硝煙日和
気だるさをこらえながら玄関のドアを開けると、外では今日も銃声が鳴り響いている。今日の天気もぼんやりとした曇り。俺の住んでる地域のあちこちで銃弾の雨が降っている。まさに硝煙日和だ。
これだけ銃声が聞こえているのにもかかわらず、外を出歩いている誰もが何事もなかったかのように平気な顔をしている。硝煙が舞うこの天候の影響もあってか、ごく少数の人間がマスクをしてるぐらいだ。なんて平和ボケしてるのだろう。
駅のホームで電車を待ってるときも、電車に乗って外の景色を眺めてるときも、近くで人が血を流して倒れているのに、多くの人がそのことには無関心。唯一関心があるのは手に持っているスマホの画面ぐらいだ。
学校に着くとすぐさま、朝のホームルームが始まる。担任が点呼を取っている間に、窓から外を眺めていると、遠くの景色はすでに暗黒街の様相を呈していた。
「おい、◯◯!」
担任が急に詰め寄ってくる。
「◯◯! 人が話してるときによそ見すんなよ。おまえ、前もぼ〜っと外見てたよな。なめてんのかてめえは!」
「……あっ……いえ、すみません」
「謝るぐらいなら最初からふざけたことすんなよ。次またよそ見してたら職員室に来てもらうからな。って、どこまで話したっけ……」
担任が俺に背を向けて教壇のほうに戻るそのとき、俺は担任に銃を向けた。カッとなった勢いだったが、銃を手に持った以上あとには引けない。今の俺は鬼気迫る勢いで奴に銃を向けているはずだ。なのに、クラスの皆が奴の話に耳を傾けている。この異常な光景に、引き金を引こうとしている俺の指先は震えていた。
ホームルームが終わり担任が教室を出る。結局撃てなかった。普段あれだけ外で銃を向けられたら、躊躇なく撃ってたのに。
「おい、あいつまた怒られてやんの」
「あいつ、ホントキモくない? なんかさあ、この前裏のシンジー〜って、なんだっけ、なんか裏の〜の奴を銃で撃っただの、人を殺しただの、ぶつぶつ独り言言っててさあ」
「えっ、マジそれヤバくない」
「あいつ頭おかしいんだよ。陰キャでヘタレなくせによ。何ダークヒーロー気取ってんの。マジで痛いわ」
「◯◯、顔キモいし、マジで臭え」
ホームルームが終わった途端、クラスの奴らがコソコソ俺の悪口を言い始める。ひそひそと、そしてくすくす笑うその声に、俺は無関心を貫き通す。
笑うなら笑えばいい。馬鹿にされて笑われることなんて、普段銃弾の雨の中歩いている俺からしたら蚊に刺される程度だ。だが、これは本心じゃない。本当は銃で肩を撃たれたときよりも痛かった。
くすくすと笑う声が徐々に聞こえなくなってきた頃、ようやくチャイムが鳴る。ここから放課後までまた平和で退屈な日常が始まる。
とても長かった。ようやく授業が終わると、俺はクラスメイトからの嫌がらせによって押しつけられた掃除を済ませて、すぐさま学校をあとにした。
まだこの時間帯は普段なら明るい。だが、俺の目にはどんよりと曇って暗く見える。
この街で暮らすおまえら! おまえらの目は本当に節穴か? 今も道の真ん中では血溜まりができて、死体が転がってたりしている。今でも銃声が鳴ってるんだぞ。なぜみんな気づかないんだ? 気づかないふりをするんだ? 俺は下校途中いつもそんなことを考えてる。
下校途中、街で声をかけられたり職質されたりしたときには、銃声の音が聞こえなくなったり、道に転がってる死体が段々透明になって見えなくなるなんてことがよくある。そういうときにはふと、俺の頭のほうがおかしいのかなって思ったりする。
今日も下校してる途中にティッシュ配りの人から声をかけられた。今日もまた自分の頭がおかしいって思っちゃうんだろうなって、このときそう思った。
だが、今日ばかりは違った……。
ティッシュを受け取ろうと手を伸ばした途端、何やら肉の破片みたいなものが手に飛び散る。俺は顔を上げて目に映ったのは、ティッシュ配りのお姉さんの脳味噌が飛び散ったあとの姿だった。
また再び銃声が鳴り響く。銃弾は俺の肩をかすめた。
痛い! 肩から血が流れている。そして、この痛みはまさに本物だった。
俺は震えた。今までの痛みのレベルなんかじゃない。本当の痛みだ。俺は本当に撃たれたのだ。
俺は身体が震えながらもポケットに手を突っ込み、何やら探し始める。制服の内ポケットから取り出したものは黒の自動拳銃だった。
ずっしりと重たい。なぜ俺はこんなものを持ってるのか、俺にはわからなかった。いつも撃ってる銃は灰色のオートマチック。もちろん俺の想像が作り出したものだ。
あたりを見ると武装したテロリストのような連中が、街のあちこちで銃をぶっ放している。この光景に俺は驚愕した。
震えが止まらない。でも、生きなければ……。
硝煙が立ち込めるなか、俺は銃をしっかりと握りしめ、敵に狙いを定める。
身体が震える。狙いが定まらない。そんななか、武装した男がこちらに銃を向ける。
俺は身を守ろうと、反射的に撃った。銃弾は運良く眉間を貫き、男の動きは止まる。
しかし、突然銃弾が飛んできて、今度は太もものあたりをかすめる。俺は次から次へと、武装した奴らを相手にしないといけないようだ。
銃弾で身体を傷つけられながらも、俺は次々と敵を撃つ。最初は身体が震えて本当に痛かったが、四、五人やったあたりで、感覚もだんだん麻痺してきた。
もしかしたら、俺を殺しに来てるこいつらも、同じ感覚なのかもしれない。俺はこいつらひとりひとりに、怒りや悲しみも抱くことができない。多分、できなくなったのだろう。気づけば、武装集団に怯えた奴らも、隙を見て銃を奪い、乱射してる。
本当に狂ってるんだ、この世界は。俺たちはただ、そのことに気づいていなかっただけ。気づいていないふりをしていただけなのだ。
本当はこの日常の繰り返し。そして一日が終わるとリセットされ、皆忘れてしまうんだ。
硝煙がより一層立ち込める。この硝煙を吸っていると、感覚がどんどん麻痺していきそうだ。それはまるで、ある種の麻薬を吸ってるかのように。そしてこの一日をなんとか乗り越えると、また明日、このセリフを言うんだろうな。「今日の天気もまさに硝煙日和」と。
俺がそう思った途端、側頭部に強い衝撃が走る。ドンと音を立て倒れると、上手く動けないなか、なんとか状況を確かめようとする。すると、今いる場所が外ではなく、自分が暮らす家の自分の部屋の中にいることに気がついた。
俺はこのときになって、ようやく気がつく。「ああ、そうか。硝煙の香りにあてられたのだな」と。そして、側頭部に熱を帯びつつ、何やら頭が濡れてきて、次第に意識が薄れていくのを感じた。