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6、猫歩き-1

 

 龍天街には人も多いが、猫も多い。


 朝方に起きて家を出て、夕方に戻るまでに1匹や2匹を見かけることは当たり前。街角の隅や塀の上、公園の茂みの中にじっと目を凝らせば、3匹4匹目を探すことも造作もない。夜の闇の中にチラリと光る宝石のような両目を見ることも度々ある。

 まあ、それが本当に猫のものなのか、あるいはこの街に潜む魑魅魍魎の何かなのかは、確かめてみないとわからないのだが。


 (らん)()もまた、迅花楼から餌を持って表に出て、たちまちの大合唱に包まれる、なんていうことを何度も経験していた。

 なおん、なおん、なおんと頭を擦り付ける客たちの存在は、混沌としたこの街の中で地に足がついた温かみを感じさせるから乱花は好きだった。フワフワもこもことした顔が、我先にとエサ入れに向かう姿を見ると、なんともいえぬ満足感と幸福感を感じられた。


 そうして触れ合っていると次第に顔なじみも出来てくる。出先でばったり出くわすと向こうから近づいてくるような友達も増えた。夕方、複雑に絡み合った裏路地を抜ける帰り道などで彼らに出会うと乱花もほっとしたものだ。

 そういう時、乱花はそっと知っている名前を呼んで背中を撫でてやる。

 面白いものだが彼らには大抵、通り名がいくつかある。名無しの猫は殆どいない。


 だが不思議なこともある。

 それは、名づけの法則だ。

 この街の猫たちはやたら「さん」付けが多い。

 真っ白な猫のミルクさんは細面で気品のある雌猫で乱花は気に入っている。毎日やってくるふくふくとした黒猫は近所では蜜豆さんと呼ばれている。とてもいい名前だと思う。

 けど、誰もどうして彼らを「さん」付けで呼ぶかは知らないのだ。なんとなく、他の人がそう呼んでいるから、つられてそう呼んでいる。

 むろん、乱花も変わらない。手にキャットフードを持っては、その日に顔を出した友達に「ツバキさん」「ノワールさん」「餅巾着さん」と声をかける。


「おっ、今日は『ヨナグニさん』も来てるのか」

 そうしていると、にょきっと後ろから迅花楼の従業員である(じん)(りゅう)の顔が生えてくることがある。

 色黒で髭面の迅龍は、見かけによらず猫が大好きだから、近所の猫の顔と名前はすべて覚えている。

 彼が指さしたのは、ひと際大きな猫だった。

 恰幅が良いが太っているわけではない。骨格からして大きいのだ。そのうえ他の猫より毛が長くてふさふさしている。だからとても立派に見える。白い身体のお腹の辺りうねるように茶色い模様が入っているのが特徴だ。

「へぇ、この子、ヨナグニさんって言うの?」

 目を引く子だから、乱花も見覚えはあったが、名前までは知らなかった。迅龍はうん、と頷いてから至極楽しそうにニコニコと猫を眺めた。ヨナグニさんは尻尾までふさふさと立派で、遠くからでもよく目立つ。


「……あっ、ちげぇや、ヨナグニサンはめちゃくちゃデカい蛾の品種だ」

「なんでそんな間違えを!?」

 本当のところは、その猫は「ホクサイさん」と呼ばれていた。お腹の模様が大波に見えるからそう呼ばれているのだそうだ。

「彼はこの辺りじゃ一番面倒見がいいから俺は好きなんだ」と迅龍は顔をほころばせてホクサイさんの喉を撫でていた。悠然とそれを受け入れるホクサイさんは、愛嬌があるのか、図太いのか。どちらにせよ、大層可愛いことには、間違いなかった。



 街中でホクサイさんを見つけたのはそれから三日後の午後のことだった。

 たまには違う道、違う光景をと散歩に足を運ぶと、植え込みの陰からもふもふとした塊が転がり出した。道の真ん中にしゃんと立ったホクサイさんの尻尾は立派にぴんと上向いており、ご機嫌らしいことが伺えた。

 こんな時、乱花はその後をついていくことにしていた。

 猫というのは犬と違って、普通は人間と一緒に散歩をしたりしない。だが、心を許した人間に対してならば、その後をついていくことを許してくれることはある。

 勝手気ままに見える猫のあとに続くには相応の根気と気楽さが必要になるが、乱花はそういう散歩も嫌いではなかった。何より、気持ちのいい日差しの午後などに、日の光を反射してきらきら光る彼らの毛皮を眺めるとそれだけでこちらの気持ちもぽかぽかと温かくなった。


「猫は太陽の使いだからな」と迅龍は前に言っていた。

「彼らほど太陽が当たる場所を知っているものはいない。だから人は猫を太陽の使いと崇めるんだ。猫のあとをついて良い日向を探す行事は太古から行われていて、これをネコ歩きというのだ」

 その話が嘘だとわかるまでに時間はかからなかったが、それはそれとしてついついネコ歩きはしたくなるのだ。

 とはいえ大抵はふいっと気まぐれに逃げられてしまう。ちゃんと目的地まで付き合ってくれる猫は殆どいない。

 その日は、そんな例外だった。

 ホクサイさんはふくふくとした足取りでご機嫌のまま、公園に向けて入っていった。静かで日当たりの良い、居心地の良さそうな場所である。乱花はいっぺんでそこが気に入ってしまった。


「ハァァァァァ! おキャット様! おキャット様のお通りよぉぉぉ!!!」

「良いですよ! 良いんですよ! ナイスキャット! ナイスポイントですからして!!!」

「ごろーんとしてくだされ! ごろーんとしてくだされ! ふはははははは! 拙者もごろーん!!!!」

 尋常ならざるものが、視界の中に入ってくるまでは。


「へ、変態だぁぁぁぁーーーー!!!!」

 余りに異質な光景に、乱花の口から悲鳴が漏れた。

 猫の集会、というのだろうか。公園にはホクサイさん以外にも数多くの猫が集まっていた。その飛び石のようにちらほらと点在する猫の間を、7,8人ほどの集団がそれぞれ飛び回っている。

 荒い息を押さえ、盛んに猫を写真に収めたかと思えば、何かに憑りつかれたような熱視線を向けてじっと身動きを止める。一様に顔には満面の笑みが張り付いている。狂喜乱舞する彼らの姿は、末法、あるいは地獄という言葉を乱花に連想させた。


 こんな場合にすべきは回れ右である。だが、足を引いた彼女を変態達は見逃さなかった。

「何者ですか騒々しい!」

「ちょっと、大声を出さないでくださいよおキャット様が怖がるでしょ!」

 叱られてしまった。

 驚くべきことに彼らはその奇行の全てを、全身全霊の無音でやっていた。どう見てもはち切れんばかりのハイテンションに見えるのだが、実際に口から洩れる声は注意しないと聞き逃してしまいそうな囁き声である。

 気を使っている、気を使っているのだ、気味が悪いほどに。

 言っていることは道理をわきまえているものだから、乱花も口を押えて声を落とす。

「ご、ごめんなさい……」

 集団のうち、長身の男が1人、前に出て怖い顔をした。この中ではリーダー格らしい。

「やれやれ、どちら様ですか貴方は! 猫の集会で大声はご法度! ご法度ですよ! ここでは静粛と礼節を弁えて頂きたい!」

 これも全て小声である。それも、荒ぶっているようで実際はひどく穏やかなのだ。実際にそんな経験などないのだが、乱花は老神父にお小言を言われたらこんな風に叱られるのではないかと想像した。

 すらりとした男は確かに立ち姿もしっかりしており、言動はともかくとして身なりはきちんとしていた。線の細い顔はインテリらしい神経質さを感じさせ、銀フレームの眼鏡とあわせて知的と言えないでもない。強いて言うと、頭に付けた猫耳だけが余計である。よくよく見れば、彼以外の集団の全員が同じ猫耳をつけている。

 末法だ。


 だが、厳めしく歪められた男の眉間の皺が突然するりと解けて、破顔一笑した。

 何かと思っているとトンと後ろから足を押された。見下ろすと、乱花の足にホクサイさんが頭をこすりつけているところだった。ホクサイさんは身体が大きいからぐいぐいと押されるような形になる。

「これはこれはホクサイさん、今日も可愛らしい……ご立派なお鬚ですな!」

 すぐさま膝立ちになってホクサイさんに視線を合わせると、男はひとしきりその容姿を褒めたたえ、そっと手を差し出した。騎士が姫にするようだと乱花は思った。ホクサイさんはその指先に微かに鼻先を押し付けた。 

「さてはホクサイさんの後をつけてこられましたかな?」

 そう言われて乱花はドキリとした。男はもう怒っていなかった。穏やかな口調はそのまま、歓待するような笑みが浮かんでいる。

「どうやら御同輩らしいですな!」

 カッカッカ、と音もなく笑う男に返す言葉もなく、縋るようにホクサイさんの方に目を向けても、当然回答が返ってくるはずもない。

 それどころかホクサイさんはもはや十分とばかりに乱花に一瞥をくれると、その場を離れ他の猫たちの輪の中にするりと吸い込まれていってしまった。乱花にはそのぴんと立った尻尾の後姿を見送る他はなかった。


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