それにあの体格と毛並みでしょう、私は多分、北欧の猫の血が混ざっていると思うのですよね、彼には」
男は自分をネコバヤシと名乗った。
彼に勧められるがままに座ったベンチの隣で、街を見下ろしながらネコバヤシは話し続けていた。
よくよくもまあ、それほどに猫の話題がすらすら口から出てくるものだと乱花は感心した。彼にとっては毎日の日々やテレビの内容、政治や世界情勢、それらに連なるくらいに身の回りの猫のことが大事らしい。
「それで……」
口を止めるには、乱花が遮る必要があった。
「貴方たちは……?」
「おっと失礼、その話でしたな」
ネコバヤシは襟元のバッジを親指で示した。バッジには猫の顔が彫り込まれている。一瞬、招き猫商会の刻印かと思ったが、それにしては招いていない。単なる猫である。見せられたところで乱花に見覚えはなかった。
彼もそれを承知しているようで、続けて「我々はネコ歩きの会であります」と名乗った。
「ね、ネコ歩きの会……?」
「如何にも。この街に無数にいる猫の諸氏方々の後についてまわって、彼らに学び師事しようという目的の有志の会です。今のところ、ここにいる者で全員の少数の会ですな」
それぞれの場所で猫を撮影したり、何かをメモ書きしていた面々が乱花の方に会釈した。男女混成で、リーダーの男を入れて8人だ。全員が頭に猫耳をつけている。
「それはつまり……変質者の集まりということで」
「違います」
ネコバヤシはこれがまずいと気が付いたのか、己の猫耳を外すと残念そうに手元で眺めた。
「彼ら都会の猫たちが如何なる場所で寝て、起きて、暮らしているかを知る。それはこの街の人知れぬ新しい側面を暴き出すことでもあるのです。人の目では知れぬ部分を猫の目から教えてもらおうというわけですな。ネコを追い、素晴らしき日向の場所を探そうという伝統ある故事のネコ歩きにちなんだ会なのです」
「あ、そ、そうなんですね……」
乱花は驚愕した。ネコ歩きなる言葉が実在したらしいことに。
「それにはなんていうか、ちょっと……」
「愛が零れ落ちすぎている?」
「良く言えば……」
『おキャット様が! おキャット様がいまこちらをご覧になられたわ!』『おキャット様を讃えよ!』『うう……あるはずもない肉球が……疼く!』等々と胡乱な言葉を振りまく姿をそう言えるならだが。
「これは手厳しい」
そうは言うが、別段堪えていないようで、かんらかんらとまた音もなく笑った。
「精鋭を集めたところが少々先鋭化し過ぎましたかな」
「鋭く尖ってるのは間違いないですね……」
この男がリーダーなのだとすれば、どちらかといえば類は友を呼ぶという話かもしれない。
「……まあ、なんですかな、この辺りの猫の保護と調査と、趣味と実益を兼ねた団体と思ってもらえれば何よりです。日々このように猫の居場所と健康状態を調査し、キャットマップを作成しております。これが中々、有益な研究となるのですよ」
「研究?」
「ああ、我々は副業として大学の動物行動学の研究チームでもあるのでありますよ」
「あっ、普通にちゃんとした人達だった……。たぶんそっちが本業だけど」
「本業は副業くらいでやるのが一番!」
力強い言葉だ。胸に刻もうと乱花は思った。
「してそういうお嬢さんは迅花楼の案内人さんですよね?」
急にそうずばりと言われて乱花は狼狽えた。
「知ってたんですか……」という言葉が漏れる。
「ええまあ、貴方たちはなんだかんだ龍天街でも目立つ存在ですからね」
乱花としては心外だった。
彼女は単なるしがない案内人に過ぎない。少なくともネコ歩きの会がわざわざその存在を記憶する必要がある者とは思えなかった。もちろん迅龍は目立つかもしれないが……。
「ふふ、人と人を繋ぐ仕事ですからね、意外なところで関わりがあるものですよ」
ネコバヤシはそういって悪戯っぽく笑った。
もしかしたら本業の方で会ったことがあるのではないか———そんなことも思い浮かぶ。
それにしても、だ。
この公園にはずいぶんな猫が集まっている。10匹20匹、いや茂みの中を覗けばそれ以上いるやもしれない。
元々猫の多い街とはいえ、よくよくこれほど集まってくるものだと乱花は感心する。
路地やビルなど隙間の多い街だから、いつの間にか住み着いた猫たちが裏社会でも作っているのだろうか。猫と言えばとかく隙間に潜り込む生き物であるものだし。
壮観でしょう、とネコバヤシはにやにや笑った。
気が付くと一匹の三毛猫が近くまで来ていた。
「おや、イラクサさん」
イラクサさんは何をするでもなくじっと乱花を見つめると、すぐに踵を返してしまった。猫の集会とはこんなものだとネコバヤシが教えてくれた。何をするでもなく、ただ顔を突き合わせることに意義があるのだという。
「あ、そういえば」
ふと乱花はこれまで抱いていた疑問を訊いてみることにした。この男ほどに猫に詳しい者もいなさそうだし。
「どうしてみんな”さん”付けするんですか?」
「はい?」
乱花は向こうにいる猫を指さした。キジトラの子だ。名前はワラビさん。隣の子を指さすとネコバヤシがポムポムさんと呼ばれていると教えてくれた。その向こうにいるサビ猫はムンクさん、一緒にいるのは戦艦ポチョムキンさんだそうだ。
「さん付け」
「ああ、なるほど。確かにそう呼ぶ人は結構いますね。特にお年寄りなんかに多いかもしれませんなぁ」
笑顔を浮かべたまま、ネコバヤシは思案するように己の顎に手をやった。どう説明すべきか、どう言葉にするべきかを考えているようにみえた。
「一種のリスペクトでありましょうかな。彼らは”良き隣人”ですので」
「良き、隣人……ですか?」
「この街で共に生きていく己と違う何者か、という意味では猫も人もそう変わりませぬからね」
そう言って男が髪をかき分けて、額に生えた小さな角を指さした。
ネコバヤシはデモニックというとても珍しい種族だった。
鮮やかな色味の肌と、額の角、そして先のとがった尻尾が特徴で、時に悪魔の末裔とされる種族だ。
無論、そういう乱花も同じだ。彼女の背中には天使の末裔とされるアンヘルの翼がついている。
「異種混淆の街の特性と言うべきですかな。この街は己と異なるものを”とりあえず”受け入れる。たとえそれが人だろうと、獣であろうと、奇々怪々なる研究集団であろうとも」
「奇々怪々である自覚が……!」
「そうやって発展してきた街だからこそ、彼ら”良き隣人”が齎す価値を知っている。そこにある種の打算を持って敬意を払う、そういう”習性”が文化として根付いているのだ……というところで如何でしょうかな」
ネコバヤシは照れくさそうな笑みを浮かべた。あっているかどうかは分からないと付け加える。そういう研究があるわけでもないし、自分も人間の行動は専門外だからと。そういう姿は学者としての”習性”なのかもしれない。
「まあ今のは仮説に過ぎませんが、良き隣人を持つということでは悪いことではありません。思わぬ刺激や、新た出会いを得ることもあるでしょうからね。仲良くできる範疇で、仲良くしていくのが良いでしょうな」
「うーん」
分かるような、分からないような。ネコバヤシの喋り方のせいかもしれないが何処か煙に巻かれたような気もしてしまう。「実際は一過性のブームかもしれませんしな!」などと言われてしまうと猶更である。
「ヨナグニサンもそういうことなのかな」と訊こうとしたところで、「おうい」という声ならぬ声が割り込んだ。振り返ると、いつの間にやら公園の猫たちの数が減っていた。
先ほどまで福福と目を細めていた猫たちが立ち上がると、それぞれ三々五々に散らばりはじめている。本日の猫の集会はどうやらお開きになったらしい。もちろん、アナウンスなどあるわけもない。
「おやもうそんな時間ですか。失敬失敬、これよりはネコ歩きの時間です。我々も彼らのあとについてあるかねば」
すると男は懐から折り畳まれた紙を取り出して、乱花に差し出した。それは街の地図だった。一緒にペンも手渡される。猫の装飾がされたペンだ。『レッツネコ歩き』とまで書いてある。オリジナルグッズだろうか。
「もしお時間があるようならば案内人さんも如何ですかな? 彼らの視点に合わせて歩く街は、また別の顔を見せてくれますぞ」
乱花は最初、断ろうとした。
だが、考え直したのはホクサイさんがまだそこにいたからだ。彼は少し離れたところでぺろぺろと己を舐めていた。乱花の方に投げかけられたふてぶてしい視線は、まるで「どうするんだい?」と問いかけているように思えた。